たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『肩ごしの恋人』のパスタ

たぶん10年ぶりの再読。最後に女性が男性ゲイに夢中になるところだけ記憶していた。
当時もいやそれナイから、と思ったんだろうな。
『メゾン・ド・ヒミコ』をゲイ友人たちが口を揃えて「あれ絶対ナイから」と言っていた時期に読んだのかもしれない。

直木賞受賞作だが、残念ながらすでに時の試練に耐えてない。
未成年への性加害を犯罪だと思っていないのが何より無理。

食事の描写はやや林真理子みがあるかも。

萌はオードブルの魚介のテリーヌにフォークを突き立てた。
(中略)
ケーキカットが始まった。小さなシュークリームを重ね合わせたクロカンブッシュだ。
(中略)
スピーチが始まった。すでに前の2回をしているので今回は勘弁してもらい、萌はゆっくり食事を楽しんでいた。さすがに魚介類が自慢のレストランだけあって、鮑がとろけそうに柔らかくておいしい。
(中略)
料理がちょうど肉に変わったところだった。魚もいいけれどやっぱり肉、という貧乏性のところがある日本人には欠かせないメニューだ。フィレステーキにきれいな色の赤ワインソースがかかっている。

「カレーパンのこと覚えてる?」
唐突に萌が言った。
「え?」
「中学の時、私、すごく好きだった。そうしたら、るり子もはまって、毎日カレーパンばっかり食べ始めたじゃない。
いつも制服のブラウスに黄色いシミが飛んでるの。時々、食べてないのに私のブラウスにもついてた。迷惑したわ。指は油でぎとぎとだし、吐く息はカレー臭いし、それでも3ヵ月間、あんたは毎日食べ続けた。見てる方が気持ち悪くなった」
「それでどうしたの?」
「そしてピタッとやめたの。やめたら見向きもしなくなった。で、その次はプッチンプリンを3ヵ月、毎日食べた。その次は都こんぶを3ヵ月」
「だから?」
「そのどれも私の好物だったのに、今は3つとも食べられない」

「と、いうわけで結局、しちゃったの」
と言うと、萌はバジリコのパスタをフォークに絡めて口の中に押し込んだ。

「この海鮮サラダ、おいしいね」
それを受けて、るり子が瞬く間に表情を変え、得意そうにほほ笑んだ。
「そうでしょう。この店のイチオシなの。こんなにウニとかイクラとかたっぷり使ったサラダってなかなかないのよね。たいていが、イカとかタコとか安そうな材料で誤魔化されちゃう。この店に来た時、絶対にこのサラダだけははずさないの。あ、今日は特別に海老抜きだけど」
るり子はもう萌とやりあったことなど忘れたように、サラダの蘊蓄を述べた。
(中略)
それから3人で牛の脳味噌を食べた。これもるり子のお薦め料理だ。白くて柔らかくて、ねっとした舌触りで、クセはない。想像したよりずっと美味だ。
ウニとかイクラもそうだが、生きものの内臓というのはひどくグロテスクで猥雑な食べ物だ。その上美味ときている。

「私はね、うーんと、そうだなぁ、揚出豆腐にきんぴらと銀鱈の塩焼き。あ、空豆ある?」
「ありますよ」
「じゃ、それも。茹で過ぎないでね」
それからメニューを崇に手渡した。
「君も食べたいもの、好きに言うといいわ」
崇は鶏の唐揚げとクリームコロッケとサイコロステーキを注文した。いかにもファーストフードで育った世代だなと思う。とは言っても、自分も崇ぐらいの年の頃は、誰が何と言ってもマックのフライドポテトだった。
(中略)
料理が運ばれてきた。熱々の揚出豆腐で舌が火傷しそうになる。同じように、アチアチ言いながら、崇も鶏の唐揚げを食べている。
(中略)
「冷酒、天狗舞、2合でね」
梅ハイを崇は気持ちよさそうに飲み、サイコロステーキをまとめて3個、口の中に放り込んだ。

夕食はすき焼きにした。その材料の買出しにマーケットに一緒に行こうと崇を誘ったのは、もちろんるり子だ。
(中略)
るり子に言われる通り、牛肉や白滝をカゴの中に放り込みながら、昨夜、萌の会社のバイトで知り合って、一緒に飲みにいき、電車がなくなったので泊めてもらった、と崇は言った。
(中略)
すき焼きの間中、萌はビールばかり飲んでいた。るり子はかいがいしく肉や豆腐を崇の器に取ってやった。

何を食べたい?
と聞かれた時、もちろん「吉兆のウニと鮑のゼリー寄せ」と答えることもある。けれど「吉野家の牛丼」と言うこともある。

「朝ご飯、食べるでしょう」
「うん」
キッチンに入って用意を始める。トーストにオムレツ、サラダ、そしてコーヒー。どこかのホテルのセット朝食のようなものだ。それらをトレイに乗せて居間に戻った。

「そうだけど、死ぬまで働き蟻っていうのは、あんまりだわ」
言いながら、ぷるんとした包子を口に運ぶ。口の中で熱々のスープが広がり、火傷しそうになる。

るり子はウェイターに、マーブルシフォンのケーキと、ミルクティーをオーダーした。
(中略)
せめて、久しぶりに食べるシフォンケーキを楽しもうと、るり子は運ばれてきたそれにフォークを伸ばした。
(中略)
やっぱりおいしい。ここのシフォンケーキは天下一品だ。
(中略)
エリがコーヒーを飲み干した。
「さてと、言いたいことは言ったし、ケーキも食べたし、帰ります。ここ、ごちそうになっていいですよね。指定したの、そっちだし」
「いいわよ」

「私も、おなかすいちゃったわ」
ふたりは、冷蔵庫や棚の扉を片っ端から開けている。
戸棚の中にカップ焼きそばと食パンを見つけたらしく、ふたりは湯を沸かすやら、トースターにセットするやら、楽しそうに騒いでいる。
「萌、コーヒー、飲む?」
「うん」
「じゃあ、入れてあげる」
萌はようやくソファから起き上がった。
テーブルを3人で囲んで、顔を合わせた。焼きそばを食べながら崇は満足そうにげっぷをした。

だからもちろん、朝食は崇が作った。昼食はコンビニに買い出しに出掛けた。夕食は焼肉を食べることになった。駅前でるり子の、いや、信之のキャッシュカードでお金を下ろした。久しぶりのカルビと石焼きビビンバは、ものすごくおいしかった。

「そこ、昼飯、出る?」
文ちゃんがにっこりと笑った。
「もちろん。チャーシューが最高においしいの」
「やる」
崇は言った。

部屋に戻ると、萌と崇がコーヒーを飲んでいた。もちろん、崇がいれたコーヒーだ。
「私も飲みたい、ミルクのいっぱい入ったの」
労働提供係になった崇が、しぶしぶキッチンに立つ。

お腹もちょっと空いてきた。おいしいパスタが食べたい。それもこってえりしたチーズクリームソースの。
ふと、信之とランチしようかと思い立った。
(中略)
結婚前、何度かそうやって信之の会社の近くでランチデートをした。さすがに会社の人に見られるのはまずいからと、ちょっと離れた場所にあるイタリアンレストランを利用した。店の造りも洒落ていて、ディナーは高いが、ランチタイムは驚くほど安い。その店のチーズクリームソースのパスタが抜群においしかった。
あれが食べたい。そう思ったら、我慢できなくなった。
(中略)
「今日の夕食は何?」
「パスタだよ」
るり子は思わず振り向いた。
「まさか、チーズクリームソースじゃないでしょうね」
「当たり。むちゃくちゃこってりのゴルゴンゾーラ」
(中略)
「先に食べちゃおうよ。私、おなかすいた」
結局、昼ご飯は食べるタイミングを逃していた。崇が時計に目を向けた。
「もう少し待とうよ。パスタ、2回に分けて茹でるの面倒だしさ」
「だったら私、ワイン飲んじゃうからね」
るり子は冷蔵庫から、ボトルを持ってきた。よく冷えた白だ。

いつも感嘆するのは、店の選び方だ。決して高級な店ではないのだが、洒落ていて、落ち着いていて、何よりおいしい。寛げるティールームや、古びた洋食屋や、住宅街にひっそりとある中華屋や、清潔な寿司屋や、外国人がいっぱいの怪しい焼肉屋やら、有機野菜のお惣菜が自慢の居酒屋やら、ソースが信じられないくらいおいしいイタリアンやら、老夫婦がやっているビストロやら、といった具合に、肩肘はらず楽しめる店を探し出してくる天才だった。

柿崎は、天せいろを、萌はとろろ蕎麦を注文した。運ばれてくる間に、熱燗と卵焼きと鴨肉の燻製も頼んだ。最近、萌は熱燗が好きになった。冷たいのも悪くはないが、身体にしみてゆくような酔い心地はやはり熱燗ならではだと思う。
(中略)
蕎麦が運ばれてきた。かつおだしの匂いがふわりと鼻をつく。

「じゃあ、私もここで一緒に食べるわ。マックでも買ってくる?」
「うん、そうして」
「スープもつけるわよね」

ふたりはファミリーレストランに入り、本日のランチを注文した。メインのポークピカタは、結構、柔らかくておいしい。
「話があるって言ってなかった?」
尋ねると、るり子がカップスープを口に運びながら、あっさりと言った。
「私、別れることにしたから」

オープンカフェで、舌がやけそうな熱いカプチーノを飲んだ。けれどももちろん、そんなことで腹立たしさが収まるわけではなかった。

「何か飲む?」
「じゃあミルクティ。温かいのがいいな」
「そんなのあるわけないじゃない、ビールにしときなさい」

仕事を終えて家に帰ると、ご飯を作る元気はなく、それは崇も同じで、仕方なく崇と一緒に出て来た。
「柿崎さんのこと、どうするの?」
隣で崇が“大盛り汁だく生玉子つき”の牛丼をかきこみながら尋ねた。
(中略)
「すみません、味噌汁おかわり」
萌はその崇の食欲につい見惚れてしまう。
胃腸は丈夫な方で、学生の頃はラーメン炒飯セットなんてものも平気で食べていた。それがいつのまにか、ラーメンのスープを半分も飲めなくなった。ちょっと油の強い炒飯だと、後で気持ち悪くなってしまう時もある。
(中略)
萌は牛丼を口に運んだ。冷めると、あまりおいしくない。味噌汁で喉に流し込んだ。

部屋に帰ると、崇はすでに戻っていて、夕飯を作っていた。
「おかえり、今夜はビーフストロガノフだよ。それにハーブサラダ」
呑気にキッチンから声を掛けてくる。
「僕、最近思うんだ。これなら主夫として十分生きてゆけるって」

テーブルの上には、お好み焼きの用意がされてある。ホットプレートと溶いた粉と刻んだ野菜と豚バラ肉。るり子はいない。今夜もリョウに会いに文ちゃんの店に行っている。
「それより、食べようよ」

「崇くんの作ってくれたご飯、おいしかった。パスタなんか最高だった。それももう、食べられないんだ」

唯川恵著『肩ごしの恋人』

SAグルメと大人の天ぷら『どうしても生きてる』

今すごく食べたいもの。ミョウガの天ぷら。明石SAで売られている諸々。

「うわ」
フードメニュー越しに、母がまた声を漏らした。いつのまにか、テーブルにはビールの入ったグラスが2つ、置かれている。
「一番高い肉、4千円もするん? 月謝と変わらんやん」
「月謝?」
申し訳程度に乾杯をして、私はビールを一口飲む。苦味のある炭酸の塊が、それまで閉じていた器官をぐいぐい押し拡げるように進んでいく感覚は、入り口が小さなちくわにキュウリを差し込むときに似ているような気がする。
前の夫がよく台所で作っていた、シンプルだけどおいしいつまみ。
(中略)
前菜の盛り合わせと、パスタとピザをそれぞれ頼む。母は結局、メインは肉ではなく魚を選んだ。1杯目のビールがそろそろなくなりそうなので、次は白ワインかな、とぼんやり考える。
(中略)
「おいしい」
夏野菜がふんだんに使われた前菜を口に運びながら、母が言う。「お待たせいたしました」若い店員が、無駄のない動きでパスタをテーブルに置く。底の浅い皿に入っている。決して満腹にはならない量の炭水化物。それで1,200円。

私は、6つに切り分けられているマルゲリータを一切れずつ取り皿に移しながら、「別に元気だよ」といつも通り答えてみる。

生姜焼き定食を2つ頼み、御冷に口をつける。この定食屋にはテレビがあるので、気心の知れた関係だからこそ生まれる沈黙も、なんとなくごまかされる。
(中略)
そして、いつの間にか半分以上食べ終わっていたらしい生姜焼きに手をつけながら、また、テレビ画面を見上げて言った。
「ていうか私、あの司会者めっちゃ嫌いなんだよね」
私は、自分の分の生姜焼き定食の盆を、ず、と鳩尾に引き寄せる。味噌汁も豚肉も白飯も、どれもすっかり冷めてしまっている。

湯葉が好きなその人のために、会社からアクセスのいいところにある、生湯葉のしゃぶしゃぶがおいしい店を探し出し、ずいぶん前に予約していた。
(中略)
自分も生湯葉のしゃぶしゃぶを食べてみたかったけれど、鍋がある場所からは遠かったので諦めた。
長いテーブルの端、向かいには、佳恵が座っていた。牛肉を使ったお寿司や鮪カマトロの生姜煮などはテーブルの真ん中に集まっており、依里子と佳恵の間には余った唐揚げやフライドポテトが流れ着いていた。
佳恵は芋焼酎のお湯割りを飲んでいた。依里子はその日初めて、佳恵が酒に強いことを知った。
「油ものばかりですね」
私たちの目の前、と話すと、佳恵は少し赤くなった顔で依里子の名を呼んだ。

「お待たせしました」
ごと、と、まるでレンガでも置くような音を立ててどんぶりが現れる。卵も、チャーシューも、もやしもキャベツもホウレンソウも、コーンも海苔もねぎも、何もかもが山盛りだ。立ち上る白い湯気が、オーロラのように輝いて見える。

味噌汁をお玉ですくい、ご飯をよそう。

お弁当のおかずも兼ねて作ったほうれん草とベーコンのバター炒めを口に入れたとき、由布子はふと、最も忘れそうなものに思い当たった。
(中略)
お弁当の蓋を開ける。白だしと砂糖を入れて作った甘めの卵焼き、ほうれん草とベーコンのバター炒め、ウィンナー、冷凍食品の揚げシューマイが2つ、プチトマト3つ、のりたまふりかけのかかったご飯。
(中略)
由布子はまず、プチトマトのヘタをつまむ。常温のプチトマトは、表面に裂け目が入っており、熟れた果実のようにやわらかい。

ミョウガ、インゲン、ナス、大葉。由布子は久しぶりに、心の動くままに商品を手に取り、踊るようにスーパーの中を練り歩いた。子どもが嫌いだから長い間食卓に並ぶことはなかったけれど、義久はミョウガの天ぷらが大好物なのだ。せっかくだから、そのほかの、子どもたちには不人気だかえれど自分も義久も好きなものをたくさん揚げよう。エビや豚肉、サツマイモなど、里奈と貴之が主に消費するような材料には手を伸ばさず、財布の中身と相談をしながら、由布子は買い物かごを満たしていく。金曜日、どうせ義久の帰りは遅いのだから、準備する時間はたっぷりある。普段は子どもと義久の帰宅時間が大きくズレることが多いので、そもそも天ぷら自体、かなり久しぶりだ。
いつもならば選ばない、少し高いビールを手に取る。

いつかのもらいのものである蕪の千枚漬けをつまみにしながら、<わかった。今日は天ぷらにするから(久しぶりにミョウガをたくさん買いました)、帰ってくるまで待ってるね。一緒に食べよう>と、義久に返事を送る。

由布子はビールをちびちび飲みながら、キッチンに立った。小麦粉と片栗粉を用意し、ボウルの中で簡単に合わせておく。ミョウガは縦に3等分に切っておき、ナス、インゲン、大葉もそれぞれすぐに衣にくぐらせられるような状態にしておく。トマトを切って冷やしておき、炊飯器のスイッチを押し、味噌汁を準備し、あとは材料を揚げるだけ、という段階まで整えたとき、ラインにメッセージが届いた。

今日、天ぷらにしてよかった。具材を衣にくぐらせながら、由布子は思う。
静かな家の中でも、何かを揚げていれば、賑やかな音が生まれてくれる。
「いただきます」
少し多いかな、なんて言いながら、由布子は山盛りの天ぷらたちに箸を伸ばす。ちょうどいい温度で、ほどよくカリッと揚げることができた。量は多いけれど、白ご飯を控えれば、意外とぺろりといけてしまうかもしれない。
何にせよ、風が吹いているので、早く食べないと冷めてしまう。
(中略)
ナスの天ぷらを天つゆに浸しながら、由布子は会話の種を植える。
「今日もまた新人さんに怒鳴っててね、もう困っちゃうよ。またすぐ辞めたらどうするつもりなんだろう、あの人」
義久の指は、缶ビールのプルトップにかかったまま、動かない。
(中略)
しゃく、と噛み砕くと、口から華へミョウガの独特な風味が抜けていく。うん、上手にできた。

今の部署に義久が異動してから、今日みたいに、お弁当を1つ多く作ってしまったことがある。そのお弁当は、プチトマトが1つと、ご飯が一口、卵焼きがひとかけら減った状態で返ってきた。これなら、全く手つかずの状態で返ってきたほうがよかった。昼食を摂る時間がなかったのだと納得できたほうがよかった。

「あ、あれ作ったでしょ、チャプチェ」
カバンをダイニングテーブルに置きながら、美嘉がくんくんと花を鳴らす。最近ハマっているチャプチェは、買ってきた韓国春雨を茹でて炒めたカット野菜と和えるだけなので簡単だ。ソースの匂いがキッチンに残りやすいのが難点だが。

「うーん」吉川は少し悩むと、炙り明太子を一つ口に入れて、言った。「独身のときは、ふらっと遠出するのが好きだったな」

美嘉は朝ご飯を必ず食べる。特に今日みたいに休日返上で動き回る日は、心を盛り上げるために普段なら控えるような甘いものを食べてもいいことにしているらしい。
ついでに作ってくれたのだろうか、良大のフレンチトーストがテーブルの上に置かれていた。

施設の外に連なる屋台から漂う匂いがトドメとなり、良大の腹も遂に鳴った。実は空腹だったらしい。醤油とバターと油と、とにかく絶対においしいものたちが組み合わさった匂いの誘惑を振り切り、施設内のフードコートへと向かう。
「サービスエリアのご飯って何でこんな全部おいしそうに見えるんだろ」
「な。迷うわー」
水を入れたグラスで席を確保すると、美術館でも巡るように2人でフードコートを1周した。ラーメン、カレー、お好み焼き、たこ焼き、かつ丼、ハンバーガー、期待しているところにど真ん中ストレートを投げてくれるだろう豪腕なメニューの数々に、どうしたってテンションは上がる。
(中略)
まだ11時を回ったぐらいだからか、店内はそこまで混んでおらず、料理もすぐに揃った。良大が選んだカツカレーと、ありなが頼んだ月見うどん。
「いただきます」手を合わせると、唾液がじわりと口内を満たす。
「うめえ」
一口食べて、思わず声が漏れる。脳内の篩の網目は、もうほとんどないも同然だ。
「ちょっと、ザックの、一口ちょうだい」
ありなが割り箸で、ちゃっかりカツを一切れ持って行こうとする。その貪欲さが気持ちいい。
「あ、思ったより衣がちゃんとサクサク。おいしい」
だよな、と、良大は良大で月見うどんに手を伸ばす。小さなテーブルを1つ挟んだ目の前で、ありなが「おあげはダメだからねー」と笑っている。

「お待たせ」
ソフトクリームを片手に戻ってきたありなが、二重顎を揺らして笑っている。建物に入る前から、外で売っている紫いもソフトに目をつけていたらしい。ありなにソフトクリーム、という組み合わせがあまりにもしっくりきすぎていて、良大は駐車場を歩きながら、一見すると変人だと思われるくらいにゲラゲラ笑ってしまう。
だけど、それで別にいいのだ。ここなら、この人となら。
「甘! 超おいしいこれ」
ありなは、一歩進むごとに何の篩にも掛けられていない言葉をぼたぼたと落とす。「いもの味すごっ」一口もらった良大も同じようなものだ。

あるとき、父が、スーパーで弁当を3つ買って帰ってきた日があった。きっとそれまでも何度かそうしてくれていたのだろうが、久しぶりに父と兄とダイニングテーブルで顔を合わせたということもあり、みのりはそのとき、お母さんがいなくなってから初めてのご飯だ、と思った。
弁当はすべて同じものだった。色んなおかずが入っているやつが3つ。みのりはコロッケを一口齧った。冷たくてべちゃべちゃしていて不味かった。
温めよう。
そう思った自分に、みのりはとても驚いた。母がいなくなってから初めて、食べるものを美味しくしよう、という意識が働いた瞬間だった。母は仕事が長引いて時間がないとき、ご飯と味噌汁は家で準備しておき、スーパーでコロッケなどの総菜を買ってきてくれることがあった。そのたび、「ちょっと温めるから待ってて」とおあずけを食らう時間が、みのりは好きだった。その時間で、コロッケは必ず美味しくなって戻ってくる。あつあつで、衣はカリカリで、まるで作りたて、揚げたてのようになって戻ってくるのだ。
弁当を持って立ち上がると、よりよい味わいを獲得するために動き出した身体を支えるふくらはぎや太ももの筋肉が、豊かに伸縮した気がした。
(中略)
湯気を立ち昇らせた弁当をテーブルに持ち帰り、箸を握る。そのとき確かに、みのりの腹がぐうと鳴った。弁当の容器の温かい感触、さっきよりも濃厚な総菜たちの匂いに、涎がじんわりと誘われた。みのりは、身体中の機能がひとつずつ復活し始めたような気がした。
コロッケを一口、齧る。
確かに、温かかった。
だけど、べちゃべちゃして不味いことには変わらなかった。

フライパンに、ラップに包んであった豚肉を放った。解凍時間が少し足りなかったかもしれない、肉にくっついてしまっているラップを離れさせるため、ラップの先端を摘まんだまま、少し振った。

みのりは思い出す。コロッケは、電子レンジではなくその下の棚にあるオーブントースターで温め直せばカリカリと美味しくなることに気づいた日のことを。
料理のレパートリーはすぐに増えていった。今となっては、自炊ができることがとてもありがたい。

朝井リョウ著『どうしても生きてる』より

さまざまな家庭の食卓『50歳になりまして』

光浦さんの留学話、もっと読みたい。聞きたい。

子供がいると、子供中心のメニューになってしまいます。カレーも子供に合わせて甘口です。そんな子供味に飽きた夫婦に、ヤムウンセン、タイの春雨サラダを作ってあげたらすごく喜んでました。「家で、辛いものを食べられるなんて!」と、ヒーヒーいいながらビールをゴクゴク飲んでいました。

大晦日だというのに、根菜とキノコの味噌汁と、ブロッコリーをチンしてマヨネーズをかけたものと、豚肉と豆もやしを炒めたもの、そんなもんで十分でしょう。駅前のスーパーに買い物に行きました。

20代、お給料がちょっとずつ増えてきて、生活に余裕ができた時、まず初めに使ったのは食事でした。ファミレスで煮魚御膳にほうれん草のソテー(小皿)を追加できるようになった時、売れたな、と思いました。また少しお給料が増え、次に使ったのは本でした。平積みの新刊をジャケ買いできるようになった時、天下取ったな、と思いました。嬉しさに痺れました。

光浦靖子著『50歳になりまして』より

「わたくし」の『トリオリズム』

なんだかすごいエンタテインメントを読んだ。
コミケ参加時の立ち回りを見てすっかり好感を持った叶姉妹。
さすが、She knows what she's doing.

旅先で最初にしなければならないのは、レモングラスやハイビスカス、ローズヒップなどのハーブティーを飲みながらジェットラグに疲れた体を十分に休めること。

そしてサーヴァントには任せず、自分自身であたたかいジンジャーレモンのハーブティーを入れてくれました。

この時、メンズがみるみる痩せていきました。そのリアルさに直面したわたくしは、ただ驚きました。
性欲と食欲は密接に連動しているそうで、人の体というものは、性欲が満たされていると、食欲を失うメカニズムになっています。行為の合間にはオレンジのようなフルーツを食べたり(キウイはよくない)、スイーツを食べたり、ラムチョップを食べたり(ラムチョップは男性の働きを早く活性化するのにとてもよいものなのです)しているのですが、彼はそんなふうになりました。

水の都、ヴェネツィアのあるホテル。サン・マルコ広場が一望できる広いバルコニーのあるプレジデンシャル・スイート。昼過ぎに目覚めると、遅めのブランチをメインダイニングにオーダーするようバトラーに頼みます。しばらくするとバトラーたちが粛粛と料理を並べ始めます。わたくしの大好きなシカの赤ワイン煮、白トリュフのリゾット......。オーディオからはマーラーの交響曲第5番が流れ、アンニュイなムードを引き立てます。
(中略)
きれいに切ったシカの肉をジョニーがわたくしの口元に運んでくれます。その時にも、クリストファーとは足を絡ませて大人の会話をしています。

叶恭子著『トリオリズム』より

『ピンクのチョコレート』というか焼肉と昼間のビールの醍醐味

私にとっても、これまでに美味しかったビールシーン、ベスト1は昼間、業務時間中だ。
某優勝パレードのアテンドの後、西大阪の蕎麦屋で飲んだ小さな100円ビール。
水を飲んだり、カレーを食べたりしただけでチクられる公務員や公共事業従事者をほんっとうに気の毒だと思う。

6時半に起き、トイレに入って身じたくをする。そして7時過ぎにコーヒーとプレーンヨーグルトの朝食を摂るという手順を崩してしまったら、あとはもう壊れてしまった朝を、なすすべもなく見ているだけだ。

「ねえ、道玄坂にさ『ポテト小僧』っていう店あるの知ってる」
「ああ、ポテトフライとか、ポテトのパンケーキでビール飲ませるとこでしょう。いつ行っても混んでるとこ」
「そお、そお、そお」
男はわざとらしい偶然に、大層興奮して鼻を鳴らす。
「あのさ、あそこオレの友だちがバイトしてたことがあってよく行くんだよ。安くておいしいよね」
「本当、安くておいしいわ」

この頃になると、弁当やつまみを売りに来るワゴンがせわしくなる。男は呼びとめて缶ビールを2本買った。1本をごく自然にユリに渡す。
「サンキュー」
売店で買ったビールは、なんとはなしに飲みそびれて窓のところに置いてある。それなのに新しいビールを買ってくれた男の気づかいが嬉しかった。手渡されたビールはよく冷えていて、喉の奥までいっきに気持ちよくとおった。ユリは男のようにふうっとため息をついた。
「ねえ、昼間のビールっておいしいね」
「最高だよ。だけどさ、もうこんなこと無理だよな。昼頃にビールなんてさ。サラリーマンには無理だよな」

「さあ、どこへ行こうか。オレは大阪だからわりと京都には詳しいんだよ。八条口からタクシーに乗って、円山公園の桜を見て、芋棒なんてどうかな」
「おまかせします」

週末につくってあげる野菜だけの煮物は、私と伸吉の故郷の味だ。

たまに彼は泊まっていくことがあったが、その時はほとんど何も食べない。ミルクをほんのちょっとたらしたコーヒーを1杯飲むだけだ。けれども休日の朝は、ブランチといって、私は彼にいろんなものを食べさせるようにした。卵を落としたスープだとか、アスパラガスのサラダ、そしてこんがりと注意深く焼いたトーストとかだ。
彼のギャラが入ったり、私の給料日後だと、この朝食にワインがつく時もある。ブランチにワインという記事を、どこかの女性雑誌で読んでさっそく真似したのだ。もともと呑んべえの彼に依存があろうはずもなく、1本を2人であけた後は、またベッドに行くこともある。
その朝は、白ワインだった。それほど高くないカリフォルニアワインだったけれど、琥珀色がかった透明のそれに遅い陽ざしがゆったりと映えて、私の部屋の狭いダイニングキッチンも、贅沢な恋人たちの場所に変わった。

「なあ、クルミの入った菓子ってうまいよなあ」
ひとり言のようにつぶやいたことがある。
「オレって甘いものは駄目だと思ってたけど、砂糖を減らして、クルミの味だけで焼いたやつ、あれって結構うまいよなあ」

タンを4切れ網の上に置いた。ここのタンは冷凍などではない。赤紅色にてらてら濡れて、真中に白い筋が走っているいくつもの”アカンベー”が、ガスの火で少しずつ縮まっていく。やがて脂がにじみ出る瞬間、さっと引き上げて舌の上に載せるのが肝心なのだ。
「なあ、内田のことどう思う」
広瀬さんはタンと同時にビールも口の中に入れたので、もごもごとよく聞きとれない。だから私は知らん顔をして、箸でタンをつまむ。いつも焼き過ぎると注意されるけれど、私は広瀬さんよりも2テンポほど長く肉を網の上に載せておくのが好きだ。
(中略)
そして今日は4回目の別れ話の日で、広瀬さんが連れてきてくれたのは鹿浜の焼肉屋だ。
ここはおもて向きは、ごく普通の焼肉屋だけれど、実は東京の美食に飽きた人たちが通う店であった。名前を聞くとびっくりするような有名人たちが調理場横の便所の横で靴を脱ぎ、それを持って奥の板の間に座る。そしてアルマーニやベルサーチのスーツの肘を、脂でべとべとしたデコラのテーブルにのせると、やがて前菜が何皿か運ばれてくる。レバーの刺身、脳味噌、子袋といったもの。すべて生だ。
「こういうものはちょっと......」
と尻込みしている人ほど、こわごわ口に入れたとたん、賞賛のあまり興奮の極みに達してしまう。
「なんだい、このうまさは。この脳味噌ときたら、全くフォアグラじゃないか。この生のホルモンのうまさに比べたら、ロースやカルビなんて子どもの味だね」
しかし次々と運ばれてくる”子どもの味”に、たいていの人は絶句する。脂と赤身が最高にして最適のバランスを保っている、ぶ厚い霜降り肉。火にかけると、脂は溶けて甘いにおいをたて始める。そして歯で噛むと、肉は舌の奥に牛の蜜をそっと送り込んでくれるのだ。肉の蜜。肉汁ではなく蜜。まだ若くしなやかな牛たちの人生を凝縮した蜜。
本当にそうだ。私なんかよりも4歳の雌牛の方が「人生」という言葉がずっと似合う。
そして広瀬さんの大好物のタン塩が、もう一度運ばれた時に彼は言ったのだった。
(中略)
やがてまた新しく肉が運ばれてきた。さっきの肉よりも、行儀がよい赤身のロースだ。薄めの切り身がきちんと並べられている。あまりにも鮮やかな赤なので、いくつもの牛のぱっくり裂けた切り口を見ているみたいだ。

「あら、そう......。お肉にしようか、お魚にしようかって迷ってたのよ」
「考えることないですよ。ここは魚の方がずっとおいしい」
(中略)
直樹はさりげなくメニューを閉じ、ウエイターに「甘鯛のバターソースかけ」と告げた。映里子も同じものを注文する。
「何か飲みますか」
「そうね。ビールぐらい飲んじゃおうかな」
今日はさしせまった用もないので、銀座を少しぶらついて帰るつもりだった。
「ビールはやめて、ワインにしましょうよ。その方がいい」
直樹は珍しく自己主張をする。
「そうね、ワインでもいいわね」
そう言っても昼間から何杯も飲めるわけでもなく、白のハーフボトルを1本注文した。
「じゃ、乾杯」
(中略)
オードブルの小さなテリーヌの後、ウエイターが主菜の皿を運んできた。鯛の切り身が、ピンクのマスクメロンのような皮を見せて横たわっている。
黄色く光るバターソースを映里子はナイフで丁寧にどけた。30近い女として、こういうものはできるだけ避けるようにするのが習慣だ。
口に入れる。舌の上に鯛のかすかな甘味が残っているうちに、傍らのパンをちぎって噛んだ。小ぶりのフランスパンは焼きたてらしく、意外なほどうまかった。
「これ、おいしいわね」
(中略)
魚料理の皿と、サラダボールを下げ、デザートを置く。
アイスクリームに、苺のムースがかかっている。いかにも春らしい色彩だった。

食欲のない夫を気づかい、特製の野菜ジュースやかゆをつくった。

ちょうど昼どきだったので私は鰻の出前をふたつ取り、ユリ子は自分の分を財布から出して払った。作家と編集者といっても私たちはそんな仲なのである。私が食後のコーヒーを淹れ、ユリ子が梨をむいている時だ。

1人何万円という鴨料理を食べさせるという有名なレストランへ行った時は、正確な発音でオーダーし、フランス人のギャルソンを喜ばせたものだ。

私は舌で上唇の先をなめた。さっき夕飯に食べた里芋の煮付けの甘さがまだ残っている。

「いま、ちょっと大切な話をしてるのよ。お魚はテーブルの上、煮物はチンして。美弥、パパにご飯よそってあげて頂戴」
(中略)
奥脇はジャーから飯を盛り、テーブルの上に盛られていた銀ダラの煮つけと漬け物で、茶漬けを食べ始めた。娘はそれをいいことに相変わらずテレビに見入ったままだ。茶漬けの用意をすることなど3分もかからない。

たいして面白いものはなかったが、ビジネス書の文庫を2冊買い、ついでにチーズとピーナッツの袋を買った。正月休みにウィスキーでも飲りながら読むつもりだ。

到来ものの羊羹を切りながら陽子が行った。

林真理子著『ピンクのチョコレート』より

殿下の見送りと朝井リョウ『何様』

まだ少年の今上天皇が初めてひとりで外国に出発する。
飛行機のタラップをのぼりきったところで振り返る。
片手を上げる。
すると、下から彼を見守っていた圧倒的に男性ばかりの一団が一斉に手を上げて振り返す。

この瞬間をとらえた映像にザーッと涙が出る理由がよくわからなかった。

でもこの小説を読んで、ああ、あれは本気の一瞬だったからかも、と思い付いた。
ボンひとりの旅立ちのために大人が雁首揃えて見送りに行く。
立派になられて...と感慨を覚えた人は当然いただろうが、バカバカしいよなぁ、オレ一人ばっくれてもいいんじゃね?と仕事に倦んでいた人もいたに違いない。

でも、ボンがこちらを向いた瞬間、体が動いたのだ。
社会的存在である人間の本気の瞬間である。

真実に人心を動かすフォースがあることを20年前から知っているはずだったのに。

ちなみにこの映像には、飛行機が小さくなった後、お兄ちゃまが旅立った寂しさを扱いかね、美智子さまの膝にまとわりついてすねている秋篠宮の姿も映っていて、そっちはシンプルにかわいくて泣けるんだこれが。

高田は、隆也の話は関係ないとばかりに、さっきコンビニで買ったおでんの残りのつゆにおにぎりを入れてかき混ぜている。湯気から薫るダシのにおいを吸い込んでやっと、俺は自分がいま腹ペコだということに気づいた。
(中略)
器を傾け、つゆとご飯を一緒にかきこむと、隆也は白い息をぷはっと吐きだした。「あっつ、これ」
高校から、駅前にある塾までの道。つゆをたっぷり入れたおでんの中に、コンビニおにぎりを入れてかき混ぜたものを回し食いする——いつのまにか、これが毎年の冬の恒例になっている。今日は高田がじゃんけんに負けたので、おでんもおにぎりも高田のおごりだ。塾に行く前にどうせどこかで夕飯を食うことになるのだが、歩いている途中に、どうしても何か食いたくなってしまう。
散々モメた挙句、今日のおにぎりは、結局いつもと同じツナマヨになった。ダシのきいたつゆにマヨネーズが混ざると、味が変わる。なんだか得した気分になる。
(中略)
隆也から器を取り出した高田が、さらさらと飯をかきこむ。器の中の飯粒は、あつあつのつゆをたっぷりと吸い込んでつやつやと膨らんでいる。

大学の下見からの帰り道、コンビニで明日の朝飯も買っておいた。糖分補給のための、一口サイズのチョコレートは必須アイテムだ。

ピー、ピー、と、レンジが鳴き始める。姉が、へろへろになったラップの中から、3分かけて解凍した白飯を取り出している。薄い水色の茶碗にこぼれでた飯のかたまりは、ごろんと崩れた断面からぼうぼうと湯気を吐き出す。
(中略)
姉は、慣れた手つきで納豆のパックを開け、タレをかけ始めた。
(中略)
姉は、キッチンとテーブルの間を2往復し、白飯、しじみの入ったインスタント味噌汁、納豆、麦茶を揃えた。姉にボーナスが出たとき、いつものやつよりちょっと高いけど、と、贅沢をする気落ちで買ったしじみ入りのインスタント味噌汁。しじみのエキスと納豆の相性が抜群らしく、結局今では贅沢云々関係なく常備しておかなければならなくなった一品だ。
「何観てんの?」
自分のお皿をテーブルへ運びながら、理香は聞いた。理香はここ最近、玄米ブランに豆乳をかけたものを朝食にしている。
「『ログハウスライフ』」
納豆をぐるぐるとかき混ぜながら、姉は横向きにした携帯をティッシュボックスに立てかけた。姉は、発酵食品である納豆のほうが玄米ブランよりも便秘によく効くと言い張るが、理香は納豆が苦手だ。
(中略)
「そんなの観てたんだ」
できるだけ興味がないふうに言うと、理香は銀色のスプーンを豆乳の中に沈めた。
がしがしと玄米ブランを噛み砕くと、「食物繊維」という画数の多い文字が、一画一画ばらばらになって胃の中に押し込まれていく感覚がする。姉は、あれだけおいしいおいしいと言っていたしじみの味噌汁に手をつけるのも忘れて、携帯の画面に見入っている。
(中略)
左手で腹を撫でながら、右手でスプーンで持ち上げる。このあと、ヨーグルトも食べておこう。

タピオカが大好きだという朋美のお気に入りのカフェは、お昼時でもそこまで混雑することはない。
(中略)
真四角の大きなお皿に3種類のおかずと雑穀米が揃えられているランチプレートは、ドリンクをつけると1400円もする。
(中略)
フォークで丁寧にすくいとったクリームソースを一口サイズのチキにかけると、朋美は自慢げにそう言った。
(中略)
理香はフォークで雑穀米を半分に分けた。留学中に少し太ってしまったので、帰国してからは炭水化物を控えるようにしている。
(中略)
太いストローを駆け上っていく、小さな黒い球体。
ランチプレートにタピオカミルクティーを付けた朋美の前で、無料の氷水を飲むなんてことは、したくなかった。

朝、玄米ブランに豆乳をかけていたら、途中でついにパックが空っぽになってしまった。

揃って、この店のおすすめらしいそば粉を使ったガレットとコーヒーを頼む。

「ごはん、何にしようか」
アパートまでの道を歩きながら、理香は言った。
「お米ならあるから、私、ちゃっちゃっとなんかおかず作ろうか」
(中略)
「ね、理香、今日はピザ頼まない? あれ見たら急にピザ食べたくなっちゃった」
(中略)
理香は頭のなかでそう確認しながら、朋美と近くのスーパーに入り、甘いお酒やアイスを買った。これくらいでいいか、と思っていると、朋美がカットフルーツのパックを買い物かごの中に追加してきた。
「一番最初にフルーツ食べて、ピザ食べすぎないようにしようと思って。意味ないかな? あるよね?」
(中略)
ピザが届くと、朋美はまず大好物だというプルコギ味にかぶりついた。ピザは、朋美のリクエストもあって、1枚で4つの味が選べるものを頼んでいた。「超おいしい! 宅配ピザって久しぶりー」ついさっき冷蔵庫に仕舞ったフルーツのことを、朋美はすっかり忘れているようだった。
プルコギ味を食べ終わった朋美は、あぶらで光る指を舐めながら言った。
「この間取りだと、自分の部屋はちゃんとあって、この共同キッチンでご飯作ったりみんなで食べたりする感じ?」
理香がティッシュ箱を取ってくるよりも早く、朋美は次のマヨじゃが味に取りかかる。
(中略)
朋美は、3つめの味、アボカドチーズを手に取る。
(中略)
朋美はベリーのサワーを一口飲むと、思い出したように言った。

選ばれてきた野菜たっぷりジェノベーゼに手をつけながら、私は可純に訊いてみる。
(中略)
結局、全員が野菜たっぷりジェノベーゼを頼んだ。「これも私が教えたメニュー」くすくす笑う可純が、やけにかわいい。

紅鮭のハラス定食に手をつけながら、私は自分の考えを沢渡さんに説明する。沢渡さんおすすめの店は会社から少し遠く、12月らしい寒波の中の徒歩移動は少しきつかったけれど、和食が好きな私にはぴったりの定食屋だった。
(中略)
沢渡さんは「ま、実際ないんだけど」と笑うと、ハラスの最後の一切れを食べた。きちんと、白飯も同じタイミングでからになっていた。

俺は、酢豚のニンジンを箸で掴んだまま、その新聞を覗き込もうとする。「そのニンジン口の中に入れてからにして、絶対落とすから」母ちゃんはこういうところ、うるさい。
(中略)
俺の夕飯も、あとご飯が少しと、トマト2切れで終わりだ。

そのあと花奈が作ってくれたオムライスを食べて(めちゃくちゃ腹が減っていた)、花奈のお母さんが帰ってくるまでもう1回いろんなところを触らせてもらった。

「ほんまになんか送り返さんでええんか? いっつももらってばっかで」
たこわさをつまみながら、父が言う。
「私からお礼言っとるで大丈夫やって。それに、北海道の人にどんな食べ物あげてもかなわん気ィするし」

「なんか前テレビで見たんよ、バウムクーヘンやけどなんか形も違うて、毎日ぎょうさん人が並んどるとこ。あれ1回食べてみたいわあ」私も、大学からの帰り道、たまに買い物を頼まれることはあったけれど、ネギとか卵とか牛乳とか、そういうものばかりだった。母が、テレビで見たバウムクーヘンを食べてみたいと思っていることなんて、私は知らなかった。

グリーンカレーのオムライス、鶏肉のフォー、パクチーのサラダに杏仁豆腐。980円のわりに、この店のランチプレートはなかなかのボリュームだ。
(中略)
「このグリーンカレーのオムライスがうまいって評判で。一度食べてみたかったんです」
田名部さんは、パクチーのサラダをさり気なく遠ざけながら、銀のスプーンを手に取った。この店を選んだものの、パクチーは苦手なのかもしれない。
「そうなんですか。確かにおいしそう」
私も、パクチーのサラダを端に避けると、スプーンを手に取った。グリーンカレーのルーには茄子や筍が入っており、匂いだけでもかなり食欲がそそられる。
(中略)
一口食べてみたグリーンカレーのオムライスは、店内の混雑具合を裏付けるには十分な味だった。ココナツの甘さが自然で、かなり日本人向けに味付けが調整されている。
「おいしいですね」
思っていたことを先に言われ、私は頷く。「はい、とても」
(中略)
鶏肉のフォーも、ほんのりと塩気が効いていてとてもおいしい。あとからまぶされている小さなガーリックチップスが、いいアクセントになっている。
(中略)
プレートの上に残っているのは、杏仁豆腐と、はじめに手をつけなかったパクチーのサラダ。私はお箸を手に取ると、サラダが入っている器を持ち上げた。
「あ」
田名部さんが、少し明るい声を漏らした。
「お好きだったんですね、パクチー」
よかった、と、ほっとした表情で胸をなでおろしている。
「はじめに召し上がらなかったんで、てっきりお嫌いなのかと。好き嫌いも聞かずにこういうジャンルのお店に連れてきてしまって、ちょっと責任感じてたんです」
田名部さんはそう言うと、私と同じように、サラダの入った器と箸を手に取った。
「え、私も田名部さんパクチー嫌いなのかなって思ってました。なのにエスニック系行くんだって」
まるで鏡に映ったみたいに同じポーズをしている田名部さんが、言った。
「僕、好きなものは最後に取っておく主義なんです」
「私もです」
くすくす笑い合いながら、私たちはパクチーのサラダを咀嚼する。「苦手な人多いですけど、不思議ですよねえ」「本当に。このくせになる感じがいいのに」独特な香りが鼻を抜けていくたび、私は、さっき見てしまった着信履歴の画面の記憶が薄まっていくような気がしていた。
「パクチーのサラダが一番おいしかったかもしれないですね」
「それってどうなんでしょうね......」
最後に残った杏仁豆腐を、もうあとほんの少しで食べ終えるというときだった。

そう言う結唯の操る箸の先が、克弘が買ってきた惣菜を掴む。鶏レバーの生姜煮。鉄分やカルシウム、ビタミンを多く摂るべきだ、という話を効いてからは、それらの栄養素を多く含んだ食材を選ぶように心掛けている。

朝井リョウ著『何様』

「敬虔な」家庭でも起こる摂食障害 Becoming Free Indeed

世のメディアから遮断され、学校にも通ってないのに(母親とIBLP教材によるホームスクーリング)摂食障害になるのはちょっと意味がわからない。IBLPの環境も世間と同じ程度には有害なんだろうと推測するしかない。

It helped me to know that I could eat sufficient calories in a healthy way——grilled chicken, rice, salad, vegetables. Mom gave me the confidence to know I don'd have to avoid food to be pretty.

Jinger Vuolo, Becoming Free Indeed: My Story of Disentangling Faith from Fearより