たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

殿下の見送りと朝井リョウ『何様』

まだ少年の今上天皇が初めてひとりで外国に出発する。
飛行機のタラップをのぼりきったところで振り返る。
片手を上げる。
すると、下から彼を見守っていた圧倒的に男性ばかりの一団が一斉に手を上げて振り返す。

この瞬間をとらえた映像にザーッと涙が出る理由がよくわからなかった。

でもこの小説を読んで、ああ、あれは本気の一瞬だったからかも、と思い付いた。
ボンひとりの旅立ちのために大人が雁首揃えて見送りに行く。
立派になられて...と感慨を覚えた人は当然いただろうが、バカバカしいよなぁ、オレ一人ばっくれてもいいんじゃね?と仕事に倦んでいた人もいたに違いない。

でも、ボンがこちらを向いた瞬間、体が動いたのだ。
社会的存在である人間の本気の瞬間である。

真実に人心を動かすフォースがあることを20年前から知っているはずだったのに。

ちなみにこの映像には、飛行機が小さくなった後、お兄ちゃまが旅立った寂しさを扱いかね、美智子さまの膝にまとわりついてすねている秋篠宮の姿も映っていて、そっちはシンプルにかわいくて泣けるんだこれが。

高田は、隆也の話は関係ないとばかりに、さっきコンビニで買ったおでんの残りのつゆにおにぎりを入れてかき混ぜている。湯気から薫るダシのにおいを吸い込んでやっと、俺は自分がいま腹ペコだということに気づいた。
(中略)
器を傾け、つゆとご飯を一緒にかきこむと、隆也は白い息をぷはっと吐きだした。「あっつ、これ」
高校から、駅前にある塾までの道。つゆをたっぷり入れたおでんの中に、コンビニおにぎりを入れてかき混ぜたものを回し食いする——いつのまにか、これが毎年の冬の恒例になっている。今日は高田がじゃんけんに負けたので、おでんもおにぎりも高田のおごりだ。塾に行く前にどうせどこかで夕飯を食うことになるのだが、歩いている途中に、どうしても何か食いたくなってしまう。
散々モメた挙句、今日のおにぎりは、結局いつもと同じツナマヨになった。ダシのきいたつゆにマヨネーズが混ざると、味が変わる。なんだか得した気分になる。
(中略)
隆也から器を取り出した高田が、さらさらと飯をかきこむ。器の中の飯粒は、あつあつのつゆをたっぷりと吸い込んでつやつやと膨らんでいる。

大学の下見からの帰り道、コンビニで明日の朝飯も買っておいた。糖分補給のための、一口サイズのチョコレートは必須アイテムだ。

ピー、ピー、と、レンジが鳴き始める。姉が、へろへろになったラップの中から、3分かけて解凍した白飯を取り出している。薄い水色の茶碗にこぼれでた飯のかたまりは、ごろんと崩れた断面からぼうぼうと湯気を吐き出す。
(中略)
姉は、慣れた手つきで納豆のパックを開け、タレをかけ始めた。
(中略)
姉は、キッチンとテーブルの間を2往復し、白飯、しじみの入ったインスタント味噌汁、納豆、麦茶を揃えた。姉にボーナスが出たとき、いつものやつよりちょっと高いけど、と、贅沢をする気落ちで買ったしじみ入りのインスタント味噌汁。しじみのエキスと納豆の相性が抜群らしく、結局今では贅沢云々関係なく常備しておかなければならなくなった一品だ。
「何観てんの?」
自分のお皿をテーブルへ運びながら、理香は聞いた。理香はここ最近、玄米ブランに豆乳をかけたものを朝食にしている。
「『ログハウスライフ』」
納豆をぐるぐるとかき混ぜながら、姉は横向きにした携帯をティッシュボックスに立てかけた。姉は、発酵食品である納豆のほうが玄米ブランよりも便秘によく効くと言い張るが、理香は納豆が苦手だ。
(中略)
「そんなの観てたんだ」
できるだけ興味がないふうに言うと、理香は銀色のスプーンを豆乳の中に沈めた。
がしがしと玄米ブランを噛み砕くと、「食物繊維」という画数の多い文字が、一画一画ばらばらになって胃の中に押し込まれていく感覚がする。姉は、あれだけおいしいおいしいと言っていたしじみの味噌汁に手をつけるのも忘れて、携帯の画面に見入っている。
(中略)
左手で腹を撫でながら、右手でスプーンで持ち上げる。このあと、ヨーグルトも食べておこう。

タピオカが大好きだという朋美のお気に入りのカフェは、お昼時でもそこまで混雑することはない。
(中略)
真四角の大きなお皿に3種類のおかずと雑穀米が揃えられているランチプレートは、ドリンクをつけると1400円もする。
(中略)
フォークで丁寧にすくいとったクリームソースを一口サイズのチキにかけると、朋美は自慢げにそう言った。
(中略)
理香はフォークで雑穀米を半分に分けた。留学中に少し太ってしまったので、帰国してからは炭水化物を控えるようにしている。
(中略)
太いストローを駆け上っていく、小さな黒い球体。
ランチプレートにタピオカミルクティーを付けた朋美の前で、無料の氷水を飲むなんてことは、したくなかった。

朝、玄米ブランに豆乳をかけていたら、途中でついにパックが空っぽになってしまった。

揃って、この店のおすすめらしいそば粉を使ったガレットとコーヒーを頼む。

「ごはん、何にしようか」
アパートまでの道を歩きながら、理香は言った。
「お米ならあるから、私、ちゃっちゃっとなんかおかず作ろうか」
(中略)
「ね、理香、今日はピザ頼まない? あれ見たら急にピザ食べたくなっちゃった」
(中略)
理香は頭のなかでそう確認しながら、朋美と近くのスーパーに入り、甘いお酒やアイスを買った。これくらいでいいか、と思っていると、朋美がカットフルーツのパックを買い物かごの中に追加してきた。
「一番最初にフルーツ食べて、ピザ食べすぎないようにしようと思って。意味ないかな? あるよね?」
(中略)
ピザが届くと、朋美はまず大好物だというプルコギ味にかぶりついた。ピザは、朋美のリクエストもあって、1枚で4つの味が選べるものを頼んでいた。「超おいしい! 宅配ピザって久しぶりー」ついさっき冷蔵庫に仕舞ったフルーツのことを、朋美はすっかり忘れているようだった。
プルコギ味を食べ終わった朋美は、あぶらで光る指を舐めながら言った。
「この間取りだと、自分の部屋はちゃんとあって、この共同キッチンでご飯作ったりみんなで食べたりする感じ?」
理香がティッシュ箱を取ってくるよりも早く、朋美は次のマヨじゃが味に取りかかる。
(中略)
朋美は、3つめの味、アボカドチーズを手に取る。
(中略)
朋美はベリーのサワーを一口飲むと、思い出したように言った。

選ばれてきた野菜たっぷりジェノベーゼに手をつけながら、私は可純に訊いてみる。
(中略)
結局、全員が野菜たっぷりジェノベーゼを頼んだ。「これも私が教えたメニュー」くすくす笑う可純が、やけにかわいい。

紅鮭のハラス定食に手をつけながら、私は自分の考えを沢渡さんに説明する。沢渡さんおすすめの店は会社から少し遠く、12月らしい寒波の中の徒歩移動は少しきつかったけれど、和食が好きな私にはぴったりの定食屋だった。
(中略)
沢渡さんは「ま、実際ないんだけど」と笑うと、ハラスの最後の一切れを食べた。きちんと、白飯も同じタイミングでからになっていた。

俺は、酢豚のニンジンを箸で掴んだまま、その新聞を覗き込もうとする。「そのニンジン口の中に入れてからにして、絶対落とすから」母ちゃんはこういうところ、うるさい。
(中略)
俺の夕飯も、あとご飯が少しと、トマト2切れで終わりだ。

そのあと花奈が作ってくれたオムライスを食べて(めちゃくちゃ腹が減っていた)、花奈のお母さんが帰ってくるまでもう1回いろんなところを触らせてもらった。

「ほんまになんか送り返さんでええんか? いっつももらってばっかで」
たこわさをつまみながら、父が言う。
「私からお礼言っとるで大丈夫やって。それに、北海道の人にどんな食べ物あげてもかなわん気ィするし」

「なんか前テレビで見たんよ、バウムクーヘンやけどなんか形も違うて、毎日ぎょうさん人が並んどるとこ。あれ1回食べてみたいわあ」私も、大学からの帰り道、たまに買い物を頼まれることはあったけれど、ネギとか卵とか牛乳とか、そういうものばかりだった。母が、テレビで見たバウムクーヘンを食べてみたいと思っていることなんて、私は知らなかった。

グリーンカレーのオムライス、鶏肉のフォー、パクチーのサラダに杏仁豆腐。980円のわりに、この店のランチプレートはなかなかのボリュームだ。
(中略)
「このグリーンカレーのオムライスがうまいって評判で。一度食べてみたかったんです」
田名部さんは、パクチーのサラダをさり気なく遠ざけながら、銀のスプーンを手に取った。この店を選んだものの、パクチーは苦手なのかもしれない。
「そうなんですか。確かにおいしそう」
私も、パクチーのサラダを端に避けると、スプーンを手に取った。グリーンカレーのルーには茄子や筍が入っており、匂いだけでもかなり食欲がそそられる。
(中略)
一口食べてみたグリーンカレーのオムライスは、店内の混雑具合を裏付けるには十分な味だった。ココナツの甘さが自然で、かなり日本人向けに味付けが調整されている。
「おいしいですね」
思っていたことを先に言われ、私は頷く。「はい、とても」
(中略)
鶏肉のフォーも、ほんのりと塩気が効いていてとてもおいしい。あとからまぶされている小さなガーリックチップスが、いいアクセントになっている。
(中略)
プレートの上に残っているのは、杏仁豆腐と、はじめに手をつけなかったパクチーのサラダ。私はお箸を手に取ると、サラダが入っている器を持ち上げた。
「あ」
田名部さんが、少し明るい声を漏らした。
「お好きだったんですね、パクチー」
よかった、と、ほっとした表情で胸をなでおろしている。
「はじめに召し上がらなかったんで、てっきりお嫌いなのかと。好き嫌いも聞かずにこういうジャンルのお店に連れてきてしまって、ちょっと責任感じてたんです」
田名部さんはそう言うと、私と同じように、サラダの入った器と箸を手に取った。
「え、私も田名部さんパクチー嫌いなのかなって思ってました。なのにエスニック系行くんだって」
まるで鏡に映ったみたいに同じポーズをしている田名部さんが、言った。
「僕、好きなものは最後に取っておく主義なんです」
「私もです」
くすくす笑い合いながら、私たちはパクチーのサラダを咀嚼する。「苦手な人多いですけど、不思議ですよねえ」「本当に。このくせになる感じがいいのに」独特な香りが鼻を抜けていくたび、私は、さっき見てしまった着信履歴の画面の記憶が薄まっていくような気がしていた。
「パクチーのサラダが一番おいしかったかもしれないですね」
「それってどうなんでしょうね......」
最後に残った杏仁豆腐を、もうあとほんの少しで食べ終えるというときだった。

そう言う結唯の操る箸の先が、克弘が買ってきた惣菜を掴む。鶏レバーの生姜煮。鉄分やカルシウム、ビタミンを多く摂るべきだ、という話を効いてからは、それらの栄養素を多く含んだ食材を選ぶように心掛けている。

朝井リョウ著『何様』