たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

トマトとシャンボン『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(18)

XXを食べると疫痢になる、という親の心配は向田邦子のエッセイにも書かれていたな。

「トマトだけ切ってくれればよいわ」

といって、トーストにトマトをはさんで、

「あーおいしい」

なんて思っているのだから、人間の好みも変るものだ。トマトを好きになったのは、考えてみれば戦争中からだ。

(中略)

ちぎりたてで、まだほのかに温かいトマト、塩もつけないでかぶりついたら、とてもおいしいとは思わなかった。しかし、なまの果物をたべているような喜びを感じた。

だいたい汁気のある果物は、かぶりついてたべるにかぎる。

(中略)

「桃はナイフとフォークでたべちゃおいしくない、フィンガーボールで指を洗えばよいのだから、かぶりつきなさい」

といって、自分からガブッと桃にかぶりついた。

 

トマトを使った料理は、地中海に面したイタリア、スペインではよく食べられるが、フランスでも、料理にプロヴァンサル(プロヴァンス風)という名がついていたら、かならずトマトを煮こんだソースのかかった料理だ。

トマトの入ったソースは、じつによく料理につかわれるし、たしかにおいしいが、トマトそのものを油で焼いても、おいしいものだ。パリで私が長いこと下宿していたロシア人のマダムは、トマトにつめものをして天火で焼くのがとくいだった。とくいだったというより、夏場になってトマトが安く買えるようになると、ひき肉をつめるだけで焼く料理は、安あがりで経済的ということもあったからだろう。

(中略)

これは天火で焼いて、肉のなかまでよく火が通り、まわりのトマトはやわらかくなったのを、フーフー吹きながらたべる料理だが、サラダとしてつめたく作ったスタッフドトマトもおいしいし、見たところ、お客さまむきだ。

 

このスタッフドトマトに入れるものはまだまだある。じゃがいもとにんじんを小さい角に切ってゆき、グリンピースのゆでたのと、みじん切りの玉ねぎをマヨネーズであえて中に入れてもおいしく、またカレー粉でご飯をいためて、塩コショーを少し強めにつけたのを入れてもおいしい。

ご飯にグリンピースをまぜ、フレンチドレッシングであえて入れても、ご飯サラダでなかなかおいしいし、マカロニサラダを入れてもボリュームのあるサラダができる。

 

小学校のこと、遠足にゆくと、お友だちとよく、おべんとうの分けっこをしてたべた。

そのなかに、私は一度も口にしたことのないものがあった。などというと、いったい何かしらと思われるに違いないが、なんのことはない、ハムのサンドイッチだった。

(中略)

なかでもハムは、食べて疫痢になった人がいるとか聞いてからは、母はそれをおそれて食卓にのせなかった。たまにたべさせてくれるときは、かならず油でよくいためた。だから、私は小学校でお友だちからサンドイッチをもらうまで、ハムというものは、はまではたべられないものなのだ、と思いこんでいた。

ハムに限らず、「たべちゃいけません」といわれるものが、こどものころには数えきれないほどあった。

 

一人でホテルに近いレストランに入り、さて何か注文したいと思っても、メニューに書かれているフランス独特のよみにくい字では、なんのことかよく読めもせず、仕方なく、そのときふと思い出した言葉を口にした。

それは「ジャンボン(ハム)」という言葉で、ギャルソンがすぐわかって、やがて大きな皿の上に、日本では見たこともない、ハガキぐらいの大きさの長方形のハムが2枚のってきたときは、うれしかった。そして、それからしばらくは「オムレツ」「ビフテーク」と、この「ジャンボン」で暮した。

 

ポタージュに、ジャンボンに、サラダ。これがフランス人の典型的な夕食のメニューだ。だから、ジャンボンとひとくちにいっても、いろいろな種類がある。

一般的によくたべる、ただジャンボンとよばれるハムは、ハガキ形のローストハムで、お店にゆくと、うすく機械で切ってくれる。じつにすごい売れゆきだし、フランスにいると自然とフランス人の生活にそまるせいか、私も週に少なくとも二回くらいは、このハムをたべたし、また食べさせられた。

このジャンボンより高級なのに、ジャンボン・ド・ヨークがある。これは、豚の腿をハムにしたもので、ふつうのジャンボンよりうすいピンク色で、お店の人がひらたい肉切り庖丁で、うすくうすく切ってくれる。これはご馳走の部類に入り、値段もずっと高い。

またイタリア、スペイン、南仏でよく食べ、パリでは高級料理の一皿として出される燻製風のジャンボン・ド・パルムがある。

これも、うすくうすく切ってたべるが、レストランでは、給仕長みずから庖丁をもって、客の目の前でうすく切るのが自慢だ。

燻製だから、味がこくて、鮭の燻製に似て非なるもので、鮭の燻製同様、パリでは珍重される。

 

ふつうハムは、ハムだけが一皿になり、横にピクルスをそえるが、変ったお皿に「ハムとメロン」というのがある。

メロンの上に、うすく切ったジャンボン・ド・パルムがぺろっと載っているもので、はじめて見たときは、そのとりあわせの奇妙さにゾオッとなったが、食べなれたら、ハムとメロンというものは合うものだということを発見した。

(中略)

ハムサンドもおいしいが、二流、三流のレストランや駅弁で売られているハムサンドのハムは紙の如くペラペラにうすく、両側のパンが厚くて、あまりおいしいとはいえない。やはり、パンはうすく切って、バタとからしをぬったのをこってりつけて、あまりペラペラでないハムを入れたのがおいしい。

キューバでたべたキューバ風のサンドイッチは、少しぜいたくだけれど、すばらしくおいしかった。ハムサンドなのだが、うすく切ったハムを六、七枚パンの間にはさんで、ハムでこんもり盛り上ったサンドイッチなのだ。

(中略)

アメリカでも、ダグウッド式サンドイッチとでもいうのか、なかみの多いサンドイッチがたくさんある。

レタスに卵、レタスにトマトにベーコン、チーズにレタスに卵など、いろいろのとりあわせがあるが、四角いままのサンドイッチを、はしあkら大口をあけてパクパクたべるのは、じつに楽しくておいしいものだ。

 

アメリカ料理の一つに、ハムステーキがある。1センチ半くらいの厚切りのハムをバタで両面じゅっと焼いて、焼いたパイナップルをつけあわせにする料理だ。アメリカ料理というより、ハワイ料理なのかもしれない。(本式のハムステーキは、豚の腿を丸焼きにして、そぎ切りにしてたべるが、これはヨーロッパでも高級料理とされている)

アメリカの中華料理店でたべる酢豚にも、パイナップルがかならず入っているところをみると、豚とパイナップルは相性ということにアメリカ人はきめたのだろうか。

(中略)

西洋料理で甘いのは、私は、どうしても好きになれないので、パイナップルなど添えず、ほうれん草をゆでて裏ごしにし、塩コショーで味つけをした。青いどろっとしたのと食べるのが好きだったが、お客さまのとき、ふと思い出して、つけあわあせにパイナップルを焼いて出したら大変よろこばれたので、びっくりして、それ以来、ハムステーキには、やはりパイナップルをつけることにしている。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より