たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

パリのこどもパーティ『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(4)

これ読んで「バタと粉チーズをふっただけの」パスタを食べたくなり、夜の10時から作成した。家に常備してある材料だけでできてしまうのが問題だ。

「今夜はまかせるから、何かおしいもの作ってよ」
姉にそういわれて、私はロンシャン通りに、買物袋をぶらさげて出てみた。
(中略)
シャルキュトリは、ハムやソーセージ、ベーコン、チーズなどのほか、出来上ったオードブル(前菜)を売っているちょっとしたおかず屋さんだ。
不意のお客があったり、簡単に食事をしたかったり、またピクニックにゆく前など、このおかず屋さんに来れば、一応食べたいものはととのえられるという便利な店で、パリの街のいたる所にある。(中略)
トマト、きゅうりのサラダ、ニースふうサラダ、ギリシャふうシャンピニオン(シャンピニオンをトマトで煮たもの)、鮭のくんせい、イクラなどを眺めながら、しかたなく酢づけのオリーブとスパゲティ、トマトピュレーのカンづめなどを買って、また外に出る。
ぶらぶらヌイの通りにむかって歩いていたら肉屋さんがあったので、こうしの切身を5切れ買った。高いのでびっくりしてしまう。1切れ三百フランだから、5人前で千五百フラン。
夕食にはリエージュ風のこうし(エスカロップ・ド・ヴォ・ア・ラ・リエジュワーズ)とノルマンディー風じゃがいもを作ることにした。
リエージュはフランスの隣国ベルギーにある大都市だが、これはドイツ料理ウィンナ・シュニッツェル(ウイーン風のこうし)と同じ料理だ。つけあわせはじゃがいもときめたが、じゃがいもをいためただけでは能がないと思って、ノルマンディー風のじゃがいも料理にすることにした。
(中略)
日本人はたいてい、肉料理をたべるときでも、ちょっとごはんがほしいものだ。だから食事の1時間前にごはんもたきはじめた。
白いごはんよりちょっと油っけのある方がよい場合、いためごはんはしつこい上、手がかかるので、私ははじめからバタを入れていただく。
(中略)
それにレタスのサラダを作ったので、今夜はごちそうだった。
こうしのお料理はいろいろあるけれど、リエージュ風こうし料理......というより、むしろウィンナ・シュニッツェルという名で有名なこのお料理が、私には一番おいしい。
戦争中、じゃがいもばかり食べさせられて、それでもあきず、嫌いにならないほど、私はじゃがいもが好きだが、このノルマンディー風は、そのうちでも大好きなものの一つ。
深皿から大サジでたっぷりすくうと、じゃがいもと玉ねぎが、ヒダになってかさなっている。そのヒダヒダの間にはバタ、牛乳、野菜から出た汁がしみこんでいて、上側はちょっとパリッとするくらいこげていて、本当にほんとうにこの世にこんなにおいしいものがあったかと思うほどだ。

「こどもたちは遊ぶ方にいそがしくて、ちょっとも食べやしないんだけれど」
と姉がいうので、スープとスパゲティとハンバーガーという簡単な食事とした。食後はフルーツポンチ。お三時にはお菓子屋さんからバースデーケーキがとどくように前日からたのんであった。
スープは昨夜トリのガラと人参、玉ねぎをみじんにきざんだのをなべに入れ、たっぷり水を入れてグツグツ1時間煮こんでおいたから、もとは出来ている。スパゲティ、トマトピュレーはこの前買ったのがあるので、買いに出るのは、ひき肉とフルーツポンチ用のくだものだけ。そうそう、それとブドー酒がわりにグレープジュース。
こどもだからとちょっと馬鹿にして、スープはトリの固形スープで味をつけてしまう。しかし、固形スープだって水でとかすのではない。ちゃんとガラからとったスープでとかすのだから結構おいしい。
(中略)
今日はスパゲティのことを、少しくわしく書いてみる。イタリア人がごはん代りにこれを食べるが、ソースをかけない。バタと粉チーズをふっただけのものだ。
(中略)
その湯気の立つ熱いスパゲティをちょっと深めの皿にもり、上に大サジですくったバタを3コあちこちにのせて、そのまま食卓に出す。
食卓に用意してあった粉チーズをふりかけ、大きなスプーンとフォークを使ってスパゲティをもち上げるようにしてバタとチーズをよくまぜあわせ、すきなだけ各自のお皿によそってたべる。
(中略)
これは肉料理のつけあわせとしてもよくあうし、なれたら一番おいしいスパゲティのたべ方だ。
(中略)
今日はお客さまがこどもだし、味のこい方がよいと思って、私はミラノ風のソースの中にスパゲティを入れ、少し火にかけてからまぜあわせて出した。チーズの粉は好きずきだから、かけたりまぜたりしないで食卓に出しておいた。

皆、気もそぞろで食事よりも早く遊びたいふうだったが、それでもちょっと気取ってお行儀よくたべていた。バースデー用のお菓子も、ほんとうは家で簡単に美しく作れるものなのだが、いそがしいのでお菓子屋にまかせてしまった。
ちょっと感心したのは、小さいローソクが八本立っているその真中が、美しい水色のリボンでむすんであることだった。
チョコレートのお菓子に、白いローソクに、水色のリボンは心憎い配色だったが、こうしてローソクにリボンをむすんでおけば、火をつけた後もロウがお菓子にたれず、リボンの所でとまるようになっているからだった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より