たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

村上春樹『雨天炎天』ギリシャ・アトス島編

『やがて哀しき外国語』『遠い太鼓』を中心にムラカミの紀行文は好きで何度も読み返しているのだが(時々小説以上に女性差別視点がのぞくのだけは気になる)、もう30年以上前に出た本書は初めて。ギリシャ語の勉強を始めたのを機に。「やれやれ」づくしだった。

バックパッカーが1本45円の大きなムシュキロ・パンを後生大事に抱えて歩いていく。

僕もここでワインとパンとチーズとコーンビーフの缶と梨とクラッカー、それからレモンを4個買う(このレモンはあとになって千鈞の重みを持つことになる)。水筒に水を入れる。半島の地図も買う。それからカフェに入って、おそらく最後になるであろうビールを飲み、パンを齧る。そしてバスが来るまで港で少しうとうと昼寝をする。

修道院に到着すると、まず係の僧侶がギリシャ・コーヒーと、ウゾーを水で割ったものと、ルクミという甘いゼリー菓子をだしてくれる。どこの修道院に行っても、このルクミという菓子は必ず出てくるわけだが、これはもう歯が浮いて顎がむずかゆくなるくらいに甘い。もちろん手づくりなので、各修道院によって味はちょっとずつ違うが、ひどく甘いということだけは共通している。
ウゾーというのはギリシャの焼酎のようなもので、アルコール分はとても強い。匂いはつんと強烈で、水を注ぐと白濁する。そして安価である。どちらかというと日本人に嗜好にはあわない酒だと思うし、僕もそれほど好んで飲むわけではないのだが、しかし体が疲れていると、アルコールがきゅっと胃にしみて体がリラックスする。コーヒーも砂糖がたっぷりと入っていて、極端に甘い。僕らはこれをアトス3点セットと呼んだが、アルコールと糖分とで旅人の疲れを癒そうというのが、この3点セットの目的である。だからこれはとにかく披露していればいるほど美味しく感じられる。コーヒーとウゾーはありがたくいただいたが、僕はもともと甘いものが苦手で、ルクミはとても食べきれなかった。悪いけれど、ひとくち齧ってあとは残した。
あとになって道がハードになり、体がだんだん疲労してくると、早く次の修道院に着いてルクミを食べたいとまで思うようになるわけだが、でもまあそれはもっと先の話である。

ここのアルホンダイに行くと、例によって、ルクミとウゾーとたっぷりと甘いギリシャ・コーヒーが出てくる。僕はまたルクミを半分だけ食べる。

係のおじさんが「もう食事は終わっちゃったけど、腹が減っているんなら特別に作ってあげよう」と言ってくれる。もちろん腹は減っている。ルクミのほかは何も食べていないのだ。暗い台所みたいなところで、冷めた豆のスープと、オリーヴの実の漬物と、固いパンと水を出してくれる。美味いかときかれると、あまり美味いとは言えないと思う。豆のスープは素直な味で、味自体は悪くないのだが、いささか冷えすぎている。パンは固くて、噛みきれないし、塩っぽい。でも腹が減っているから、文句はあってもありがたくいただく。他に選択肢はないのだから、いかんともしがたい。

それはともかくとして、我々はどうやら朝食を食べ逃してしまったようである。だんだん腹が減ってきた。ためしに台所に行っておじさんにきいてみると、これだけあげるからとりあえず食べてなさいと言って、パンの大きな塊りをくれた。僕らはそれを部屋に持ってかえって食べたが、これは昨日よりもっと固くなっていて、とても食べられた代物ではなかった。やれやれこれから毎日こんなパンを食べさせられるのかとうんざりしたが、結果から言うと、これはアトス半島にあっては例外的に不味いパンであって、他の修道院ではもっとずっと美味しいパンを出してくれた。ただで食事をさせてもらってこういうことを書くのは心苦しいけれど、もし『アトス山ミシュラン』みたいなガイドブックを作るとしたら、イヴィロン修道院の台所は星なしということになると思う。

「まあ、楽にしろよ」というようなことを、髭青年が言う。そして僕らが靴を脱いで靴下を乾かしているあいだに、コーヒーを作ってくれる。小さな鍋でごとごとと煮て作るギリシャ・コーヒーである。砂糖をいっぱい入れるからとても甘い。僕はこの甘いコーヒーがすごく苦手なのだが、ギリシャ人は「砂糖はどうしますか?」なんて訊いてはくれないから我慢して飲むしかない。でもまあ体が冷えているから、温かいコーヒーはとてもありがたい。

 イノダコーヒのコーヒーも有無を言わさず砂糖が入ってたけど、京都がどんどん国際化して今は変わってしまったかもしれないな...。

「ウゾー飲むか?」と訊くので、僕らはありがたくウゾーを1杯いただくことにする。このウゾーの瓶がまたものすごく大きい。ウゾーはきゅっと温かく胃にしみる。「これだぜ」という感じがする。なんだかだんだんウゾーなしでは暮らせない体になりつつあるような気がする。何にせよ土地の酒というのは、その土地に馴染めば馴染むほど美味いものなのだ。キャンティー地方を旅してまわったときはワインばかり飲んでいた。アメリカ南部では毎日バーボン・ソーダを飲んでいた。ドイツでは終始ビール漬けだった。そしてここアトスでは、そう、ウゾーなのだ。

「地ビールにうまいものなし」と言うけれど、ジモティーが飲みならわしたビールじゃないからだよな...きっと。

ここのアルホンダイに行くと、若い物静かな僧がでてきて、我々にルクミとお茶とウゾーを出してくれた。このあたりから僕もルクミをしっかり全部食べられるようになる。少し甘いけど、まあなんとか大丈夫という感じで、まだこわごわとではあるけれどすっかり食べてしまう。お茶もウゾーも大変に美味しい。(中略)
僕らはここで湿りきったキャラバン・シューズを脱ぎ、ズボンと靴下を新しいものに換えて、それから昼飯がわりにクラッカーとチーズを食べた。

カラカルではコーヒーとバニラ水が出てくる。バニラ水というのは、グラスの水の中にごぼっとバニラの塊りを入れたものである。バニラが水に溶けて甘くなっている。まず水を飲み、それからスプーンでバニラをすくって食べる。これはもうとにかくべらぼうに甘い。僕にはとても手がでない。蜂が匂いを嗅ぎつけて飛んできて、グラスの縁にとまってぺろぺろと水を舐める。それくらい甘いのだ。
我々にバニラ水とコーヒーを運んできてくれたのはマシューという名の若い僧侶だった。

ほぼ100パーセント菜食主義の修道院に巣くっている猫だから(このカラカル修道院はより厳格なセナビティック式なので肉食は禁じられている。何かお祭みたいなのがあると、魚が出ることはあるらしいが)、それはまあ太れるわけもない。

みんなの食事が終わってから、僕らだけ呼ばれて御飯を与えられる。肩身が狭いのである。がらんとした広い食堂で、僕ら3人だけで食事をとる。正式な夕食はお祈りとともに取られるので、異教徒は加わることができないのだ。でもそういうフォーマルな儀式がないのは、まあ気楽といえば気楽である。食事くらいのんびりととりたい。夕食のメニューはおじやに似た米のスープとトマトが3個、オリーヴの漬物、そして柔らかくこうばしいパン。おかわりはない。おじやスープには豆も入っている。これは昨日のイヴィロンの食卓に比べると、比較にならぬほど美味かった。材料はどれもここの修道院でとれたもので、噛むと勢いのよい味がさっと口の中に広がる。もう何しろ究極の自然食である。とてもシンプルで、薄味である。いわゆるギリシャ料理とはぜんぜん違う。
明日の朝早く出発するので、朝食が食べられないんだが、とマシューに言うと、台所からパンとチーズとオリーヴをたっぷりと持ってきてくれた。そしてビニールの袋に入れて「これを持っていきなさい」と言う。まったく親切な男である。我々は礼を言ってありがたく受け取る。パンもチーズもオリーヴも、彼らが自分の手で作り育てたものなのだ。
夕食のあとで、マシューが修道院の畑を案内してくれる。畑にはトマトや茄子やキャベツや葱が植えてあった。見たところ非常に豊かな土壌のようである。きっと雨が多いから、野菜の栽培には向いているのだろう。
(中略)
僕らは部屋に帰って、雨音を聞きながらダフニの雑貨屋で買った赤ワインを開けて飲んだ。安物のワインだが、体がアルコールに飢えているせいで、大変に美味しく感じられた。

小屋の脇には湧き水があって、これはとても冷たくて美味しい。樵の親子はその水でコーヒーを作ってくれる。子供はジャッキー・チェンのファンなんだと言う。(中略)
コーヒーを飲んでみんなで記念撮影し、それから彼らに礼を言って、僕らは先に進む。(中略)
しかし何はともあれ腹が減ったので、その分岐点で昼飯を食べることにする。マシューが持たせてくれた野菜を切って、コーンビーフと一緒にオープン・サンドイッチにして食べる。さっき水筒にいれてきたばかりの冷たい湧き水をごくごくと飲む。編集のO君は「いやあ、こんな美味いコーンビーフを食ったのは生まれて初めてだなあ」と言う。からだがぐったり疲労している上にしばらく肉を食べていないから、缶詰のコーンビーフがすごく美味しく感じられる。文字どおり体にしみこんでいくような感じがする。マシューの野菜もとても新鮮で美味い。トマトなんか大地の養分を吸えるだけ吸ったという様な味わいがある。今日はO君の33回目の誕生日であり、そんなに美味い昼飯が食べられたとしたら、僕としてもとても嬉しい。まわり道をしたかいもあるというものである。

ラヴラではルクミとコーヒーとウゾーという例の3点セットが出てくる。貪るようにルクミを食べる。この甘さが今ではもう何とも言えない。至福である。口の中にこのゼリー菓子をほおばると、心地良い甘さが体じゅうの細胞にまでずううんと滲みわたっていくのが感じられる。こんな毎日が続いたらルクミ・アディクトになってしまいそうである。コーヒーも美味しい。ウゾーも美味しい。ローマのリストランテの味なんてもうとっくにどこかに吹き飛んでしまった。

でもこの正式夕食というのがなかなか難しくて、お祈りをしている間にさっさっと手早く食べなくてはならないのだ。それも今は食べてよくて、今は駄目というきまりがいろいろとうるさい。けっこう大変である。ちょっと間違えると同じテーブルの巡礼おじさんにぎろっと睨まれる。でも僕らは信仰心もないし、なにしろ腹が減っているから、がつがつと食べる。
メニューは野菜のシチュー(豆・茄子・かぼちゃ・芋・玉葱・ピーマン)とフェタ・チーズ(山羊のチーズである)とパン(これは昨日のカラカルの方が美味しかった)、そしてワイン! 僕はこのワインを目にしたときは本当に嬉しかった。濃い色合いの白ワインがフラスコに入ってテーブルの真ん中にどんと置いてあるのだ。グラスに注いで飲んでみると、これは相当に不思議な味がする。僕はギリシャで実にいろんな種類のワインを飲んだけれど、これはそんなどれとも決定的に違っていた。まず少し甘味がある。でもそれはいわゆる甘いワインの味ではなくて、きっとした険のある甘さである。そして全体の傾向としては、原始的なブランデーに味が近いように思う。でもワインである。とにかく不思議な味だ。普通の場合にこれを飲んだら、きっと不味いと感じるんじゃないかと思う。あるいは—今考えてみると—ひょっとしてあれは味が変質していたんじゃないかとさえ思う。でも僕はそのときこれは本当に美味しいと思ったし、その味は今でもはっきりと記憶している。舌先ではなく、体がその味を記憶しているのだ。あとでアトス山で作ったというワインを買って飲んだけれど、こっちは何ということのない平凡な味のワインだった。
でも僕は心ゆくまでそのワインを飲むことはできなかった。2杯めを注ぐときに向かいに座った巡礼の真面目おじさんが僕の顔をじっと見たからだ。それで何となく、あまりお代わりを注いではいけないんだなと僕は察した。それで残念ながら、3杯めを注ぐことはできなかった。これは今思っても残念至極である。
食事の終わりころに西瓜の盛られた鉢が出てくる。食事が終わってさあデザートと、O君が西瓜にひとくち齧りついたところでお祈りが終わった。そしてO君がふたくちめを齧ろうとすると、巡礼おじさんがきっと彼を睨んで「駄目!」と言った。そんなわけで、O君はせっかくの誕生日だというのに、西瓜がたったひとくちしか食べられなかった。「美味しかったんですけどね」と彼は悔しそうに言う。お祈りの終わるタイミングとデザートの出るタイミングが接近しすぎていたのだ。
その点僧侶は馴れたもので、その間隙を縫ってみんなしっかりと西瓜を食べている。さすがにプロである。感心してしまう。『アトス山ミシュラン』ではこのラヴラ修道院のキッチンもかなりの点を獲得するだろうと思う。シチューも美味しかったし、ワインが出たのもよかった。ただしデザートの出し方はサービスの点で減点の対象になるだろう。それからパンにもうひと頑張りがほしい。
食事が終わってから、明日の食料として僕はテーブルの上のあまったパンとチーズをさっと袋につめて持ってくる。ここの食堂の人たちはみんなすごく忙しそうで、「明日の朝早く出掛けるので、少し食料を分けていただけませんか?」などと言い出せる雰囲気ではなかったのだ。それどころか、規則がうるさいらしくて、僕が食料を袋にさっさっと詰めていると、みんながすごく嫌な顔をする。親切なカラカルのマシューとはえらい違いである。しかしまわりに嫌な顔をされたくらいであきらめるわけにはいかない。食料というのは我々にとっては死活問題なのだ。O君もなんとか隙を見て西瓜をかっぱらって帰ってきた。この人は終始西瓜にこだわっていた。

朝の8時 ここにやってくる巡礼はあまりいないのだ。彼が例によってコーヒーとルクミとウゾーを運んできてくれる。こう言ってはなんだけど、ルクミの味はカラカルの方が良かった。

それから我々の手持ちの食料もだんだん少なくなってきていたので、暑かましいとは思ったのだけれど、クレマン神父に「もしよろしければ何か食べ物をわけていただけないだろうか」と訊いてみた。クレマン神父は肯いて姿を消し、しばらくしてからたっぷりと食品を入れた袋を手に戻ってきた。中にはトマトとチーズとパンとオリーヴの漬物が入っていた。貧しいスキテからこんなに食料をわけてもらうのは申し訳なかったが、この親切はありがたかったし、実際あとになってすごく役に立った。

2時間ばかり歩いてさすがに疲れたので崖の上で休憩して、海を見下ろしながら、水を飲み、クレマン神父にもらったパンとオリーヴを食べる。疲れた体にオリーヴの塩気がなんともいえず心地良い。

僕らはそこで服を脱いで体をタオルで拭き、乾いた服に着替えて食事をした。ひどく腹が減っていたし、どうせこれでもう船に乗ってアトスを出るのだからということで、残っていた食料をあらかた全部食べた。トマトとチーズとピーマンをパンにはさんで食べ、オリーヴを食べた。あとリュックの中に残ったのはクラッカーが少しと、チーズが2片と、レモンだけである。

僕らが来ても、ルクミもコーヒーもウゾーも、何も出てこなかった。ここはそういうやわな場所ではないのだ。
夕食がまたひどかった。まずパン。これが無茶苦茶な代物である。いつ作ったのかは知らないけれど、石みたいに固くて、おまけに一面に青黴がはえている。それを洗面器に放り込んで水道の水でふやけさせる。そしてザルで水を切って出してくれるわけだ。水でふやけさせるだけ親切と言えなくもないけれど、しかしそんなものはとても人間の食べ物とは言えない。それから、冷めた豆のスープ。そこにどくどくどくと酢を注いで出す。「酢入れる・元気になる」と彼は言う。それはそうかもしれないけど、味は無茶苦茶である。そして壁土みたいにぼろぼろしたフェタ・チーズ。これは僕が生まれてから食べたフェタ・チーズの中ではいちばんしょっぱい代物だった。とにかく顔が曲がってしまうくらいしょっぱい。高血圧の人にこんなのを食べさせたらばたばた死ぬだろうと思う。でも腹が減っているから、食べないわけにはいかない。他に選択肢はないのだ。そんなわけで、我々は黴のはえたふやけたパンを呑みこみ、酸っぱいスープを流しこみ、しょっぱいチーズを齧った。
「黴のはえたパンなんて食べちゃって、体は何ともないんでしょうかね?」と松村君が訊く。良い質問である。でも僕もこれまで黴のはえたパンを食べたような経験はないので、それでどうなるかは見当もつかない。強ければ生き残るだろうし、強くなければ駄目かもしれない。でもとにかく腹が減っているのだから仕方ない。目をつぶって食べちゃう。あたりまえの話だが、これは決して美味いものではない。
(中略)
僧はまたぶつぶつと文句を言いながら(何かを呪っているのかもしれない)、それでも黴パンを豆スープにつっこんで、それを猫に「ほれ、食え」とくれてやる(僕らに対するよりは猫に対する方が若干親切なように感じられる)。するとどうだろう、猫が実にそれをおいしそうにぴちゃぴちゃと食べるのである。

あるいはこの宿坊の係の坊さんも、あまり人に来てほしくなくて、それで小屋を焼くかわりに(いちいち焼いてるときりがないから)食事に黴パンを出して、少しでも早く僕らを追い払おうとしているのかもしれない。だとしたら彼はその作戦に成功したことになる。僕らは朝食にまた出てきた水びたし黴パンを見てげんなりする。今回はおまけに黴のはえたかちかちのルクミまでついている。それと超塩辛フェタ・チーズと、コーヒー。でも腹が減っているので、涙を飲んでもくもくと食べる。
「あの、これ嫌がらせでやってるんじゃないですかね?」と松村君が言う。ラディカルな意見である。
「あっちでは坊さんがすごい美味いもの食ってたりしてね」とO君が言う。
「そういえば、ここの坊さんもけっこう血色いいですよ。腹が出てるのもいるし」と松村君が言う。

1時間ほど歩いてぐったりと消耗してきたので、峠で腰を下ろして汗を拭き、レモンを半分に切ってぎゅっとしぼって飲む。何個飲んでも飲み足りないくらいこのレモンが美味しい。酸っぱいはずなのに、全然酸っぱく感じないのだ。皮までくちゃくちゃ噛んで果汁をしぼりとる。レモンをいつも持ってあるくこと。これが夏のギリシャを旅していて僕が学んだ教訓のひとつである。

11時20分にやっとアギア・アンナのスキテに到着。カフソカリヴィアに比べると、ここの人たちは愛想がいい。コーヒーとウゾーが出てくる。ウゾーが本当に美味しい。骨にまでしみわたるような気がする。スキテの庭から眼下にきらきらと光る海と、港が見える。

ウラノポリについてまず我々のやったのはタベルナに入って冷えたビールを思いきり飲むことである。これは一瞬意識がブラックアウトしたんじゃないかと思うくらい美味かった。それから心ゆくまで現世的な食事を楽しむ。フィッシュ・スープとフライド・ポテトとムサカとサーディンとカラマリとサラダを注文する。そして車からラジカセを出してきてビーチボーイズを聴きながらゆっくり食事をする。リアル・ワールドである。もう誰が黴のはえたパンなんか食べるかと思う。

 そして。この「確信」に満ちた「汚い坊さん」の姿は、キリスト者として理想の姿である。もっと言えば、「改宗しなさい」と言いさえしなくてもconfidenceが伝わるような人になりたい。

僕は最初にも書いたように宗教的な関心というものが殆どない人間だし、それほど簡単に物事に感動しないどちらかというと懐疑的なタイプの人間なのだけれど、それでもアトスの道で出会った野猿のような汚い坊さんに「心を入れ替えて正教に改宗してまたここに戻ってきなさい」と言われたときのことを奇妙にありありと覚えている。もちろん僕は正教に改宗なんかしない。でも彼の言葉には不思議な説得力があった。たぶんそれは宗教云々というよりは、人の生き方の確信の問題なんだろうと思う。確信ということで言うなら、世界中探してもアトスくらい濃密な確信に満ちた地はちょっと他にないのではないかという気がする。彼らにとっては、それは疑いのない確信に満ちたリアル・ワールドなのだ。カフソカリヴィアのあの猫にとって、黴つきのパンは世界でもっともリアルなもののひとつだったのだ。
さて、本当はどっちがリアル・ワールドなんだろう?

村上春樹著『雨天炎天』より