たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ハーゲのアイスに始まり手作りチョコケーキに終わる『夜行観覧車』

日本ではハーゲの販売元がサントリーということで、不買運動陣に悲鳴が上がってましたな。
常々、日本におけるハーゲのアドバトリアルは過剰だと思っていた(新しいフレーバーの開発秘話で情報番組の20分を使うとか)。バックにサントリーと聞けば納得がいく。

「ついでに、アイスも買ってきて。ハーゲンダッツのストロベリーね」
平然と言われる。
(中略)
生理用品とアイスクリームと食パンとチーズ鱈の入ったレジ袋とバッグを提げて、坂道を上っていく。

テーブルの上のポテトチップスをつまむ。どうせ一晩で食べきってしまうのだから、袋を全開にした方が食べやすいのに、と思うが、歩美の部屋ではそれができない。
(中略)
「あんたたち、ポテトチップス食べてたでしょ」
「食べてないよ。このあいだのお昼に食べた臭いが、まだ残ってるんじゃない?」
歩美が平然とした様子で答える。
「なら、いいんだけど。お泊まり会だからって、こんな時間にスナック菓子なんか食べちゃダメよ。夜食にヨーグルトゼリーを作ってるから、お風呂から上がったら2人で食べなさい」
「はあい」
(中略)
「あぶないあぶない。でも安心して。他にも隠してるから。ほら」
歩美がベッドの下から、食べかけのポテトチップスの袋と、炭酸飲料のペットボトルを取り出した。
「わたしもいっぱい持ってきてる」
比奈子もバッグを引き寄せ、コンビニの袋を取り出す。
「スマイルマート限定プリン、おいしいよね。夜は長いし、あー、なんかワクワクする。この際、慎ちゃんの模試ごとに泊まりにくることにしちゃおうよ」

「とりあえず何か食べよっか。疲れてるだろうし辛いとは思うけど、こういうときこそ、なるべく普段と同じことをしなきゃ。2人だし、インスタントラーメンでいい?」
黙って頷く。食欲はないが、だからといって他にしたいことはない。眠れる気もしなかった。非日常的な事実を受け入れるためには、まずは日常的な行動をとった方がいいのだろうか。しかし、インスタントラーメンは比奈子にとって日常ではなかった。
母親が食卓にインスタント食品を上げたことは、一度もない。家族でラーメン店に行ったことはあったが、それすらも片手で数えらえるくらい。中学生になり、インスタント食品が全面禁止だという歩美と2人で、両親の留守中、こっそりと初めてカップラーメンを食べたことがある。
こんなにおいしい食べ物をなぜ禁止するのだろう、と2人で夢中になって食べ、恋しくなった頃にまた食べよう、と約束をした。それ以来、カップラーメンは3ヶ月に1度くらいの割合で食べているが、袋に入ったインスタントラーメンは初めてだ。
「玉子どうする?」
キッチンカウンター越しに、晶子が訊ねてきた。
「わたしはいつも、そのまま割って入れてるんだけど、姉さんは溶き玉子にして入れるのが好きだから、比奈ちゃんもそっちかな」
姉さんとは誰のことだろう、と一瞬考えてしまう。
「ママ、インスタントラーメンなんて、食べてたの?」
「そっか、昔のことよね。ほら、うちは両親が2人でお店してたでしょ。だから、休みの昼は姉さんがいつも作ってくれたんだけど、子どもだったから、ラーメンばかりだったの」
目の前にラーメンが置かれた。みその香りのするスープに黄色いふわふわの玉子が浮いている。晶子も向かいに座った。2人で両手を合わせる。
「おいしい。わたしも、休みの昼はこういうの作ってほしかったな」
「姉さんはどんなものを作ってくれてたの?」
「昼間から、わりと手の込んだもの。魚とか野菜を使ったメニューが多かったかな。DHAとか、クエン酸とか。頭がよくなるメニューなんて、笑っちゃう」
「比奈ちゃんや慎ちゃんのこと、ちゃんと考えてくれてたのよ。......比奈ちゃん、家の様子はどうだったの?」
「普通」
そう言って、口いっぱいにラーメンを頬張った。ため息を1度つき、晶子も箸を持ち直した。2人でラーメンをすする。スープを飲もうとすると、頭の中で声が響いた。
あんなもの飲み干すなんて、信じられないわ。脂と塩のかたまりじゃない。
歩美の母だ。鈴木家で夕飯をごちそうになりながら、テレビを見ていたときだった。有名ラーメン店のスープを、お笑い芸人が両手でどんぶりを持ち上げ、ごくごくと飲み干している様子を見ながら、嘆くように言っていた。だが、おかまいなしに弘樹は、部活の後の1杯が美味いんだよな、と言い、歩美の父も、飲んだ後も美味いんだ、と言っていた。
あんんたたちったら、と歩美の母は愚痴をこぼしながらも、でも確かにおいしそう、とつぶやき、それを聞いて、歩美と比奈子は笑った。

2人でおそるおそる画面に目を向けると、軽やかな音楽とともに、チキンと季節の野菜をトマトソースで煮込んだ料理が大きく映し出された。
比奈子の好きな、母親の得意料理だった。

ありがと。今おばさんち。ラーメン食べたら、元気でちゃった。溶き玉子みそラーメン、メチャ美味っ!(送信)

おごるから、と言うと、はりきってコーラとフライドポテトの大盛りを注文した。

「手作りのお弁当だなんて、あなたもマメねえ」
美和子がお惣菜コーナーで買ってきたいなり寿司をほおばりながら、真弓の弁当をのぞき込んでくる。からあげ、ミートボール、ふりかけご飯、彩花から文句の出ない貴重な組み合わせだが、自信を持って見せられるような弁当ではない。
「娘が中学生だから、ついでに詰めてきてきてるだけです」
(中略)
3つ入り126円のいなり寿司は美和子の定番昼食だ。全部食べ終え、熱いお茶をすする美和子から優越感は感じられない。本当に大変なのかもしれない。

人数合わせのために連れていかれた合コンで知り合い、つきあい始めて約半年、初めはチャーハンだのハムエッグだの、休日のおそい朝食のようなメニューだったのだが、徐々に手の込んだものになってきている。
それに伴い増えてきた台詞が、ママがね、だ。ママに料理を教わり、ママが献立を考えて、材料まで買ってきてくれるらしい。

料理が上手で、受験生の頃はよく夜食も作ってくれた。あの人の影響を受けてか、自炊でうどんやラーメンを作るときは、必ず仕上げに溶き玉子を入れるようにしている。

外階段を上がり、玄関ドアを開けると、濃厚なデミグラスソースの香りがもわっと顔を覆ってきた。この暑いのにビーフシチューかとやや胃がもたれそうな気分になったが、冷房でキンキンに冷えた部屋に入った途端に食欲が湧いてきた。
(中略)
風呂から出てテーブルの前に座れば、明里は冷凍庫で冷やしたグラスとビールを持ってきて、注いでくれるはずだ。それを飲んでいるうちに、テーブルの上にはビーフシチューやサラダの皿が並べられる。自分はそれを腹一杯食べるだけ。

携帯電話をバッグのポケットに戻し、ぼんやりとガラス張りの戸口を見ていると、サラリーマン風の男の姿が見えた。キャスターがついたカバンを片手で引き、もう片方には大きなカップを持っている。カップが熱いのか、一度カバンを立て、あいた手でカップを持ち替えた。自動ドアが開き、男が入ってくると待合室中に濃厚な、みその香りが漂った。
カップラーメンだ。
自己主張の強いみその香りに惹かれ、待合室にいる全員が、向かい合わせになった中央の椅子に座っておいしそうにラーメンをすする男の方をちらちらと見ている。つい最近、同じようなものを食べたばかりだというのに、比奈子もやはり、香りにそそられ男の方を見た。
昼食は、学校に行く前に晶子に作ってもらったチャーハンを数口食べただけ。
(中略)
潮風が心地よく、半袖の腕が肌寒く感じるくらいで、熱いラーメンを食べるにはちょうどいい。
比奈子も慎司も無言でラーメンをすすった。食べているあいだは無口になっても気まずくないし、余計なことを考えなくてもいい。徐々に箸にからんでくる麺の量が少なくなっていくのが残念でたまらなかった。

疲れ果て、昼食もとっていなかったことに気付き、国道沿いにあったショッピングモールに入った。フードコートでオムライスを食べ、コーヒーを飲んでいるうちに、少しずつ気分が落ち着き、うとうとしてしまったのだ。

美味いコーヒーだと、ひと口飲んで啓介は思った。壁紙の貼り替え作業が終了すると、依頼人がリビングにお茶の用意をしてくれた。熱いコーヒーとチョコレートケーキだ。
(中略)
「いえ、仲が良さそうでいいですね。うちは娘一人だから。それにしても、このケーキおいしいですね」
「まあ、嬉しい。わたしの手作りなんです。よかったら、娘さんに持ってかえってください。うちで全部食べるとカロリーオーバーになっちゃうので」
依頼人は啓介の返事も待たずに立ち上がり、ダイニングテーブルに向かった。父親がもらってかえった手作りケーキなど、彩花は喜ぶだろうか。
「パパのぶん、大きすぎだよ」
「そうそう、メタボなのに」
「いいの、カカオはからだにいいんだから」

電子レンジで解凍したからあげ、生野菜のサラダ、みそ汁。パートで疲れた日によくやりがちなメニューで食事の支度をすませた。
(中略)
からあげを口に運び、飲み込む。冷凍食品のからあげは歯ごたえが悪いと、いつもなら文句が出るのに、黙ってみそ汁のお椀を手にしている。疲れているのだろうか。
(中略)
彩花の好きなハンバーグを作ろうと思っていたのだ。中からチーズが溶け出したら驚くだろうと、新発売のチーズも買ってきた。それを作る気力を奪ったのは彩花だ。

手作りのチョコレートケーキが入った紙袋を手に、坂道を上る。彩花に喜んでもらえるようにと、依頼主は有名なチョコレート店の紙袋に入れてくれた。

夕食をまだ取っていない良幸はハンバーグセットを、つい半時間ほどまえにカップラーメンを食べた比奈子と慎司はSサイズのピザとドリンクバーを注文した。
(中略)
我が身かわいさに帰ることをためらい続けたのに、比奈子はまったく疑っていない。美味そうにピザを頬張っている。カップラーメンを食べたと言っていたが、まだまだ食欲はあるようだ。2切れ目に手を伸ばしている。
良幸は目の前の手つかずのハンバーグの皿を見た。バスに乗っているあいだじゅう、空腹で腹が鳴り、降りたらまず何か食べようと思っていたのに、いざ目の前に料理が運ばれると、手を付ける気にならない。口にいれて噛み砕いても、飲み込める気がしなかった。
比奈子はあっというまに、ピザを半分平らげた。
「慎司、食べないの?」
2人で1枚を頼んでいたからか、自分の分を食べ終えた比奈子が慎司に訊ねる。
「ああ、うん。お腹減ってないから。姉ちゃん、食べてよ」
慎司が俯いたまま答えた。
「じゃあ、遠慮なく」
比奈子がピザに手を伸ばした。良幸は向かいに座る比奈子と慎司を見比べた。比奈子がピザを頬張っている横で、慎司は黙り込んだまま、コーラをストローでちびちびと飲んでいるだけだ。
(中略)
その姉はドリンクバーで入れてきたコーラを飲みながら、メニューをめくっている。まだ何か食べるつもりだろうか。図太い神経がうらやましい。兄は冷めてしまったハンバーグを、女の子が食べるように小さく切って、ゆっくりと口に運んでいる。

「何これ」
彩花がテーブルの脇に置いてある紙袋に気が付いた。有名なチョコレート店のものだ。さと子がまた、持ってきていたのだろうか。
「ああ、お客さんにもらった手作りのチョコレートケーキだ。さっき来てた子たちの。娘がいるって言ったら、お嬢さんにどうぞってわけてくれたんだ」
啓介が答えた。彩花が袋を手に取り、中をのぞき込む。
「ふうん。食べてみようかな。でも、こんな時間だし、にきびできても困るしな......。ねえ、一緒に食べようよ」
そう言って彩花は啓介と真弓を交互に見た。
「そうね。じゃあ、紅茶でも淹れようかしら」
真弓はあわてて立ち上がった。

湊かなえ著『夜行観覧車』より