たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ワインではない、ブドー酒だ『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(3)

まだ「ワイン」というカタカナ語を使ってないんだよな。子どものころうちにあった絵本や聖書も「ぶどう酒」表記でそれなりに思い巡らしたものがあったので、どうもwineと同じ飲み物だという感じがしない。ましてや「白ブドー酒」=シャルドネだとは思えない。

クーポールは古くからあるキャフェ・デュ・ドームと同じく、モンパルナスで有名なキャフェ兼レストランだ。
昭和二十六年、私が、はじめてパリに着いた夜に、このクーポールにつれて行ってもらった。疲れていたし、はじめて来たパリの、はじめての食事なのでコーフンしていたせいか、あまり味もわからず、おいしいとも、まずいとも思わなかったことをおぼえている。
早めに着いた私は、奥のテーブルに坐ってトマトジュースをあつらえた。トマトジュースというものは、アメリカ人が朝、寝起きに飲むものなのに、フランス人はアペリティフ(食前の酒)代りにトマトジュースを飲む。時代がかわれば人の趣味も違ってくるが、このごろのパリジャンは、フランス産のアペリティフが何十種類とあるのにもかかわらず、ウィスキーソーダをのみたがる。
(中略)
トマトジュースをのみながら、私は久しぶりでクーポールの中をみまわした。ちょうど昼食どきなので、広い店の大半のテーブルはふさがり、給仕はいそがしそうにお皿をかかえて、テーブルの間をぬって歩いていた。コの字形にテーブルのならんでいる私の横では、四人の男女がかきを食べていた。
大きなお皿に2ダースも殻つきの生がきがのっていて、輪切りのレモンが何個も添えてあった。フランスでは生がきはかならず殻つきのを出し、小さいフォークで身をはがしながららべる。生がきを食べるときは、白パンは食べず、黒パンの薄く切ったのにバタをたっぷりぬって食べると、かきとよくあう。
四人の男女は、いそがしそうにレモンをしぼりかけ、小さいフォークで身をはがすと、殻を口まで持っていって、身とレモン汁をいっしょに、のどにすべりこませるようにして食べていた。

私の前にはあから顔のでっぷり太ったおじさんが、一人でプレ・ココット(トリ料理)を食べていた。その顔をながめて、
「ああ、私はフランスにいるんだ」
と、あらためてしみじみ心に感じた。
冷たくひやした辛口の白ブドー酒を前にして、骨つきのトリを熱心にたべているそのおじさんの嬉しそうな満足そな顔つきは、「つらい勤めもこの楽しみあらばこそ」といったふうで、フランスでなくては眺められぬ風景だった。
(中略)
食卓に出すときは、底のある楕円形のお皿の真中に焼けたトリをおいて、そのぐるりに、煮えたというより、よく焼けた野菜をならべて出す。
私の前のおじさんは深めのお皿に入っているこのトリの片足を夢中でぱくついていた。
トリの皮も、じゃがいもの表面も狐色にこげていて、うす茶色の汁が少しかかっていた。この汁は、トロ火で煮るとなべの底にたまる汁だから、かならず、いただくときトリや野菜の上に少量かける。

ならんで腰かけると、何十年もクーポール勤続の給仕長ムッシュ・ヴィクトールがメニューを持ってきた。
「何にする?」
「何にしようか」
メニューには忘れてしまっていたお料理の名がずらっとならんで、私の記憶をよびさまさせた。
「サラダ・ニスワーズ(ニースふうサラダ)、それにアントルコートにするわ」
(中略)
いただくときは、深めの皿に盛り、ゆで卵、トマトで飾って、オリーブやアンチョビーがあればそれも上にかざる。
これは前菜としての4人分だけれど、昼食を簡単にたべる場合に、分量を多く作って、これとトーストでも出せば、さっぱりした心たのしい昼食ができると思う。
アントルコートを注文したのは失敗だった。牛肉を1センチ厚に切って炭火で焼いたものだが、牛肉は日本のほうがおいしいのだから、日本から来たばかりの私の口には味気なかった。しかし、とりあわせについていたさやいんげんはおいしかった。日本では、ゆでた野菜を水に放してからいためるので、野菜自身のもち味が消えてしまうし、味もしつこくなる。

テーブルにつくと給仕がすぐにメニューを持ってきた。白いテーブルかけに陽が反射してまぶしい。今日はラタトゥイユとレ・オ・ベール・ヌワールをたのんだ。
ラタトゥイユというのは、オムレツにかけるトマトソースとちょっと似た煮こみ料理で、前菜や、肉のつけあわせにたべる。
(中略)
水もスープも何もいれない。でも、野菜から水気が出て、トマトの色が全体について、ドロッとしてくる。
これは熱いうちにたべてもよいし、さめてつめたいものも悪くない。ごはんのおかずにもなるおいしい野菜の煮こみだ。

レ・オ・ペール・ヌワールは、「レ」という魚にバタソースをかけた魚料理。「レ」は赤えいのような魚で、えんがわが多い魚だ。
(中略)
「レ」は、日本ではなかなか手に入らないし、ソースの中のカープの実も手に入れにくいから、ちょっと無理だけれど、「レ」の代りに「かれい」で作ってみるのも、変っていて面白いと思う。
日本では「かれい」はたいていお煮つけときまっているようだが、月桂樹の葉を入れて「かれい」をゆで、熱いところに塩コショーで味つけをして、とかしたバタをたっぷりかけてたべると、きっとおいしいと思う。
また、ゆで上った「かれい」を皿にのせて、冷蔵庫で冷やしておくと、「かれい」の下がわに煮こごりのようなゼリーができる。このゼリーつきのつめたい「かれい」をマヨネーズで食べたら、やっぱりとてもおいしい。このマヨネーズもちょっと手を加えて、パセリのみじん切りと、にんにく半コをすりおろして入れたら、びっくりするほど素敵な味になる。
パリの午後、テラスで食事するのは楽しいものだ。明るい陽ざしをあびて、並木の青葉も目にしみるシャンゼリゼ通りで、旧友とおいしい食事をしたことは、いつまでも忘れられないことだろう。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より