たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

たまごとセーヌ河『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(1)

レシピの説明がちょいちょい出てくることもあり、他の作品になく数字の扱いが興味深い。単語のひらき方は堺雅人のエッセイに似ている。どちらが先かはわからないが、連載誌だった『暮しの手帖』のかなづかいも思わせる。XX風を「ふう」に開くとことか。活版印刷の凹凸が感じられる書籍で読みたい。

「今夜はオムレツよ」
私は調理台の横におあずけをさせられた犬のように座った。台所は一坪もあったかしら。せまくて、細長くて、中庭に向った窓があいて、流しや食器棚や、ガスこんろのおいてある細長いテーブルがある。私たちはいつも、この細長いテーブルの片隅で、食事をするのだった。
フライパンが熱くなると、マダムは、おどろくほどたくさん(かれこれ1/8ポンドほども)バタを入れた。
「ずいぶんたくさんバタを入れるのね」
「そうよ、だから戦争中はずいぶん困ったわ」
卵4コをフォークでよくほぐして塩コショーを入れ、もう一度かきまぜながら、熱くなったバタの中に、いきおいよくさっと入れる。
「戦争中はバタに困ったので、代りにハムのアブラ身を使ったの。ハムをたべるとき、アブラのところだけ残しておいて、それでオムレツを作るのよ。アブラ身をいためているとアブラが出るでしょう。そのアブラでプレーン・オムレツを作ってもよいし、少ししつっこいのが好きな人には、アブラ身も入れたまま作ったりすると、案外おいしいのよ。いまじゃバタはいくらでも手に入るけれど、私は、その味がなつかしいから、ときどきハムのアブラ身で作るの、このつぎに作ってあげましょうか」
(中略)
そとがわは、こげ目のつかない程度に焼けていて、中はやわらかくまだ湯気のたっているオムレツ。「おいしいな」、私はしみじみとオムレツが好きだとおもい、オムレツって何ておいしいものだろうとおもった。もっとも、私はこどものころから卵料理が好きだったが、そのときのマダムのオムレツが、特別おいしいとおもった。いまになって考えてみると、中身がやわらかいひだひだで舌ざわりがよかったこと。バタがたくさん入っていたから味がよかったこと。そして焼きたてをたべたこと。この三つの理由だとおもう。
オムレツはうちで出来たてをたべるべきだ。レストランでさめきったオムレツに真赤なケチャップがかかっているのなど、むしろ食べないほうがまし。おいしく出来上ったオムレツには、ケチャップもソースもおしょう油もつけないほうが、おいしい筈である。
(中略)
日本では一般に、ハムや玉ねぎのみじん切りをいためて入れたり、ひき肉のいためたのを入れるようだが、フランスでは、チーズを入れたオムレツ・オ・フロマージュ、わけぎのような青いフィンゼルブを入れたオムレツ・オ・フィンゼルブ、じゃがいものゆでた角切りを入れたオムレツ・オ・パルマンティエ、ラム酒をおとしたオムレツ・オ・ラムなど、いろいろ違った種類がある。チーズ・オムレツはアメリカでも食べるが、フランスのとは作り方がちがう。アメリカのは、平たく焼いた卵の上に、1センチ幅に切ったチーズをのせて、卵を二つおりにしたもので、焼けた卵の熱で中のチーズがとけかけて、どろっとしている。

そのアメリカで食べたオムレツの中で、まあまあおいしかったのはスパニッシュ・オムレツだった。プレーン・オムレツの上にハム、トマト、玉ねぎ、ピーマンを煮こんだソースがかかっているもので、これは食卓にのせても、プレーン・オムレツよりご馳走にみえるし、こどもたちにもよろこばれるだろう。

「スペインふうのオムレツって、パリの人は食べるのかしら、私はアメリカでよく食べたけれど」
「スペインふう、さあどんなのかしらね。きいたことないわ」
そしてマダムはちょっとおかしそうに笑った。
「ロシアふうの卵(エフ・ア・ラ・リュネ)っていうのあるでしょう。あの料理、ロシアじゃ、イタリアふう卵料理(エフ・ア・ラ・イタリアン)っていうのよ」
エフ・ア・ラ・リュス、これはフランス人が前菜にたべるお料理だ。だいたいフランス人は朝食に卵をたべない。卵は肝臓にわるいときめているので、一週間のうち、卵料理は二度以上はたべないようだ。
(中略)
エフ・ア・ラ・リュスはお料理ともいえない簡単なものだ。お皿に二、三枚レタスの葉をおく。その上に、1センチ幅に輪切りにしたゆで卵を形よくのせて、マヨネーズをかける。それだけ。
なーんだ、と思うでしょう。でも、これはフランス人の好きな前菜だし、ロシア人も、それにイタリア人も好きらしい。こうすれば、ゆで卵もちょっとしたお料理にいえるし、お客様のときは品数がふえて便利だとおもう。

パリでたべた卵料理で忘れられないのは、ヴェベールというレストランでたべた、その家の名をつけた卵料理だった。
私は昭和二十九年の春から秋まで、キャプシーヌという劇場で歌っていた。ここはオペラからマドレーヌ寺院へゆくキャプシーヌという通りに面した、小さいが、なかなかしゃれた劇場だった。
土曜と日曜はマティネがあったので、夕食は友だちとさそいあわせて劇場裏の小さいレストランへゆくことにきめていたが、ある夜、たまにはちがう所にもゆこうということになって、マドレーヌ寺院の横にあるウェーバーというレストランに行った。ウェーバーとうのは英語よみで、私の仲間たちはヴェベールとフランスふうによんでいた。
(中略)
「おいしそうね、それなに」
グラタン皿の中に、とろっとしたうすいトマト色のクリームがかかっていて、その厚いクリームの下には、2コの卵形をしたものが、こんもり柔かくもり上っていた。
「ヴェベールの卵、他ではたべられないよ」。もちろん私はそれを注文した。
そのお料理はむつかしい。一度私もためしてみて、成功はしたけれど、なんともタイミングがむつかしいので、お客さまのあるときには、ちょっとこわくて作れない。
(中略)
ナイフで切ると、白味はほどよくかたまり、中の黄身は半熟で、その上にとろっとしたソースがかぶさってくる。熱いのをふーっとさましながら、フランスパンといっしょに口に入れる。その味は忘れられない。
(中略)
やけどをしそうに熱く、トロッとしたソースと卵をたべたなら、その感激は口ではいいあらわせない。

コックはスペイン人なので、よく変ったお料理が出たが、その一つで名前は知らない、これも半熟卵だけれど、このほうはカラごと、半熟立て(エッグカップ)に入って、お皿の上にのっていた。卵の先は黄味がみえるくらいのところまでカラごと切ってあって、べつのお皿には、食パンのミミを油であげたのが数本くばられた。
食パンの外側のミミを、1センチの幅にきりおとすと、固い棒になる。それをこんがりとこげ目のつくまで油であげてあるのだ。それを手につまんで、半熟卵の黄味とおぼしきあたりに塩を少々ふり、ブスッとつきさすと、ぬらっと黄味があふれるように出てきてパンにくっつく。それをかじって食べる。白味のところはスプーンですくって食べる。なんでもないお料理だが、これは半熟もあげパンも熱くなくてはだめ。
とてもおいしかったことが忘れられない。それを食べたとき、窓ごしにセーヌ河がみえていたことまで、こうしていても目に浮かぶ。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より