たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ザ・名物『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(23)

名物が自分の口には合わないことはままある。これは地元の人は食べない典型的な作られた名物だが、ローテンブルクで食べたシュネーバルは泣きたいくらい美味しくなかった。当時ミスドで売っていた生地の切り屑を集めたドーナツと比べると全然ダメだった。

だいたいスペイン料理というものは大しておいしいものはない。ご馳走としては、生れて間もない子豚を焼いたもの、一般的料理としてはパエリア・ヴァレンシアーナの他に、ガスパチョというつめたいスープ、ぞうもつの煮こみ料理などあるが、ちょっと変っているのはアペリティフ(食前の酒)をのみにゆくと、かならずつき出しの出ることだった。

お酒はヘレスとよばれるシェリーが地酒でよく飲まれるが、オペラのカルメンが歌うマンツァニーアというのもアペリティフの酒だ。

アペリティフを注文すると、かならずイワシの酢づけや、えびのゆでたのが出るが、中でも一番おいしいおつまみは、ガンバ・プランチャという車えびの炭やきだ。塩をふっただけで焼かれたこのえびは、スペイン人の好物でもあるらしく、居酒屋のスタンドの床はえびのむき殻がうず高く山をなしている。

このえびは日本人の口にもあうおいしさで、こげ目のついた焼きたての熱いのを、やけどしそうになりながら、殻をむいてヘレスを飲みながらたべると、いくらでもほしくなり、小沢さんは食事どきになると「ガンバ、ガンバ」と叫び、ガンバがないと、とってもなさけない顔をした。それとおいしかったのはナランハ、これはオレンジで、スペイン旅行はナランハとガンバの食べつづけだった。

またガンバ以上においしくて今も目にうかび、ああもう一度たべてみたいと思わずにいられないのは、やはり前菜でたべたざりがにで、これはドン・キホーテの出生地といわれるマドリッドの郊外の宿でたべた。塩ゆでの小つぶで赤いざりがにが山とつまれてきたのを、かじっては身をはがして食べるおいしさは、何とも忘れられない。

 

セヴィリアに行ったときは、見物につかれて、小さい広場へお茶をのみに行った。キョロキョロと広場をみまわしていたら、魚屋さんの店があって、名も知れぬ貝やえび、かになどを店頭にならべ、テラスでたべさせている。小沢さんの息子の協ちゃんが、私同様、なんでもたべようという人物なので、そのテラスに坐りこみ、

「何でもよいから皆出してほしい」

とたのんだら、ガンバ・プランチャの他に、あさりふうの貝や、さざえや、つぶのゆでたのが出て、そのほかに、かにのはさみばかり一皿盛りにしたのが出てきた。

(中略)

「しみじみと味わうと乙だよ」

なんていって、バリバリつめをかじって、ひからびたような身をたべた。こんなのは珍しかったというだけで、決しておいしいものとはいえなかったが、そんなものを食べるというのも、スペインが貧しい国のせいだろうと考えたりした。

 

セヴィリアで小沢父子と別れ、ポルトガルに行ったが、ポルトガルでも、かにや貝はよくたべた。

ポルトガルの首都リスボンは、海に向った急な坂道にできたピトレスクな美しい街で、郷土色のこいスペインからリスボンにくると、ひらけた港街という感じがした。

リスボンの名物料理はたらとかにだ。

サバティーナという大きなかには、甲羅がこどもの頭ほどもある大きなかにで、一人に一つずつ、大きな甲羅も皿にのって出てくる。

白ブドー酒の入ったソースを甲羅に入れて、どろどろの子をスプーンですくってたべる味は忘れられない。越前がには、東京へ送られてくるときは、足ばかり送られてくるが、一度新潟で、そのかにの甲羅についている子を食べたら、ポルトガルのかにと同じく、どろどろのところが舌もとけそうにおいしかった。

かにの好きな人は多いとみえて、アメリカでも、海岸べりには、かに専門の店があり、丸ごとの手のひら大のかにを、とうがらしを入れたスープでゆでて食べさせた。

まずエプロンがはこばれ、小さいこん棒とまな板が各自に渡されて、立派な大人がオママゴトをして遊ぶこどもよろしく、山とつまれたかにととり組む。好きな人は一人で一ダースもたべているのをみたものだ。

パリでもかには売っているし、料理にはよく使うが、レストランなどでゆでたままを出すのは、むしろ、えびかざりがにだった。これも水でゆでるのではなく、玉ねぎ、人参のうす切りを入れ、とうがらしをきかしたスープでゆでてあった。

(中略)

北海道の毛がにもおいしいし、もちろん、越前がにもおいしいが、一番おいしいのはコウバクがにだ。

このかには、私はまだ二度しかたべたことがないが、はじめ金沢でたべたときはコウバクがにと教わり、次に福井でたべた時はセイコがにと教わった。背中にいっぱい子がつまっているから俗にセイコというのかもしれない。これは小ぶりで、足などは身も細く大してたべるところもないのだが、甲羅にいっぱいオレンジ色の子がついていて、その子をたべる。

 

チェレスタ・ロドリゲスはポルトガルの歌手として国際的なスター、アマリア・ロドリゲスのお姉さんか妹で、リスボンに料理店をだしていた。

(中略)

古めかしいあまり広くないその店のテーブルに着くと、もうヴァイオリンひきが三人、マルシャをにぎやかにかなでていた。ポルトガルの歌は、明るいマルシャ(マーチ)と、宿命の歌といわれる暗い苦しい人生をうたったファドの二つにわかれる。

名物のたらのお料理をたのしんだが、塩がきつくて、あまりおいしくはなかった。たらのことはバカリャオというのだそうで、魚屋へ買物に出た日本人が、あまり言葉が通じないので、「バカヤロー」とどなったら、「バカリャオ」をくれたなどという笑い話もあるということだった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より