「ランチから帰ってきた人の油くささ」といえば京都で勤めていた1年弱の間を思い出す。途中まで何のにおいなのか謎で、冷気の中を歩いてくるとこういうにおいになるのだろうかと考えていた。決まった定食店かラーメン店に行くのが原因であることは徐々にわかってきた。
日本で食べられないものから書いてみると、まず食べたいと思うのはグルヌイュ(食用蛙)だ。
エスキャルゴ(かたつむり)の料理は有名だが、日本で、
「エスキャルゴっておいしいわ」
といえば、
「へー」
といって、いやな顔や変な顔をする人が多い。
(中略)
食用のエスキャルゴは小さい貝のようなもので、北海度のツブ、北陸のバイに似ている。
札幌の町にはツブ焼き屋さんというのがあり、ちょうど一にぎりできるくらいの渦巻きのある細長い貝の中に、しょうが入りの甘辛い汁を入れて焼いている。グツグツ煮えたっているのを、楊枝でさしてぐるぐるっと指先をまわすと、するりと貝が出てくる。残りの汁が熱くて、しょうがの匂いがぷんとして、とてもおいしい。北陸では、同じような貝をバイといって、煮てたべる。
エスキャルゴは、バイよりまたずっと小さく、口のところににんにく入りのバタをたっぷりのせて天火で焼き、熱いところを、フーフー吹きながらたべる。
パリにいたとき、夕食にフランス人の友人をまねき、まぐろのお刺身としめ鯖を出した。皆おいしいおいしいとおかわりをして食べたあげく、
「これはなに?」
ときくので、
「これがおさしみよ」
といったら、
「へえー」
とおどろいていた。彼らは、
「日本人ってなまのお魚を食べるってほんと?」
といかにもあきれたといったふうに聞いたから、わざわざ食べさせてみたのだが、彼らは生きたお魚ときいて、海からとれたお魚を、ウロコもついたままバリバリ食べるとおもっていたらしかった。
ヨーロッパの人たちはよくなま肉を食べる。ステークタルタルとは、なまの挽き肉のことで、
「なま肉をたべるなんて動物みたい」
といっていやがる日本人は多い。私はそういう人をみると、可哀そうにとおもう。たべる前に頭からまずいものときめてしまうなんて、バカげているとおもう。
日本でもカモのロース、カモの鉄板焼き、すき焼きはおいしいが、高級料理で、だれもが食べるものではないようだ。
パリでもカモは高級料理で、そのなかでも特に有名な店にトゥール・ダルジャンがある。銀の塔とよばれるこのレストランは、セーヌ河のほとり、ノートルダム寺院の尖塔のみせる豪華な古い店で、ここのカモ料理は、もういろんな人がいろんなところに書いている。
はじめに、カモの皿とブドー酒でつくったピンク色のソースがかかったうす切りのカモがでて、次のお皿は皮つき肉のこんがりと焼いたのがでる。そして帰りがけには番号のついた絵ハガキをくれるが、それには「あなたの食べたカモは、このレストラン開店以来何万何千何百何十何羽目のカモでした」ということが書かれている。
カモで有名なこの店では、自家の農場でカモを飼育しているのだそうだ。地下室には酒蔵があり、古い歴史的な酒がならんでいた。
パリの人もステーキが好きだし、よくたべるが、牛肉はなんといっても日本が一等だ。しかし、トリとなるとぐっとおちる。水炊きにsちあり、ぶつ切りにして使うにはわるいとは思わないが、ローストにしたら、大きいトリはかたいし、やわらかいトリは若ドリで小ぶりになり、肉づきも味もフランスにはおよばない。
パリの西南方マコン地方はブドー酒の産地として知られているが、そこの名も知れぬ小さいレストランでたべたトリの丸焼きのおいしさは、いまでも忘れることができない。
焼くのも天火などでは焼かず、食堂の横にある暖炉で、名前は忘れたが、なんとかいう木の枝で焼いていた。焼きたてのトリはやわらかく、それでいて身がしまっていて、枝の香りが茶色くこげた皮にしみついて香ばしく、つめたく冷やしたマコンの白ブドー酒とともに、なんともいえないおいしさだった。
(中略)
食用鳩も、このごろは日本でも飼育されはじめたときくが、フランス人にはなくてはならないメニューの一つだろう。ハトはペルドローよりまたひとまわり小さいから、一羽一人前ということになる。料理の仕方もだいたい同じで、トーストを油であげたパンの上に、バタいためにした肝のすったのを塗り、丸焼きを上にのせる。
つけあわせの野菜はたいていグリンピースのゆでたのときまっている。トリよりも脂がのっている、ちょっとくさみのある野鳥の丸焼きには、ただゆでただけの小粒のグリンピースは、口ざわりがやわらかく、味も淡白で、じつによくあう。
日本でも、西洋料理のときは、もっとつけあわせの野菜に気をつかってほしいとよくおもう。つけあわせの野菜によって肉やトリの味もひきたったり、また、その反対になったりする。
なんの料理にもかまわず、じゃがいものから揚げ、それもフレンチポテトみたいに、揚げたての皮はカリッとかたく、中はほくほくと白く、湯気がでるばかりに熱いのとは違い、何時間か前に揚げて冷えてぐちゃっとしたのがついていると、ほんとうに味気なくなって、口をつける気もしなくなる。
パリの盛り場では、よくポムフリット(フレンチポテト)を売っていた。横町の角に大きな揚げなべをおいて、目の前でじゃがいもだけ揚げている。
1センチ角の拍子木に切ったじゃがいもを、こげめのつくまで揚げたのにパラパラと塩をふりかけ、ボール紙の小さい入れものに入れてくれる。一袋三十フランぐらいからあって、私たちは休憩時間にときどきこれを買いに出かけた。
買いに出た人が楽屋にもどってくると、みんな、
「油くさいわ、ポムフリット買ってきたんでしょ」
とあてるくらい、揚げあがるのを待つ数分の間に、油の匂いがコートや髪の毛にしみついた。このポムフリットも焼き栗同様、冬のたべものだった。
石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より