たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

しゃぶしゃぶなるもの、フォンデュなるもの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(7)

私は大阪出身だが、実家にしゃぶしゃぶという料理は存在せず、初めて知ったのは関東の友人宅で(毎週末に夕食を共にするという離れのおばあさんから友人宅の内線に電話がかかってきて、何が食べたいか聞かれたらしく「ひさしぶりにしゃぶしゃぶでも〜」と8歳の彼が答えていたのだ)、初めて食べたのはたぶん東京に出て大人になり、就職してからだった。

いずれにせよ、彼女たちが当時たべられたような上等な牛肉は今はどこにいても、どんな金持ちでも手に入らないと思う。

大阪には、「しゃぶしゃぶ」というなべ料理がある(最近では東京にも出現した)。これはテーブルの真中に電気かガスこんろをはめこんであって、この上のなべの中にはお湯が八分目ほど入ってぐらぐら煮たっている。大皿の中には薄くうすく切ったすき焼き用の肉、しゅん菊、おとうふなどがのっかっていて、各自には深めの皿の中に、白ごまをすって味つけされたたれが出ている。

ぐらぐら煮たったお湯の中に、肉の一片を箸でつまみ、しゃぶしゃぶっと二、三回ふると肉に火が通って白っぽくなる。それをたれにつけて食べるのだが、熱い肉は、香りの高いたれにつけると、ちょっとひえて口あたりも柔かく、じつにおいしい。

これは肉のあまり好きでない人にも、油っこいものの嫌いな人にもたべられるし、若い人たちにも喜ばれるし、若い人たちにも喜ばれる。家で真似をしたときは、白ごまのたれのほかに、大根おろし、細かくきざんだねぎにおしょう油をかけたのをつけて食べたら、さっぱりしておいしかった。「しゃぶしゃぶ」とはよくつけた名で、名前のおもしろさも加わって、こどもも「しゃぶしゃぶ作ってエー」という。

これに似たものをパリでたべたことがあった。パリでたべたといっても、レストランでのことではなく、日本から来ていた方にご馳走になったのだが、やはりぐらぐら煮たったお湯の中に豚のうす切りを入れ、ほうれん草をさっと湯がく程度にくぐらせて、しょうがじょう油をつけてたべた。ほうれん草は生のままなので、お盆の上に山とつまれていたが、それが見るみるうちになくなったことを覚えている。

煮たあとのお湯も、しょうがじょう油でのむと、真冬でも汗がでた。ちょっと日本酒をたらしたら味がよくなって、どんなにおいしいことだろう、とぐちをいいながら、パリの空の下、日本酒がなく、白ブドー酒でまぎらわしたことも思い出す。

ブルギニヨンという料理で、これはスイスのホテルで雪のふる夜、友人の歌手やコメディアンと食べたなつかしい思い出のある料理だ。

テーブルの上にはアルコールランプの火がもえていて、その上に油をたっぷり入れたなべがのっていた。大皿の上には2センチ角ぐらいにコロッと切った、山かけのまぐろさながらの牛肉がたくさんのっていて、別の小皿には三種類のソースが出ていた。

ソースは、トマトケチャップの中ににんにくをすりこんだもの。(家で作るとき、にんにくのきらいな人がいる場合は、玉ねぎを少しすって入れる)

マヨネーズにトマトケチャップをまぜてローズ色にしたもの。(マヨネーズの中にケチャップを入れると甘みが出て味が柔くなる)

タルタルソース、マヨネーズの中にピクルスのみじん切りを入れ、レモン汁をふりかける。この三種類だった。

油の煮たったところに、ブルギニヨンのための特別柄の長いフォークの先に肉をさして、そのままジュッと焼く。

なま焼けのすきな人はすぐとりあげて好みのソースをつけてたべるし、よく焼きたい人は少し長く油につけておけばよい。牛肉のから揚げみたいなものだが、自分で好きなだけ焼くということが楽しく、わが家でやってみたら好評だった。

(中略)

スイスでこの料理を食べたときは、その後にレタスのサラダを食べて終りだったけれど、いま家でブルギニヨンを作るときは、肉ばかりではちょっとものたらない感じもするし、また財政の方もたまらないので、別皿にじゃがいもと人参を1センチ幅の輪切りにして固めにゆでておき、他にピーマン、ねぎなど、なまで出しておいて揚げることにしている。

ただし、野菜類を食卓の上で揚げるときは、油がはねる心配も多いので、メリケン粉か片栗粉をまぶして揚げるほうがよい。

フォンデュは、スイスチーズから作る独特なスイス料理で、レストランでも出すが、家庭料理としてスイス人の常食らしい。パリのレストランでもフォンデュを出すところがあったが、私はスイスにゆくまで食べたことがなかった。

「フォンデュって、一度食べてみたいわ」

といったら、レマン湖のほとりにある山小屋ふうのレストランに、友人がつれて行ってくれた。

「おいしいのよ」

「チーズがとろっととけてぐつぐつ煮たってるのを、パンのみみにつけて食べるの」

「白ブドー酒でとろ火で煮つめてあるの」

「フーフーふきながら食べるのよ」

(中略)

しかし、スイスの劇場で歌っていたころ、夜食にレストランに入ると「やっぱりフォンデュにしよう」と思った。そしてそれからもよく食べた。おそうざいの味、たべなれるとおいしい、なべ焼きうどんがなつかしいのと同じようなものだ。

(中略)

とろとろに煮上ったら、メリケン粉か片栗粉をほんの少し入れてつなぎにし、テーブルの上のアルコールランプの上にこのなべをのせ、弱い火であたためながらフォークにフランスパンをちぎってさし、それにフォンデュをまきつけるようにして食べる。

パンはもちろん食パンでもよいけれど、固いほうがおいしいから、食パンならみみの所がいいが、コッペパンのほうがなおいい。

パンのまわりにとろっとしたチーズがかぶさっているから、とても熱い。舌やうわあごをやけどしないようにフーフーふきながら食べるのは、寒い戸外から帰ってきたときには、有難くうれしく感じられる山小屋料理だ。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より