たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

家の献立『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(22)

私の世代でも、「家で食事を用意してくれるのは家族以外の人」という子はたまにいた。商売をやっている家の子とか。

たべものに淡白で、クッキーにバタをぬって、
「こんなおいしいものはない」
といってるのだから、簡単なものだ。
姉も私も下の弟も甘いお菓子はあまりたべないのに、彼は甘党で、こどものころは、さつまいものキントンふうに煮たのがお膳にのると、ぴょんぴょんはねて喜んだ。
いわゆる食通の好むものはダメで、鯛の目玉にゾッとなり、塩からもいや、生かきもいや、スッポンは目をつむってのみこむというふうだ。
それにひきかえ、下の弟は、
「スッポンが食いたいな」
とふたこと目にはいい、このあいだ風邪気で寝ているので見舞いにいったら、枕もとには食べものの本を山とつみ、
「金沢のごり汁っていうのが一度たべてみたいんだ」
「北陸に行ってみようかな」
などとニコニコ顔で話す。

肉類はあまりたべなかったし、たべればトリくらいのもので、母がビフテキをたべたなどというのは見たこともなく、すき焼きをしても、野菜やおとうふだけ食べていた。
また「函館に行ってみたいわね」とときどき言うけれど、函館でたべた生いかの糸作り、とうもろこし、枝まめの味は忘れられないらしい。おすしをたべに行っても、父はまぐろの大とろが好きだが、母はとろはきらいで、白身の魚をたべる。しかし、姉のように日本食一点ばりではなく、西洋料理も好きだ。
お菓子はあずきのものが大の好物で、ゆであずき、氷あずきなど食べるときは、とてもうれしそうな顔をする。
(中略)
母は料理を好きという方ではないようだったが、母の作るカレーライスはとてもおいしかったことをおぼえている。たいてい献立はたてても、女中さんが作っていたようだ。

温泉に入って、手作りののいしいご馳走をたべて、熱海銀座をぶらついて帰ってくれば、長火鉢の坐ったおばあちゃんがかきもちを焼いてくれたり、あられをいってくれたりした。
祖母は自分が好きで、習いもしないのに工夫して上手な料理をする人だったから、すべて目分量の味つけらしく、教えたりするのはめんどくさがった上、人の味つけには満足せず、女中さんにさせるのをいやがった。

そのころ、本郷に「ひさご亭」というのがあって、メニューはスープとビフテキとライスカレーだった。お座敷で、ビフテキのやき上りにさっとうす味のしょう油をかけた日本的ビフテキだった。そんなこどものころ食べたメニューも思い出せるのは、いつもお墓参りイコール「ひさご亭」ときめていたからだった。
考えてみると、祖母は日本料理しか料理はしなかったが、年をとってから食べおぼえた牛肉やライスカレーなど西洋料理の味も好きで、私たちとたべに出かけることは楽しみだったのだろう。

マカロニかスパゲティがたべたいというので、私はホワイトソースに、いためた(バタは無塩バタまたはサラダ油を使うこと)トリのひき肉と玉ねぎのみじん切りを入れて、スパゲティとあえ、平たいグラタン皿にのせて上にじゅうぶんにパン粉をふりかけ、天火でキツネ色に焼いて出した。塩気ぬきのホワイトソースなど食べられた味ではないから、こげ味でたべてもらったわけだ。
しかしホワイトソースよりは、トマトの味の方がおいしいらしい。

「クーランデール」というのは、通り風とでもいうか、窓をあけていて反対側の戸をあけるとひゅーっと風がふきぬける、その風をいう。風の通るところに長く立っていたらリューマチになる。
「クーランデールのおかげで風邪をひいた」
そんな言葉はよく耳にするし、窓のあけたてにも大へん気をつかう。
「マル・オ・フワ」、これは「肝臓が悪い」という言葉で、ブドー酒入りのホワイトソースがかかった魚料理などパクパク食べていたら、
「マル・オ・フワになるよ」
という。

パエリア・ヴァレンシアーナは、サフラン入りの黄色いごはんで、貝やエビを入れてたき込み、トリや豚肉、ピーマンなどでかざりつけた、なかなか豪華なごはん料理だ。
高級レストランでは、炭火に鉄なべをのせ、目の前でたいてくれるが、このパエリァ・ヴァレンシアーナは、粗末な労働者専用の食堂でももちろんメニューにのっている。スペイン人のだれもがたべる料理なのだ。
しかしスペインではオリーブ油をいやというほど使うので、お米はギラギラ油でひかり、オリーブ油の匂いが鼻につく、しつっこい味つけだから、胃の弱い人などは一口たべただけでこりてしまう。
「油を少なくしてくれたらおいしいのにね」
とたいていの日本人が残念がる。
(中略)
バレンシア風のごはん料理は、その上にトリのももを焼いてのせ、えびも油で焼いてかざり、ピーマンもたて半分に切って、たねをぬいてから油でいためて盛りあわせる。黄色いつやつやとたきあがった貝ごはんの上に、赤いえび、茶色に焼きあがったトリ、緑のピーマンがのると、じつに美しいいろどりで食卓に花が咲いたようだ。お客さまに出すときは、大きな皿に一盛りにしてパセリのみじん切りをふりかけ、食卓の中央に出し、好きなように自分の皿にとりわけていただくとよい。
色どりの美しさだけではなく、内容も豊富だから、ヴァレンシア風のごはんの場合は、これにレタスのサラダでも作れば、ディナーとしてじゅうぶんだ。
日本では、黄色いいためご飯を作るときは、たいていカレー粉をつかう。カレー粉の入ったごはんも香りが高くておいしいが、サフランのほうが色が鮮明だし、香りもほのかでデリケートだ。

私たちも幸いケガはしなかったが、頭からおかずや水をあびて、小沢さんはマヨネーズだらけ、母も私も髪の毛にはグリンピースがのっていたり、とんできたシュークリームが服にぺたっとはりついたりで、髪も服もベチャベチャになった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より