たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

今上天皇の意外な好物『テムズとともに 英国の二年間』

今上天皇はカレーとおでんがお好きだ、と聞いたことがあるが、飯マズ国として名高いイギリスでは飯ウマ寮に当たり、意外なものを気に入って召し上がっていたという。

女王陛下からは、今後の英国での生活についてのお尋ねや日本訪問時のお話などがあり、アンドルー王子からは軍隊生活の話、エドワード王子からは学生生活の話があった。もちろん幾分緊張もしていたが、会話はとても楽しかった。また、英国の「ティー」とはどういうものかと思っていた私には、女王陛下自らがなさって下さる紅茶の淹れ方と、紅茶とともに並ぶサンドイッチやケーキの組み合せに興味をひかれた。

朝は8時半には起き、朝食をホール氏のご家族ととる。トーストに加え様々なシリアルが出るのが印象的であった。シリアルとは、コーン・フレークスに代表される、穀類から作る食べ物であり、種類は実に豊富である。ホール夫妻は新聞を食卓で読むことが多く、記事の内容をしばしば分かりやすいように要約して下さった。

昼食のメニューも日々変化に富んでおり、羊の丸焼きが出る時などはホール氏自身が肉を切り、めいめいの皿に盛る。家庭で肉を切り分けるのは、主人の役目とのこと。それにミント・ソースや赤いジェリー状のソースをつけて食べる。

ホール邸以外での夕食は、富士邸を除いてはその日が初めてである。ホール夫妻、バークレイ夫妻とその子息、令嬢とその友達が参加し、たいへん楽しいひとときであった。焼き立ての肉の味が何位ともいえずおいしく、実にくつろいだ雰囲気だった。

J君に促されて私は食堂(以下ホールと呼ぶ)へ向かった。私にとって最初のマートン・コレッジでの食事である。ホールの入口でスープと肉料理を受け取り席に着く。
(中略)
再びJ君に「友達の部屋でコーヒーでも飲もう」と誘われ、食堂を後に、私の寮とは別棟の石の階段を上がって、とある部屋を訪れた。
(中略)
車座になり会話が始まった。マグに入ったコーヒーが1人1人に配られる。

朝食をとる学生は昼食や夕食に比べて極端に少なく、20名前後だったので、時刻に少し遅れても座席は容易に確保できるし、食事がなくなる心配もなかった。メニューはトーストに卵料理、それに日によってハム、ベーコン、ソーセージなどがつき、すべてセルフ・サービスである。もちろんコーヒー、紅茶の用意もある。面白いことに、宗教との関係であろうか、金曜日の朝食にのみキッパー(Kipper)というニシンの燻製が出てくる。私も試してみたが、骨をぬきとる作業にたいへん苦労させられ、味もいま一つ好きになれなかた。ちなみに私は、毎朝トースト1枚に、コーン・フレークスなどのシリアル類と紅茶をとり、ゆで卵の出る日にはそれを加えていた。紅茶とコーヒーは食堂の入口で備え付けの容器から入れることができるが、紅茶はきわめて濃く、コーヒーと同じような色をしていた。食堂は約30分しか開いておらず、寝坊した人のために学部学生用のバーで遅い朝食が出される。

食堂に一歩でも入ると、冬でも中は外とは打って変わって暖かい。昼食もセルフ・サービスで、メニューは3、4種類。代表的なものとしてビーフ・シチューをはじめとしたシチュー類、スパゲッティとミートソース、パイである。まず、メイン・ディッシュ用の皿がわたされ、係の人の前にその皿を出すと、ポテト、芽キャベツ、グリーンピースなどのゆでた野菜が好みに応じて盛りつけられる。「少し」と言わない限り山のようにサービスされる。私も入学した当初は要領をえなかったため、しばしば「少し」と言うタイミングを逸し、野菜がメイン・ディッシュを隠さんばかりに盛られた皿を前に、うんざりしたこともあった。しかし、概してマートンの食事はおいしく、食べられずに困ったことはなかった。

夕食
マートンの夕食は、ホールの大きさもあり、インフォーマルな夕食とフォーマルなそれとが別に用意され、前者は6時30分から、後者は7時30分から始まり、学生はどちらかを選択する。インフォーマルな夕食では学生の服装は自由でセルフ・サービス、フォーマルな夕食ではガウンとネクタイの着用が義務づけられ、違反したり遅刻した学生にはビールに一気飲みの罰が下る。フォーマルな夕食ではハイ・テーブル(High Table)という食堂の奥の一段と高くなったテーブルに先生方が座り、木槌の音を合図に全員が起立し、学生の代表が前に進み出てラテン語でお祈りをして始まる。
(中略)
どちらの食事もメニューはスープ、肉、料理、デザートでコーヒーは出ない。インフォーマルな夕食ではスープの皿と肉料理の皿を入口で受け取りカウンターでよそってもらう。席にはソースとゆでた野菜類が別に置いてあり、めいめいがそれを取って回すことになる。私はここで出されるゆで過ぎとも思われる芽キャベツが大好きで、いつも多く取っていたが、ある時そばにいたイギリス人の友人から何でこんな物がそんなにおいしいのかと聞かれたことがあった。フォーマルの場合は、食堂の人がサーブしてくれる。学生は飲物の持ち込みが許されるが、ほとんどの学生は水か食堂の入口から持って来たビールを飲んでいた。

ハイ・テーブルの様子をマートン・コレッジを例にお話ししよう。まず、先生方の集会場であるシニア・コモン・ルーム(SCR)でシェリー酒をはじめとする食前酒が出される。しばし歓談ののち階下に移り、ホールのハイ・テーブルで食事となる。
(中略)
私が初めてマートンのハイ・テーブルに着いて驚いたことは、並んでいる銀器であった。いちいち年代を見たわけではないが、某コレッジのハイ・テーブルには1624年の刻印のある銀器が置かれていた。
(中略)
次に驚いたことは、ハイ・テーブルの食事が学生の食事に比べてはるかに手の込んだものであることである。残念ながら手元に当日のメニューはないが、スモーク・サーモンに始まり、デザートにいたるまでのフル・コースだったことを記憶している。

彼らとはパブに限らずレストランにも足を運んだ。(中略)
ピザやスパゲッティの店も私たちがよく行ったスポットである。タラ、ニシン、カレイなどの白身の魚を揚げ、揚げジャガイモを添え、酢をかけて新聞紙にくるんでもらうフィッシュ・アンド・チップスも食べに行った。ちなみに、このフィッシュ・アンド・チップスは、産業革命期に労働者の蛋白源として重要な働きをしたというから、私が研究対象としている時代の味の一つといえよう。

ある時、MCRで会計を担当していたベジタリアンのC君のフラットで、彼の友達とC君お手製のベジタリアン・ディッシュをご馳走になった。(中略)
ちなみに、彼のようにコレッジ外のフラットに住んでいる学生は、キッチンもついているため自炊が可能である。2年目に、おいしいワインとチーズを食べに来ないかと誘われて、MCRの会長をしていたアメリカ人のM君を訪ねたこともある。彼のフィアンセがフランス人ということもあり、その日のチーズの種類の多さには驚いた。

徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』より

私は古書店で手に入れた学習院教養新書を持っています。オックスフォード行動圏のマップつき。