たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

カルグクス『大きなさよなら』

本書は「神様」のほか、「自然」や「宇宙」という名称で全能者が登場するのが興味深かった。
どちらの記述も私が知っている聖書の神の性質と矛盾がないことが。

「今を楽しむ」「今ってなんてすごいんだ」というのもあらゆる宗教の核心だ。
UCでWhat is Love?と題する心理学者の集中授業を受けたことがあるのだが、そこで提示された結論も「愛するとは、今、今に存在すること」でしたからね。

20年以上前からわかってはいたけど、あの豊かな下北沢や吉祥寺が消えつつあることを知った。

最後に彼女が健康な状態で飲みに行ったあの、庶民的で活気がある中華居酒屋にもう一回行きたかったな。
寡黙な大将、辛い水餃子、青唐辛子のチャーハン、珍しい日本酒。
厨房の熱気、お客さんたちの笑い声、おしゃべり。

父が夜中にいきなり作る変な味のお好み焼きや、バターロールにバターとコンビーフを分厚くはさんだもの、あれだけでよかったのに。

兄貴のおうちで、獲れたての伊勢エビのおさしみとスープをいただいた。兄貴は何回も「エビは何時に来る?」と確認していて、来たらすぐに料理の指示をしていらした。
たいへんな手間と額だとわかっているのでいただくときには緊張するけれど、活きている! 味のエネルギーの前に圧倒されて、緊張を忘れる。理屈ではなくさっきまで泳いでいたその力が体にぐぐぐっと入ってくる。それが翌朝私をぱきっと目覚めさせる力に変わっていることがわかる。
文章とか本も、だれにとっても、だれの書いたものであっても、そういうものであるといいと思う。

老舗のうどん屋さんで若いお嬢さんが、冷たいだしに生肉やその他全部の具材をおぼんからずるずる引きずりながら突っ込んでぬめぬめ揺らしながらうどんすきを調理してくれました。
おいしさ半減です。もしそれをやりたいなら、具は先に入れておくやり方が私は好きです。
「生肉をあまり茹でない」は正解で、「鶏もも肉は水から茹でる」も確かに正解。
でも、うどんすきの場合は見た目的に微妙な気がします。

へろへろになって夜中少し体調が回復したとき、ものすごく寒い街角にぽつんと食堂があって、カルグクスとカタカナで書いてあった。
カルグクス、うどん? と言ったら、店のおじさんが優しくうなずいてくれた。キムチを入れるならここにキムチがあるよ、トングで取ってな、と身ぶり手ぶりで教えてくれた。
窓が曇る食堂の中、やはり韓流ドラマのワンシーンのように、温かいうどんの優しい味に泣きそうになった。
これが韓国の涙の質だと体感した。
体調が悪い私をかばって、いっしょにうどんを深夜に食べてくれる人たち、私の今の家族。

終わってから焼き小籠包を分け合って熱い熱いと言いながら立ち食いで食べて、韓国の有名な糸みたいなお菓子を口上つきで買って、チャイハネに行った。前よりも店舗は縮小していたけれど、まだまだ元気な感じだった。店員さんもチャイハネ寄りのエスニックライフを送っているからしっかりテンションが高い。
たくさんの新しいレストランができていたけれど、定番である萬珍樓の点心のレストランに行き、ワンタン包みだとか、小籠包だとか、いつものものを食べた。

吉本ばなな著『大きなさよなら どくだみちゃんとふしばな5』