たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

小豆島のふし『八日目の蝉』

私は、いい大人の食習慣についてジャッジするのは最悪だと思っているが、この小説を読んで、飲料含めて全食コンビニの日本の知人の食生活に生理的といっていいほどの嫌悪感を抱いてしまったのを思い出した。
「今朝はからあげくんと野菜1日これ1本だった」などと聞くと、こっちの具合が悪くなりそうだった。からあげくんは好きなのだが。
家に包丁なくて毎食家族で外食かUber Eatsのこちらの知人や、毎食屋台が当たり前のフィリピンの知人の食習慣には何とも思わないのに、コンビニ漬けは気色悪い、と思ってしまうのはなぜか。

巻末の著者インタビューで、新聞連載小説だったとあって、珍しい、気づかなかった、と思った。
雑誌はそうでもないのだが、新聞の連載小説を単行本で読むと、最後にいくにつれ構成が息切れしてきてだいたいそれとわかるので。谷崎、夏目ですら。

そうそう、それからこの記述には瞠目させられた。日本にいたころしょっちゅう使っていた駅なのに、読み方のせいか、そんなふうに連想したことがなかった。(ちなみに少し検索してみたが、地名の由来は諸説あるようだ)

十三という地域だと、道路標識の看板で知った。その数に何か不吉なものを感じて、急いで移動した。

昼、泰枝と作った離乳食を、薫に食べさせる。茹でてつぶしたかぼちゃと人参と、ほうれん草のおじや。美紀ちゃんがじっと見ているので、「食べさせてあげようか」と言うと、「美紀、赤ちゃんじゃないもん!」と真剣な顔で言う。そう言いながら、薫が口を開けると自分も思わず口を開けるのがかわいらしい。

女は立ったまま食パンを食べていた。おはようございます、と声をかけても私を見ない。あらぬ方向を見て、食パンの袋を胸に持ち、食パンを無言で食べている。

瓶詰めやインスタントの離乳食だけでは心配なので、スーパーで食材を買い、女の台所を勝手に使って、夕食を作る。炊飯器をこわごわ使うが、古びているだけで壊れてはいない。薫にはほうれん草のおじやと、しらす入りの卵焼き。残ったほうれん草を味噌汁にし、野菜炒めとしらすおろしを作る。余った分にラップをしてテーブルに置き、風呂から出てくると、女が食べたらしく、空いた皿が流しに積み重ねてあった。

12時になると、トレイに載った昼食が運ばれてきて、指導係の2人は部屋を出ていき、私たちは5人でそれを食べた。野菜しか食べないようなことを久美は言っていたが、プラスチックの容器には野菜の煮物と蒸し鶏が入っていた。

「お菓子食べたいなら、ほら、これ、あげるわ」
サライがふりかえって何かを沙絵ちゃんに渡す。
「いやー、酢昆布やん。こんなん食べとうないわ」
バンのなかにちいさく笑いがおきる。

カウンターからトレイを受け取り、空席を見つけて座る。納豆、海苔、漬けもの、みそ汁、ごはん。薫はマナ係のおばさんからもったふりかけを、「開けて」と私に差し出す。ごはんにふりかけをかける私の手を、薫は真剣な面もちで見つめている。「たまごふりかけだね、よかったね」箸を持たせてやると、「たまごでよかったねー」と私のまねをして薫は笑う。

「今日おやつもってきたで」開始するやいなやカナさんが言い、エプロンのポケットからチョコ菓子を出す。

「さあて、バニさんたちはキャベツ刻んでジャガ芋の皮むいて。ルーさんはお米とぎ頼むわ。ここに今日の献立と作り方を貼っとくで」そう言いながら、レビさんが黄ばんだ袋を引き出しに仕舞うのを私は横目で見る。
11時、配膳の準備をする。レビさんは小鉢にサラダを盛り、バニさんは各テーブルの調味料をつぎ足してまわる。まだ年若いセムとフルは、何やら談笑しながら大鍋の中身をかきまわしている。

オムライスを薫と半分ずつ分けて食べた。薫は不安そうな様子だったが、12時をまわるころ、疲れたように寝入ってしまった。おかわり自由のコーヒーを飲み、朝の6時過ぎまでそこで時間をつぶし、寝ぼけ眼の薫を抱いておもてに出た。

「そうじゃ、岡山も見てまわったん? おえんよ、ちゃんと見ていかんと。倉敷歩いて、後楽園見て。バラ寿司食べにゃ。バラ寿司おいしいよーゆうて東京の人に教えてあげにゃ」
運転手はそう言うと、快活に笑った。

箱からチョコレートの菓子をつまみ出し、口に入れ、
「うわー、ママ、これ、おいしくてびっくりしちゃう」ませた口調で言いながら、目を丸くして私を見る。「ママにもひとつあげましょう。はい、どうぞー」1粒私に分けてくれる。口に入れると、懐かしい甘さが口に広がる。

土産物屋の隅に、うどんやそばを売るカウンターがある。うどんとおにぎりを買い、空いてい席で薫と食べた。薫はおにぎりを頬ばりながら、珍しがって店のなかを見まわしている。

「はよいって綿菓子食べんか。あんな、甘い、あまーいお菓子なんやで」
ハナちゃんがさっとしゃがみこみ、薫に話しかける。
(中略)
お祭りのあいだはかたまったようになんにも言わなかった薫が、上機嫌で話し出す。「綿菓子、甘くておいしかったね。明日でも食べていい? 明日はママにも分けてあげる」と、眠るまで言っていた。

薫が寝入ったのを確認し、狭い台所でおじやを作る。みしみしと、頭上で人が歩きまわる音がする。卵を割り入れ葱を散らしたとき、玄関の戸が遠慮がちにノックされた。

「夕飯はカレーだけど、いっしょに食べていく?」と訊くと、
「あたし、サラダ作ったげよか」めずらしく口を開いた。
「うん、作って。助かる」
そう言うとハナちゃんは冷蔵庫をのぞきこみ、鍋のあくをすくう私のわきで、トマトとキュウリをざく切りにしはじめる。ずいぶん手慣れているところを見ると、いつも夕食を作っているのかもしれない。
(中略)
鍋の火を弱火にして、薫の相手をしながらハナちゃんの手元を見ていると、ふしを茹ではじめている。素麺の端っこの、Uの字になった部分で、袋詰めされて安いから買い置きしているのだが、ハナちゃんがふしを何に使うのか見当がつかずに訊いた。これには返事はなし。
ふしはサラダになった。ざく切りにしたトマトとキュウリの上に、盛大にふしをのせ、醤油ドレッシングをまわしかけたものが、ハナちゃん作のサラダだった。
「おいしいね、知らなかった。サラダにもなるんだ」驚いて言うと、ハナちゃんはふいと顔を背けたが、口元に得意そうな笑みを浮かべている。
「おいしいねー、ママ」
薫も目玉をきょろきょろさせて言う。
「あたし、ふしでナポリタンもカルボナーラも作れるんで」そっぽを向いたまま、でも得意げにハナちゃんが言う。
「へえ、私も今度やってみyいおうかなあ。もとは麺なんだから、おいしいに決まってるよね」
「ねー」と薫。

客のこない午後、昌江さんと、パートの伸子さんと、素麺をすする。先月行われた農村歌舞伎の話を、2人とも熱心にしてくれる。

1年が終わる。午後、離れの掃除をしていると雅江さんがおせちのお裾分けと素麺をもってきてくれる。

私のためにと、ピンク色の袋に入った綿菓子を大事に持っている。袋を開けると、綿菓子は半分くらいにしぼんでしまっていた。

運ばれてきたモツ煮込みや刺身をせわしく食べながら、千草はなかなか話しやめなかった。

「ビールと、枝豆と、あとは何がおすすめ?」
「自家製豆腐とか、あとはつくねとか」私はぼそぼそと答えた。

私の前にコーヒーを、千草の前にトーストとオムレツののった皿を置く。千草はトーストに苺ジャムをべったりと塗りつけて食べはじめる。店内にはどことなく大仰なクラシック音楽がかかっている。
「ねえ、母親のこと、嫌い?」
指に垂れたジャムをなめると千草に訊いた。

つぶれたケーキを皿に移し、私はちいさなテーブルへとそれを運んだ。
「ほら、うまい具合にショートケーキとタルトが混じってるじゃん。両方味わえるよ」あぐらをかいて座り、岸田さんはつぶれたケーキを食べはじめる。

朝起きても食べるものがない。炊飯器は空っぽだし、冷蔵庫には生卵や生野菜くらいしかない。お菓子があれば真里菜とともにお菓子を食べた。校庭で私を待つ真里菜を連れて家に帰る。母は日が暮れるころ帰ってきて夕食になるが、夕食にはスーパーの出来合の惣菜がパックごとテーブルに出される。それも、コロッケだけとか、煮物だけとか、おかずが一品とごはん。

聡美ちゃんのおかあさんが作った、フライドチキンやちらし寿司や、卵のサラダや真っ白いケーキを、暗いアスファルトにすべて、吐き出した。

ビールと焼き鳥の盛り合わせを注文すると、千草はそう言って鞄からノートを取り出す。
(中略)
店員がカウンターに焼き鳥の並んだ大皿を置く。
「とりあえず食べようよ、焼き鳥」私は串に手をのばして言った。串を持つ手が震えているのが千草に悟られないように、カウンターに肘をつき、千草に隠すようにしてそれを食べた。なんの味もしなかった。

なんでも頼んでいいよ、とメニュウをかざして岸田さんが言う。「いっしょにごはん食べるの、久しぶりだからなあ。極上カルビでも極上ハラミでも」
(中略)
テーブルに置かれた大皿から、タンやカルビをトングでつかみ、妙な慎重さでロースターに並べていく。
(中略)
「うわ、このタン、おいしい! 岸田さんも食べてみなよ。早くしないと焦げちゃう」
岸田さんは無言のままタンに箸をのばし、それをのみこんでから、私を上目遣いに見る。
(中略)
「脅かすなよ、もう。これ、こんくらいのレアがおいしいよ」
カルビを箸で挟み、岸田さんは私の皿に入れてくれる。
次々と皿が運ばれてくる。キムチにサンチュ、ハラミにロースにミノ。夏休み前とまったく変わらない食事だった。
(中略)
岸田さんは肉が焼けるたび手をのばして私の皿に入れてくれる。こんなに食べられない、と思った皿は次々に空になっていく。
「めしもの、食べる?」ファミリーレストランのように大きなメニュウを岸田さんあg広げ、私は答える代わりに、さっき笑っていた顔のままで言う。
「岸田さんに、もう会わないよ」

「ねえ、ごはん、焼きそばでいい? 野菜炒めとごはん、てのもあるよ。材料いっしょだけど」

食事は変わらず惣菜だが、下手ながら制服にアイロンもかけてくれ、冷凍食品のいっぱい入った弁当を持たせてくれるようになったものの、今度は私が家に寄りつかなうなった。

「おなかすいてるなら、カレーあるよ」母は言い、見て見ぬふりをされたようでいらだちを覚える。
横に突っ立っていた真里菜が私を肘でつつく。顔を向けるとにやにや笑いをしている。「作ったの、私だから安心しな」と耳打ちするように言う。料理の苦手な母はカレーすらまともに作れないのだ。市販のルーを入れるだけなのに、へんに水っぽかったり、野菜が生煮えだったりする。
コンビニエンスストアのビニール袋や酒瓶、中途半端につぶしたビール缶、袋に入ったまま床に置かれたじゃが芋やフライパン、相変わらずごちゃごちゃと散らかっている台所を眺めていると、
「どうだ、学校」騒々しいテレビに目を向けたママ、さして興味なさそうに父が訊く。

「甘いもの食べたいな。ロールケーキとか」
「しょうがないなあ。買ってこようか?」
「私もいっしょにいく」
(中略)
千草が自分の膝に乗せたビニール袋をちらりと見ると、スナック菓子やチョコレートや、パック入りの海苔巻きが透けて見えた。千草は袋から缶コーヒーを取り出して私に手渡す。受け取るとそれはあたたかかった。
(中略)
サンドイッチやおにぎりまで袋から出てくる。
「ずいぶん買ったんだね」
私は思わず笑ってしまう。
(中略)
「意外と揺れないんだね」
海苔巻きを食べていた千草が、窓の外をのぞきこむ。

冷房のきいた薄暗い食堂の、壁にずらりと貼られた品書きを希和子は読んでいった。
氷いちご、氷メロン、宇治金時。ラーメン、チャーシューメン、餃子、チャーハン。コーラ、サイダー、ソーダフロート。
のどを潤すつもりだったのに、文字を見ていたら腹が減った。注文をとりにきた老女に、気がつけばラーメンとコーラを頼んでいた。時間が止まったかのような店だった。そこに座っていると、自分がまだ二十代であるかのように思えた。
湯気をあげて運ばれてきたラーメンを一口食べ、それから希和子は丼に顔をくっつけるようにして夢中で麺をすすった。塩辛さも脂っぽさもなつかしかった。食べやめることができず、汁まで飲み干した。丼の底にこびりついた細い麺を箸でつかみ、そうしている自分に気がついて希和子は愕然とした。おいしいと、自然に湧き上がってきた感想に愕然とした。

角田光代著『八日目の蝉』より