たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

京のうまいもの『正妻 慶喜と美賀子』

よく知る界隈の地名が出てくるのは魅力的だ。今出川は今も菓子司が多いよね。

姫君たちの集いとあって、ご膳ではなく茶と菓子が出された。菓子は虎屋の特別製らしく桃の花の模様の練り切りである。一条家が桃華(とうか)御殿と呼ばれることにちなんでいた。
姫君らはお喋りに興じるわけでもなく、ごく静かに菓子を口に運ぶ。

下女が茶と菓子を運んでくる。同じものが別室にいる萩乃と青侍にもふるまわれているはずだ。  今出川家では禁裏にならって、菓子は虎屋のものを使う。禁中御用を 仰せつかる虎屋は、御所の西にあり、今出川家からも近い。が、母の出してくれる菓子は、町中のもので、 餅の中に餡が入ったものだ。素朴な丸い形をしたものであるが、甘くて大層おいしかった。

もうあの家のこともよく憶えてはいない。しかし秋になると決まって大原の家から「延君さまへ」と、大量の栗が届けられる。栗は延の大好物であった。 茹でたものを萩乃が皮をむき、青磁の皿に盛って出してくれる。
「今年も清兵衛の栗は、 甘うて粒がよう揃ってござりますなァ」
こういう時、大原の家は本当に遠くなっていくのだなあと延は思うのだ。
萩乃の給仕で朝食を済ませた後は、通ってくる師匠から和歌の手ほどきや論語、源氏物語の講義を受ける。源氏物語の替わりに古今和歌集を暗唱させられ、それを毛筆で書いてみることもあった。今出川家の書は有栖川流の流れを汲む。流れるようでいて個性的な書体である。
午後は萩乃や若い女中を相手に碁をうったり、本を読むこともあるが、またすぐに音楽の稽古が始まる。今出川家は琵琶の家なので、ことさらに激しく習わされる。

「小浜ってどんなとこや」
「御食(みけつ)の国と申しまして、天皇のお召し上がりものを産み出す国でございます」
「そや、そや、小浜はととがたくさん獲れるところであったな」
「さようでございます。京の鯖や甘鯛(ぐじ)はみんな小浜から運んでくるものでございます」

「みなで集まられること、あらっしゃるの」
「どうですやろなあ。わたくしがごく小さい時分、おたあさんを囲んできょうだいでお菓子をいただいたことありますなぁ」
「ええなぁ」
母親を中心に、幼いきょうだいたちがいっせいに菓子を食べる光景は延の心を暖かくさせた。

その後は祝いの膳が用意され、この日だけは延は兄、義理の母と一緒に朝食をとる。まずは屠蘇をいただき、その後は雑煮を食べる。雑煮は焼いていない丸い餅に白味噌仕立てだ。膳の上にはにらみ鯛が置かれているが食べるわけではない。いわば飾りの鯛だ。このあと弾き初めをしたり、三十人ほどの家の者の挨拶を受けたりするので、ゆっくりと膳を囲む時間はなかった。質素なものをそそくさと食べる。
(中略)
お正月に虎屋があつらえてくれる紅白の菓子は、延の大好物である。七日の午後、延はそれを土産にして母の八重のところを訪ねた。

林真理子著『正妻 慶喜と美賀子』より