たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『十五の夏』その11 完結編:旧ソ連

船のレストランに行った人に何を食ったかと根掘り葉掘り聞く佐藤少年にウケた。うちの姪みたいで。毎晩、翌朝のメニューを決めてから寝るほど食へのこだわり?が強く、挨拶がわりに「今日は何食べた?」って聞いてきてかわいいの。

飛行機が飛び立ってしばらくして水平飛行に入ると機内食が出てきた。黒パンとゆでた鶏肉、それにチーズとケーキだ。飲み物は紅茶とコーヒーのチョイスがあったので、紅茶を頼んだ。お腹が空いていたので、機内食がとてもおいしく感じられた。

まず、ハムとソーセージの盛り合わせに、鶏肉の入ったポテトサラダが出てきた。ロシアのレストランの定番料理だ。ただし、付いてきたパンが、今まで見たことのないものだ。モスクワやキエフで食べた黒パンではない。かといって、白パンでもない。灰色のパンだ。ほのかにライ麦の香りがする。食べてみるとライ麦の酸っぱさはない。小麦粉に少しライ麦粉を入れて焼き上げたパンのようだ。飲み物は、リンゴの皮を煮て作ったコンポートだ。あまり甘くない。
灰色のパンにバターを塗ってその上にサラミソーセージをのせて、オープンサンドイッチにして食べてみた。リンゴんおコンポートとよく合う。ハンガリーからサラミソーセージはよく食べたが、これでお別れだ。日本で酒のつまみにするサラミソーセージとは、まったく別の食べ物だ。
メインはビーフストロガノフだった。付け合わせはバターライスだ。量もかなりある。味もいい。すっかりお腹が一杯になった。ウエイトレスがやってきて、「マロージュノエ(アイスクリーム)?」と尋ねるので、「ダー(はい)」と答え、続いて「コーフェ、チャイ(コーヒーか紅茶か)」?」と聞かれたので、「コーフェ」と答えた。アイスクリームはステンレスの器の上に大きな玉が3つのてっていて、スグリのジャムがたっぷりかかっていた。コーヒーはとても濃かった。アイスクリームが甘いので、コーヒーには砂糖を入れないで飲んだ。
(中略)
スイスとチェコスロバキアの食べ物はよく似ていた。ポーランドでは、ほとんど大衆食堂で食事をしたが、おいしかった。特にジャガイモのピュレーがおいしかった。ハンガリーでは、フィフィ家で家庭料理を堪能した上、キューバ料理店にも行った。ルーマニアの食事だけは、あまりおいしくなかったが、食べられないほどまずくもなかった。
ソ連に入ると料理の雰囲気がまったく変わった。明らかに東ヨーロッパ諸国の人々と異なる嗜好をロシア人は持っている。中央アジア料理の影響もあちこちに入っていると思った。ロシア人が、ジャガイモだけでなく、米や蕎麦の実をよく食べるのには驚いた。それから、毎食、肉をたくさん食べる。また、夕食にスープが出ないのにも驚いた。もっとも家庭では、夕食のときにボルシチやサリャンカを飲むことも多いらしい。将来、ソ連に留学することがあっても、食事に不自由することはないと思った。

僕は定員に残った食事のチケットを渡して、これをチョコレートとクッキーの詰め合わせに替えてくれと頼んだ。店員は、「クッキーの詰め合わせはないが、ウエハースならある」と言った。

車掌が紅茶とビスケットを持ってやってきた。

「何を飲みますか」と女性のバーテンダーが尋ねた。
「コーラを飲みます」と僕が答えた。
バーテンダーは、冷蔵庫からコカ・コーラの瓶を取り出して栓を抜いた。日本製だ。ソ連にはコカ・コーラがないので、いよいよ日本に近づいてきたという実感が湧いた。
「ほかに何か」
「食事を食べ損ねてしまいました。お腹が空いています」
「ブッテルブロード(オープンサンドイッチ)しかありませんが、よろしいですか」とバーテンダーが尋ねた。僕は「よろしくお願いします」と答えた。
バーテンダーは冷蔵庫から、オープンサンドイッチを3つ取り出した。1つはキャビア、もう1つはイクラ、最後の1つにはサラミソーセージが載っている。パンは、ソ連製の白パンだ。
「コーヒーか紅茶はいかがですか」
「コーヒーをください」と僕は答えた。
バーテンダーは、ソ連製のインスタントコーヒーの缶を開けて、大さじ山盛りのコーヒーをカップに入れて熱湯を注いだ。横にはレンガ形のソ連製角砂糖が添えてある。このなかなか溶けないソ連製角砂糖も日本に戻れば、口にすることもないだろう。
お腹が空いているせいもあるが、オープンサンドイッチは実においしかった。こういうスタイルのサンドイッチも日本に帰れば口にすることもなくなるだろうと思うと、少し淋しい気がする。もっともパンはソ連よりもハンガリーがおいしかった。特にマルギット島のヴェヌス・モーテルのレストランで、丸いパンにサラミソーセージをはさんだサンドイッチは絶品だった。あのホテルにいた白黒ブチ猫のツェルミーはどうしているのだろうかとふと思った。
「どうした。夕飯が足りなかったか」と声をかけられた。振り向くと酒匂さんだった。
「足りなかったのではなくて、食べそびれてしまいました」と僕は答えた。
「それは残念だ。モスクワのレストランよりもおいしい食事だった」
「メニューは何でしたか」
「まず、スモークサーモンが出て、それからカニのグラタンが出た。多分、タラバガニだと思う」
「おいしそうですね」
「おいしかった。メインはフィレステーキかビーフストロガノフのどちらかを選ぶことになっていた」
「どちらを選んだのですか」
「迷ったけれどフィレステーキにした。ウェルダンだけど、とてもおいしい牛肉だった」
「ソ連産の肉でしょうか」
「そう思う。外貨を節約しないとならないので食材はほとんどソ連産だ。もっとも日本産の食材ならば、帰国してからいくらでも食べられるので、この船ではロシア料理を楽しんだ方がいい」
(中略)
時計を見ると11時45分だ。コーラとオープンサンドイッチで1000円をとられた。キャビアを食べたのだから、決して高くない。

初めて食堂に入った。100人くらいは収容できる大食堂だ。テーブルは4人掛けだ。ウエイトレスがやってきて、メニューからメインディッシュを選べと言う。サーモンステーキかカニコロッケだったので、僕はカニコロッケを選んだ。
(中略)
まず、サラミソーセージとチーズの前菜に、生のキュウリとトマトが出た。いずれもソ連産の食材だ。それに続いて、スープが出た。サリヤンカだった。キュウリのピクルス、黒オリーブ、それに細かく切ったソーセージがたくさん入っている。これだけで、お腹がかなりふくれた。続けてメインディッシュのカニコロッケが出てきた。大きなコロッケが2個、皿の上に載っている。僕は日本でよく食べるカニクリームコロッケのようなものを想像していたが、まったく異なっていた。パン粉をつけて揚げた衣にナイフを入れると、カニ肉が噴き出してきた。材料はタラバガニの缶詰のようだ。カニ肉を堅く握って、それにパン粉の衣をつけて揚げたようだ。マヨネーズをつけて食べるとなかなかおいしい。ソ連旅行中にも一度も食べたことのない料理だった。同席の3人もカニコロッケを食べている。
(中略)
ウエイトレスが「コーヒー、オア、ティー」と尋ねた。全員が「コーヒー」と答えた。ウエイトレスはコーヒーとともにデザートのアイスクリームを運んできた。スグリのジャムが山のようにかかっている。3人はスプーンで、アイスクリームを溶かしながら食べている。好奇心が抑えられなくて僕は、「どうしてアイスクリームを溶かしながら食べるのですか」と尋ねた。
「一緒に山を登ったロシア人に、アイスクリームをそのまま食べると喉に対する刺激が強すぎるので、少し溶かしてから食べるといいと言われた。試してみると、こうして食べる方がおいしいのでそうしている」

冷たい前菜は首都風のポテトとチキンのサラダで、温かい前菜はマッシュルームのグラタンだった。メインは羊肉のシャシリク(串焼き)かビーフストロガノフなので、後者を選んだ。ビーフストロガノフの付け合わせをマッシュポテトにするかバターライスにするか聞かれたのでバターライスにした。食事はいずれもおいしかった。特に付け合わせのバターライスが絶品だった。少し固めに炊いた米に無塩バターをからめて、パセリのみじん切りをふりかけてある。これが、サワークリームで煮込んだ細切り牛肉とよくあった。食後のデザートはアイスクリームだったが、お腹が一杯なので断って、紅茶を飲んだ。紅茶にはスグリのジャムがたくさんついてきたので、スプーンにジャムをとって舐めながら紅茶を飲んだ。
食後、バーに行ってみることにした。酒匂さんに会えるのではないかと思ったからだ。
(中略)
バーに行くと酒匂さんがカウンターに座ってウイスキーをオン・ザ・ロックで飲んでいた。隣の席が空いているので、僕は「ここに座ってもいいですか」と声をかけると酒匂さんが「あなたが来るのを待っていた」と答えた。

前菜はスモークサーモンで、メインはフィレステーキだった。スープは、ボルシチか味噌汁の選択だった。好奇心から、味噌汁を注文した。大きな器に、タラバガニの足とわかめが入っていた。茶碗一杯の炊きたてご飯の上に海苔が2枚載っている。ウエイトレスが醤油を持ってきた。ご飯は恐らく炊飯器で炊いたのであろう。日本で食べるのと同じようにふっくらしている。味噌汁は味が薄かったが、缶詰のタラバガニの味がして、それなりにおいしかった。ご飯に醤油をかけて食べてみた。何となくほっとする。醤油の香りが日本を思い出させる。6時間後には大宮の家に着いているはずだ。
デザートのスグリのジャムがたっぷりかかったアイスクリームを食べながら、コーヒーを飲んでいた。

東京に入って少し経ったところで、運転手が「お兄さんは、お腹が空いていないかい」と僕に尋ねた。
「空いていません」
「俺は腹ぺこだ。車を停めてパンを買ってもいいかな」
「どうぞ」
しばらく走って、開いているパン屋を見つけると、運転手は車を停めた。
「お兄さんはどのパンを食べる」
「いりません」
「遠慮しなくていいよ」
「遠慮はしていません。ほんとうに何も食べたくないんです」
「そうか、わかった。それじゃ、俺の分だけ買う。牛乳かコーヒー牛乳は飲まないか」
「飲みたくありません」
「わかった」
そう言って運転手は外に出ていった。パンを2つと牛乳を1本買ってパン屋の軒下ですばやく食事を済ませ、車に戻ってきた。
「これで腹が一杯になった。後は大宮まで飛ばしていくぜ」

母はすき焼きの準備を始めた。

ハバロフスクで買ったチョコレート、ウエハース、ビスケットを文芸部と応援団に持っていった。文芸部の連中は「包装紙は質素だけど、おいしいじゃないか」と言ったが、応援団の連中は「まずいな。共産圏は嫌だな」と言った。ソ連、東欧旅行について尋ねたのは、クラスでは豊島君だけで、それ以外は文芸部員だった。豊島君が、「みんなほんとうは、佐藤君の経験に強い関心を持っている。しかし、誰も何も聞かないだろう」と言った。
「どうして」
「わからないか。羨ましいとともに悔しいんだよ」

佐藤優著『十五の夏』より