たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

東海岸から六甲まで 村上春樹著『辺境・近境』

家の保持がロンの役割なら、スーは料理の担当である。彼女は素晴らしい朝御飯を作ってくれる。キャロット・ブレッド、ピーカン・マフィン、グラノーラ、パンケーキ、ぜんぶ手作りで、大変においしい。ここはいわゆるベッド・アンド・ブレックファストで、食事は朝しか出ないが、毎朝この朝食を食べるのが楽しみだった。(イースト・ハンプトン)

教会の前の大きな広場では市が立っているが、これは地元住民のための必需品や食品を売っている市であって、我々の興味をそそるようなものはあまりない。売っているのは干し魚、さとうきび、椰子の実、レモン、バナナ、といったものである。僕はここの屋台で茹でトウモロコシと卵のタコスというのを食べた。卵のタコスというとなんだかおいしそうだけれど、要するに冷えたゆで卵をトルティーヤで巻いて食べるだけのものである。はっきり言って、べつにうまくもなんともない。
それから物売りの女の子から小さな飾り紐をふたつ、500ペソで買った。(サン・ファン・チャムラ、メキシコ)


彼はトロントから1時間くらいの距離にある山の中に隠遁用のコテージを持っていて、僕らはそこに泊めてもらった。ずいぶん山深いところで、ビーバーやヤマアラシや鹿、狼、ラクーンなんかが出てくるということである。ワインを飲み、ボブ・ディランの古いレコードを聴き(そう、我々はその世代なのだ)、サーモンを焼き、庭で摘んできたアスパラガスを食べた。

1日の平均走行距離はおおよそ500キロ。2人で交代で運転し、どこから眺めても非印象的なモーテルに泊まり、朝にパンケーキを食べ、昼にはハンバーガーを食べる。毎日が同じことの繰り返しだ。

西部のたいていの金鉱の町は、今ではみんなゴーストタウンになっているが、このウォーレンだけは今でも現役の金鉱の町である。というか、現役のゴーストタウンである。というのは、ここにはまだ人が20人くらい住みついて細々と金を掘っているからだ。だからそういう人たちを相手にする小さなサロンみたいなバーが一軒だけある。それ以外には店もなにもない。生活物資はヘリコプターで運ばれてくる。この町にいると、なんだか歴史の流れに置き忘れられた場所にふらりと入り込んでしまったような気がする。僕はこの町のバーに入って、冷たいバドワイザー・ドラフトを飲んで、マッシュルーム・ハンバーガーを食べた。ウェイトレスは特に冷酷ではなかったけれど、「食べ終わったらすぐに出て行っていいんだよ」というような感じではあった。

となりの阪急岡本駅に着いたら、そこでどこでもいいから喫茶店に入ってモーニング・サービスの朝食でも食べようと思う。考えてみれば朝から何も食べていないのだ。でも実際には、朝から開いている喫茶店なんてどこにも見あたらなかった。そうだ、ここはそういう種類の町ではないのだ。しかたなく国道沿いのローソンでカロリーメイトを買い、公園のベンチに座ってひとり黙々とそれを食べる。そして缶入りのコーヒーを飲む。
(中略)
その次の御影駅にも、残念ながらモーニング・セットは存在しなかった。僕は温かい濃いコーヒーと、バターを塗った厚切りのトーストを深く夢見ながら阪急電車の線路に沿って黙々と歩き続け、相変わらずいくつもの空き地といくつもの建築現場を通り過ぎる。
(中略)
阪急六甲駅前で、ささやかに妥協をしてマクドナルドに入り、エッグマフィン・セット(360円)を注文し、深い海鳴りのような飢えをようやく満たし、30分の休憩をとる。

映画館を出るともう夕方近くになっている。散歩がてら山の手の小さなレストランまで歩く。ひとりでカウンターに座ってシーフード・ピザを注文し、生ビールを飲む。(中略)
運ばれてきたシーフード・ピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。その数字の意味がしばらくのあいだうまく呑み込めない。958,816? 僕はそこにいったいどのようなメッセージを読みとるべきなのだろう? そういえばガールフレンドと何度かこの店に来て、同じように冷たいビールを飲み、番号のついた焼きたてのピザを食べた。僕らは将来についていろんなことを話した。そこで口にされたすべての予測は、どれもこれも見事に外れてしまったけれど……。(中略)
2杯目のビールを飲みながら、『日はまた昇る』の文庫本のページを開き、続きを読む。失われた人々の、失われた物語を。僕はすぐにその世界に引き込まれる。

 村上春樹著『辺境・近境』より