たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『十五の夏』その8:旧ソ連

乗客名簿を手書きで作るソ連の観光業者のスタッフの方々。大変なことだ。
軽食を24時間売ってる店などないので、夜勤のときは夜食も考えて用意していかなければならない。
でも、徹夜勤務明けは3日休みというシフトは現代の夜勤ありの職に近い。

「佐藤君は、ジュースかコーラだね」と篠原さんが尋ねた。
「コーラをお願いします」と僕は答えた。
僕はコーラ、それ以外の人はビールで乾杯した。
テーブルには、クラゲ、焼き豚、蒸し鶏、ピータン、白菜の漬け物、キュウリの漬け物などが大量に並べられている。かなり値が張りそうだ。さらにウエイターが老酒(ラオチュー)や白酒(パオチュー)を運んでくる。
「この店にはいいマオタイ酒がある。ウオトカよりも度数が高い。試してみるといい」そう言って、篠原さんはマオタイ酒を勧めた。
(中略)
続いて、北京ダックが出てきた。話に聞いたことはあるが、初めて実物を見た。
「北京ダックは初めてか」と篠原さんが尋ねた。
「はい。テレビで見たことはありますが、食べるのは初めてです。ソ連でもよくあるのですか」
「ソ連にはないと思う。どうだろうか」と篠原さんが日下さんに尋ねた。
「確か、1950年代、中ソ関係が良かった頃は、モスクワのレストラン・ペキンで北京ダックが出たと言います。いまのレストラン・ペキンには中国人のコックは1人もいません。得体のしれない料理しか出てきません。そもそもロシア人は食事に関しては保守的なので、中華料理には馴染まないと思います」と日下さんが説明した。
(中略)
テーブルに載っていた白菜のクリーム煮、小海老のチリソース和え、アワビと野菜の炒め物は冷えていた。
「冷たい中華料理はおいしくない。でも、もったいないから食べよう」と言って、料理を小皿に取り分けた。
老酒を2~3杯、立て続けに飲んだので、篠原さんの顔が赤くなった。

時間にすれば、わずか10分くらいだったと思う。ホテル・メトロポールのレストランの窓際の席で、ボリショイ劇場を見ながら、キャビアとイクラにパンケーキ、魚の盛り合わせ、キュウリと赤カブの生野菜が出てくるのを待つ間、僕は「日ソ友の会」のことを思いだしていた。
キャビアとパンケーキ、サーモンとスモークしたアセトリーナ(チョウザメ)は絶品だった。キュウリと赤カブには、ドレッシングもマヨネーズもついていない。周囲の客を見ていると、塩を振って食べているので、僕も真似をしてみた。ソ連の塩は岩塩で、粒が大きい。独自の風味がある。これが生野菜ととても合う。
シャシリクもすぐに来た。ウエイターが上手に串を抜いてくれた。ウエイターは肉の上に赤いソースをかけた。トマトをベースにした少し辛いソースだ。子羊の肉も軟らかくておいしい。ソ連旅行記で、モスクワのレストランはサービスが最低で、食事も不味く、特に肉は硬くて嚙み切れないという話をいくつか読んだが、僕の経験とはまったく異なる。ソ連のレストランで食べた料理はいずれもおいしく、ウエイターやウエイトレスのサービスも良い。「百聞は一見にしかず」というのはこのことだと思った。
シャシリクを食べてお腹がいっぱいになったので、アイスクリームとコーヒーを飛ばすことにした。

朝食券を渡すと、ウエイターから「オムレツにしますか、目玉焼きにしますか」と尋ねられたので、「オムレツにします」と答えた。さらに「コーヒー、紅茶のどちらにしますか」と言われたので、「コーヒー」と答えた。
既に準備ができていたのだろうか、黒パンと白パン、バター、サラミソーセージとハム、生のキュウリとトマト、それに豆腐のような形をしたオムレツが運ばれてきた。さらに、コップに入った濃厚な牛乳のような液体が運ばれてきた。これから、コーヒーを取りに行くのだろうか。ウエイターは、テーブルから離れた。牛乳のような液体に口をつけてみた。濃厚で、酸っぱい。微炭酸飲料のようだ。今までに飲んだことがない味だ。
コーヒーを運んできたウエイターに「これは何だ」と尋ねた。
「ケフィールです」とウエイターは答えた。
聞いたことのない名前だ。
「ヨーグルトですか」と僕は尋ねた。
「ニェット、ケフィール(違います。ケフィールです)」とウエイターは答えた。
きっとロシア独特の飲み物なのだろう。ヨーグルトを軟らかくしたような感じだ。甘くないカルピスのような味がした。
キエフでもモスクワでも、サラミソーセージが抜群においしい。黒パンに無塩バターを塗って、その上にサラミを載せたオープンサンドイッチにして食べるとなかなかいける。ハンガリーの堅い丸パンにサラミとソーセージをはさんだサンドイッチとは、まったく別の種類のおいしさだ。
オムレツは、ひどく硬い。鮨屋の堅焼き玉子のようだ。豆腐1丁分くらいの大きさがある。鶏卵を3~4個使っているのだろう。相当、ボリュームのある朝食だ。コーヒーは、ものすごく濃かった。飲み終えると頭がくらくらした。外国にいるのだということを実感した。

収容所長は何を考えたのか、ピストルをテーブルの上に放り出して、ウオトカをグラス1杯注ぎ、黒パンを一切れとり、バターをつけて、ソコロフに差し出した。
「死ぬ前に飲め、ドイツ軍の勝利のために」

ターニャさんは、僕の方を向いて、「いま、紅茶とサンドイッチを準備してきます」と言って、アエロフロートの女性と通訳と一緒に出ていった。
(中略)
こんな調子で話をしているうちにターニャさんと通訳が、盆に紅茶とオープンサンドイッチを持ってやってきた。白パンの上にサラミ、チーズ、ハムが載ったサンドイッチだ。
「私が夜食用に持ってきた材料でつくったので、これしかできません。恐らく、明日、空港のレストランが開く前にサマルカンド行きの飛行機が出ると思うので、これを食べておいてください」とターニャさんは言った。通訳がドイツ語で何か説明していたが、きっと同じことを伝えたのだろう。ドイツ人は、「スパッシーボ(ありがとう)」と言ってオープンサンドイッチを手に取った。僕は、紅茶に角砂糖を入れた。ソ連に来てから慣れた長方形の角砂糖だ。紅茶はかなり熱いのになかなか溶けない。
自分が夜食用に持ってきた食料を分けてくれるなんて実に親切だ。そういえば、この春休みに北海道を旅行したときにも、列車の中で見ず知らずの人から、おにぎりやお菓子をもらったことを思いだした。困ったときに助けてくれるというのは、日本人もロシア人も同じなのだと思った。オープンサンドイッチのパンは、ホテルで出てくるのと同じ物であったが、サラミソーセージ、チーズ、ハムはとても美味しかった。「今は、ピクルスを切らしていて、失礼しました」とターニャさんが言った。僕は「おいしいサンドイッチを頂けたので十分です」と答えた。

ターニャさんが、紅茶をいれて、今度はクッキーを持ってやってきた。段ボールの小箱に入ったクッキーだが、バターやチョコレートをふんだんに使っている。ホテルでも食べたことのないクッキーだった。
「このクッキーは初めて食べました。僕が泊まったホテルで出たクッキーはもっとパサパサしていました」
「このクッキーは、特別に注文して購入した物です。職場には、注文販売の窓口があります。ここで注文しておくと、街の商店では手に入りにくい、肉やソーセージ、それに菓子類が簡単に手に入ります」

僕からは、ロシアの伝統的な飲み物のクワスについて尋ねた。
(中略)
「特に宇宙開発に関するパビリオンが興味深いです。そのそばで、クワスを売っています。クワスはロシアの伝統的な飲み物で、軽く泡立っています」
「コーラのような感じですか」
「コーラほど強い炭酸ではありません。しかし、街で売っているクワスはおいしくないので、家で作った方がいいとナターシャもワロージャも言っています。私もそう思います」
「家でクワスを作ることができるのですか」
「簡単です。黒パンと酵母と砂糖があれば、簡単に作れます。それから、料理にも使います」
「クワスで料理を作るのですか」
クワスでどんな料理を作るのだろうか。好奇心が湧いてきた。
「そうです。オクローシュカという名前を聞いたことがありますか」
「いいえ。初めて聞く名前です」
「キュウリ、タマネギ、茹でたジャガイモ、大根やハムを細切りにしてかき混ぜます。それにかたゆで卵を半分に切って載せます」
「サラダのような感じですね」
「そうです。それにクワスをかければ、オクローシュカになります。夏にはスープの代わりにオクローシュカを食べることが多いです」
「しかし、クワスは甘いんじゃないでしょうか」
「オクローシュカに使うクワスはあまり甘くありません。好みでスメタナ(サワークリーム)や塩、胡椒を入れることもあります」
「レストランで食べることができますか」と僕は尋ねた。
(中略)
「残念ながら、外国人が宿泊するインツーリスト系列のレストランやモスクワ市内の高級レストランでは、オクローシュカは出ません」
「どうしてですか」
「ホテルや高級レストランの夕食にボルシチは出ませんよね」
「確かにそうです」
「家で日常的に食べているものをわざわざレストランで食べようと思う人は少ないです。オクローシュカもそのような家庭料理です。しかし、モスクワ市内では、夏場にオクローシュカや冷たいボルシチを出すカフェがあると、ワロージャとナターシャが言っています。私はそういうカフェに行ったことはありません。茹でたビーツを細かく切って水で溶いた冷たいスープを、オクローシュカの具にかけると冷たいボルシチになります」
「おいしいんですか」
「私は好きです。しかし、冷たいボルシチやオクローシュカを一切、受け付けない人がいます」

「朝ご飯を食べに行きましょう」と言う。
また、オープンサンドイッチを作ってもらうのだろうか。あまり迷惑もかけたくない。ナターシャも席を立って、身振りで一緒に行こうと誘う。僕はついていくことにした。昨日のカフェに案内されたが、もう開店している。
ターニャさんは、店の隅の席に僕とナターシャを招いた。
「空港のカフェは、午前7時からやっています。きちんと朝ご飯を食べましょう」とターニャさんが言った。
「飛行機では機内食が出るでしょうか」と僕は尋ねた。
「サマルカンド行きならば出ますが、日本航空のようなおいしい食事ではありません。ここできちんと食べていった方がいいです」
「わかりました」
「あまり、メニューがないので、私が決めてもいいですか」
「お願いします」
ターニャさんは、ウエイトレスを呼んで、注文を伝えた。最後に、ウエイトレスが僕の方を向いて「コーフィー・オア・ティー?」と尋ねたので、僕は、「コーヒー、プリーズ」と答えた。
ホテルでの朝食では、30分くらい待たされることもあったが、ここではすぐに食事が出てきた。キャベツの漬け物、生のトマト、目玉焼き、ソーセージ、ケフィール(ヨーグルト・ドリンク)、黒パンと白パン、それにコーヒーだった。
(中略)
空港での朝食は、想像したよりも、ずっとおいしかった。キャベツの漬け物は、あえて言うと糠漬けに近かった。それにひまわり油をかける。そうすると独自の風味があっておいしい。ソーセージは、ホットドッグに使うような長いものだ。ゆでたソーセージだが、ジューシーだった。目玉焼きは、鉄製の皿の上に卵を載せて、オーブンで焼いてある。堅焼きだ。白パンも黒パンも焼きたてでおいしい。コーヒーは、底に粉が残るトルコ風だった。
「家でもこれくらいたくさん、朝ご飯を食べるのですか」と僕は尋ねた。
「これくらいは食べます。ロシア人は、とにかく食べることが好きです」と言ってターニャさんは笑った。

アエロフロートの国内線では、6時間以内の飛行では機内食が出ず、ミネラルウオーターを配られるだけだという話をなにかで読んだことがあるが、モスクワ―サマルカンド便では、機内食が出るようだ。かなり分厚い黒パンが2枚、大きな塊のチーズが1つ、それに銀紙に包まれたバターが載っている。ガラスのコップとプラスチックでできたカップが置いてあるが、中には何も入っていない。スチュワーデスが、瓶に入った透明の水とピンク色の水を示す。どちらかを選べということらしい。ピンク色の水を選んだ。微炭酸のアセロラドリンクだった。口にしてみると、ほのかな甘味があっておいしい。その後、スチュワーデスは、バケツから、トングのような金属製の器具で、トレーの上に鶏肉を老いた。茹で鶏のようだ。胸肉の部分だ。スチュワーデスが、「コフェー・オア・チャイ?(コーヒーにしますか、それとも紅茶にしますか?)」とロシア語と英語のチャンポンで尋ねた。僕は「コフェー・プリーズ」と答えた。するとスチュワーデスは、ヤカンからプラスチックのカップに熱湯をなみなみと注いで、アエロフロートのロゴ入りの袋に入ったインスタントコーヒーを僕に渡した。隣の母子は、紅茶を頼んでいる。
インスタントコーヒーをカップに入れた。泡が立ってエスプレッソコーヒーのような感じになった。トレーには、長方形でアエロフロートのロゴが入った紙に包まれた角砂糖が載っていたので、紙をはがして、カップに入れた。なかなか溶けないのは、ホテルの角砂糖と一緒だ。スプーンでよくかき混ぜて、ほぼ砂糖が溶けたところで、口にしてみた。おいしい。ホテルで飲んだコーヒーよりもはるかにおいしい。アエロフロートの機内食用に特別に作っているものなのであろう。次に黒パンを食べてみた。かなり酸っぱい。ホテルのレストランで出た黒パンと異なり、色も真っ黒に近い。ライ麦の含有率が高いのだろう。女の子の隣のお母さんが、僕の右手を突っついた。黒パンにバターを塗って、その上にチーズを切って載せろと手真似で示す。オープンサンドイッチにしろというのだ。言われる通りにした。酸っぱい黒パンと、コクのあるチーズ、それに無塩バターがよいハーモニーを醸し出して、おいしい。

佐藤優『十五の夏』より