SNSをやっていないサワ先輩みたいな人間のひとりにとっても「わかる」ポイントの多い話だった。
一緒に過ごしていた友達が気づかないうちにほぼリアルタイムで加工まで施した写真を投稿していて、後で「いつの間に!」とビビる、というのは私も経験ある。
自分の就活を思い出すよね。
さすがにもう紙焼き写真は要求されないと思っていたのだが、この小説ではまだそこに金と時間をかけてて大変そう。
それから、この小劇場シーンが懐かし過ぎて震えた↓
開演前、背もたれのない座席の上には、公演チラシの束がどさっと置かれているようなところだ。
私の頃はまだゼミの中に卒論を手書きで出す人がいる程度のPC/ネット普及率だったので、当然、置きチラは宣伝活動の中でも一番重要だった。観る側としても置きチラでつながったことはめちゃくちゃ多い。でも、SNS全盛でもまだやってるとは...。
ツイッターが崩壊までいかなくとも、また若者が使うSNSが移ろっていったらこの小説の読まれ方も『なんとなく、クリスタル』(古)みたいに変わるのだろう。
ジンバックといっても、ほとんどが氷とジンジャーエールだ。てのひらがぷんと甘く匂う。
串焼きの盛り合わせは、一度すべての具材を串から抜くのがスタンダードだと知ったのも、あのときだった。高校を卒業したばかりのくせに光太郎はビールを飲みなれているように見えたし、俺は梅酒のソーダ割りばかり飲んでいた。
まかないで食べたたらこクリームのシーフードパスタが、胃の中でどんどん消化されていくのが分かる。一歩踏み出すたび、嚙み砕いた炭水化物がさらに小さくなって、さほど重要な栄養にもならずに消えていく感触がする。
スーパーに入り、チャーハンの素と、豚肉のバラと、納豆と、牛乳を買う。
(中略)
ついいつも買ってしまう、牛乳の近くに置かれている乳製品のカップデザートを、今日はふたつ。無事、サークル引退ライブを終えた光太郎の分も、買っておいてやる。
(中略)
「飯は?」
「まかない食ってきた」
光太郎はレトルトのカレーを食べたようだ。ルーが付いた皿と大きな銀のスプーンがシンクに置いてある。基本、ふたりともあまり料理はしない。交代で買う約束の米を、こまめに3合ずつほど炊いておいて、おかずはレトルトだったりスーパーで買ってきた総菜だったりすることが多い。
(中略)
豚肉、たまねぎ、キムチ、卵、魚肉ソーセージ、何だかんだ炒めたりするだけでおいしくなる類の食材くらいは冷蔵庫に常備している。あとはマヨネーズに焼き肉のたれ、粉末状のカレー粉、めんつゆ。料理に詳しくないひとり暮らしにとって、これらの調味料は魔法のアイテムだ。光太郎の分も買ったカップデザートは、結局、何も言わずに冷蔵庫に片付けてしまった。スーパーで見たときは、散々冷されて固まってしまった生クリームの筋も、毒々しいくらい赤いいちごのソースももっとおいしそうに見えた。
4分の1カットの冷やしトマトを無理やり口に含んだまま、ええええ、と低い温度で驚く俺を前にして、光太郎は照れくさそうに笑った。
姉ちゃんの勝手に使ったら追いかけ回されて殴られましたもん、と、女きょうだいにしては過激なエピソードを披露しながら、後輩はトマトクリームパスタを食べ始めた。深皿にはほんの少しのパスタしか入っていないのに、この子はいつもそのまかないをちょっと残す。
光太郎が買ってきた差し入れの中には、ビールと、みんなでつまめるおつまみと、果実系のサワーと、ペットボトルのジンジャーエールが1本入っていた。
みんなで飲むための2リットルのソフトドリンク枠としてのジンジャーエールではなくて、誰かがひとりで飲むことを見越した、500ミリリットルのジンジャーエール。「ビールも飲み始めたことだし、ちょっとおつまみ作るね。豚キムチとかでいい?」
うわー、すんません! と光太郎はわかりやすく両手を合わせる。
(中略)
「マヨネーズとキムチがあるから、豚キムチマヨにしちゃお」キーワードだけで涎が出てきそうになる言葉を聞きながら、俺は思った。
(中略)
興奮した様子の光太郎がチーズ味のカールの袋に手をかけたとき、ガチャリと大きな音がして、呼び鈴も鳴らずにドアが開いた。ちくわの輪切りとしょうゆとマヨネーズを持ってきてくれたサワ先輩が、すっとんきょうな声を出した。
「いや、何でもないす」
たくさんあるちくわのうちの1つに、つまようじが2本、刺さっている。
「何だよ急に。もうアタマ疲れちゃったか?」
マヨネーズとしょうゆを和えて、そこにちくわをつけて食べる。俺の好物を、サワ先輩はいつも出してくれる。スナック菓子の袋を開けると、光太郎はみんなが食べやすいようにその袋をテーブルの真ん中に置く。
写真には、小さなテーブルの上に所せましと並べられた缶ビール、コンビニで買ってきたおつまみ、理香さんが作ってくれたタコのカルパッチョなどの手作りのおつまみが写っていた。
隆良はさっきからずっと、ビールをジンジャーエールで割っている。割っているといっても、その割合は、ジンジャーエールが80パーセントくらいだ。
座敷の端っこでぽりぽりとナスの漬物をかじっている俺たち3人組を気にしていない。瑞月さんはずっとジンジャーエールを飲んでいた。最初から最後までジンジャーエールを飲んでいたので、なんだかやたらおいしそうに見えてしまって、俺まで1杯頼んでしまった。居酒屋のジンジャーエールは甘すぎて、しょうがの味なんて全くしなかった。
光太郎は冷蔵庫からパックのコーヒー牛乳を取り出す。喉が焼けるように甘ったるいそれが、光太郎の好物だ。
ごはん大盛りの豚の生姜焼き定食から生まれるエネルギーが、酷使によりところどころ溶け落ちてしまっている脳のいたるところを順番に補完していってくれている。
「疲れたし、お腹も空いたし、もうパワーゼロって感じ」
オーダーの際、俺の大盛りに瑞月さんも倣ったので少し驚いた。
(中略)
瑞月さんがキャベツも含めて定食をほとんど食べ切ったころ、やっと、冷静に話ができるくらいに落ち着いた。
(中略)
舌がザラザラになってしまうくらい熱かった味噌汁が、やっと適温になった。俺は少し余ってしまった元大盛りごはんをよく咀嚼して、味噌汁でノドへと流し込む。瑞月さんも味噌汁だけは残していたようだ。光太郎に「お前はこれでも飲んでろ!」と勝手にナタデココヨーグルトドリンクのボタンを押された。開演前にナタデココなんて全く飲みたくなかったので、出てきた缶を光太郎に押し付け代わりに120円を奪い取る。
(中略)
ナタデココめちゃうまだな、と光太郎は目を丸くする。「実家の母ちゃんから送られてきましたー! 俺の親戚んちでできたイチゴでっす! 俺に似てイチゴもイケメンです!」
「嬉しい! スーパーだと高いんだよね、イチゴって」
イケメンのくだりをまるっきり無視して、理香さんは台所に立った。俺たちが持ってくるおみやげを、理香さんはいつもすぐに出してくれる。
(中略)
ハイ、と、イチゴがこんもりと盛られた白い皿を理香さんは差し出してくれる。「コンデンスミルクがなくてごめんね」小さな種をたくさんまぶした真っ赤な肌が、透明な水をぴんぴんと弾いている。
(中略)
冷えていないイチゴにはほんものの甘さがぎゅっと詰まっていて、どんどん食べてしまう。
(中略)
社会人の人とやりとりしてんの見たことあるかも、と、光太郎はぺらぺら名刺を見ながらぱくぱくとイチゴを頬張っていく。自分で持ってきたおみやげなのに、ヘタだけ人に取ってもらって、ほとんどを自分で食べつくしてしまう勢いだ。俺が作ってやった味玉(半分に切ったゆでたまごをめんつゆの中に浸しておくだけ)をバクバクと食べながら、光太郎はビールを飲み続けた。
(中略)
ゆでたまごはもったりしていて喉に詰まるから、それを流し込もうとして余計にビールが進んだ。「何作ってるの?」
「光太郎シェフ特製! 絶品キーマカレ~」こちらに背を向けたまま、光太郎は歌う。「来られなかったあいつら、いつか後悔で泣くことになるぜ~♪」
「お前、そんな凝ったもの作れたっけ?」
光太郎シェフ特製絶品ラーメンを作るために湯沸かしてるとこしか見たことねえけど、とからかってみると、「チッチッチ、相変わらず君は人の嫌なところしか見てないね」と、光太郎はわざわざこちらに顔を向けてニヤリとした。腹が立つ。
「お前ら知らないだろ? パスタに使うインスタントのミートソース、あれってカレー粉が入ってないだけでキーマカレーの材料とほとんど一緒なんだぜ」
(中略)
「だから、レトルトのミートソースにお好みの量のカレーパウダーとお好みの野菜をお好みのサイズで入れれば簡単にお好みのキーマカレーができるってこと。お好みでチーズとか入れるとさらにお好みの味になるんだぜ」
「お前お好みって言いたいだけだろ」
(中略)
「わ、おいしそう!」レトルトのミートソースにはひき肉が加えられており、表面には溶けたチーズが円を描いている。ひき肉の他にマメやナスも追加されているようで、まるで個人経営のカフェで出てくるメニューみたいだ。
(中略)
「すごいすごい、おいしそう」
思ったよりもちゃんとしたキーマカレーだね、と、理香さんが身を乗り出す。
(中略)
「だからってフライパンのままってありえねえだろ......」
「え? 何で? 最終的に一番キーマカレー味わえるの拓人だよ? 焦げ目とかうまいよ?」
ハイ、いただきまーす、と光太郎が料手を合わせる。フライパンの上にどんと盛られた白飯を、俺は箸で崩していく。
(中略)
すこぶる食べにくいけれど、味は確かにおいしい。光太郎がこんなものを作れるなんて、俺は知らなかった。
「わ、ちょっとこれおいしいじゃん」
理香さんも、一口食べてすぐに目を見開いた。
「たっぷりトマトのキーマカレーって感じ。自分で作ったらこうはならないもんね」
(中略)
「プリンって、フレンチトーストを作るための材料と実は全く一緒なんだよ。だから食パンの両面にぐちゃぐちゃにしたプリンを塗りたくってそのままフライパンで焼けば、フレンチトーストのできあがりってわけ~♪ しかもカラメル風味~♪」
光太郎は家の中だとすぐ歌う。
「あれ、フライパン汚れまくって迷惑なんだけど」
「うるせえな今そのフライパンで飯食ってるくせに」
(中略)
「そういえばいま、私んちにちょっと珍しいチョコレートがあるんだよね。ホストファミリーが送ってくれたやつ。デザートに取って来ようか」
ついでにお茶も取ってきたほうがいい? と、空っぽになった2リットルペットボトルを横目で見ながら、理香さんが椅子から腰を浮かせた。キンキンに冷やしておいたペットボトルのジンジャーエールは、小さな小さな水滴をまとって全身を白く曇らせている。瑞月さんが握りしめている部分だけが、カラメル色に透き通る。
(中略)
乾杯を終えると、理香さんのホストファミリーが送ってくれた珍しいチョコレートや光太郎特製のキーマカレー、光太郎の親戚特製のイチゴはもちろん、いろんなものがテーブルの上に並んだ。それだけでもう腹が満たされたような感覚に陥る。
(中略)
最近は短編映画も撮ってるみたいだし、と誰にともなくつぶやきながら、隆良はブラックオリーブとベーコンの入った卵焼きを食べた。隆良の好きなブラックオリーブを使って、理香さんが作ったものらしい。
(中略)
一般職ってわけじゃないの? と、理香さんは俺特製の味玉を頬張る。ベーコンとブラックオリーブを使った卵焼きの隣にめんつゆにつけた味玉があったりして、テーブルの上は統一感がない。
(中略)
一口チーズを包むセロハンの両端を引っ張りながら、理香さんはにこりと笑った。
(中略)
光太郎のキーマカレーはすっかり冷めてしまっていた。光太郎は、自分のためには全く料理をしないけれど、誰かのためにならおいしい料理を作ることができる。
(中略)
瑞月さんが、自分の家から持ってきたポテトサラダを取り分け始める。砕いたポテトチップスが中に入っていておいしい。「ごめん、ありがとう」と、隆良も取り分けてもらったポテトサラダを受け取っている。待ち合わせ前に我慢できなくなってファミチキ食っちゃった、と俺の価値観からするとありえないことを光太郎は普通に言う。
(中略)
「何、このチーズ豆腐? ってやつが人気なの?」
「おいしいよ、私食べたことないけど」
朝井リョウ著『何者』より