たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

茎わかめラーメン『武道館』

人間は、何らかのアイコンを推す人と推さない人に分けられると思う。私のある友人は推す人であり、常にライブ通いとファンクラブ入会をする程度に芸能人にはまって課金している。他方私は推さない人である。これからはわからないけれど、彼女と同じレベルでキャッキャできるとはどうしても思えない。

ケーキやタルト類の「台」があまり好きではない派なのだが、大阪の行列ができるモンブランの台は薄いメレンゲでできていて感激した。

家に帰ったらケーキがある。だけど、それを食べ終えてしまえば、夏休みが完全に終わってしまう。
(中略)
「あいこはねえ、モンブラン! 大地は?」
「おれはチョコのやつ。あとで一口こうかんしようぜ」
(中略)
誕生日の夜は、ショッピングモールの中の一番広いレストランで夜ご飯を食べる。
(中略)
レストランでプレゼントをもらい、お店の人に写真を撮ってもらい、そのあとショッピングモールの一階にある洋菓子店でケーキを買って、どちらかの家に集まって食べる。
(中略)
「愛子ちゃんがモンブランで、大地がチョコレートムースだったよね」
大地の母親が、白い箱に入ったケーキを小皿に取り分けてくれる。この作業は、愛子も大地も自分ではやらない。買ったばかりのケーキは、まるで生まれたてのヒナのように、ほんの少しの衝撃で壊れてしまいそうに見える。もし、そんなケーキを自分の手で壊したなんてときは、きっと立ち直れないほど落ち込んでしまうから、大人にやってもらう。
「キャー、おいしそー!」
「あいこ、テーブルゆすんなって」
大地は、真剣な表情でケーキの周りのセロファンを取り外している。帰り道にふたりであんなに動いたのに、レストランで食べたハンバーグでぱんぱんにふくらんだお腹は全く萎んでいない。それでも、いま目の前にあるケーキならば、いくらでも食べられそうだ。
「ほら、おれきれいに取れたー」
セロファンについたクリームをうれしそうに舐める大地に向かって、大地の母親が言った。
「大地、食べすぎちゃダメだからね」
剣道が上手な大地は、「変なもので体が重く」ならないように、市販のお菓子やジュースを好きなように食べることができない、らしい。
(中略)
「よし、食おうぜえ!」
歌が終わったとたん、大地は、待ってましたとばかりにチョコレートケーキにフォークを突き刺した。スポンジとムースが何層も重なり合っているケーキ、その中をぐんぐんと進んでいくフォークの先、その尖った銀色はやがて、一番下に敷かれているビスケットの層を突き破り、白い皿まで辿り着く。

真由は、もごもごと口を動かしている。きっと、今のうちにできるだけ梅の味を堪能しているのだろう。いざ噛み始めてしまえば、ひとかけらの茎わかめなんてあっという間になくなってしまう。
今日はもともと仕事の予定がなかったので、学校の授業を終えたらまっすぐ家に帰るつもりだった。数日前からなんとなく食べたいと思っていた冷やし中華を、父の分もまとめて作るつもりだった。

事務所の会議室で食べたふたつのサンドウィッチが、お腹の底のほうにずっと残っている。改めて夕飯をきちんと食べる必要はなさそうだったので、愛子は冷やし中華をあきらめ、冷蔵庫の中から麦茶を取り出した。グラスの中に茶色い液体を注ぎながら、ちらりと時計を見る。

折りたたまれたタオルに、ぽすんと携帯が着地する。そしてその横に、口をつけていないドーナツを置いた。
真由はいつも、梅味の茎わかめばかり食べている。だけど、茎わかめと撮った写真をブログにアップすることは、絶対にしない。

茎わかめ、ノンフライ昆布、ねり梅、プルーン。コンビニのレジの近くにある棚には、小さな袋に入った低カロリーのおやつが揃っている。
「茎わかめ買うなら、梅味じゃなくてプレーンなやつにしようよ。塩味のやつ」
碧はそう言うと、真由がぼんやり握っていた梅味の茎わかめを取り上げた。その代わり、隣にある塩味の茎わかめをふたつ、手に取る。
「私の分と一緒に買っちゃうね」

「私が誘ったし、おごるから」
テーブルにはすでに、塩ラーメン、と書かれている小さなチケットが置かれている。(中略)
「券売機の一番左上のやつがその店のイチオシだって、よく言うよね」愛子は、券売機の一番右端が塩ラーメンだったことを思い出してそう言ったが、当の碧は、
「あ、そうなんだ?」
とどうでもよさそうだ。水のおかわりを受け取り、早速箸を割っている。早く食べたくて仕方がないらしい。
(中略)
夕飯時を過ぎても、店内はかなり混んでいる。カウンターの向こう側では、まるで生まれたての命のように、様々な具材がほかほかと輝いている。
(中略)
碧はそう言いながら、自由に食べてもいいもやしのナムルを、引き寄せた小皿に山盛りにした。
「は、はげ?」
真由の眉間にしわが寄る。
「そう、ハゲてきちゃって」碧が、しゃきしゃきと音を立ててもやしを噛み砕く。
(中略)
碧は、からになった小皿にもう一度もやしを盛り付ける。まだ食べるのか、と、思うと、「食べる?」と、その皿を愛子に差し出してきた。愛子は思わず、自分の箸を手に取る。
(中略)
「お待たせしましたー!」
カウンターの向こう側から突然、赤い器が三つ現れた。具材の少ないシンプルな塩ラーメンは、バツがひとつもないテストの答案用紙みたいだ。
「おいしそー!」
「いいにおい!」
愛子が感激しているうちに、碧はもうスープにれんげを沈めている。表面に浮かぶあぶらの輪が、シャボン玉みたいにきらきら光る。
(中略)
濃すぎなくておいしい、と冷静に評する碧に続いて、愛子もスープを一口飲む。口の中ぜんぶに染み渡る旨味が、思わず湧きでてきたよだれときれいに混ざり合う。
「おいしい!」
「ね、さすが検索トップの店」
(中略)
制止する真由を無視して、碧は、店員の目を気にしながらもその茎わかめの袋をさかさまにした。
「あっ」
落ちていく茎わかめを、やわらかい麺がやさしく受けとめる。
「ラーメンに入れるともっとおいしいんだよ、茎わかめって」
碧が器の中に突っ込んだ割り箸が、ぐるぐると円を描く。円がひとつ増えていくたび、乾燥していた茎わかめが瑞々しく波打ち始める。
「スープの中で、乾燥わかめが元のわかめに戻るの。普通のわかめよりこっちのほうが味がついてて最高」
碧はあっさり自分の席に戻ると、自分の分の茎わかめの袋を開けた。そして、そのうちの半分を愛子に差し出してくる。
「どうしても茎わかめしか食べないって決めてるんだったら、むりやり食べさせたりなんかしないけど」
碧は、自分の器の中でもくるくると箸をまわしている。
「だけど、たまに味変えたり食べ方変えたりしたら、気分転換にはなるんじゃないの」
愛子は、碧から半分もらった茎わかめを、自分のてのひらで転がしてみる。そしてそのまま、湯気の立ち上るスープの中に落とした。あつあつのスープを吸い込み、やわらかくふくらみはじめたわかめを、箸でそっとつまむ。
コンビニで勝手に買った、塩味の茎わかめ。券売機の中から勝手に選んでいた、塩ラーメンのチケット。
(中略)
「うん」
そう頷いた真由の持つれんげには、ぴかぴか光るわかめとスープ、そして、湯気に包まれた麺がきれいに収まっていた。

猫のようにむむむと睨み合うるりかと真由を制しながら、波奈がボウルの中の菜箸をくるくるとかき混ぜる。
「絶対食べものをこぼさないでよ、こたつぶとん洗濯したばっかなんだから」
990円で買った真っ赤なたこ焼き器を中心に据えたコタツテーブルには、さまざまな具材が並べられている。ここに来る前、みんなでカートを押し合いながらスーパーを隅々まで練り歩いた。5人合わせたところでそんなにお金があるわけではないので、食べたい具材を選ぶときはちょっとしたケンカも起きた。
(中略)
銀のボウルの中で混ぜられている、たこ焼き粉と牛乳。買ってきた紙皿それぞれに盛られた、タコ、ソーセージのかけらたち。年少コンビがとりあえずザクザク切ったため、具材はすべて不恰好なブツ切りだ。パックに入ったままのキムチ、袋に入ったままの一口チョコレート、発泡スチロールに乗ったままの明太子、カンヅメに入ったままのスパム、そして碧がどうしてもゆずらなかった、ひき肉を塩コショウでさっと炒めたものと、めんつゆ。
「めんつゆつけると、明石焼きってやつになるんだよ、超おいしいんだから」
スーパーの中でも先頭をひた走っていた碧は、材料選びでも実際の調理でも、やけにたこ焼きについて詳しかった。
(中略)
お玉でボウルの中のタネをすくいながら、碧がこちらに向かって顎をくいと動かした。たっぷりのあぶらが溜まった穴のひとつひとつに、きれいなクリーム色のタネが注がれていく。
(中略)
「はい、できてますよー」
ふとたこ焼き器に視線を戻すと、そこには、つるんとした小さな球体が並んでいた。形も色もきれいなので、まるで入学式に臨む新入生みたいに行儀よく見える。碧は、テレビを観ながらも華麗なつまようじさばきを繰り出し続けていたらしい。
「いい感じに食べごろ食べごろ。焦げるからスイッチ切って」
「やば、上手!」
るりが身を乗りだし、たこ焼き器のスイッチを切る。
(中略)
「あーもーなんかドキドキしたー! 食べよ食べよ!」
ど真ん中にあるたこ焼きに、真由が割り箸をぶすりと突き刺す。
「これ中身なに?」
「このへんは確かノーマルにタコかな」
(中略)
たこ焼きをふたつ同時に頬張ってみている真由、キムチをそのまま食べているるりか、結局一人でめんつゆを消費し続けている碧。
(中略)
「あれっ、そういえばチーズは!?」
るりかが突然、大きな声を出す。寝ていた真由が「うるさいなあ」とのっそり目を開けた。
「具、チョコとチーズで、チーズにしようって決まったじゃん! いま気づいたけど、なんでチョコ買ってんの!? チーズは!?」
るりかはどうやら、みんなで行った買い出しのことを話しているらしい。

木の棒に刺さったアイスは、外側をチョコレートでコーティングされており、その上には小さなナッツがまぶされている。
(中略)
頷くと、愛子は最後のアイスのかけらを頬張った。口の中の熱で甘いかたまりを溶かしながら、声に出さずに、ありがとう、とも言ってみた。
チョコレートとバニラの味が、熱くなった舌のまわりで混ざり合う。

真由は、パーキングエリアの自動販売機で買うフライドポテトが大好きだ。紙の箱に染み出ている油、揚げてからかなり時間が経ったことでくたくたになってしまったポテト、どちらもマイナスに働きそうな要素だけれど、真由に言わせると「そこがいい!」らしい。

一瞬、フルーツ牛乳やコーヒー牛乳に視線が泳ぐけれど、お腹まわりのぷにぷにした部分を手で触り、冷水でガマンすることを決める。
車での長距離移動の楽しみは、くたくたになったポテトだけではない。帰りに寄るパーキングエリアで入る温泉こそ、メンバー皆が心待ちにしているオアシスだ。

俺、ガキのころ、ばあちゃんちで初めて湯豆腐食べたとき、母ちゃんの料理みたいに味薄いって言ってみたら、なんかそれから母ちゃんの自然派が笑い話みたいになったことがあってさ。

余った弁当をひとつもらってきていたので、愛子はそれを夕食にする。付け合せのトマトも一緒に温めてしまったけれど、もうしかたない。
冷えた麦茶に、いつものグラス。チンしてもまだまだ固いごはんを割り箸でほぐして、一口、食べる。

朝井リョウ著『武道館』より