『BUTTER』の個人宅料理教室の場面に続き、本場のコルドンブルーの授業風景は大変興味深い。うちの近所にも大手の学校があって「見てくれ」とばかりに窓が大きいのでそばを通るときはめっちゃのぞく。たぶん生徒は100人以上いる。独学で玄人はだしになって成功する人も多いのに、学費と材料費をかけて大変よの...と思う。
おこがましくも料理のことを書くのなら、料理学校へ行ってみようと思い、フォーブルサントノーレ129番地の「コルドン・ブルー」へ行ってみた。
(中略)
ちょうど僧衣をまとったカトリックの坊さんが料理を買っているところで、小柄な売子が、
「今朝つくったばかりです」
といいながら、なにやら包んでいた。
その坊さんは、今日中のメニューの書きこまれたパンフレットをながめながら、
「明日はタルト(パイ菓子)を作るんだね」
と、ひとりごとをいっていた。
「時間ですよ」の一声にぞろぞろと石の階段をおりてゆくと、ひろい調理場のすみの黒板に今日つくるメニューが書きだされてあった。
「これを写すの」
と江上先輩が教えてくれたので、手帳を出して私も書きとり始めた。
crêpes aux épinaroles(ほうれん草のクレープまき)
roti du porc pomme de terres(焼豚にじゃがいものつけあわせ)
œuf à la neige(雪卵)
写しをとっているところへ、真白なエプロン、真白なコック帽をかぶり、でっぷり太った、あから顔のシェフがあらわれた。
(中略)
三組にわける組合せはシェフの頭痛のタネだった。なぜなら、ヘレンとトニーがぜんぜんフランス語がわからないからだ。けっきょく、私とピラールが豚とじゃがいも係、フランス語のわかるアメリカ青年ダニーがトニーとヘレンと三人組になってほうれん草のクレープまき、マリーと江上、高森さんがくんでデザートの雪卵をつくることにきまる。
(中略)
ピラールはサンセバスチャンのホテルのおかみさんで、来月シェフの試験をうけると話すだけあって手際よく立ちはたらくので、私は彼女の後をついて歩いて、彼女のおおせ通り、じゃがいもを切ったり、なべにバタをひいたりというやさしい仕事をさせてもらって、大助かりだった。
クレープをつくるヘレンとトニーは大変なさわぎをしていた。小さいフライパンに油をしき、粉をミルクでとかしたうすいどろどろを入れて、焼けたらくるっと空中回転をさせて裏がえすのだが、二人とも料理などあまりしたことのない人たちだから、なかなかうまくゆかない。シェフがいらいらして、
「なんだ、こんなやさしいもの」
というと、両手にフライパンをもって一度に二つひっくりかえして、得意げに笑った。
さて、十二時に三種類の料理が出来上ると、私たちはエプロンをはずして控室に上ってゆく。
控室のテーブルは、いつのまにか内弟子の手でテーブルクロスがかけられ、八人前の食器がおかれて、中央にはブドー酒まで出ている。内弟子たちのなれたサーヴィスで、私たち生徒は、自分たちのつくったものを食べるのだ。
くるくるとまかれたクレープの中には、ほうれん草を煮てうらごしにしたのが入っていてその上からホワイトソースがかかっていた。
つぎは私とピラールのつくった豚とじゃがいも、最後が雪卵で、おいしいなかなか立派な昼食だった。
「おいしいわね」
「うまくできてるわね」
「ありがとう」
皆おたがいにほめあって食事をしたが、
「このクリーム少しかたいのよ、このまえクレーム・ア・ラングレーズつくるとき、シェフは卵3コっていったのよ、それなのに今日は4コでしょう、ヘンよね」
と一人がいいだすと、
「シェフっていつも言うことが少しちがうわよ」
「自分でちがったこと言っといて怒るのよ」
と、がぜんシェフへの風あたりは強くなる。
(中略)
「このパイ、よくふくらんでないわね」
「シェフがすると、きれいにふくらむのにね」
「おなじように作ってるんだけどね」
私たちはよくくやしがったが、長年の経験によるシェフはコツをのみこんでいたから失敗というものがなかったし、いわれた通りやっても、こね方がちがうのか、まぜ方が下手なのか、シェフのようにパイ皮一枚一枚がパリパリに焼き上り、それでいてふっくらとおいしい出来上りにならなかった。
だから皆、なんとかかんとか怒りん坊のシェフの悪口はいったが、内心は敬服していた。
しかし学校に対しては、
「高い月謝とったうえ作ったもの売ってるんですものね」
と不平たらたらだった。朝のAクラスでも出来上りのよいものはショーウィンドーにならべられて売られたし、午後、シェフが生徒の前でつくるものは、もちろん、ショーウィンドーゆきだった。
私も一度シェフのつくったトリのコロッケがあまりにもおいしそうなので買ったら、小さいのりまきずしぐらいのが一コ八十円だったのには驚いてしまった。
石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より