たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

クレープとは何かを説明『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(13)

ギャレットではないが、ひとつ「アタリ」が入っているちぎりパンはキンダーで何度か食べたことがある。食べ物に異物が入っているというのはどんなに注意しても結構危険だ。ましてや幼児なら、私が教員だったら絶対食べさせたくない。今のアメリカではやらないんじゃないかな。

日本人が三度三度ごはんをたくように、パン屋さんも一日三回パンを焼き、人々は焼きたてを買いにくる。フランスパンがおいしいといわれるのは、パン自体がおいしいというわけではなく、むしろ焼きたてを食べるからだともいえよう。

(中略)

朝食用のパンは、このほかに、バタをたっぷり入れてあげた三日月形のクロワサン、それからちょっと甘いお菓子ふうのブリオッシュ、甘味のないラスク風のビスコットが売られている。そのパン屋さんの横はたいていお菓子売場で、シュークリームや、中に甘く煮た果物の入ったパイのタルト、ラム酒の入ったババ・オ・ラムなど色とりどりのお菓子が売られ、またプティ・フールとよぶクッキーが売られている。

また、たいていはお菓子といっしょに、パイでできた料理、ヴォル・オ・ヴァンとキッシュもならんでいた。

ヴォル・オ・ヴァンは、パイの皮の中に、白いソースであえたシャンピニオンと牛の脳みそが入っていて、キッシュは卵のうまみをきかせた黄色いクリームで玉ねぎとハムをあえたものが入り、これは両方とも、あたためて前菜にたべるもので、なかなかおいしいが、自家でパイ皮を作るのはめんどうだから、買いにくるひとも多いようだった。

私は辛党でお菓子などあまり興味はないのだが、パンを買いにゆき、きれいにならんだいかにもおいしそうなお菓子を目にすると、つい一つ二つつまんでみたくなったものだ。そんなとき「これ一つ頂戴」といえば売子は紙にくるんでくれる。店のなかでたべてもよいし、街を歩きながらたべてもよい。立派な大人がお菓子をほおばりながら歩いている姿は、パリではよくみられる風景だ。

一月に入ると菓子屋の店頭にはギャレットがならぶ。なにも入っていない、丸い円形のパイで、いっしょに金色に塗った紙でできた王冠が売られている。このお菓子は、キリストの誕生を知った三人の博士が、そのことをベツレヘムの民につたえたとき、お菓子屋がお祝いのためにギャレットを焼いて、人々にただで分けたという、いいつたえのあるお菓子だ。

いまその風習が残っているのはフランスだけで、一月六日には皆ギャレットをたべる。パイだけだからさっぱりと味気ない菓子だ。この中には小さい小指の先ほどの石造りの人形か動物が入っていて、そこをたべる人はその夜は王様ということになっている。

四月一日のエイプリル・フールはフランスではプワソン・ド・アヴリルといい、どういうわけか、お魚の形をしたチョコレートが店頭にならぶ。

またそのころは復活祭も近いので、復活祭のためには、たまご形のチョコレートが売られる。大きな卵は、人間の頭ぐらいもあり、厚いチョコレートの壁をこわすと、中には色とりどりのボンボンが入っている。

マルディ・グラと呼ばれる謝肉祭にはクレープをたべることになっているが、クレープはたいてい家庭で作るものなので、クレープを作るとき、片手に金貨をにぎって、片手にフライパンを持ち、うまくクレープが空中で回転すれば幸運がつかめるといわれているという話だ。

クレープとはうす焼きのパンケーキのことで、フランスでは、その上に白砂糖をふったり蜜やジャムをかけたりしてたべるが、レストランなどでは、クレープ・スゼットといって、砂糖をかけたラム酒をたっぷりかけてから、その上にマッチをすり、火でもやし、アルコールの匂いをぬいたところを食べるちょっと豪華なデザートだ。

クリスマスにはデコレーションケーキをたべるのが、日本でもこのごろは当りまえになってきているが、パリのクリスマスケーキはブッシュ・ド・ノエルといって、大木の幹を切った形だ。それを横にごろんと倒した形にして、チョコレートクリームで表面を木の色にぬり、その上に「きのこ」と「きづた」が色どりよく作られて飾られている。

きのこもきづたも幸福のしるしなのだそうだが、そんなふうにフランスではお菓子の歴史も長く、しきたりもあるので、チョコレートのお魚をみて、「ああもう春だ」「もう四月も間ぢかだ」と思わせる。

高級喫茶店で有名なのは、ルイ十四世風な店がまえをしたマルキ・ド・セヴィニエで、オペラの近くにも、また山の手のヴィクトル・ユーゴーという所にもあり、また、その店に似た高級なお菓子と高級なサンドイッチとお茶、コーヒー、アイスクリームの類しか出さぬ純喫茶店がいくつかある。

そういうところのお菓子はパン屋さんのお菓子の倍以上の値段だが、それだけに、アルコール分もたくさんつかった、こってりした特別のおいしさだ。

高級サンドイッチというのは、うすくうすく切った食パンにアスパラガスや卵、ハム、ビーフ、トリなどが入っていて、一きれ一きれ、きれいに紙に包んである。一きれ百円ぐらいして高いのだが、実に味つけがよくて、うすくてデリケートでおいしい。

(中略)

しょざいない午後のひとときを、うすいサンドイッチをつまみ、香りの高い紅茶をのんで、おしゃべりに時をすごす。

(中略)

どこの街角にもあるガラスばりのキャフェで、冬は暖かいストーブにあたりながら、熱気で曇った窓ごしに通りをながめ、安いコーヒーで何時間もねばっている、けだるいのどかさが好きなようだ。

夏は夏で、道路に張りだしたテラスに腰をかけ、ビールでものみながら、のんびりと道ゆく人をながめているのが好きだ。

(中略)

キャフェのサンドイッチときたら、うすい品のよいのとは違い、バゲットを三十センチの長さに切り、中を開いてバタをぬってハムやチーズをはさんだごついサンドイッチだ。大きいのを両手でつかみ、バリバリはしから食べてゆくと、パンばかりのどにつかえて、両あごがくたびれてしまう上、わるくすればパンの皮で上あごをむいてしまうことさえある。

(中略)

パリの紅茶がまずいことは前に書いたが、コーヒーもおいしくない。一般的に、朝食にはキャフェ・オ・レとよぶ濃いコーヒーに二倍の量のミルクを入れたのを、大きい茶碗でのむが、キャフェでのむのはエクスプレスかフィルトルだ。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より