たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

フレンチドレッシング『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(2)

手作りしたフレンチドレッシングのおいしさは、小学校の調理実習で知った。英語だのプログラミングだの壺仕込みの道徳だの、新しい科目がぎっしり詰め込まれた今の小学校で、調理実習をやる時間はあるのだろうか。そもそも家庭科の授業は...。

昼間ご馳走をたべるのが習慣になっているフランス人の夕食は、その代りとても簡単。特別の場合をぬかせば、夕食はスープと冷肉、サラダ、そんなものですましている。マダムと私の夕食も、オムレツのあとは、レタスのサラダだった。レタスの葉は一枚一枚よく洗われて、金あみのかごの中に入っていた。
食事どきに中庭に向った窓からみていると、むかいのアパートの台所の窓から、女の人が金あみをにぎった片手をにょっきり外に出して、サラダの水気を勢いよく切っているのがよくみあれた。
大きなボールの中で、マダムはフレンチドレッシングをつくる。フレンチドレッシングも人それぞれの好みで作り方がちがう。
一流のレストランへゆけば、サラダをたべるときは、かならず給仕がききにくる。
「お酢にいたしますか、レモンにいたしますか、にんにくのにおいはいかがいたしましょう」といった具合。
(中略)
マダムは自分のお皿に山もりのサラダをとりわけると、
「あなたの分は今すぐ作ってあげるからね」
といった。私はその頃、レタスがどうしてもたべられなかった。水っぽくて味がなくて、レタスを食べていると自分が兎にでもなったような味気なさを感じた。
「生野菜をたべなくちゃだめよ」
親切でちょっとおせっかいなマダムは、なんとしても私にサラダを食べさせようとした。だから、「あなたの分」にはチーズをこまかく切って入れたり、あげパンのくずを入れたりして、味に工夫をしてくれた。
(中略)
日本ではサラダというと、きまりきったものしか出てこないから、つまらない。コンビネーションサラダといえば、きまってトマトにアスパラガスに、きゅうりにじゃがいものマヨネーズあえで、たまには人参やセロリがつけあわせになり、うどのせん切りなどがついている。どこで食べてもだいたい同じだ。ちょっと工夫をこらせば、変ったサラダがたべられるのに......。

アメリカのキャフェテリヤで、つけあわせサラダとしてかならず出る「コールスロー」というのは、キャベツを半センチ幅にきざみ、さっとお湯を通してから、フレンチドレッシングであえたサラダだが、アメリカ人は甘い味がすきなので、お砂糖もちょっと入れているらしい。サンドイッチのつけあわせなどにすれば、おつけものに似た味で、なかなかおいしい。
アメリカではまた、フルーツサラダをよくたべる。ゆでたじゃがいもと生のリンゴが一番よう使われるが、カンづめの桃やパイナップルを小さく切ったり、みかんのカンづめなどを入れると、黄色やオレンジ色のいろどりが美しく、こどもたちには喜ばれるだろう。これもマヨネーズであわせる。
フルーツゼリーもサラダとしてたべる。パイナップル、桃、梨、みかんのカンづめをこまかくきざんで、湯でといたゼラチンを入れ、ゼリーにかためる。これだけでサッパリしたお食後ができるが、アメリカでは、このゼリーにマヨネーズを酢と油でうすくのばしたドレッシングをかけて、前菜としてたべるのを好む。
ゼリーとマヨネーズのとりあわせは少々好ききらいがあると思うが、夏の暑い日など、舌ざわりがつめたく、サッパリしておいしいものだ。
(中略)
パリでは、日本食のたべたいお客さまに、よく水ぜりのおひたしを作ってあげて、とても喜ばれた。ほうれん草よりニガ味があって歯ごたえがさわやかだし、においも高いから、お新香代りにもなった。

ムニャムニャ、その名を私はとうとう覚えられなかったが、そのお料理はハンバーグステーキのようなものだった。ハンバーグより小形で、玉ねぎも入っていない肉だんご風なもので、ロシアではスープを食べるとき、いっしょに、油であげたパンをたべる、そのあげパンの中に、このひき肉のおだんごが入っている。
マダム・カメンスキーといっしょに住んでいた一年半のあいだ、この小形ハンバーグはよくたべさせられた。いったい、ハンバーグステーキというものはどこの国のお料理なのだろう。特別立派な料理でもないのに、なにかなつかしい。

見えも外聞もなく、大口をあけて大きな丸パンにかぶりつくと、じゅっと中から肉の汁があふれてくる。できたてのハンバーガーはいかにも栄養のある食べものという気がする。
(中略)
気のきいた店では、スタンドのテーブルの上に辛子、ケチャップ、ピクルス(きゅうりの酢づけ)のみじん切りがならんでいて、それぞれ好きなように味つけをすることができて、有難かった。トマトや、玉ねぎの輪切りもいっしょにはさみたい人は、給仕にいうと、そのようにしてくれた。

パリに着いたのは、お昼前だった。旅の疲れであまりお腹はすいていなかったけれど、久しぶりにおいしいフランスパンがたべたかったから、バゲットという1メートル違い長さのフランスパンにバタをたっぷりぬって半分ぐらいたべて、それから一日アパートでねたり起きたりしていた。
フランスのパン屋は日に三回パンを焼く。人々は食前にパン屋へゆき、指で押すと狐色にこげた表面がパチっと音をたてるような、焼きたてのパンを買う。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より