たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

のどを使うプロのタブー食と駅弁『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(5)

日本の駅弁の思い出は残念ながらあまり良いものではない。冷たくくっついた俵おむすびのまずさ。今だったら食べてみたい銘柄がいろいろあるのになー。
そういえば、昨年帰国時に551に行列ができていて驚いた。20年前、毎日のように阪急を利用していたころはいつつぶれるんだろう、と思ってたのに。ちなみにあそこの肉まんは相変わらずおいしくなかった。具と皮の間に大きな隙間があるんよね。

なすのおつけものは本当に悪いのかしら? 私はクラシックを歌っていたころ、相当ノドに気をつけ煙草もすわなかったが、なすが悪いと感じたことはなかった。ただ辛いものは、後でノドがかわくから、今でもステージに立つ前は食べない。

はじめてパリに行って働きはじめたころ、ある夜、仕事の合間に、仲間の歌手たちとお茶を飲みに行った。私が何気なくアイスクリームを注文したら、皆が異口同音に、
「アイスクリームたべるの? 歌う前なのに」
と避難がましくいったので、私のほうがびっくりして、
「たべちゃいけないの?」
ときいたら、
「つめたいものは一番声によくないのよ、やめた方がよいわ」
といわれた。
(中略)
砂原美智子さんもスイス公演の終った夜、晩餐のデザートにアイスクリームを注文してマネージャーにひどくおこられ、その後はやはり冷たいものはのまなくなったということだ。
ところがある夏の夜、レヴュに出ていて、ちょっとの幕間に、あまり楽屋がむし暑いので外のキャフェまで涼みに出た。そして、しばらくたべなかったアイスクリームをつい食べてしまった。楽屋に帰ってすぐ衣装を着かえ、ステージに出て歌いはじめたら、急にノドがいがらっぽくなり、歌っている最中にセキが出てきて、それをこらえるのに冷汗をかいた。
(中略)
私はいつも魔法瓶のなかにお砂糖を入れない熱い紅茶を入れて持ち歩き、歌う直前に少しのむと、なんだか歌いよいような気がしている。
しかし、砂糖気のあるもの、たとえばあめなども歌う前になめていると、歌っている最中に、なんだかタンがからむようだ。
黒豆の煮た汁がよい、というけれど、たしかに黒豆の汁は声が出しよくなるようだが、ただめんどくさいので、だれかが特別に作ってくれない限りはのまない。

歌う一時間前に、おそばならば軽くてよいだろうと思って天ぷらそばを食べ、さて歌い出したら、安天ぷらのおくびが出そうになる上、汁をのんでいたから胃が一杯で、深く息をすいこむのがつらいことがあった。汁ものは駄目だということをこのとき学んだわけだが、歌う直前おなかがすいたら、やはりサンドイッチ等ちょっとつまむのがよいようだ。
(中略)
朝は宿屋の朝食、いわゆるおみそ汁に卵、のり、というわけで、その後はリサイタルの約二時間前に昼食としてサンドイッチ、おすし、または中華風のいためそばなどをたべる。汁ものは歌いにくいときめて以来、好物のなべ焼きうどんやラーメンが食べられなくなったのは残念だ。

だいたいお弁当というものは楽しい。お弁当は誰もがちょっと懐しい思い出を持っているのではないだろうか。
小学生のころ、友だちとおかずのとりかえっこをしながら食べた母親やおばあちゃまの作ってくれたお弁当、遠足に持って行ったのり巻きやおにぎりのお弁当、女学校に通っていたころだって、お昼休みになってお弁当を開くときは「今日は何のおかずかな」と期待を持ってお弁当のふたをあけた思い出を、誰でも持っていると思う。
(中略)
お弁当箱の中には卵焼きや、甘辛く煮た肉団子、青味を添えるためにそら豆とかいんげん豆の塩ゆで、または小さいきゅうりをそのまま塩もみにしたのなど入れ、別のお重にごまやけずりぶしをまぶしたおにぎり、のりをまいたおにぎり等を入れておく。おにぎりのなかみも梅干の場合は種をぬいてちょっと砂糖をふりかけてから入れると味がよいし、こどもは種類が変った方がよろこぶので、梅干のほかにも、たら子を焼いて切って入れたり、たくあんのせん切りを丸めて入れたりした。
そのほか、塩鮭や、みそ漬やかす漬の魚をこんがりやいて身をほぐして、これをごはんにまぜてにぎったり、中に入れたりするのもおいしいものだ。
このお弁当は、昼食の後かたづけのついでに作っておけば、お客さまでいそがしい最中でも、こどもの夕食時間になったらお弁当箱とお重をこどもの部屋に持って行って、
「さあ今日は遠足よ」
とでも言おうものなら、
「こどもの遠足だから大人は入っちゃいや、僕たちだけでたべるんだァ」
などと有難いことをいってくれる。

もちろん、どの駅弁も皆たべてみたというわけではないけれど、いままで食べた駅弁当でおいしかったのは富山の「ますずし」、明石の「鯛寿し」、高崎、鳥栖の「鳥めし」、函館の「かにめし」、新宮の「めばりずし」。
それにもう一つ、信越線田口駅の「笹寿司」だ。
田口駅の「妙高笹寿司」、これはうっかりしていると買いそこなう。なぜなら、お弁当屋さんは「笹寿司」「笹寿司」などと大声はあげず、ひっそりと歩いているからだ。これはみな種類が違っていて、鱒、ささの子、しいたけ、わらび、卵と、みる目にも美しく、味もよく、郷土色にとみ、感激的なすてきな駅弁当だ。
日本の駅弁当は楽しく、また変化に富んでいるけれど、ヨーロッパやアメリカは、ハムかチーズのはさんであるコッペパンが食パンときまっているから、味気ない。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より