たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

メシ作りの耐えられない軽さ 神谷美恵子『神谷美恵子日記』

この本が電子化されていたのはちょっと意外で嬉しかった。偉人の日記を読むと、「人生ってあれこれ詰め込めるものだな」と思う...。とにかく凡人よりも生きてる時間が濃い。彼女は意志の医師である。

で、千葉敦子氏が『ななめ読み日記』で「(彼女に)弁当づくりをさせた夫を許せない」と怒っていたとおり、自分がやりたい書き物や医療の仕事と果てしないおさんどんの板挟みに苦しんだ日々が綴られている。めっちゃ今日的で、日本の家族のあり方は何も変わっていない。だいたいなんで医師で文学者がつまらぬ家事に時間を費やさなけりゃならんのだ。ものすごい損失。

朝阪神ビルの下でコーヒーを、昼ナンバの中華料理やでワンタンとブタマンと、すべてこの世の名残と言った気持で味わった。

昼食にまぐろのさしみ、きゅうりとかにの三杯酢。酒粕汁、父上午後入浴、ひるね。私は又食料の買物。

Rのたんじょう日。月足らずの律が十四才になるとは何という有難いことであろう。しかし何一つ祝らしいことをしてやれぬほど今日は忙しかった。お赤飯をたき、カツレツ、ケーキ、アイスクリームなどを夜の食事にまに合わせた。

子供の日とてプディングをつくりトンカツをつくる。

神谷美恵子『神谷美恵子日記』より

千葉氏は『ななめ読み日記』を書くのに犬養道子『マーチン街日記』のスタイルから着想を得たという。『マーチン街日記』は私が今のところ最も好きな日記文学。ボストンの歴史学徒としての生活記は何度読み返しても飽きない。 

コンビニのサンドイッチが懐かしい 五十嵐貴久『年下の男の子』

例の黒服の男が食前酒を運んできた。すぐ後ろから、作務衣のような服を着た若い男が前菜をテーブルに並べてくれた。
「左から、タケノコと湯葉のポワレ、壬生菜と鮎の煮浸し、空豆とゴルゴンゾーラチーズとフォアグラのパテ、一番右が浅蜊のソテー、ガーリックソース蒸しでございます」
ではごゆっくり、と二人が下がっていった。グラスを手元に引き寄せた児島くんが、飲む前に、と両手を膝に当てた。

まさか、と笑ったところで、黒服の男がスープの皿を下げ、代わりに白い紙に包まれた上品そうな料理を出してきた。器用な手つきで紙を破ると、テーブルの上に湯気がたった。
「サーモンの奉書包み焼き、エンドウ豆のムース添えでございます。香りをお楽しみくださいませ」
優雅な笑みを浮かべて去っていくその後ろ姿を見ていると、なぜかおかしくなってきた。

児島くんは気配りもよく、わたしのグラスが空くと何か飲みますか、とすぐに聞いてきた。わたしも決してアルコールに強いわけではないのだが、気がつけばメインの鴨肉のローストが出るまでの間に、食前酒に加えワインを3杯も飲んでいた。あんまり気を遣わないでくださいと言ったが、そんなつもりはないんですよ、とちょっと悲しそうな顔になった。

メインを食べ終えると、チーズとデザートが出てきた。その辺りは完全にフレンチのスタイルだった。
デザートは胡麻のアイスクリームと小さなイチゴのミルフィーユで、両方ともとてもおいしかった。児島くんはコーヒー、わたしはストレートの紅茶を飲みながら、しばらく話した。

店はちょうど昼時で混んでいたけれど、運よくカウンターに二つだけ席が空いていた。わたしたちは二人並んでランチを取ることにした。彼が頼んだのは生姜焼き定食のご飯大盛りで、わたしは刺し身御膳という比較的あっさりしたものにした。
生姜焼き定食を食べている間、彼は無言だった。前に一緒に食事をした時もそうだったが、とにかく彼は食べるのが異常に速い。

鶴亀食堂は、もしかしたら戦前から、いや、まさかとは思うが明治時代からあったのではないかと思えるような内装の店だった。店番はそれこそ大正生まれと思われるお婆さんで、どうやら厨房で食事を作っているのはその旦那様のようだ。
とはいえ、8卓ほど4人掛けのテーブル席があったが、そのうち6卓が埋まっていた。はやっていないというわけではないらしい。
そこでわたしたちは焼き魚定食を食べた。何だか食べてばかりでホームドラマのようだが、とにかくお腹が空いていたことは確かだったのだ。
ビールでも飲めばと勧めたが、しばらく迷っていたけれど、やっぱり車で来てるんで、と児島くんは普通にお茶を飲んでいた。

それぞれの家にご挨拶に行った帰りに寄ったコンビニで買ってきたサンドイッチをオレンジジュースで流し込みながら考えた。

博多ラーメン“天海”というその店は、もともと界隈では有名だったらしいけれど、最近になって休日の昼にやってる大型情報番組で特集されたことから、その人気に火がついたそうだ。
「あんまり、しかつめらしいお店だと嫌だな… ほら、お喋り厳禁とか、スープは全部飲み干せとか、店の方が指示するみたいな」
「そんなことないと思いますけど。少なくとも、店に行ったうちの連中はそんなこと言ってませんでしたね」
そんなことを話している間にも、わたしたちの後ろに4人連れのサラリーマンが並んだ。前の方からはメニューが回ってきた。店に入る前に注文を決めておけ、ということらしい。
「どうする?」
迷うほどラーメンの種類はなかった。いわゆるトンコツラーメンに、トッピングの類がいろいろあって、それで値段が違うだけの簡単なメニューだった。
「よくわかんないっすけど、とりあえずオススメって書いてありますからね」と児島くんがメニューの一番上を指した。「このオリジナル白湯トンコツラーメンってのにしますよ」
「じゃ、あたしもそうしようかな」
「オレは大盛りで」
そこだけは譲れない、というように児島くんが言った。

部長が連れていってくれたのは、最近女性向けの情報誌などでも話題になっているエクリュというオーガニック食材を扱ったフレンチレストランだった。よくこんなところを知ってますねと感心すると、趣味なんだよという答えが返ってきた。
「新しい店を見つけたり、行ってみるのが好きなんだな。だから、逆にあんまり馴染みの店とかはないんだよ。すぐ新しい方へ新しい方へと行っちゃうから」
そういうものなのか。わたしたちが席に着くと、当店特製の無農薬栽培の小麦粉で造られたパンでございますと言って、清潔そうな白いシャツを着た男の子が皿に2種類のパンを載せてくれた。
メニューを決めるのはそれからだそうだ。雑誌で読んだんだけど、と部長が“季節野菜の鮮やかメニュー”というのをご推奨してくれたので、わたしもそれにならうことにした。

そしてわたしの引っ越しについて部長が言い出したのは、メインディッシュの“鳩のカリカリオーブン焼き・ソテーした京野菜を添えて”が出てきた時だった。

「ところで、飯、食ってないっすよね。何にしますか」
わたしたちは同時にメニューを開いた。さて、何を食べようか。しばらく相談した結果、トマトのサラダと魚介類のフリッター、それからキノコのパスタと生ハムのピザを頼むことにした。
それで足りるのと聞くと、そんなに腹減ってないんで、という答えが返ってきた。児島くんにしては珍しいことだ。
テーブルに備え付けになっている細長いパンをぽりぽり齧りながら、わたしたちはしばらく会社の話をした。

何も食べていなかったのを思い出して、マンションへ戻る途中コンビニへ寄ってサンドイッチを買った。哀しいディナーだけれど、食欲がそれほどあるわけではない。今夜はこれで済ませることにしよう。

立っていたウエイターが近づいてきて、ビールでよろしいですか、と尋ねた。エンカレンという地ビールを頼むと、入れ替わるようにして簡単なつまみのようなものが出てきた。日本料理でいうところの突き出しだ。
「カロシで取れたエンドウ豆のソテーでございます」
男が説明する前に、児島くんがフォークで突き刺して、口の中に入れた。あれ、と不思議そうな顔になった。
「マジ、うまいすね」

朝食といってもたいしたものではない。トーストと目玉焼き、冷蔵庫に入っていた野菜で作った簡単なサラダ、そしてコーヒー、それだけだ。

黙ったまま、わたしたちはフォークで目玉焼きをつつき、トーストにバターを塗って、それを食べた。何を話せばいいのだろう。

ジョアンナは飲み物がメインの普通の喫茶店だ。食べ物の類がそれほど多いわけではない。わたしはメニューを開き、クラブハウスサンドイッチとアイスティーを頼んだ。

そんなわけで、児島くんの誕生日祝いは池袋のファミリーレストランで行われることになった。唯一、救いといえば、8月10日の午後11時に店に入ることができたということぐらいだろう。下手をすれば日付が変わった11日にずれ込んでしまう可能性だってあったのだ。
それでも児島くんは喜んでくれて、和風ハンバーグ御膳と共に、誕生日だからという理由でザッハトルテとイタリアンジェラートの2つのデザートを食べて、御満悦ではあったのだが。

食事はどれも素晴らしかった。前菜としてエンドウ豆をムース状にしたサラダ、その後にフォアグラと雑穀を併せた和テイストのソテー、薄く切ったアワビをトリュフソースで食べるカルパッチョとコースが続き、口直しとしてフランボワーズのシャーベットが出てきた。メインは肉と魚の両方、あるいはどちらかを選べるということだったが、わたしも児島くんもそこまでのコースにボリュームがあったため、ひと品だけにすることにした。
わたしは高知から直送されたという舌ビラメのムニエル、彼はクリスマス限定という飛騨牛のステーキを選んだ。少しずつシェアして食べたが、舌ビラめのシンプルではあるけれど濃厚でクリーミーな味わい、更に素材の味を活かしきるため塩と粒胡椒だけで味付けをしたステーキは、どちらも完璧としか表現の仕様がなかった。
最後にグラッパを勧められて少しだけ飲むと、香草の香りがとても心地よかった。まるで高原で食事をしているような気がした。
最後にシェフ帽をかぶったフランス人の女性が出てきて、私たちの目の前でクレープを作ってくれた。ブランデーを合わせてフランベすると、フライパンの中で美しい青い炎が踊った。
わたしはストレートの紅茶、彼はコーヒーをオーダーし、そのクレープを食べた。コースを締めくくるにふさわしい甘みと酸味の調和が取れたデザートだった。

部長に連れていかれたのは、会社からそれほど離れていない場所にあるバーだった。バーといっても、軽食の類はもちろんある。
部長は黒ビールを、わたしはファジーネーブルをオーダーしてから、食べる物をいくつか注文した。真鯛のカルパッチョとか、シーザーサラダとか、木の実の盛り合わせとか、そんなふうにあまり重くないものだ。

少し遅いランチになってしまったけれど、仕方がない。わたしはビルの外に出て、近くのコンビニで買ったサンドイッチと野菜ジュースで昼食を済ませることにした。

五十嵐貴久「年下の男の子」より

Kindleの日替わりセールで買ったのですが、やっぱり現代小説を読むのは時間のムダだなァ...と思わされたことでした。Kindleでなければ出会えなかった良作はほとんどマンガです。なぜならKindle以前はほとんどマンガを読まなかったからです。

キャシー・フリードマン優勝 村上春樹『シドニー!』

『村上さんのところ』をきっかけに、村上さんの紀行本を読み返しまくっている。この本については何の記憶もなかったのだが、キャシー・フリーマン優勝のシーンに感動。彼女自身の言葉もいい。

朝食を抜かしたので、売店で小型ピザとミネラル・ウォーターを買ってくる。アンザック・ブリッジにかかるまで、おそらく新しい展開はないだろうと踏む。だから席を立って売店に食料を買いに行ったわけだ。席に戻り、ヴェジタブル・ピザを齧り(ジャンク・フードの愉しみ!)、冷たい水でのどを潤しながら、先頭集団が橋にかかるのを待つ。

記者会見のあとで、お昼にプレス・センターでヤくんと2人で食事をする。白いご飯にビーフシチューのようなものをかけた料理と、蒸し野菜。<オジー・グリル>というコーナーにあった。味は悪くないんだけど(そして量もたっぷりとあるんだけど)、いかんせん牛肉が硬い。でもまあ顎の訓練と思って全部しっかりと食べる。時間がなくて朝ご飯もほとんど食べなかったし。

プレス・センターのデスクで仕事をしていたら、韓国の新聞の若い記者に「村上さんですか?」と声をかけられる。インタビューをさせてくれないかということ。3時半までちょうど時間があいていたので、30分くらいならいいよと言う。 

オリンピックの商業主義に関する笑えないエピソードは、実に数多くある。プレス・センターの食堂には<オジー・グリル>というオーストラリア料理を専門とするコーナーがある。ここがベーコン・エッグ・バーガーを出していた。カイザーロールにベーコンとエッグをはさんだもので、オーストラリアではとくに珍しい食べ物ではない。しかし隣にあるマクドナルドが文句をつけた。「おかげでうちのエッグ・マフィンが売れなくなっている。かっこだってそっくりじゃないか」と。マクドナルドはオリンピック委員会の大スポンサーだから粗略には扱えない。主催者はパンのかっこうを変更するようにとオジー・グリルに要望を出した。オジー・グリルはパンの形を変え、細長いロールパンに同じものをはさむことにした。それなら違うものになるだろう。ところがマックは納得しない。形は違っても、中身がまだ同じじゃないかと。それでとうとうオジー・グリルはそのメニューを完全にひっこめることになった。
パーティーはしゃれたビーチクラブの2階で開かれていた。メディア・パスを持っている人間なら誰でも入れる。そんな集まりに参加するつもりはなかったんだけど、たまたま部屋に入ったら、美人のウェイトレスがにこやかにやってきて、僕に白ワインのグラスと、スティックつきの海老の天ぷらを差し出した。断るのも面倒だし、ちょうどおなかもすいていたので、ありがたくいただいた。ソファに座り、試合が始まるまで寿司や天ぷらをつまみ、悪くないワインを優雅に飲んでいた。メディア・パスを持っていると、たまにこういう美しい経験をすることになる。
こんなことをしていたら風邪をひいてしまいそうだ。だから一緒に来ていた編集のヤくんに「寒いからもうやめて、温かいうどんでも食べにいこうよ」と言う。彼はダフ屋から100ドル(6000円)増しの切符をわざわざ買ったので、こんなにすぐに出ていくのはもったいないのだが、風邪をひいては元も子もない。冗談半分で言いだしたのだけど、競技場を出て通りを歩いていたらほんとにうどん屋があった。ボンダイ・ビーチのうどん屋。 ずるずると「シーフードうどん」をすすって、身体を温める。1週間前までは暑くて暑くて、温かいうどんが食べたくなるだろうなんて予想すらしなかった。ところが春先の気候は不安定で、一度冷え始めると、どんどん寒くなっていく。

気味の悪い内容のCD-ROMを時間をかけてじっくりと見てから、博物館を出て食事をしました。<ハイドパーク・バラックス>という昔の刑務所(今は博物館になっています)のガーデン・カフェで、その煉瓦造りの建物を見ながら白ワインを一杯飲み、焼き野菜のリゾットと野菜サラダを食べました。なかなかおいしかった。勘定は25オーストラリア・ドルです。日本円にすると約1500円。ワインは「コックファイターズ・ゴースト」というものでした。セミヨン、98年。悪くないワインです。

オーストラリアのワインの質はなかなかのものですよ。よほど安物でもない限り、がっかりすることがない。

8時になってホテルを出て、近所のコンビニで新聞を買い、愛想のいいトルコ人のおじさんがやっているカフェに入って朝食を食べる。今日は土曜日なので、いつも行くカフェはどれも開いていない。野菜のオムレツとトーストとコーヒー。パンはトルコ風である。オムレツは「とてもきれいにできている」とは言い難いけれど、味はさっぱりして悪くないし、なにより野菜がたっぷりと入っている。夫婦で経営している店らしく奥さんが奥で料理を作っている。とんとんとんと野菜を刻む音がこちらまで聞こえる。全部で12ドル。

シドニーの街にはトルコ人のカフェとか、ギリシャ人のカフェとかもいっぱいある。エスニック料理の店が本当に多いのだ。 

休憩時間にホットドッグとコーヒーで簡単に食事をすませる。ホテルから持ってきたリンゴも齧る(コンピュータを盗まれたおわびにホテルがフルーツ・バスケットを贈ってくれた)。水もたくさん飲む。

朝食がわりに部屋にあるコーンフレークと果物を食べる。

どうせ今日の夕飯は競技場にいて、ろくなものは食べられないだろうからと思って、お昼ご飯に近所の日本料理店でしっかりとボックスランチを食べておく。17ドル。天ぷらと刺身と揚げ出し豆腐と魚の照り焼き。それからセントラル駅のカフェで持ち帰りのサンドイッチを買う。コーンビーフとチーズのサンドイッチ、2ドル90セント。

駅の売店で面白そうな本があったので買い求める。『オーストラリアの短い歴史』と『探検家たち』。後の方はオーストラリアの奥地を探検した人々が書き残した文章を集めたアンソロジーである。僕の読んだパトリック・ホワイトの『ヴォス』のモデルになったドイツ人の探検家、ラドウィグ・ライカートの書いた文章も載っている。電車の中でぱらぱらと読んでみる。

カフェでコーヒーとブレッド・バスケットの朝食をとる。12ドル。初めて入るカフェだが、ほかのところに比べるとちょっと高い。

市内に戻り、その足でダーリング・ハーバーから中心地へと出る。失われた携帯電話を探して空しく警察をまわって、おかげで昼ご飯を食べ損ねていたので、ダーリング・ハーバーのシーフード・レストランに入り、ソードフィッシュのグリルと、野菜サラダを食べる。とにかく野菜サラダが無性に食べたかった。勘定は48ドル(3000円弱)。味はよかったけれど、ウェイトレスはほとんど口をきかない。今日はどの店に入ってもウェイトレスの機嫌がよくない。

(中略)

しかしオーストラリアのレストランの料理は、都会でも田舎でも、どこで食べても悪くない。ぜんぜん悪くない。少なくともアメリカやイギリスの同等のレストランで出される料理に比べたら、比較にならないくらい質は高い。肉にしても野菜にしてもシーフードにしても、材料は新鮮で、味つけもさっぱりしていて、しつこくない。過度に凝った料理は出てこないけれど、普通に調理されたものが美味しい。オーストラリアは食べ物が美味しいと聞いていて、「ほんとかよ」と半信半疑だったんだけど、疑って悪かった。本当です。

いったいどのような過程を経て、このように料理の質が全体的に高く維持されることになったのか、とても知りたい。だってこう言っちゃなんだけど、服装だってどっちかと言うと(言わなくても)あまりファッショナブルとは言えないし、洗練された刺激的な文化によってその名を広く知られているお国柄というのでもないのに(むしろその逆なのに)、レストランの料理はいける。ワインもおいしい。ビールもおいしい。

村上春樹著『シドニー!』より

チンパーティ 内館牧子『女盛りは意地悪盛り』

車社会に引っ越してさみしいのは、出かけた先で気軽に飲めなくなったことだ。「自分チ」か、「人んチに泊まるとき」が唯一の飲酒の機会である。

(実際のところ、私の住むカウンティでは「1杯くらいのアルコール量まではOK」的なルールがあるので、たいていの人は外食で飲んでいる。ただし、DUIは日本よりもずっと重犯罪、即牢獄行き。)

内館作品との出会いは「ひらり」「私の青空」を毎日見ていたことから始まる。

著書は『養老院より大学院』がいちばん好きで、何度か買い直してしまった... 今は電子版があるので、海外にいても手にとれる。

「俺の田舎の山うどのうまさ、懐かしいよなァ。東京のうどは味がしないよ」

と言い、何人かの男子メンバーが「そうだ、そうだ」と同調した。

実は「うど」は東京が大産地なのだが、やはり故郷の味とは違うのだろう。女子メンバーは全員が東京か近県の出身だったが、男子メンバーは大学入学時に東京に出て来た人が圧倒的に多かった。そしてその席で、Aさんは、

「うまいうどの天ぷらとキンピラ食いたいなァ」

とため息をついたわけである。

ところが、シルクロードを取材するため、写真家の管洋志さんとスタッフと、中国の西安に向かったのが6月のことだった。西瓜シーズンの始まりで、市場でも露店でもすでに最盛期のような西瓜の山。リヤカーに積んで売り歩く行商も賑やかだった。

到着したばかりの私たちは、暑さと人いきれの市場を歩きながら、決して美しいとはいえない店に入り、西瓜ジュースを飲んだのだ。そのおいしかったこと!たぶん、「メロンのとこ」も使っているのだろう。青くさくて甘くて、おいしいの何のって、私たちは全員がハマってしまった。

ある時など、「喜び組」の1人と青葉山界隈をドライブした。そして、お茶を飲もうということになり、店に入った。彼は運転するので、当然、

「僕、ジュースにする」

と言った。将軍様は何も考えずに、当然、

「私はビール。そうね、肴はホタルイカ」

と言った。

そして、その「チンパーティ」の前夜、メンバーのA子から、何を持って行こうかと電話があった際、私はつい言った。

「掟破りだけど、私、サラダだけ作っとくわ」

するとA子、叫んだ。

「えーッ、サラダ作ってくれるの? 本当? 泣けてきた…」

たかだか野菜をちぎるだけで、この感動だ。女の可愛さも極まれりではないか。A子は次に言った。

「乾き物はあるの?」

何よりも先に「乾き物」と言う発想が貧しくて、泣けてくるではないか。私はすぐに答えた。

「あるある! 仙台の牛タンジャーキーもあるし、ピーナツもあるし、柿の種もあるわ」

「そんなにあるの?」

「うん。サキイカとホタテの薫製もある」

「すごい…… 。 あなたの食生活って充実してるのね」

(中略)

そして当日、A子はプラスチックの器に作りたての「明太子パスタ」を詰めて、胸を張ってやって来たのである。私はといえば、ここは掟破りでも致し方ないからと、フライパンとオイルを用意して待っていた。私の自宅に着くまでに、パスタはくっついているはずで、もう一度火を通すしかないと思っていた。

しかし、到着したA子は、

「ヘーキ、ヘーキ。チンすりゃオッケーよ」

と言う。そして、チンしたら、何とくっついたパスタはアッという間に離れてしまった。あぶった海苔をかけると、ほとんど作りたてのおいしさである。私とB子は、A子によって改めて「チン」の偉大さを確認させられたのであった。

彼女が私の家に来た時は、私が作るしかないので作るが、常に秋田のキリタンポ鍋である。大きな土鍋に、市販のキリタンポと市販の出し汁を入れ、野菜と比内鶏をぶちこみ、

「アタシの故郷、秋田のキリタンポ鍋にしたわ」

と言えば、猛暑だろうが、残暑だろうが鍋料理を出す立派な理由になるわけで、つくづく故郷が「鍋どころ」で助かっている。

 

その料理上手のトミちゃんが、深夜の電話で何気なく言った。

「今日はひじきをたくさん煮たの。大豆と油揚げをたっぷり入れて」

それを聞き、私は猛然とひじきの煮たのが食べたくなった。

内館牧子著『女盛りは意地悪盛り』より

サンドイッチとコーヒー 村上春樹『色彩を持たない、多崎つくると、彼の巡礼の年』

この本を読んで「かもめ食堂」を思い出し、今、そばで流している。

「かもめ食堂」は折々に見返したくなる不思議な作品。

ところで、村上作品を読んだのは久しぶりだったが、メタファーに富んでいることに驚く。質問サイトで彼の戦争や原発に対する意見を読み、TIME 100にiconの1人として選ばれたことがサイドの情報としてあるからかもしれないが...

かもめ食堂

かもめ食堂

  • 小林聡美
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食べることにはほとんど注意を払わなかった。空腹を感じると、近所のスーパーマーケットで林檎や野菜を買ってきて齧った。あるいは食パンをそのまま食べ、牛乳を紙パックから飲んだ。眠るべき時間が来ると、ウィスキーをまるで薬のように、小さなグラスに一杯だけ飲んだ。

灰田は料理が得意だった。音楽を聴かせてもらう御礼にと、彼はよく食材を買ってきて、キッチンに立って料理を作った。調理器具も食器も、姉がひと揃い残していってくれた。つくるは他の多くの家具と同じように、また彼女の以前の男友だちから時々かかってくる電話と同じように(「すみません。姉はもうここには住んでいないんです」)、それらを引き継いだだけだ。二人は週に二回か三回夕食をともにした。音楽を聴き、様々な話をしながら、灰田の作った料理を一緒に食べた。その多くは簡単にできる日常的な料理だったが、休日には時間をかけて凝った料理に挑戦することもあった。味はいつも素晴らしかった。灰田には料理人としての天性の才能が具わっているようだった。プレーン・オムレツを作らせても、味噌汁を作らせても、クリームソースを作らせても、パエリヤを作らせても、どれも手際よく気が利いていた。

「物理学科に置いておくのは惜しいな。君はレストランを開くべきだよ」、つくるは半分冗談でそう言った。

週末の夜、灰田はつくるのマンションに泊まっていくようになった。二人は夜遅くまで話し込み、灰田は居間のベッド兼用ソファに寝支度をととのえて眠った。そして朝にはコーヒーを用意し、オムレツを作った。彼はコーヒーにはうるさく、丁寧に焙煎された香ばしいコーヒー豆と、小さな電動式のミルを常に持参した。コーヒー豆に凝るのは、貧乏な生活を送っている彼にとってのほとんど唯一の贅沢だった。

つくるは例によって一杯だけワインを飲み、彼女がカラフェの残りを飲んだ。アルコールに強い体質らしく、どれだけ飲んでも顔色はほとんど変わらなかった。彼は牛肉の煮込み料理を選び、彼女は鴨のローストを選んだ。メイン・ディッシュを食べ終えると、彼女はずいぶん迷ってからデザートをとった。つくるはコーヒーを注文した。

彼はその本に意識を集中し、別の世界に心を移しているように見えた。しかしつくるが顔を見せるとすぐに本を閉じ、明るい笑みを浮かべ、台所でコーヒーとオムレツとトーストを用意した。新鮮なコーヒーの香りがした。夜と昼とを隔てる香りだ。二人はテーブルをはさみ、小さな音で音楽を聴きながら朝食をとった。灰田はいつものように、濃く焼いたトーストに薄く蜂蜜を塗って食べた。

十二時五分前にアオはスターバックスに現れた。

「ここはうるさい。飲み物を買ってどこか静かなところに行こう」とアオは言った。そして自分のためにカプチーノとスコーンを買った。つくるはミネラル・ウォーターのボトルを買った。

一時間ほどかけて買い物を済ませたあと、少し休みたくなって、表参道に面したガラス張りのカフェに入った。窓際の席に座り、コーヒーとツナサラダのサンドイッチを注文し、夕暮れの光に染まった通りの風景を眺めていた。

カフェでは人々はビールやワインを飲み、談笑していた。丸石敷きの古い通りを歩いていると、どこからともなく魚を焼く匂いが漂ってきた。それは日本の定食屋で鯖を焼いている匂いに似ていた。つくるは空腹を感じ、匂いを辿るように、狭い横町に入ってみたが、その源を特定することはできなかった。通りを行き来しているうちに、やがて匂いは薄らいで消えてしまった。

食べることについてあれこれ考えるのが面倒だったので、彼は目についたピツェリアに入り、屋外のテーブルに座って、アイスティーとマルゲリータのピッツァを注文した。沙羅の笑い声が耳元で聞こえてきそうだった。飛行機に乗ってわざわざフィンランドまで行って、マルゲリータ・ピッツァを食べて帰ってきたのね、と彼女は言っておかしがるだろう。

でもピッツァは予想を超えてうまかった。本物の炭火の窯で焼いたらしく、薄くてぱりぱりとして、香ばしい焦げ目がついていた。

その気取りのないピツェリアは家族連れや、若いカップルでほぼ満席だった。学生たちのグループもいた。みんなビールかワインのグラスを手にしていた。多くの人が遠慮なく煙草を吸っていた。見回した限りでは、一人でアイスティーを飲みながら黙々とピッツァを食べているのは、つくるくらいだった。

ハメーンリンナの街に着いたのは十二時前だった。つくるは駐車場に車を駐め、十五分ばかり街を散策した。それから中心の広場に面したカフェに座ってコーヒーを飲み、クロワッサンをひとつ食べた。クロワッサンは甘すぎたが、コーヒーは濃くてうまかった。

キャビンの中には誰もいなかった。テーブルの上にはコーヒーカップがひとつ、ページが開きっぱなしになったフィンランド語のペーパーバックが一冊載っているだけだった。どうやら彼はそこで一人で本を読みながら、食後のコーヒーを飲んでいたらしい。彼はつくるに椅子を勧め、自分はその向かいに座った。本にしおりを挟んでページを閉じ、脇に押しやった。

「コーヒーはいかがですか?」

「いただきます」とつくるは言った。

エドヴァルトはコーヒーメーカーのところに行って、湯気の立つ温かいコーヒーをマグカップに注ぎ、つくるの前に置いた。

「砂糖とクリームはいりますか?」

「いいえ、ブラックでいいです」とつくるは言った。

エリは彼に夕食まで残っていくことを勧めた。

「このあたりではよく太った新鮮な鱒がとれるんだ。フライパンで香草と一緒に焼くだけのシンプルな料理だけど、なかなかおいしいよ。よかったらうちの家族と一緒に食事をしていって」

白髪のウェイターがやってきて、沙羅はレモン・スフレを注文した。デザートを欠かさず食べながら、彼女が美しい体型を保ち続けていることに、つくるは感心しないわけにはいかなかった。

ウェイターがレモン・スフレとエスプレッソ・コーヒーをテーブルに運んできた。彼女は熱心にそれを食べた。どうやらレモン・スフレを選んで正解だったらしい。つくるは彼女のそんな姿と、エスプレッソ・コーヒーから立ち上る湯気を交互に眺めていた。

「それはそうと、スフレを一口食べない? とてもおいしいわよ」

「いや、君が最後の一口まで食べればいい」

沙羅は残ったスフレを大事そうに食べ終え、フォークを置き、口元をナプキンで丁寧に拭い、それから少し考えていた。

歩き疲れると、あるいは考え疲れると、カフェに入ってコーヒーを飲み、サンドイッチを食べた。

夕方になると、オルガが勧めてくれた港の近くのレストランで魚料理を食べ、冷えたシャブリをグラスに半分飲んだ。

暑い一日になりそうだった。エアコンのスイッチを入れ、コーヒーをつくって飲み、チーズ・トーストを一枚食べた。

プールから帰って、半時間ほど昼寝をした。夢のない、意識をきっぱり遮断されたような濃密な眠りだった。そのあと何枚かのシャツとハンカチにアイロンをかけ、夕食を作った。鮭を香草とともにオーブンで焼いてレモンをかけ、ポテトサラダと一緒に食べた。豆腐と葱の味噌汁も作った。冷えた缶ビールを半分だけ飲み、テレビで夕方のニュースを見た。そのあとはソファに横になって本を読んだ。

新宿駅を出て、近くにある小さなレストランに入り、カウンター席に座ってミートローフとポテトサラダを頼んだ。そしてどちらも半分残した。まずかったわけではない。そこはミートローフがうまいことで有名な店だった。ただ食欲がなかったのだ。ビールをいつものように半分だけ飲んで残した。

村上春樹『色彩を持たない、多崎つくると、彼の巡礼の年』より

63個のミートボールの縁 Jason Priestley: A Memoir

ビバヒルのジェイソン・プリーストリーが昨年出したメモワールから。

後半2つのエピソードはなかなか印象深かった。

彼はカーレースの事故で生死をさまようのだが、家に戻ってしばらくの間、毎日昼いっぱいかけて料理に挑戦し続けたのは良いリハビリだったと。

また、配偶者のNaomiさんと63個もガーリック・ミートボールを作ってしまい、隣人を招いて5時間ディナーを決行した楽しい思い出。(隣人オチもいい)

この本は、彼の善人ぶり全開でなかなかよかった。

感想文はこちら。 

Lunch was always raw almonds, millet, greens… which funnily enough seems quite trendy and acceptable now. But back in the age of processed foods? It was simply unheard of.

Being big foodies, Naomi and I both were quite picky about the reception menu, and it more than exceeded our expectations. A huge pile of stone crab claws, literally four feet high, and every kind of seafood pulled directly out the nearby Caribbean waters were exquisite. The amount of food was overwhelming and every bite of it delicious.

When I came home, I would leaf through one of the many cookbooks in the house and settle on one of the most complicated, involved recipes I could find. I only chose dishes that before the accident I simply had not had the time to tackle. I was free to spend all day preparing coq au vin or cassoulet. My entire challenge for every afternoon was to make dinner. Trust me: at the time, creating these dinners was always a four- or five-hour ordeal.

I mixed and measured, sliced, chopped, and pureed. The math involved in measuring ingredients or adapting recipes gave my brain a good workout. Cooking is all about timing and multitasking. It was not easy, and there were some major mishaps along the way, but my reward was usually a delicious dinner. Meal preparation became a huge part of my rehabilitation and something that carried on well after my recovery. To this very day, when I'm home, I'm the cook.

I was spending all my afternoon in our big old kitchen with the original 1928 cabinetry - though it had a modern range and refrigerator. It was such a fantastic room, the best place in the house. Naomi and I both loved coking or just hanging out in there.
One day we made roasted garlic meatballs, a phenomenal recipe but ridiculously complicated and time-consuming. Somehow, we didn't realize that we would wind up with thirty-six meatballs. We were faced with this ridiculously huge mound of meatballs. "Crap, honey, what are we going to do with all this freaking food?" I asked her.
"I know!" Naomi said. "I'll run over and ask the neighbors if they'd like to have dinner with us." Jack and Dennis were partners, in work in life; we'd spoken briefly to them out on the street the day we moved in. I thought inviting them was a great idea so we both put on our shoes, went down the fifty-two steps, and crossed the street to knock on our neighbors' door.
"Hi, guys! We made way too much food. Can you come over and help us eat it?" Our neighbors accepted and showed up a few minutes later. I headed to the wine cellar and started pulling corks, and dinner with our new friends began. It turned into an unbelievable five-hour-long feast, and they literally rolled themselves home. (It wasn't until years later that they told us they had already eaten a big meal that night, but wanted to connect, so they came over for dinner anyway and stuffed down some meatballs.)
After that we saw them frequently - generally starting around happy hour. I'd get a cheese plate and pâté
 going, and they would drop by after work.

Jason Priestley, Jason Priestley: A Memoir

食べられさえすれば 山本文緒『再婚生活 私のうつ闘病日記』

小さな佳品集『絶対泣かない』で鮮烈なシーンを焼き付けられて以来、山本氏の作品はほとんど読んでいる。

彼女が闘病生活を送っていたことは何かで読んだことがあった。

寛解を迎えたときの記述が、『絶対泣かない』の読後感に似て映像のようだった。

本書で教えられたことは、保険買うより貯金せよ、ということと、「つまり自立とは、自分さえ良ければいいというわけでなく、弱った人を助けることができることだと知ったからです」。

上記の食べ物に関していえば、日本の総菜生活っていいよな、としみじみ。オリジン弁当のキムチ焼き肉弁当とかなつかしい。ベローチェでパスタ、も。

起き抜けのコーヒーを飲みながらネット巡回、洗濯、簡単な朝食、簡単な掃除、という朝の基本手順を踏むと一日がうまくまわるようだ。

午前中に、秋に出る文庫の再校ゲラをチェックし、昼食にリゾットを作って食べた

帰りにコンビニで冷やし中華とみりんを買った。肉じゃがを作ろうとしたら、みりんがなかったので。

昨日元気すぎたツケがきて、頭も体も動かない。

肉じゃがは味付けが薄すぎて、おいしくなかった。

躁鬱やパニック生涯や拒食・過食状態の女の人に共通していることを入院して知ったのだが、それは自分でご飯が作れなくなること。

今日の私は野菜入り簡単リゾットを作って食べたので、だいぶ元気なんだろうと判断し、他社の雑誌の仕事をしてみる。

ショックから立ち直れないまま、もう二分ほど歩いたところにある和食系ファミレスで虚ろなままうどんを食べ、放心のままメニューを眺めてみたが、デニーズの代わりになるにはあまりに力不足。ハンバーグもパスタもカレーもないファミレスなんて。朝定食もない二十四時間営業でもない家から遠いファミレスなんて。

夜、角川チームとの打ち合わせ&宴会があったけれど、頭の中は私を捨てていったデニーズのことでいっぱい。

新大久保の韓国料理屋でもそもそとチヂミを食べていたら、見覚えのある女の人が店の中を行ったり来たりしていた。きゅっと小さいけれど力強そうな感じのあの人はどう見ても大貫妙子さんだ。

まだ元気なうちにと、コンビニへ買い物に。普段ほとんど甘いものを食べない私だが、発熱中だけはアイスクリームが食べたくなるのでハーゲンダッツを四つ買う。ついでにジュース、野菜、サンドイッチ、フィール・ヤング購入。

午前中に札幌秘書のモモママから段ボール箱でジャガイモといくらがどっさり届く。お昼ご飯に早速いくら丼を作って食べた。

帰ろうとしたらものすごくおなかがすいて、でもいつものようにモスバーガーやラーメン屋に寄るわけにもいかない。世の中にはなんて食べてはいけないものばかり売っているのだろう。人恋しくなってしまって、用もないのに事務所に行き、マシマロに愚痴って少し泣いた。情緒が不安定。事務所そばのオリジン弁当で魚と野菜の煮物を買った。

そんなふうに気持ちの落ち着きどころを見つけたら、不思議と気持ちが上向きになって、最近面倒くさくて全然行っていなかったスーパーへ食材を買い出しに行く気になった。仕事も少しして、クリームシチューを作ってみた。

正しく朝八時に起きる。正しく洗濯し、焼き魚とサラダという正しい朝食を摂るも気分は滅入っている。

 

やっと帰宅した王子と車で出かけ、たまにはいいメシをとフォーシーズンズの中華へ行った。疲れたけれど、王子と久しぶりにゆっくりいろんなことが話せてよかった。

 

今朝は王子が朝の八時半に家にやってきたので、嫁らしく朝ご飯を作って二人で食べた。王子は食器を洗ってくれて、食後のコーヒーまで淹れてくれた。

 

午後に生協の配達があり、誰がこんなに注文したんだ(私だ)と憤りを感じるほどの食料品を受け取る。野菜が野菜室に収まりきらず、仕方なく白菜とキノコ類でキムチスープを作った。

 

二人して買い物ハイで、夕飯に焼き肉を食べにゆく。人間ドック以来お肉は久しぶりで、しみじみ美味しかった。焼き肉だけでやめておけばいいのに、ちょっとアルコールが入るといい気になる我々は、焼き肉屋の焼酎がおいしくなかったので、おいしい日本酒を飲んで帰ろうと、行きつけの地酒屋へ。

 

お礼に夕食でもと誘うと何故か両者に辞退され、じゃあお茶でもということになり近所のカフェへ。おなかが空いていたので私だけディナープレート(千円)というのを注文し、さくさく食べ終わった頃にウェイトレスがにこやかに「デザートです」とチョコバナナのクレープを置いていった。微笑みを絶やさないウェイトレスと対照的に、堂々とまるまって大振りのグラスにささっているクレープを、一同固まったまま凝視した。

「一応聞くけど、食べたい人いる?」と私。

「とんでもない」とマシマロとコトリン。

うちの事務所の女性は甘い物があまり好きではなく「わーい、クレープだあ」などという発言がありえるはずもない。残してもよかったのだが、こわいもの食べたさで食べてみました。チョコバナナのクレープ。いやもう甘い。そして非常に懐かしい。

というのは、私がクレープを食べたのはたぶん22年ぶりになるからであろう。

高校生のとき、つきあっていたボーイフレンドがクレープ屋でバイトをしていたため、その頃は義理でわりとよく食べた。でも大学生になってから、たぶん私は一口もクレープというものを食べていないんじゃないかな。

チョコバナナクレープはチョコとバナナと生クリームの味がした。当たり前。

 

せっかく午前中から外出したので、せめて何か用事でも済まそうと、新宿高島屋に入っているベスト電器にて仕事部屋の冷蔵庫とガス台購入。おなかが空いたので高島屋にてオムライスも食べた。

帰宅後、あちこちに愚痴電話をかけ、さっぱりしたので仕事をした。

 

いつまでたっても荷物が来ないので、買ってきたサンドイッチを食べたら睡魔に襲われ和室で気を失う。

夕方にやっと荷物が届き、雑貨屋で仕事部屋用の薬缶を買う。

帰ろうとしたら、特に何をしたわけでもないのに激しくだるくなり、家に帰ってご飯を作るのが面倒で、一人ラーメン屋に寄った。

冴えない気持ちでラーメンをすすりながら、そういえば最近あんまり「嬉しい気持ち」になることが少ないなあ、と思った。

前はほんのちょっとしたことでも、すごく嬉しいと思っていたのに。

たとえばお洒落でもなんでもない雑貨屋で、すごくかわいい薬缶が見つかったり、ラーメンにトッピングしたキムチがすごくおいしかったら、ご機嫌になったはずなのに。

感受性まで疲れているのか。

なにがそんなに私を疲れさせているんだろう。

 

先月分のこの日記を推敲してメールで送り、打ち上げ気分で一人鍋をする。

白菜にポン酢がしみしみ美味い。鍋って実は一人で食べたほうが味がわかっていい。

大勢でわいわい食べると、喋ることのほうに神経を使ってしまうので。

 

クラブから新しい仕事部屋までの道のりも、バスに乗らず歩き、仕事部屋にてコンビニで買ったちらし寿司を食べた。

 

今日は待ち時間がなかったので11時には病院を出られた。

とりあえずお昼を「ねぎし」という牛タンの店で食べる。

 

帰宅し、買ってきた『花とみつばち』完結編を読む。漫画はいいねえ、とご機嫌な気持ちで、きんぴらごぼうを作って食べた。

 

アスパラとソーセージ炒めとパンを朝食として食べ、洗濯。

明日ダスキンがくるので今日は掃除の日とする。

 

小雨の中、近所のドラッグストアーに日用品の買い出し。洋服がみたくなってコンビニで『Domani』購入。

帰宅して、焼き魚ときんぴらごぼうで昼食。

 

寒いのと早朝起きたせいでベッドが恋しくなり、一時間半ほど昼寝。

遅めの昼食にペペロンチーノを作る。

食後、一気に小倉さんの『結婚の条件』読了。

 

最近私も王子も40を超えて食が細くなってしまい、コースはとてもじゃないが全部食べられそうもないので、料理長に相談して、おいしいものを少しずつ出してもらうことに。

それでも最終的にはおなかいっぱいで二人とも苦しくなる。

若くていくらでも食べられたときはお金がなくて、少々お金が使えるようになると量が食べられないという人生の無常。

 

大腸検査の前日なので、今日は三食とも病院指定の検査食しか食べてはならない。

朝と昼がおかゆ、おやつにクッキー、夕飯はスープのみという悲しい一日。

おかゆはほとんど味がせず、何を食べてもあんまり不味いと思わない鈍感な舌を持つ私でも「これは不味い」と断定。

 

夜、自宅に戻って悲しい気持ちでコーンポタージュを大事に大事に飲んだ。

夜7時以降は水分以外のものを摂ってはいけないとのことなので、眠くなるまでヤケクソ気味にチャット。

見知らぬ人々に鬱憤をぶつけると、見知らぬ人々は優しく同情してくれた。

猫に缶詰をあけてやったら、それが異常においしそうにみえてクラクラする。

 

王子と病院を出て、目についたファストフードでサンドイッチを食べたら夢のようにおいしかった。

が、さすがにダメージがあったのか、その晩はおそばが一杯全部食べられなかった。

 

夜に出かけてもいいかも、と思えるくらい元気があったので、王子と待ち合わせて夕飯は四谷の牛タン屋へ。

おいしかったが狭い店でのカウンター席だったせいか、背中と腰が疲れた。

 

午後(間違いなく保守本流の負け犬)マシマロがエッセイ集のゲラを取りにきてくれたので、「あなたの必読書です」とその本を渡す。

ついでに魚久の粕漬けの残りとみかんも持たせた。

おなかが空いていたと思われるマシマロに「焼き肉屋行きましょうよう」と誘われ、近所にできたばかりのファミレス系焼き肉屋へ。

午後3時という半端な時間に、二人ともダブルカルビ定食完食。

入院寸前のうつ病患者としては、ダブルカルビ定食というのはいかがなものか。

それはあまりにも元気すぎる食事ではないか。

 

無難に取材をこなし、迎えに来てくれた新潮社・由花さんと小林さんとで、飯倉の焼き肉屋へ。

ファミレス焼き肉を食べたばかりだったので、肉のおいしさに唸り、ガンガン食べる。が、実は途中でちょっと胸が痛みはじめていた。

 

母ミッチーが焼き肉好きなので、またもや近所の焼き肉屋へ。そしてまたダブルカルビ定食。

私と父ミッチーは完食できなかったが、母ミッチーは私たちが残した分まで嬉しそうに食べていた。

 

お昼前にマシマロが変えると、急に心細くなる。昼食はスパゲティーミートソース。

正直言っておいしくはない。

でも、自分でご飯が作れなくなっている身には、何もしないで食事が出てくるだけでも有り難い。

 

8時朝食。パンとサラダとヨーグルト。

食べたら急に眠くなって、しばらくうとうとする。

ラジオ体操のアナウンスで飛び起き、中庭へ。

ラジオ体操は案外人気があって、寒いのに大勢の人が出席。体の病気ではないので、みんな少しは運動したいようだ。

 

本屋と洋服屋を見ていたら、突然無性に甘いものが食べたくなり、喫茶店に駆け込んでチーズケーキを貪り食べた。

普段甘いものはあんまり食べないのに、どうしたことだ?

そんなに病院のご飯が不味いのか?

夕飯直前に病院に戻り、今日はビールとケーキという、いけないものを摂取したので、夕飯はおかずをちょっとつまむだけにしておいた。

 

久しぶりの外食に心躍る。そこがファミレスであっても。

病院では出ないものを頼もうと悩んだ末のオーダーは、みぞれハンバーグとカキフライという案外平凡なもの。

けれど、久しく揚げ物を食べていなかった私はカキフライのおいしさを涙ぐんで噛みしめた。

 

広尾あたりで適当に車を停め、チェーン店の安い寿司屋へ。

病院の正しい食事を日夜食べている私には、安い寿司でも、ものすごいご馳走。

入院していなかったら「やっぱり安い寿司はこんなもんかね」なんて思ったに違いない。

病気は人を謙虚にするなり。寿司屋のあとに入った喫茶店で飲んだコーヒーすら「インスタントじゃない。ぬるくない」と感激する私。

 

そういえば、王子と私の結婚式の当日、王子のお母さんが突如いちご大福を作りはじめて時間に遅れそうになったことを思い出した。

(そのいちご大福は当日と翌日、小腹が空いたときに大変役に立ったのだった)。

 

夕方、かねてから行こうと言っていた、銀座にある牡蠣のお店に予約を入れてゆく。

王子はカキフライ派、私は生牡蠣派。

山のように牡蠣を食べられて、シャバの喜びに浸る。

 

夕方に王子が年越しそばを買って帰宅。とたんに機嫌が直って、早速二人で食べた。

紅白がはじまるまで、王子は年賀状作りの続き、私は編み物の続き。

 

夕方になり煙草対決の結果を集計すると、三本差で私の敗北。

負けた方が寿司を奢ることになっていたので、高円寺の安くておいしい『桃太郎すし』まで出かける。

熱燗を飲んだら少し元気が出たと思ったのに、寿司屋を出て喫茶店に入ったとたん、王子に「顔色がよくない」と言われ、コーヒーもそこそこに車で病院に送られる。

 

秘書マシマロも東京に戻ってきて、大量の年賀状を持ってきてくれた。

みたらし団子で二人、新年を祝う。

 

昨日もらったメロンを丸ごと持って帰ってきたので、一応王子に電話をしてみると、食べに来るとのこと。

王子とメロンを半分ずつ平らげる。

さすがお見舞い用マスクメロンは非常においしかった。

 

お昼前に王子が迎えに来てくれたので、自分のマフラーの次にベストを編もう(依存~)と毛糸屋に寄ってもらってから、たまにはいいメシをとパークハイアットのニューヨークグリルへ。

ここには数年前に仕事がらみで来たことがあったのだが、そのときは味が全然わからなかったのに、今回は夢のような美味しさにびっくりする。

プライベートでリラックスしているせいもあるにせよ、一ヶ月以上病院食の日々だったので、本当の「ご馳走」の意味を知る。

私は接待されるのがあまり得意じゃないにしても、やはり普段贅沢なもの食べ過ぎなんだな、だから太るんだな、ご馳走はたまにだからいいんだな、と普段断るデザートまで食べ、コーヒー2杯(ホテルのコーヒーがおいしいことも実感)飲みながら納得に至った。

 

チューリップとフリージアに加えて、彼のこだわりのお見舞い品は、自慢の釜で炊いたご飯のおにぎりと、自家製のお漬け物。

その上デザートが紀の善の抹茶ババロアみっつとあんみつふたつ。

嬉しいけれど、私を太らせようとしていないかとかすかに疑りつつ、お手製おにぎり二個をもりもり頂く(あとで聞いたら二個で一合だと聞いてショックを受ける。一合なんて私は三食に分けて食べるのに)。

休むと食べられなくなるとクスノセ氏にせかされ、お茶もそこそこに、こってり大きな抹茶ババロアも頂いた。

 

昨日食べきれなかった苺あんみつを、朝のおめざに食べたら、おなかいっぱいで朝食が全然入らなかった。

 

帰りに伊勢丹で小田原のかまぼこを探したがなかったので、とりあえず高級かまぼこ(1本約千円)を買ってみた。

おいしかったが、しょっちゅうこんな高いかまぼこを食べるわけにはいかない。

 

今日も夕飯に、王子が野菜スープを作ってくれた。

 

ローストビーフだの寿司だのサーモンのマリネだのをマシマロと額をくっつけあうようにして食べる。

食べ終えると足が疲れたので、あいてる椅子を見つけてコーヒーを飲み、改めて会場を眺めた。

 

夕飯の代わりに、もやしを茹でてノンオイルドレッシングで食べる。

引き続き仕事。

 

お昼にマシマロと近所の銀行で待ち合わせをし、銀行の用事を済ませてからモスバーガーへ。

あいかわらず、私達はなにかというとモスバーガー。

今日は二人とも海老カツバーガー。

いつもなら店を移してコーヒーにつきあってくれるマシマロだが、仕事中ということで家に追い返された。

 

王子のいない朝。今日も雨。

王子が作っておいてくれた野菜スープを食べる。

仕事をするも集中力が続かず、なんだかダルい。

昼はコンビニ弁当。

 

夕方帰ってきた王子が、おでんを作ってくれた。

それがマジおいしいほど肌寒い。

 

夜、王子が三越の地下で鰻重(普段、絶対食べてはいけない高カロリー食)を買ってきてくれ、すごく嬉しかったのに半分くらいしか食べられなかった。

 

朝からまったく食欲なし。王子作のお弁当もちょっとしか食べられなかった。

本当は今日原稿を入稿して(先月号の分)さっぱりする予定だったのに、座っているだけでつらい。

フルーツゼリーだけがやたらとおいしく感じた。

 

なんかイライラして、突如猛烈な食欲に襲われる。つい昨日までろくに食べ物を受け付けてなかったこともすっかり忘れ、油っぽいものを脳が要求。出前のちらし各種を床にまき散らし、悩むこと3分。

大抵出前は寿司と決めている私ですが、今日はがっつりピザといきましょう!

いつから食べてないのか分からないピザがデリバリーでやってきました。

う、うまい!ピザ最高!

エネルギー補充って感じ!

イライラもウツウツもさようなら!

 

今朝ものすごい腹痛で目が覚める。昨夜ピザをとって食べたこと(しかも全部)と、お腹を壊している私のためにわざわざ作っておいてくれたロールキャベツを食べなかったことを王子に叱られる。

 

夜、王子と近所のタイ料理屋へ。食欲なくトムヤンクンをすする。

 

どうして池袋にしたかというと、うちから近い、トップスのカレーが食べたかった、池袋のデパートで洋服を見たかったという、私のエゴが働いたので。

 

銀座で角川チームとランチ。

オーガニックレストラン。

ダイエット中なので、体に良さそうなものを食べたいとこちらの方からリクエストしたのに、味がイマイチだった(ごめんなさいごめんなさい)。

メニューを見ると美味しそうなものがいっぱい書いてあるので期待が大きかったのと、そういうちゃんとした素材や味付けに口が慣れていないからそう感じたのかもしれない。

しかし、マグロの中落ち丼には醤油をかけたかった(ごまペーストがかかっていた)。お店の人に言えば醤油くらい出してもらえたと思うけれど、断られたら恥ずかしいし、みんなの手前もあって何となく言えず。

 

「えっと、じゃあ、こういう私のような(肥満、冷え性、代謝悪し、骨も内臓も問題あり)体の人間が、治療を受けずに自力で直す方法はありますか」と尋ねたところ「肉をやめることですね」とあっさり言われた。

肉は体を冷やしがちだしコレステロールも高い。特に体温の高い動物(牛、鳥)なんかはいけないそうだ。あとは適度な運動。

「私には無理そうです」

「とりあえず3週間だけでもやめてみれば。体の変化が分かって面白いよ」

先生曰く、何か新しい習慣をはじめるときは、とりあえず21日間やってみる、というのが心理学的にも有効だということ。

 

マシマロがお使いにきてくれて、夕飯に蕎麦を食べた。蕎麦屋で酒も飲まずに約2時間盛り上がって喋った。すっかり逃避。

 

それでも新千歳から札幌に着いたら疲れていて、駅前の大丸の地下でパンとサラダを買って仕事部屋へ。冷蔵庫が見事にからっぽで、へろへろになりつつコンビニまで水やお茶を買いに行く。

 

そういえば肉断ちは順調にいっていたのに、今日うっかりレトルトのタイカリーを食べてしまい、その中に入っていた鶏肉をすっかり肉だと認識しないまま口に入れてしまった。旭川ラーメンを食べたときも、忘れてチャーシュー食べたっけ。

うに丼を食べなかったことが悔やまれる。

 

王子が羽田まで迎えに来てくれる。東京は暑いかと思ったら札幌と同じくらい涼しかった。デニーズにて、ラマダン明け(?)ということで豚しゃぶ定食を食べた。

 

夜、少し胃がマシになって卵抜きのホットケーキを焼いて食べた。

王子がいないと夜更かししてしまう。結局寝たのは深夜2時頃。

 

最後まで原稿を書き上げたご褒美に、王子が鶏の唐揚げを買ってきてくれた。久しぶりでめちゃくちゃ嬉しい。おいしいものはなんで体に悪いのだ?

 

ダイエットのためパン食とパスタをほぼやめて、お米を食べる習慣は最近ついだものだし(パンやパスタはカロリーのわりに腹持ちしない)お酒もやめることができた。

 

今日は王子が会社の健康診断のため朝食が食べられないというので、朝散歩のついでにベローチェで一人朝ご飯。

どこのコーヒースタンドも大抵7時からで、開店と同時に入り、窓の外を見ながらサンドイッチを食べた。

 

夕方王子のお母さんのお家へ行く。ご飯とおかずを沢山作って待っていてくれた。

ヒロコさん(お母さんの名前)の作ってくれるお料理はとってもヘルシーで美味しい。野菜は庭で作ったものばかりなので、もちろん無農薬。

食べてばかりでまったく片づけもしない私は嫁としていかがなものか。しかも以前おかずを分けてもらったときに借りたタッパーを空で返す始末。でも「いいの、いいの」と言われたので真に受けることにする。

もらって帰ったトウモロコシが激うま。

酢の物も野菜の煮物も激うま。

毎週行きたい、ヒロコさんの家。

 

王子が夕飯にちゃんこ風鍋を作ってくれ、梨も剝いてくれた。

 

本格的に風邪で寝込む。

マシマロが電話してくれたので、甘えて食料品を買ってきてもらった。アイスクリームを頼んだらハーゲンダッツを2個買ってきてくれた。王子に見つかって取り上げられるといけないので、その日のうちにふたつとも食べた。

 

小腹がすいたのでパパスカフェに入る。ロールケーキとコーヒーを頼み、おいしくて幸せをかみしめる。気功の先生にコーヒーは体を冷やすと言われ家で飲むのをやめたので、たまに外でコーヒーを飲むとびっくりするほどおいしく感じるのだ。

 

ほかほかになって部屋に戻り、化粧を直してジランドールというレストランへ。

ニューヨークグリルは有名でもちろん素晴らしいけど、ジランドールは落ち着いていて私はとっても好き。王子は軽めのコースを頼んでいたが、私はアラカルトでエビだのホタテだの肉だの好きなものをいっぱい頼んで食べた。おいしくて泣ける。死ぬほどおなかいっぱいになった。

 

アレンジメントの花がひとつと、何通かおめでとうメールがきていた。朝食のパンを持って帰ってきたので、夕飯はそれで済ます。心静かな誕生日。

 

生協の荷物が大量にきた。そのわりには肝心な物が足りなかったりして、またもや西友に注文。おでんを大量に煮る。

 

月に一度のタッキーの診察日。バタバタと出かけたのでお昼を食べる時間がなく、病院のそばでささっと抹茶シフォンを食べる。

 

帰ってまたおでんを食べるのかと思うとうんざりし、しかもまた甘い物が食べたくなって、青山のサンマルクカフェにてケーキとチョココルネを夕飯がわりに食べる。レアチーズケーキがしみじみおいしかった。それにしても甘い物食べすぎだ。

 

とてもよく寝た。王子は土曜だというのに仕事。私も家で仕事。私も家で仕事。料理するのが面倒でポストにちらしが入っていた新しいデリバリーの店からパスタをとる。うっかりケーキもとる。まだ食べるか、甘いもの。

 

原稿を書いていると怠け者の私でも集中するので、気が付くとおなかがペコペコにすいている。夜の7時過ぎに王子から仕事が終わったと電話があったので、すぐ食べられるもの買ってきてと頼んだ。

オリジン弁当のちらし寿司、鶏の竜田揚げ、おから、かぼちゃと林檎のサラダ。ステキ。

 

久々に外出したので、つい嬉しくてエクセルシオールカフェにてパスタを食べ、コンビニを3軒はしごして(主に立ち読み)帰ってきた。

 

祝日。王子は疲れていて、いきなり「朝ご飯作って」と言った。直球で頼むのは珍しいので、はりきって作った。

疲れているのに、しかも勤労感謝の日なのに王子は仕事に行ったので、夜は牡蠣鍋を用意した。喜んでもらえた。

 

カフェ好きのマシマロと雑誌で見た新宿御苑沿いのカフェへ。店はかなり小さなかったが飲み物はとてもおいしかった。ナイトリラックスという名のハーブティーを飲んだら、そこに布団を敷いてもらいたいほど眠くなったので急いで帰った。

 

朝6時前にぱっちり目が覚めた。朝焼けがきれいでベランダに出て写真を撮る。王子が作ってくれた白菜のミルクスープ(得意技)を食べて午前中ぐっすり寝た。

 

関係ないが、今や私が焼き肉屋に入るのは親に誘われたときだけになってしまった。しかも今日はあんまり肉食べたいという気分じゃなかったので、石焼ビビンバにしたし。父ミッチーは食後にアイスクリームを食べていて、歳をとってあちこち調子は悪そうだけど食欲は落ちていないようでそこは安心。

 

本当に痛そうなのに、立っている方が楽だといって、すき焼き風の鍋を作ってくれた。食後、鎮痛剤を飲ませて寝かしつける。

 

私の方が迷惑をかけることが多いので、してあげられることがあって嬉しい。がっちりコルセットをはめて帰ってきた王子が、おなかが空いたというのでうどんを作ってあげた。今夜はおでんを煮てあげよう。

この日記では最初から最後まで「王子にしてもらったこと」ばかりが書いてある気がする。

でも結局、王子がシーフードカレーを作ってくれて、それをおいしく食べたのでした。

山本文緒『再婚生活 私のうつ闘病日記』より