桐野作品の中ではあまり楽しめなかったのだが、仁藤夢乃氏の解説がよかった。
食の貧しさが心のすさみに直結しているのが伝わってきてつらい。
自炊のみならず、かれらが選ぶ外食もことごとくチャチくてまずそう。
ごくまれにまともな食事を出されるとかえって食べられなかったりして。
レストランの人前で塩かけご飯をしてしまったり、箸がうまく使えなかったりする子、リアルだ。
タバコをほとんど見かけない昨今、室内で喫煙する描写に20年前の東京の空気の淀みを思い出す。
腹が鳴った。昨夜、マックでチーズバーガーを食べたきりだ。真由は、冷蔵庫を物色したが、柴漬けや納豆くらいしか食品がなかった。だが、隠したつもりか、野菜室に封を切っていない竹輪が入っていた。しけてると思ったが、素早く制服のスカートのポケットに滑り込ませた。
炊飯ジャーを開けると、ご飯が2膳分くらい残っていた。乾いて色が変わっていたから不味そうだったが、空腹だった真由はしゃもじで飯をすくい取った。食べようと顔を近づけた時、いきなり襖が開いた。ダイニングのテーブルに、パン屑が落ちていた。冷凍した食パンを焼いて、子供たちが半分ずつ食べて学校に行く。飲み物は麦茶だけ。子供たちは給食があるという理由で、朝食はそれしか食べさえてもらえない。だが、トーストのみの朝食も、真由の分はない。
「真由ちゃん、旨い?」
厨房の中でスープの味見をしていが木村が、レードルを持ったまま、わざわざカウンターまで来て訊ねた。
「はい、美味しいです」
今日の賄い飯は、野菜スープに、甘辛く煮た豚肉を飯に載せたルーローハンだった。賄いは、店のカウンターの一番端で交代で食す。「何食べたい? 好きなもの言いなよ」
「本当にご馳走になってもいいんですか?」
「何でも言いな。お近づきのしるしだからさ」
(中略)
「じゃ、ビーフシチュー」
遠慮しながら言った。
「上品なものを食うね」
ミックにからかわれた。
ビーフシチューは、たまに食べたいと夢見る食べ物のひとつだ。母親の得意料理だったからだ。もっとも、父親の始めた飲食店を手伝うようになってからは、滅多に作らなくなってしまったが。
ミックは、チーズ入りハンバーグを注文して、真由に向き直った。
(中略)
ミックは、ライスにたっぷりと塩を振りかけ、不器用そうに食べ始めた。フォークで掬い上げる端から、ライスがぽろぽろと皿にこぼれ落ちる。全部食べ終わるのに、時間がかかりそうだった。
真由がその様子を眺めていると、照れ臭そうに笑った。
「塩かけご飯が好きなんだ」
「美味しそうに見える」
真由は唾を飲み込んだ。
「真由はたんもこうやって食べるの?」
真由は、ゆっくり頭を振った。やりたくてもできない。
叔父の「家」の夕飯は、スーパーで安売りになるのを待って買った惣菜がほとんどだった。それも淡水化物や揚げ物が中心で、サラダや肉類は滅多に買わない。ご飯は炊いたり炊かなかったりで、たとえ炊いたとしても、真由は茶碗一杯も貰えなかった。
「はいはい、ダイエットね」
幸恵に突き出される飯茶碗には、ご飯が半分くらいしか入っておらず、あっという間に食べ終わってしまう。それと、惣菜のコロッケ1個程度の夕飯では、到底足りなかった。しかも、真由の分の朝食はない。
(中略)
弁当を持たされないのに、台所で調理するのも許されていないから、自分で弁当を作ることもできない。真由は、昼休みは菓子パン1個、もしくは何も食べずに過ごした。何ごともなかったかのように席に着いて、冷たくなったハンバーグとライスを食べ始める。ハンバーグから流れ出たチーズは、とっくに黄色く固まっていた。
「ほんとごめんね。そうだ、サラダバーとドリンクバーに行きなよ。それから、ここでスマホの発電するといいよ」
ミックがサラダバーやドリンクバーも注文してくれたので、真由は立ち上がった。惣菜に付いている千切りキャベツだけでは物足りなかったから、久しぶりに生野菜が食べられるのが嬉しかった。
野菜をてんこ盛りにした皿を持って席に戻ると、ミックはものすごい速さでメールを打っていた。ちらりと真由を見上げただけで、何も言わない。
「すみません、サラダ頂きます」
眉が断ったのに、ミックはメールに没頭していて、何も答えなかった。
レタスやキュウリを腹一杯になるほど食べた真由は、ドリンクバーで紅茶を作った。香りなどまったくしないティーバッグだったが、お茶とは無縁の生活をしているから、美味しく感じられる。
(中略)
「これ、忘れないで」
驚いて手に取ると、自分の分のビーフシチューや、ドリンクバー、サラダバーなどが別会計になっていた。教室の中は、椅子や机が飛んできて危ないこともあるから、真由はいつも校庭に出て、菓子パンやコンビニの握り飯を食べることにしていた。今日は、1個百円で売っていたコンビニの握り飯をひとつ。
水飲み場で喉を潤してから、辺りを見回した。冷蔵庫には、納豆のパックと卵があるだけで、めぼしい物はない。思い付いて、小さな鍋で卵を5個茹でた。戸棚にカップ麺を見付けて、素早くリュックに入れる。
(中略)
茹で卵とカップ麺と現金。これらを、餞別代わりに貰って行くことにしよう、と思ったら、笑えてきた。5時に店の隅で、麻婆豆腐の賄い飯を食べてからは、ほとんど立ちっぱなしだった。
厨房でラーメンを作っているのは、木村の二番弟子で三十代の山本という男だった。黒縁の眼鏡が湯気で曇っている。木村が太い腕を組んで、弟子がラーメン丼に1枚ずつチャーシューを入れる様を睨んでいた。
一番弟子はチーフと呼ばれている中年男で、口数が少なく滅多に笑わなかった。今は入り口に背を向けて、餃子を焼いていた。冷たく甘い液体が旨くて、真由は一気に半分飲んだ。ジュースやコーラは真由には贅沢で、飲みたくても飲めない。
木村は気付かないふりをして、チャーシューを切っている。チーフは何食わぬ顔で、丼鉢に汁を注いでいた。
リオナは、ポテトチップスの袋を真由の方に向けた。
「これ食べない?」
真由が首を振る。
「要らない。あまり食欲ないから」道玄坂方向には行きたくない、と真由が言うので、リオナは宮益坂にあるチェーン店の定食屋に誘った。リオナは魚のの煮付け定食、真由は鶏の味噌焼き定食を頼んだ。
真由はこんな店があることも知らなかったらしく、」お味噌汁が飲みたかったんだ」と嬉しそうに言う。
(中略)
真由は、鶏の味噌焼き定食の皿に少し残ったマヨネーズを、箸の先で集める作業に熱中するふりをしている。「リオナは、コーラ飲みたい。真由もそれでいいって」
(中略)
「秀斗、ポテチある?」
リオナはポテトチップス中毒だ。コーラとポテトチップスだけで生きていると言ってもいい。
「あるよ」秀斗が冷蔵庫の横にあるレジ袋を覗いた。
「何味買ったの?」
「コンソメ」
「何でだよー」リオナは唇を尖らせて怒鳴った。「リオナはさ、しょうゆマヨが好きだって言ったじゃんか。何で買わないんだよ」
(中略)
「じゃ、コンソメ味でいいから、持ってきてよ」
秀斗が、素直にコーラとポテトチップスの袋をローテーブルの上に置いた。リオナはポテトチップスをパーティ開けにして、真由の前に置いた。
「食べようよ」「ああ、リオナ沢庵食べたいなあ。ある?」
「あるよ。持ってくる」
秀斗が嬉々として、冷蔵庫から沢庵が並んだ白い皿を持ってきた。ラップを取って割り箸を添えて、リオナに渡してくれる。ソファに腰掛けて、見たくもないニュース番組をぼんやり眺めている。ポテチの袋から、4、5枚掴んでは、ぎゅうぎゅう口に押し込む。ポテチの破片で、口の中が切れた。強い塩味が粘膜に沁みる。リオナはそんな食べ方しかできない。
油で汚れた指を舐めてから、噛み切って短くなった爪を眺めた。誰もが優しくしてくれて、シフォンケーキと紅茶をご馳走になった。温かい紅茶を飲んだのも初めてなら、手製のケーキを食べたのも初めてだった。コンビニのペットボトルしか知らないリオナは、紅茶の葉っぱという物を初めて見たのだった。
同級生に、比較的仲のよい母子家庭の子がいたので、リオナは一人でコンビニの握り飯やカップ麺などの夕食を食べた後、その子の家に行った。
「あたし、コーラ飲みたい」
リオナは背の高いスツールに苦労して腰掛けてから、答えた。
祖母は冷蔵庫から、コーラのペットボトルを出してカウンター越しに渡して寄越した。自分は缶ビールを開けて、乾杯の真似をする。翌朝、リオナはまだ寝ているキミエを起こさないように一人で起きて、コンビニで菓子パンを買った。それをバスの中で食べながら中学に向かった。
帰宅してからは、キミエと布団をひと組買いに行き、観光客が並ぶ名物カレー屋で、カレーライスを食べさせてもらった。夕方はスーパーで、ミックスナッツのようなつまみを仕入れるなどして、6時半きっかりに店を開ける。そして、深夜の2時まで営業。休みは日曜だけ、という日々を淡々とこなしていた。
キミエは、食にはまったく興味がなく、いつもカレーや牛丼、蕎麦などを食べていた。毎日同じ物を食べても全然平気で、ポテトチップスしか食べたくないリオナは、むしろ楽だった。「これ、お土産」
バッグの中から、コンビニの袋を出した。おにぎりが6個と、麦茶のペットボトルが3本入っていた。
「ばれなきゃいいんだけどね」持参したコンビニのおにぎりを食べていたミトは、急に緊張した面持ちで、真由を見上げている。
秀斗の家には、ヤカン以外は鍋も釜もなかった。だから、近くのスーパーで安い鍋やどんぶりなどを買ってきて、インスタントラーメンを食べたり、うどんを茹でたりして凌いでいる。
リオナは、ポテトチップスとコーラさえさればそれでいいというほど、食にはまったく興味がないし、ミトは悪阻で苦しんでいる。だから、真由がほとんど三食を賄っていた。
真由は、かねてから自炊したいと思っていたので、キッチンを自由に使えるのが嬉しかった。叔父の家を出る時に、冷蔵庫にあった卵を5個全部茹でて、持って出たのが、ガスコンロを使った最後だった。茹で卵なんて、料理とは言えないのだから、惨めな思い出だ。今夜は、出かけている2人のために、トマトサラダと豚肉炒めを用意した。秀斗には、豚肉炒めとおにぎりだ。
(中略)
「ご飯なら、用意してあるけど」
真由が口を挟むと、ミトが白い歯を見せて愛想笑いをした。
「真由、ありがとう。何を作ってくれたの?」
「豚肉炒めとトマトサラダ」
「へえ、美味しそうだね」ミトが心にもない世辞を言った。「あたし、豚肉大好き」
(中略)
ミトは痩せっぽちだだけれど、よく食べる。真由が適当に作った豚肉炒めを「うまい、うまい」と、がつがつ食べた。
(中略)
真由は、トマトを口に入れた。処分品だったから、萎びていてまずかった。吐き出したいのをこらえて食べた。ミトはさもうまそうに口に入れて「美味しいよ、トマト」とまで言う。
リオナは不器用そうな握り箸で、豚肉を掴もうとして何度も失敗し、そのうち面倒臭くなったのか、食べるのをやめてしまった。真由とリオナは、朝食の皿を持って納戸に行った。コンビニのおにぎりを1個と、ウインナー1本だ。少ないと思うが、お金がないから仕方がない。
「真由ちゃん、何か食べようよ。俺も食べるからさ」
ヨネダが勝手に、春巻やらパスタやらを注文している。真由は、外食などまったく縁がなかったから嬉しかったが、心配になった。
(中略)
フォークを持ったままヨネダが訊ねた時、パスタソースがテーブルに跳ねた。真由は、ようやくヨネダの行儀の悪さに気が付いた。
(中略)
真由は、春巻を頬張りながら答えた。硬く揚がっている春巻の皮の欠片が口の内側の粘膜を少し傷付けたが、旨かった。
中学を卒業するまで、食べ物に不自由したことなど一度もなかったのに、冷凍らしき春巻をこんなにありがたがって貪り食べている。自分はこれからどうなるんだろう。すると、どこからかインスタントラーメンの匂いが漂ってきた。刻んだ葱の匂いも。途端に、真由の腹が鳴った。
6畳間をカーテンで4等分に仕切っただけの空間だから、腹の鳴る音が皆に聞こえたかもしれない。真由が恥ずかしさに身を縮めていると、左のカーテンの下からにゅっと手が出てきた。
「あんた、お腹空いてるんでしょう。これ、食べる?」
袋入りの菓子パンを差し出している。最初に、「ここ、暑いでしょう」と話しかけてきた女からだった。皺んだ手は、声と年相応だ。
「いいんですか?」
「いいよ。あんた、まだ若いから、すぐお腹空いちゃうでしょう」と、その声が笑う。
「すみません」
真由は貰った菓子パンをそっと噛みしめた。コンビニでよく売っているような、チーズのかかった柔らかなパンだった。賞味期限は2日前に切れている。しかし、空腹だったので気にもならず、一気に食べた。
「すみません、ご馳走様でした」
礼を言うと、「どういたしまして」と、上品な返事が返ってくる。ヨネダと真由は渋谷駅の方に歩いて行き、坂の途中にあるうどん屋に入った。奥のテーブル席に座り、真由が冷やしたたぬきを選ぶと、ヨネダはビールにおかめうどんを注文した。
(中略)
天盛りうどんと生ビールを注文した南が、ヴィトンの名刺入れから、名刺を1枚出して、真由に渡して寄越した。
(中略)
天盛りうどんが運ばれてきたため、南は言葉を切って割り箸を割った。うどんを数本箸で掬い上げ、つゆに浸けて勢いよく啜った。
「まあまあだな、これ」と、ヨネダに向かって同意を求めた。真由は焦りながら、コンビニに入った。隣の女に貰った菓子パンを返すつもりだ。
パンの側から、似たようなチーズのかかった菓子パンを選んで、レジで金を払った。
(中略)
やがて、がさがさとパンの包みを開ける音がした。女はよほど空腹だったのか、真由に貰ったパンをすぐに食べている。甘い匂いが真由のところにも届いた。リオナは首を振って、メニューに目を落とす。食事のことはあまりわからないから、どうでもよくなる。
「あたし、久しぶりに、ほっけ食べようかな」
真由が弾んだ声で言った。
「ほっけって何?」
「ほっけ知らないの? 北の魚だよ」
呆れたような声を上げてから、真由がはっとしたように口を噤んだ。
「ごめん。変なこと言って」
「いいよ、謝らなくても」と、苦笑する。「あたし、ちゃとしたご飯を食べたことないから、食べ物のこと、全然知らないの」
母親はほとんど食事を作らず、子供の時から、マックやケンタッキーなどの外食か、コンビニ弁当ばかり食べていた。そのうち、それも面倒になって、スナック菓子で済ませていた。祖母と暮らしていた2年近くは、2人して近所の食堂をぐるぐる巡っていた。だから、食材や調理法に関する知識が欠如している。リオナは苦笑いをして、ドリンクバーと、豚と野菜の蒸し鍋定食を注文した。真由はほっけの炭火焼き定食だ。
「秀斗、どうしたかな?」
真由がドリンクバーから取ってきたアイスティーに、ストローを差しながら呟いた。
(中略)
真由が真剣な表情で言い出したのは、リオナが五穀米に塩を振っていた時だった。
(中略)
リオナは、真由の皿を見た。半身の魚の骨が綺麗に残っていた。魚の食べ方がうまい。この子は健康的に育ってきたんだと思い、真由の必死な心を思うとリオナも泣きそうになった。「腹減ったね。朝マックしようか」
リオナが誘うと、真由が頷いた。
「マックくらいなら、まだお金があるからリオナにおごる」マックで、ソーセージエッグマフィンを口いっぱいに頬張った真由が、ようやく呑み込んだ後、まだ口を動かしながらリオナに訊ねた。
(中略)
マックのコーヒーは熱くて薄い。舌を火傷しそうになったリオナは、慌てて紙コップの水を口に含んだ。
(中略)
真由が何も知らずにマフィンを食べている間、リオナはプロフを作った。「リオナ、結構、病院食ってうまいよ。あ、リオナはポテチで生きてるから関係ないか。あんた、イモ好きだもんね」
「ヒカリエにいるんだったら、サダハル・アオキのマカロン買ってきて。甘いの食べたい」
「わかった。じゃ、行こうか。鎌倉のお嬢さんなら、食いものにうるさいんじゃないの。何がいいの」
リオナは絶句した。ポテチで生きている時だってあったのだから、特に食べたいものもないし、料理の種類も知らない。
「ラーメンでいい」
面倒になって言うと、鈴木が呆れたように笑った。
「お嬢さんが、ラーメン好きか。庶民的じゃないの」
(中略)
カウンターの席に、鈴木と並んで腰掛けた。鈴木は、ラーメンをふたつと餃子ひと皿、ビールを頼んでいる。脂がぎらぎら浮いたラーメンが運ばれてきたが、リオナはこの店の2階で起きたことを想像して、食欲が湧かなかった。脂身の多いチャーシューや、汁を吸ってふやけた海苔をぐずぐず食べていると、店主がカウンター越しに覗き込んだ。
キッチンからは、カレーの匂いが漂ってきている。誰かが作ってくれたカレーライスを食べたい。思わず涙が出そうになり、真由は慌てて顔を洗った。
(中略)
カレーの皿を並べていた桂が、振り向いて微笑んだ。テーブルの上には、野菜サラダの大きなボウルもある。
「はい、ありがとうございます」
桂がトングをかちかちと合わせた。
「たくさんサラダ取ってね」
「はい」と返答しながら、遠慮なく皿にたくさん盛った。市販のドレッシングをかける。家では、母の手製だったと思い出しながら。
「いただきます」
レタスを幾枚もフォークに突き刺して口に入れた。ファミレスのセットじゃなくて、コンビニで買ったサラダじゃなくて、誰かが野菜を洗って切って混ぜて作ってくれる野菜サラダは新鮮で美味しい。
「さっき、叔父さんと話したよ」
カレーを食べていた桂が、突然言った。真由はスプーンで掬ったカレーをしげしげと眺めた。桂が作ってくれたカレーは、市販のカレールーを使ったポークカレーだ。子供向けなのか、少し甘い。
真由の父親は調理師だが、家で作るカレーには、市販のルーを使っていた。でも、父のカレーは、どこよりも美味しかった。何を入れたら、あんなに美味しくなるのだろうか。父親が作ってくれたから、美味しく感じたのだろう。でも、もう父親のカレーを食べることはないのかもしれない。翌朝は、トーストと紅茶、ヨーグルトの朝食を馳走になった。
茶碗に半分しか盛られていないご飯。実のほとんど入っていない薄い味噌汁。おかずがなく、ご飯に食卓塩をかけて食べたことだってあった。
あれは貧しさというよりは、苛めではなかったか。コンビニで、弁当や惣菜、リオナの好物のポテトチップスなどを買い込んで、2人で神泉のラブホに泊まることにした。
店が開店するまで、近くのコンビニでおにぎりを買って立ち食いして待った。
桐野夏生著『路上のX』より