たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

日本人会『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(19)

日本国外で日本人ばかり誰かんちに集まって日本のもんを作って食べるのはたしかにとても楽しい。でも、彼女たちみたいな寿司は、面子に職人がいた一度だけだな。目の前で巻いてくれた手巻きが最高だった。これまでやったことがあるのはお鍋とかお好み焼き、すき焼きとか。いろいろ惣菜を集めた飲み会が多い。

「今日はじゃがいもよ」

といわれると、私はうれしかった。ベッチャリしたさつまいもでも、じゃがいもより甘味があるので、喜ぶひともいたが、私はじゃがいも党だった。

たいていは、皮ごとゆでたりふかしたりした熱いのの皮をむきながら、塩をつけてたべるだけのことだったが、皮だって、さつまいものように味気なくぼさっとむけるのではなく、ツルリとむけるところが繊細な感じで好きだったし、むけたあとはツルリとすべっこくて、歯あたりのよさも、さつまいもの比ではないと思った。

「じゃがいもを土にうめといて上で焚火するんですって。そうしたらホカホカととてもおいしいむし焼きができるそうよ」

 

アメリカにいたとき、赤ちゃんの頭ほどもある大じゃがいもの、丸のまま天火で焼いたのが、よく食卓にのった、まわりの皮がカリカリにこげた焼きたてを、真二つに切って、その中にバタをとかしこみ、塩をふってスプーンですくってたべた味は忘れられない。

(中略)

マッシュドポテトの利用価値はじつに多い。スイス人はおそうざいにようポテトボールをたべるが、これはマッシュドポテトをまんまるく小さいおだんごにまるめて、メリケン粉をまぶし、油であげた柔かいあげだんごで、案外においしいものだが、これは形がちがうだけで、なにも入らないコロッケだ。

コロッケの上等は、じゃがいもは入れず、かためのホワイトソースを冷蔵庫でひやし、それにカニやトリを入れて、ころもをかぶせて作るものだが、家庭のコロッケはじゃがいもでけっこう。

 

イタリア風の料理ニョッキも、日本人の口にあう、とてもおいしいお料理だと思う。

(中略)

要するにスパゲティ、マカロニ風のものというより、すいとんだが、じゃがいもが入っているので、やわらかさ、きめのこまかさが違い、えもいえぬ......まあなにより一度作って召上って下さればわかると思うが、なんともおいしいものです。

かけるソースは、スパゲティのとき同様ミートソースでもよいし、またはケチャップを水でうすめ塩コショーでちょっとぴりっとした味にして、ぐらぐら煮たなかにこのニョッキをくぐらせて、熱いうちにチーズの粉をふりかけて、フーフーふきながらいただくのも、またおいしい。

 

私がまだフランスへゆく前、サンフランシスコで留学生生活を送っていたが、ある夜、高級フランス料理店にさそされていった。

つれの人がフランス風のスープをのむと言ってあつらえたスープは、ひどく豪華な銀のうつわにカキ氷がつまっており、その中にしゃれたコップがうずまっていて、そのなかに白いスープが入っていた。

よそゆきの洋服を着て気どっているつれの人が、そのつめたそうなスープをサジで口にはこんでいる姿はひどくしゃれて粋にみえ、そしていかにもおいしそうにみえて、ちがうものを注文した私はわが身がなさけなく、くやしかった。

(中略)

パリであまりお目にかからぬそのヴィシソワーズという冷たいスープは、フランスではあまり知られていない、フランス風とよばれるアメリカ料理らしい。ヴィシー政権で有名なヴィシー風と名乗るスープなのに、ヴィシー地方の家庭料理でもないらしく、作り方はアメリカの婦人雑誌にだけのっていた。

 

パリにいた在留邦人にもそれぞれ得意な料理があり、NHKの支局長Mさんはおさしみをつくるのがうまかったし、共同通信のTさんのところへゆけば、彼自身苦心して作ったイカの塩辛が必ずたべられたし、何でもおいしく作れるのは東京新聞のSさん、砂原さんはカレーライスといったふうだった。

カレーライスは誰も知っているとおりインドの料理だが、インドでたべるカレーはとうがらしがきいていて、口が焼けるほど辛く、どろどろではなくて、私たちが日本でたべているカレーライスとはだいぶ違うのだそうだ。

(中略)

しかし、もっと食べたいものはうなぎ、おすしで、うなぎはパリにだってあるが大うなぎで、そのうえ七輪もないから、照り焼きはできないので、カンづめでがまんするよりほかはなかった。

「フランス料理のうなぎなんか食べられない」という人が多いが、フランス料理では丸のまま5センチぐらいの長さのぶつ切りにして、サッとゆでて皮をむき、あとはうす切りの玉ねぎを入れ、白ブドー酒で煮こんでたべる。そうとうあぶらっこい料理だったが、うなぎの味はするのだし、私は嫌いではなかった。

 

そのころパリにいる人たちは、仕事で日本を離れている独身者が多かったので、淋しいとなんとなく集まっていっしょに食事をしたが、おすしをつくるときは、いつもよりたくさん集まった。

私は朝からお米をおなべに三つも四つもたいてすし米にしておく。午後になると、どこで買ったのかよく切れそうな庖丁を持ったMさんがくる。そこへ市場までお魚を買いに行っていたSさんが、

「好いマグロがあったよ」

と入ってくる。大きなマグロの切身、白身の魚はタラ、それにおつゆを作るためにアサリのような貝など買ってある。踊りの藤蔭静枝さんや小牧バレーのT子さんは、台所に位入って卵の厚焼きをつくっている。Mさんも庖丁片手にお魚をおろしに台所へゆきかけるのに、

M君は自分が一番うまいと思ってるんだからさせてやるよ」

お料理上手のSさんは皮肉っぽくからかったものだ。

お料理をする人たちは、みな自分が一番うまいつもりでいた。共同通信の高田秀次さんはおすしならにぎるのは自分以外にはいないと自慢している人で、「すし秀」と呼ばれるとひどくよろこんだ。

用意がととのうと、すし秀さんがにぎりはじめる。おにぎりのような大きなごはんの上に座ぶとんのような形をしたマグロがのっている。それでも、待ってましたとばかり食べるのですぐなくなって、にぎり手はいそがしい。

私も手伝いはじめると、高田さんは敵愾心をおこす。

「なんだ、それでおすしか」

「自分のだっておかしな形じゃないの」

「いくら君が大食いだからって、あまり大きくにぎるなよ」

「ひどいわね、あなたのにぎったのなんか、ごはんがパラパラくずれてるじゃないの」

皆でワーワーいいながら食べたおすしは、形が悪かろうと、お米がパラパラだろうと、おいしかった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より