『村上さんのところ』をきっかけに、村上さんの紀行本を読み返しまくっている。この本については何の記憶もなかったのだが、キャシー・フリーマン優勝のシーンに感動。彼女自身の言葉もいい。
朝食を抜かしたので、売店で小型ピザとミネラル・ウォーターを買ってくる。アンザック・ブリッジにかかるまで、おそらく新しい展開はないだろうと踏む。だから席を立って売店に食料を買いに行ったわけだ。席に戻り、ヴェジタブル・ピザを齧り(ジャンク・フードの愉しみ!)、冷たい水でのどを潤しながら、先頭集団が橋にかかるのを待つ。
記者会見のあとで、お昼にプレス・センターでヤくんと2人で食事をする。白いご飯にビーフシチューのようなものをかけた料理と、蒸し野菜。<オジー・グリル>というコーナーにあった。味は悪くないんだけど(そして量もたっぷりとあるんだけど)、いかんせん牛肉が硬い。でもまあ顎の訓練と思って全部しっかりと食べる。時間がなくて朝ご飯もほとんど食べなかったし。
プレス・センターのデスクで仕事をしていたら、韓国の新聞の若い記者に「村上さんですか?」と声をかけられる。インタビューをさせてくれないかということ。3時半までちょうど時間があいていたので、30分くらいならいいよと言う。
オリンピックの商業主義に関する笑えないエピソードは、実に数多くある。プレス・センターの食堂には<オジー・グリル>というオーストラリア料理を専門とするコーナーがある。ここがベーコン・エッグ・バーガーを出していた。カイザーロールにベーコンとエッグをはさんだもので、オーストラリアではとくに珍しい食べ物ではない。しかし隣にあるマクドナルドが文句をつけた。「おかげでうちのエッグ・マフィンが売れなくなっている。かっこだってそっくりじゃないか」と。マクドナルドはオリンピック委員会の大スポンサーだから粗略には扱えない。主催者はパンのかっこうを変更するようにとオジー・グリルに要望を出した。オジー・グリルはパンの形を変え、細長いロールパンに同じものをはさむことにした。それなら違うものになるだろう。ところがマックは納得しない。形は違っても、中身がまだ同じじゃないかと。それでとうとうオジー・グリルはそのメニューを完全にひっこめることになった。
パーティーはしゃれたビーチクラブの2階で開かれていた。メディア・パスを持っている人間なら誰でも入れる。そんな集まりに参加するつもりはなかったんだけど、たまたま部屋に入ったら、美人のウェイトレスがにこやかにやってきて、僕に白ワインのグラスと、スティックつきの海老の天ぷらを差し出した。断るのも面倒だし、ちょうどおなかもすいていたので、ありがたくいただいた。ソファに座り、試合が始まるまで寿司や天ぷらをつまみ、悪くないワインを優雅に飲んでいた。メディア・パスを持っていると、たまにこういう美しい経験をすることになる。
こんなことをしていたら風邪をひいてしまいそうだ。だから一緒に来ていた編集のヤくんに「寒いからもうやめて、温かいうどんでも食べにいこうよ」と言う。彼はダフ屋から100ドル(6000円)増しの切符をわざわざ買ったので、こんなにすぐに出ていくのはもったいないのだが、風邪をひいては元も子もない。冗談半分で言いだしたのだけど、競技場を出て通りを歩いていたらほんとにうどん屋があった。ボンダイ・ビーチのうどん屋。 ずるずると「シーフードうどん」をすすって、身体を温める。1週間前までは暑くて暑くて、温かいうどんが食べたくなるだろうなんて予想すらしなかった。ところが春先の気候は不安定で、一度冷え始めると、どんどん寒くなっていく。
気味の悪い内容のCD-ROMを時間をかけてじっくりと見てから、博物館を出て食事をしました。<ハイドパーク・バラックス>という昔の刑務所(今は博物館になっています)のガーデン・カフェで、その煉瓦造りの建物を見ながら白ワインを一杯飲み、焼き野菜のリゾットと野菜サラダを食べました。なかなかおいしかった。勘定は25オーストラリア・ドルです。日本円にすると約1500円。ワインは「コックファイターズ・ゴースト」というものでした。セミヨン、98年。悪くないワインです。
オーストラリアのワインの質はなかなかのものですよ。よほど安物でもない限り、がっかりすることがない。
8時になってホテルを出て、近所のコンビニで新聞を買い、愛想のいいトルコ人のおじさんがやっているカフェに入って朝食を食べる。今日は土曜日なので、いつも行くカフェはどれも開いていない。野菜のオムレツとトーストとコーヒー。パンはトルコ風である。オムレツは「とてもきれいにできている」とは言い難いけれど、味はさっぱりして悪くないし、なにより野菜がたっぷりと入っている。夫婦で経営している店らしく奥さんが奥で料理を作っている。とんとんとんと野菜を刻む音がこちらまで聞こえる。全部で12ドル。
シドニーの街にはトルコ人のカフェとか、ギリシャ人のカフェとかもいっぱいある。エスニック料理の店が本当に多いのだ。
休憩時間にホットドッグとコーヒーで簡単に食事をすませる。ホテルから持ってきたリンゴも齧る(コンピュータを盗まれたおわびにホテルがフルーツ・バスケットを贈ってくれた)。水もたくさん飲む。
朝食がわりに部屋にあるコーンフレークと果物を食べる。
どうせ今日の夕飯は競技場にいて、ろくなものは食べられないだろうからと思って、お昼ご飯に近所の日本料理店でしっかりとボックスランチを食べておく。17ドル。天ぷらと刺身と揚げ出し豆腐と魚の照り焼き。それからセントラル駅のカフェで持ち帰りのサンドイッチを買う。コーンビーフとチーズのサンドイッチ、2ドル90セント。
駅の売店で面白そうな本があったので買い求める。『オーストラリアの短い歴史』と『探検家たち』。後の方はオーストラリアの奥地を探検した人々が書き残した文章を集めたアンソロジーである。僕の読んだパトリック・ホワイトの『ヴォス』のモデルになったドイツ人の探検家、ラドウィグ・ライカートの書いた文章も載っている。電車の中でぱらぱらと読んでみる。
カフェでコーヒーとブレッド・バスケットの朝食をとる。12ドル。初めて入るカフェだが、ほかのところに比べるとちょっと高い。
市内に戻り、その足でダーリング・ハーバーから中心地へと出る。失われた携帯電話を探して空しく警察をまわって、おかげで昼ご飯を食べ損ねていたので、ダーリング・ハーバーのシーフード・レストランに入り、ソードフィッシュのグリルと、野菜サラダを食べる。とにかく野菜サラダが無性に食べたかった。勘定は48ドル(3000円弱)。味はよかったけれど、ウェイトレスはほとんど口をきかない。今日はどの店に入ってもウェイトレスの機嫌がよくない。
(中略)
しかしオーストラリアのレストランの料理は、都会でも田舎でも、どこで食べても悪くない。ぜんぜん悪くない。少なくともアメリカやイギリスの同等のレストランで出される料理に比べたら、比較にならないくらい質は高い。肉にしても野菜にしてもシーフードにしても、材料は新鮮で、味つけもさっぱりしていて、しつこくない。過度に凝った料理は出てこないけれど、普通に調理されたものが美味しい。オーストラリアは食べ物が美味しいと聞いていて、「ほんとかよ」と半信半疑だったんだけど、疑って悪かった。本当です。
いったいどのような過程を経て、このように料理の質が全体的に高く維持されることになったのか、とても知りたい。だってこう言っちゃなんだけど、服装だってどっちかと言うと(言わなくても)あまりファッショナブルとは言えないし、洗練された刺激的な文化によってその名を広く知られているお国柄というのでもないのに(むしろその逆なのに)、レストランの料理はいける。ワインもおいしい。ビールもおいしい。
村上春樹著『シドニー!』より