カリフォルニア州は、飲食店で生卵を出せない。オーバーイージーとかも結構危ういと思うけど。
二人は有名なすき焼き屋さんを予約し、士官になったばかりでお金のないフェラーズに、お腹いっぱいご馳走した。鍋を囲み、煮えた肉を端から取って食べるという行為は新鮮だったらしく、フェラーズはいちいち興奮して、甘辛い味も気に入ったのかご飯を何杯もお替わりした。
「みんなで同じ鍋をつつくというのは、いいものですね。あっという間に親しくなれるみたいだ」
漬物も味噌汁も抵抗がない様子だったが、生卵だけは気味悪がって箸でつついて黄身を潰すのみだった。
「小泉八雲は日本で卵をよく食べたそうなんですが、この火を通さない卵というのも好きだったのかな?」
(中略)
フェラーズはすき焼きを気に入ったらしく、アメリカでも同じものを作ってみたい、と醤油と日本酒を大量に土産にして、満足そうに帰っていった。
仕事がよほど激務なのだろうか、何か滋養のあるものを、と摘みたての葡萄で作ったジェリーとバター、スコーンと紅茶を女中さんに用意してもらった。
「道先生のせいですわ」
ふっくらと高さを出して焼きあがったスコーンに手をつけず、秋子は突然、そう言った。
(中略)
道は朗らかに、スコーンを二つに割ってみせた。バターの香りがする湯気がふんわりと鼻をくすぐる。
眩しがって不快そうに顔をしかめる有島さんを横目に、女中さんを呼び、熱いお茶と季節の果物を頼んだ。
(中略)
廊下でむきたての白い梨とお茶を持ってきた女中さんとすれ違った。
夕食のストロガノフの香りがここまで流れてくる。
道たちは梨棚の下に落ち着き、ややひからびた梨をもいで、喉をうるおした。
その晩は床に横になるなりピクリともせず眠り続けたが、翌日になると父は少し元気を取り戻し、果物やビスケットを口にした。
僧侶たちに温かく迎え入れられ、そのお連れ合いたちに新しい着物を借り、濡れた服を乾かしてもらった。物資は欠乏している様子なのに、おむすびやパンやミルクが存分に与えられ、一晩泊まらせてもらった。普段あまり接することがない仏教徒の精神に触れ、道は自分の視野がいかに狭かったかを反省した。
大正最後の年、1926年9月のことだった。
国際連盟事務次長に任命され、ここ本拠地ジュネーブに派遣された新渡戸先生は、オーランド諸島の紛争を解決してスウェーデンとフィンランドを和解に導いたり、国際知的協力委員会を軌道に乗せるなどの活躍を評価されている。たっぷりの新鮮な野菜と果物、チーズ、オートミール、トースト、ベーコン、ミルク入りのコーヒーの朝食を和やかに終えると、新渡戸先生は真面目な顔でこう問うた。
顔見知りが増えるうちに、「サフラジェット」と呼ばれた婦人参政権獲得運動のために投獄された経験を持つ、イギリス人のレオノラと親しくなった。彼女が受けた想像を絶する拷問に道は震え上がって、詳細を聞くたびに吐き気がこみ上げてきてしまい、朝食のおかゆがしばらく食べられなくなったほどだ。
柚木麻子著『らんたん』より