たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

メイド・イン・ジャパン『らんたん』(2)

この時代の日本の素材、水で作った焼き菓子はさぞや美味だっただろうな。二度と再現できない味。

生姜の辛みのある、人形を模したもっちりとした洋菓子と、茶色の香ばしい熱々の甘い飲みものはこれまで味わったどんなおやつにも似ていなくて、道は夢中で口に運んだ。「ジンジャーブレッド」と「ココア」というのだとおじさんは教えてくれた。身体中がポカポカして、おじさんがすぐに帰ってしまってもまったく気にならなかった。

向学心というよりは、ココアやクッキーの味がどうしても忘れられなくて、道は札幌行きを決意した。

「皆さん、船から下りたら、お店で熱々のおかゆを食べましょう。道さん、みんなを先導してちょうだい」

遊びに行くと、とうもろこしで作ったポップコーンというバターの香りがするふわふわのお菓子が入った鉢と、卵と牛乳で作ったエッグノッグという甘い飲み物、それにアメリカから送られてきた美しい写真の載った雑誌がどっさり積まれていた。そこでゲームをしたり、スミス先生の弾くオルガンに合わせて歌を歌って過ごす。

お餅にポップコーン、オレンジも食べ放題だ。プレゼントでもらったお人形は今も宝物である。

「お待ちしていました。今ちょうど、ストロベリーのパイを焼き上げたところです」
玄関で草履の泥を払うと、うっとりするような甘酸っぱい香りに包まれた。メアリーさんというその奥様は、北海道はミルクも卵も肉も手に入るから、アメリカと同じような食事が用意できて嬉しい、と日本語で話してくれた。
(中略)
あの女の子、アヤさんが熱いパイと紅茶を運んできてくれた。道に小声で何か言い、照れ臭そうに目を伏せる。熱くとろけたいちごがいっぱいのサクサクのパイを頬張りながら、道は新渡戸先生と向かい合った。

やどりぎともみの木お甘いにおいが、熱いりんごジュースの香りと溶け合っている。
みんなで讃美歌を歌っているうちに、道は心に決めた。神と共に生きよう。これから先、どんなことがあっても、一生クリスマスを続けたいからだ。

校舎の二階にある寄宿舎に戻ると、ミス・ローズはあつあつの紅茶にお砂糖をたっぷり入れて、暖炉の前で桃太郎という名の猫と一緒にアフガンの毛布にくるまった。

おさげの少女がお茶を運んできたので、これ幸いと、道はお土産の風呂敷包みを広げて見せた。
「こちら、北星女学校の生徒たちと一緒に家政科の実習で焼いたバタークッキーと、りんごのジャムです。新渡戸稲造夫人のメアリーさんから教わりました。彼女の故郷のペンシルバニア州フィラデルフィアに伝わる作り方でやってみたものなんですよ。ブリンマーも同じ地域ですね? よろしければ、召し上がってください」
梅さんが、あら、と小さくつぶやいた。少女が行ってしまうと、おもむろにクッキーを手に取り、丈夫そうな歯を当てた。無表情でりんごジャムを塗りつけ、次々に口に運ぶのを見たら嬉しくなって、道はついつい英語で言ってしまう。
「新渡戸夫人はいつも北海道は牛肉や乳製品が豊富なので、アメリカと同じような食事が作れると、喜んでいらっしゃいました。(中略)」
(中略)
「(中略)このクッキー、フィラデルフィアと同じバターたっぷりの味がするわ。ブリンマーでは、毎日のようにバターを食べたのよ。大学の名前がスタンプで押された柔らかいバターが、学生食堂でそりゃもう気前よく出てきたのよ」
英語に切り替わるなり、梅さんは別人のようにお喋りになって、粉を散らしてどんどんクッキーを食べた。

初めての朝なので、アメリカ式のブレックファーストを、梅さんと生徒たちに振る舞うことにした。スミス先生から教わったポリッジという麦のおかゆとポーチドエッグは、我ながら上手くできたと思う。しかし、梅さんも生徒さんも一口食べるなり、変な顔でスプーンを置いた。

イベントに加えて毎日ティーパーティーが開かれた。紅茶やコーヒーを飲みながらバターと卵たっぷりのお菓子を食べ、級友と好きなことを語り合う時間が、道は何より好きだった。

それでも、道はケシの実をまぶしたケーキを片手に、抗議した。

道が論文書きで夜遅くまで起きていると、日本風にリンゴを剥いてそっとお皿に載せてくれたこともある。

梅たちはみな士族の娘同士で、同じ船室で寝泊まりするうちにすっかり仲良くなって、自然と5人で固まって、船内を探検したり、船酔いに効くという噂のコンデンスミルクを塗りつけたビスケットを食べたり、ごっこ遊びばかりして過ごしている。

道はうっかり感心してしまったが、いけない、このままでは、この子に居座られてしまう、と我に返り、女中さんにココアとビスケットを用意させて、なんとかゆりに思い直させようとした。
「ねえ、ゆりさん、明日には帰りなさいね」
ゆりはココアを一口飲むと、すぐにカップを置いた。

「こんな美味しい朝ごはん、初めて食べたわ。あなたは名コックね」
道はお味噌汁を一口飲むなり、教え子の小さな顔をまじまじと見つめた。だしの旨みが染み入るようだった。
(中略)
次から次へと缶詰や腸詰、名産の小さな焼き鳥など美味しいものが届くので、食いしん坊の道はとうとう笑い出してしまった。

『新渡戸夫妻と初めてアメリカに渡った時、船の中でとっても退屈でした。ゆりちゃん、明日から毎日一通ずつ開封してください。17日間の航海が楽しいものになりますように 道』
ゆりはその晩、封筒を抱きしめて、眠りについた。翌日から一日に一通ずつ開封していった。
おせんべい、チョコレート、小さな人形などが、次々に現れた。そればかりではなく、扇子には「高砂や、この因幡丸に煙出し出し髪黒々となりにけり」という替え歌が、塩豆には、「巻き毛ちゃんはすぐに西洋料理が好きになって、日本のおやつなんて忘れてしまうわね。初めてのゆり姫の洋行に付き添えるなんて、塩豆は光栄でございますわ!」なんていう小話やらが添えられていた。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

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