たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

「お母さん食堂問題」の背景 唯川恵『瑠璃でもなく、玻璃でもなく』

こうしてみると、ひたすら女性が男性の顔色を窺いながら飯炊きに徹している話だ。disgusting.
たとえ袋ラーメンであっても私が作ることにこだわった過去の男性たちを思い出してしまった。
でも2008年刊。結構最近だなぁ。。。

料理教室といっても自分たちで作るのではなく、先生の作業を見学し、メモを取るだけだ。最後に試食として、皿に少しずつ盛られた料理を口にする。それがいちばんの楽しみであはるのだが、ただ、中途半端においしいものを食べるせいで、帰りは妙にお腹が空いてしまう。それは他の生徒たちも同じらしく、教室の帰り、そこで知り合った同年代の主婦たちと、駅近くのカフェでカプチーノにスウィーツ、というのがここのところ習慣になっていた。そして、それもまた楽しみのひとつでもあった。
「今日の鴨肉のハーブロースト、今夜、早速作ってみようかしら」
「私、前に習ったマルセイユ風ブイヤベースを作ったんだけど、主人もおいしいってすごく喜んでくれたわ」

 

買い物を済ませて、マンションに着いたのは夕方4時を少し回ったところだった。どうせなら習ったばかりの鴨のハーブローストを作りたいところだが、夫の朔也は今夜も帰りは遅い。どうせひとりの夕食だ。冷蔵庫の中にあったベーコンと葱を使ってチャーハンを作った。

 

電話を切って、英利子は息を吐いた。いつも残業で帰りが遅い朔也は、あまり家で夕食をとらない。だから仕事から解放される週末に張り切って作っている。「おいしい?」と聞けば「おいしい」と答えるが、いまいち反応が薄い。そんな朔也に鴨のハーブローストを振舞っても正直なところ張り合いがない。前に習った鱈のポワレ・サフラン風味も、結局、披露したのは遊びに来た悦子だった。

数日後、渋谷のデパートに買い物に行き、帰りに地下の食料品売り場に寄った。総菜コーナーでサラダを注文しようとして、思わず声を詰まらせた。
(中略)
「何にしましょう」
「このハムとレタスのサラダを300グラム」
彼女がケースの中からサラダをプラスチックの容器に入れる。
「うちのサラダはおいしいわよ。あの料理教室で先生が作るお洒落なサラダよりずっと」
(中略)
その夜、めずらしく早めに帰宅した朔也と夕食を共にした。冷凍してあった上質の牛肉をソテーして、胡麻風味の凝ったソースを添えたのに、朔也が褒めたのはそれではなかった。
「このサラダ、うまいなあ」
英利子はどうにも割りに合わない気持ちで、牛肉を口にした。

パクチーたっぷりのサラダを口に運びながら、マリが小さく息を吐いた。
「彼の会社から住宅手当は?」
美月は生春巻を手にして尋ねた。テーブルには、他にも海老とカシューナッツの炒めもの、タイ風ビーフシチュー、それとグラスワインが並んでいる。

 

英利子はテーブルに食事を用意した。夜が遅いのでいつも簡単なものだ。今夜は玉子雑炊を作った。
(中略)
「これ、うまいな。まだある?」
朔也が茶碗を差し出した。
「あるわよ」
英利子は受け取り、そんな想像をした自分に苦笑しながらキッチンに立った。

 

その夜、友章は待ち合わせに便利なコーヒーショップの場所を指定し「今日はうまい焼鳥を食べよう」と言って電話を切った。
(中略)
「ここはね、比内鶏を使っていてすごくうまいんだ。飲み物は何にする?」
「じゃあ、ビール」
友章が店の人にそれを注文し、メニューを広げる。
「食べるのは何がいい?」
「そうね……うーん、任せてもいい?」
「もちろん。嫌いなものは?」
「何でも大丈夫」
「よし。じゃあ、ももに手羽につくね―――」

 

朝食は、いつものようにトーストと目玉焼きとサラダを用意したが、朔也はコーヒーに口をつけただけで、キッチンに立つ英利子には声も掛けずに出勤して行った。

 

2本目の冷酒を注文した。加茂茄子の田楽や鰊の甘露煮など、気の利いた京都のおばんざい風の料理を、ゆっくり味わってゆく。

 

美月は白ワインを口にした。
今日、結婚祝いを渡しがてら、ふたりでパスタを食べに南青山にやって来た。
「新婚旅行、本当はタヒチにする予定だったのに、あちらの両親がちょっと贅沢すぎるんじゃない、なんて言い出して、ハワイになりそうなの」
マリは口を尖らせて、ボンゴレスパゲティをフォークに巻きつけた。

いつも行く外苑前のカウンター・バーで、朔也はスコッチウイスキーの水割りを、美月はココナッツのカクテルを飲んでいる。もうお互いに3杯目だ。

「秘書?」
朔也が、夜食のそうめんの箸を止めた。

 

テーブルには、母の得意のロールキャベツが並んでいる。父はテレビのサッカー中継に見入っている。弟の浩は今夜も出掛けている。やれクラブの合宿だ、ミーティングだ、アルバイトだと、最近の浩はまともに食卓についたことがない。
「美月はどうなの」
ほら、来た。と、美月は肩をすくめてロールキャベツに箸を伸ばした。

週末、久しぶりに朔也と食卓を共にした。
英利子は張り切って料理を作った。クリームソースをからませたニョッキ、イベリコ豚のグリル、サラミとチーズを加えたグリーンサラダ、そしてワイン。
「どうしたの?」
朔也が驚いたように食卓についた。
「ここのところ簡単に済ませてたから、今日は凝ってみたかったの。それとね、ひとつ仕事がうまくいって、このワイン、先生からいただいちゃった」
(中略)
「この間、雑誌で見たんだけど、4年目は花婚式っていうんですって。そろそろ花開く頃ってことらしい」
「ふうん」
それから、ニョッキを口に運び、「うまいよ、これ」と褒め言葉を続けた。

 

朔也がウエイターに水割りを注文するため片手を上げる。美月は1杯目のカクテルも喉を通らず、まだ半分以上が残っている。
「もう、飲まないの?」
「いらない」
「何か食べる? チョコレートでももらおうか?」
「ううん、それもいい」

「だから、奇襲作戦に出たんだ。うまいワインとタンシチューを出す店を見つけた。7時に表参道、大丈夫だよね」

「今日は私が奢るから、ちょっと贅沢しない?」
と、ランチが2,500円もするレストランに連れて行かれた。順子はやけに機嫌がいい。
「何かあった?」
前菜の魚介類のテリーヌを口に運びながら、美月は尋ねた。
(中略)
メインディッシュの皿が出された。子羊のローストだ。でも、食欲はいっぺんに失せていた。

ふたりで旧軽井沢に出て、手をつないで古くて由緒ある別荘地を回ったり、落葉松林が連なる小道を歩いたり、カフェでお茶を飲んだり、ジャムの店で試食したりと、夕方まで子供のようにはしゃぎながら過ごした。
(中略)
夕食はホテルのレストランで、フレンチだ。
「ここは、信州ならではの野菜や肉を使っていて、新鮮で、斬新で、すごくうまいんだ」
と、友章が言った通り、料理はどれも素晴らしくおいしい。

昼食後、仕事が始まる前に今夜のメニューを考えた。
久しぶりに和食にするつもりだった。少し手間だけれど、朔也の好きな茶碗蒸しを作って、鰈の煮付けに、茄子の揚げ浸し、それから里芋のそぼろ煮も。

 

「コーヒーを淹れましょうか、それともハーブティーになさいますか」
「じゃあ、ハーブティーをもらおうかしら」

 

朔也はきっとまだ寝ているだろう。アパートに着いたら、すぐにコーヒーを淹れてあげよう。朝食は生ハムとクリームチーズのオープンサンド、それにヨーグルト。それを窓の下を流れる川を眺めながら食べる。

美月は朔也と夕食を共にしていた。
メニューはバジリコパスタとチキンサラダ。ワインはオーストラリアの若いもの。デザートにはチョコレートムースを用意してある。料理は得意な方ではないが、朔也のためだと思うと一生懸命さが違ってくる。いつもはレトルトで済ますソースも、にんにくを刻むところから始めた。
「おいしい?」
美月はテーブル越しに朔也の顔を覗き込んだ。
「うん、おいしいよ」
「よかった」
(中略)
「今度は何を作ろうかな。ニョッキなんかどう? グラタンという手もあるけど」
すると意外な返事があった。
「和食がいいな」
美月は顔を向けた。
「煮魚や筑前煮や茶椀蒸し、家ではやっぱりそういうものが食べたいな」
驚いた。朔也と食事をする時はイタリアンかフレンチが多い。だからずっと、洋食党なのだろうと思っていた。
「和食なんだ……」
もしかしたら、朔也は無理して私に合わせてくれていたのだろうか。正直言って、和食に自信はない。すきやきとかしゃぶしゃぶとか、親子丼とか肉じゃがとか、作れるのはそれくらいだ。そんな美月の思いを察したかのように、朔也は慌てて付け加えた。
「ニョッキもいいね。食べてみたいよ」
「無理しなくてもいいの」

 

「じゃあ今夜、飯でもどうですか。燻製のおいしい店を見つけたんです。いつもお世話になっている森津さんを案内したいなって」
「ありがとう。でも、ちょっと用事があるの」
「えー、残念だなぁ」

 

その夜は、朔也の母親の手料理でもてなされた。凝った料理ではないのだが、焼き物も煮物もどれもおいしい。朔也の和食好きがわかるような気がした。
「今度、味付けを教えてください」
美月の言葉に、姑となる人は嬉しそうに笑った。
「ええ、もちろんよ。嬉しいわ、そんな可愛いこと言ってもらえるなんて。だって、前の嫁の英利子さんなんか、有名な料理学校に通ってるとかで、私が作るものなんて田舎料理だってバカにして……」

 

美月は毎朝6時に起きて、幼稚園に持ってゆくお弁当を作る。小さなおにぎりに、海苔やゴマでキティちゃんやドラミちゃんをこしらえ、ウインナーや茹で卵に細工をし、グリンピースやニンジンやコーンを使って、とにかく可愛らしいお弁当を作る。
もちろん、璃音においしく食べてもらうためだが、それだけではない。璃音から、「今日の○○ちゃんのお弁当、かわいかった」と聞かされると、何だか負けられない気になってしまうのだ。

 

せっかくなのでグラスワインで乾杯した。すぐに、彩りも美しいオードブルが運ばれて来た。
(中略)
料理はメインに移った。鴨肉とオレンジソースの匂いが香ばしい。でも、どういうわけか美月はあまり食が進まない。マリが2杯目のワインを口にした。

 

テーブルには、鴨のたたき、みょうがの土佐酢あえ、京野菜のグリル、湯葉の茶碗蒸しが並んでいる。この店は、アラカルトも充実している。

 

『……今日、デコポン送ったけん食べんさいね。皮は捨てんとお風呂に入れんさい。お腹を冷やさんようにね。それじゃ』

 

「そうそう、紀州のおいしい梅干を見つけたから、送っておいたわ」
「サンキュ」

 

インターネットを使って、マリが勤め始めた貿易会社から中国茶を取り寄せた。じっくり時間をかけて淹れた鉄観音は、バニラに似た香りがして、優しく身体を満たしていった。

唯川恵著『瑠璃でもなく、玻璃でもなく』より