たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

肉畜とわたし『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(17)

ニワトリを絞めてカレーを作る体験をさせてもらったのは貴重だった、と肉を買って食べるたびに思う。
畜産、屠畜、流通を誰かがやってくれているのだということ。そして、できればたぶん、週数日でも食べない日を作って地球全体の消費量を減らしていったほうがいいということ。

リヨンの街でたべたケネル・ブロンシェ、これは、白身の魚をすりつぶした西洋のハンペンで、もちろんパリでも食べるが、パリではこのハンペンは、ソーセージのような形のまま蒸し上げたのにクリームソースをどろっとかけて出す。このリヨンのは違っていた。
グラタン皿にケネルをおき、クリームソースをたっぷり、ケネルがかくれるほどかけて、粉チーズをふってから天火で焼く。そしてチーズとクリームがブツブツ煮えて、まるでケネルが怒って動いているようなのを持ってくる。舌がやけるほど熱くて、やわらかくて、おいしかった。
コキーユ・サンジャックも日本人の口にあうおいしさだ。帆立貝、芝えび、白身の魚、シャンピニオンなどのコキールを、帆立貝の皿の中に入れて天火で焼いた料理で、こってりした味だが、貝の中に入っているのだから分量は少なく、くどく感じない。冷えた白ブドー酒と食べたなら感きわまってしまう。サンジャックとよばれる帆立貝は、にんにくのしぼり汁にひたして、バタいためで食べることもあるが、これもまた、なかなかおいしいものだ。

トリップは牛の臓物類をこまかく切って煮たもので、もとは、スペイン料理かもしれないが、なにが牛の何なのやらわからない、見なれない皮のようなものやゴムのようなものが入っていて、こってりしているのに、味もあるような、ないような、不思議な料理だ。ごった煮の中からその一片をフォークでとり出し、からしをつけて食べるが、食べなれるとなかなかおいしく感じるようになった。

スッポンといえば、パリでもスッポンのコンソメは一流のレストランで出す。スープはよい味だが、スッポンの身は底のほうに小さい角切りで五つ六つ、ちょろっと入っているだけで、京都の「大市」のようなぜいたくさはみられない。

豚の足はドイツではよくたべるらしいが、ドイツではグツグツ煮てたべたり、ゆでたのを酢づけにしてたべるようだ。
はっきりした味のしない軟骨ふうのものは、たよりない味なのに忘れられない味でもあるらしく、私は仕事の帰りに、よく豚の足をたべに出かけたものだった。

どんなおそうざい屋さんでも売っているものに、ミュソーという、ハムをうす切りにし酢づけにしたような、コリコリしたものを売っている。
はじめなんだか知らずに、それでもさっぱりしてなかなかおいしいので、よく食べていたら、
「それは豚の鼻だ」
ときかされてびっくりした。
そのほか、珍しいものでまたおそうざい屋さんにあるものでは、アンドゥイエットという豚の腸だかなんだか臓物ばかりをソーセージふうによせた、ちょっとプンと匂う大形ソーセージがあった。うす切りにし、サンドイッチにはさんでたべるが、
「お前はアンデゥユだ」
とどなれば、ケンカ言葉としては最高の侮辱言葉で、「アンデゥユのような奴」といえば「バカ野郎」の代名詞にもつかわれた。
「共食いしてるんじゃない?」
「どうせそうですよ」
などといいながら、アンドゥイエットのサンドイッチを楽屋でほおばったこともあった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より