たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

アルティストの夜食『女ひとりの巴里ぐらし』

今でもパリの夜食処は未明の3時まで開いているのだろうかと調べてしまった。夜中前に芝居がはねるような街は違うなー。とりあえずLAは白けるほど夜が早いので。昼間のほうが楽しいことが多い街ですな。

「知らないの? 闘牛の前日は闘牛師は絶食するものなのよ。もし牛にお腹をさされた時に、絶食しておけば助かる率が多いの」

カルメンのお誕生の夜、彼女が自腹で買ってきたシャンペンやブドー酒、お菓子やサンドイッチを、休憩の時に三階の楽屋に持ちこみ、私たちアルティスト八人は、はしゃぎながら食べていた。

そして私たち三人は、中央市場へ行ってみた。真夜中に中央市場に行ったなんて云うと、気の早い人は変に思うかも知れない。けれども、中央市場といえば、パリのあらゆる食糧は真夜中すぎにここに運ばれて、あけがたまでに取引がすまされる仕組になっている。この市場の屋台店は、ちょうど日本の立食いずしや焼鳥屋に似ていて、新鮮で、安く、美味しいので有名だった。だだっ広い真四角な建物の中央市場の横を通って、私たち三人はなかでも有名なピエ・ド・コション(豚の足亭) ののれんをくぐった。そこには前夜祭だというのに、働く人たちが、一仕事終って黙々と朝食をしていた。
作業服を着た男たち。肉屋さんだとわかる男は血だらけの上っぱりのまま、グラティネ・スープ(玉ねぎのスープ)を食べていた。その人たちの交って、疲れた顔にどぎつい化粧をした娼婦の顔もいくつかあった。
私たちは二階のレストランに行った。二階は階下にくらべると、ずっと小ぎれいで、客種も変っている。たいていは、キャバレー帰りの踊り子たちが詰めかけていた。
「今夜という今夜は、カルメンのママとケンカしたよ」
ジェルマンは、この店の名物の豚の足をあげたお皿を前にして、白い歯をむいておかしそうに云った。

「だいたい、サンドイッチ一つが百三十フランなんて高すぎるわよ。その上、このサンドイッチの小さいこと、プラスピガールへ行ったら、この二倍の大きさのが百フランで売ってるわよ」
「そんなこというなら、外で買ったらよいでしょう。このサンドイッチには、バタが入ってるのよ。一口にサンドイッチっていったって、いろいろあるじゃありませんか」
イヴォンヌは、衣裳係だけじゃなくて、毎晩、二十個ほどのサンドイッチを自宅から持ってきて、果物やチョコレートと一緒に、私たちに売っている。リュシェンヌにいわせると、原価の倍はもうけているのだそうだ。

仕事の後で、リュシェンヌと、隣りのスナック・バーにハンバーグ・ステーキを食べに行ったことがある。若い男が入ってきた。可哀想に、その人は顔面神経痛らしく顔はひきつり、手はふるえ、食べようとするサンドイッチも落してしまう。私とリュシェンヌは、見ないふりをして食事を続けていたら、前に坐っていた二人の女たちが、つつきあっているふうだったが、とうとう笑い出してしまった。リュシェンヌは、いきなり立上がって女の前に行くと、 「マダム、ちっともおかしくないことに声を立てて笑うのは、やめたらどう?」

パン屋には、焼き立ての、指でソッと押すと、パチッと音のする棒パンや、色よく焼き上がった菓子パン、ブリオッシュ(カステラのようなもの)、三日月型にあげたクロワッサンなど、フランスにしかない、美味しいパンが並んでいる。 乾物では、いろいろな種類のチーズが並び、ミルク入れの 錫 のカンを持った人たちが、はかり売りをしてもらっている。 肉屋の威勢のいい、アンちゃんたちは「ヒレ肉二枚!」「ハイ、次は、コウシ五枚!」と、大声で帳場に向ってどなっている。
角の八百屋のアンちゃんは、買ものかごをさげた私をみると、愛想よく、「<ナチュリスト>はどう? 景気はよいかね」などとよびかけながら、「エーイ、これもおまけだ」と、威勢よく野菜のたばを、買物かごの中に、なげ入れたりしたし、行きつけの魚屋は、日本から来たお客様のために、あれもこれもと注文する私に、「魚屋をひらく気かね」とからかった。

第二部の休憩には、踊り子たちの楽屋に招ばれて、にわとりとブドー酒のご馳走になった。踊り子たちはみんなはしゃいでいて、とても楽しそうだ。

クリスマス・イヴにはアルティスト全員そろって、夜食に行く約束がしてあったので、おつきあいで近所のレストランへ行った。毎晩見あきている仲間同士とカキと七面鳥を食べてみても、ことさらにクリスマス・イヴの感激はなかった。食べ終ると、私はそうそうにみんなと別れて帰った。

海の空気のおかげとサブロンのお世辞で、私も調子がよくなったような気がした。夜の時間まで、私はホテルに戻って熱いスープとオムレツを食べ、ベッドの中で今夜うたう歌を繰返し小声で歌った。


途中、エーズという崖の上の小さな町で、昼食をした。ここは、とみ子が前に一度来て感激したところなので、寄り道をして訪れたのだが、高い崖の上の古い石だたみの小さい街。海が広く見渡せる。ゴロゴロとした石の街だ。古い古い石づくりの家が、中世の絵にあるようなたたずまいで建っている。静かな、美しい、夢のような一角だ。家の庭々には、サボテンやミモザの花が咲き乱れて浮かんでいるような感じだ。
(中略)
空気のためか、食事が実に美味しい。食後、レストランの主人に案内をして貰って貸アパートを見る。海の見渡せるテラスのついた一部屋のアパートが、台所もついていて、一カ月三万フランとのこと。来られる日があったら、きっと来よう。〈ナチュリスト〉で疲れきっても、ここに来て深呼吸をしたら、汚れた空気がすっかりはき出されて、素直な気持になれるだろう。

オペラ座の横にある〈パムパム〉という、アメリカ風のホット・ドッグやハンバーガーなどを手軽に食べさせるレストランへゆくと、若い女事務員、お針子、踊り子などが大勢いて、明るい雰囲気を出していたが、彼女たちは、殆んど、濃いお化粧はせず、生の美しさを生々とみせている。

イヴォンヌは横で、「あきれたわね、こんなことしてたら、必ず身体悪くするから」といったけれど、私は「仕事してんだもの、減食出来ないわよ」と答えたし、マックスは「これ着てたべたいだけ食べるのさ。さあ、今夜はスパゲッティーにうんとバタとチーズをまぜて食べるんだ」と、大はしゃぎだった。

四月一日になった。エープリル・フール。私は日本にいる時、噓を思いついては、人の良い友だちをだましてはよろこんだものだ。フランスでも、この日は、「プワソン・ド・アヴリル(四月の魚)」といって、噓をついても良い日になっている。お菓子屋さんには、お魚の型をしたチョコレートが、一ぱいに並んでいた。

石井好子著『女ひとりの巴里ぐらし』より