たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

絵本の食べ物を再現する『許されようとは思いません』

2年前に『汚れた手をそこで拭かない』を読んだらしいのだが、あらすじなどを読んでみてもまっっったく思い出せなくて恐ろしい。

「ばあば、いつも言ってるわよね? カメラが回っていない間も仕事なの。考えればわかることじゃない。パパ・チキンの人が相手なんだから、いつも食べてますって答えるべきでしょう」
「でも、たべてないから......」
「本当のことなんてどうでもいいのよ」
チキンのビニール袋とパチパチカードを紙袋に放り込む。ウエストポーチから撮影中に吐き出させたチキンも取り出し、一緒に投げ入れた。
(中略)
「杏ちゃんが食べたいならいいのよ? でも、こういうのを食べるようになったらまた元の体形に逆戻り。それでもいいの?」
杏が勢いよく首を振る。
わたしは頬を緩めた。
「そう、ならいいの。はい、お弁当。ばあば作ってきたの」
鞄から小さなお弁当箱を出した。五穀米に里芋の煮物、子持ちししゃもに塩昆布、具だくさんの味噌汁だ。
杏は、お弁当箱を見つめたまま、小さく言った。
「ありがとう、ばあば」

時には先生と猛くんと私の3人で山菜採りに出かけて、採ってきた蕨やたらの芽やたんぽぽや山独活や蕗の薹なんかをわいわい洗って調理したりして。本当に楽しい時間をたくさん過ごしました。

猛くんもそれはそれは張り切っていて、私は数日前からお誕生日祝いの準備をこっそりしてお母さんをびっくりさせたいのだという相談を受けておりました。猛くんはお手紙を書き、私はちらし寿司とケーキを作ることになりました。
(中略)
鰻は先生の好物でしたから、自分が食べたいと言うことで母親に食べさせてあげようと考えたのだろうと解釈されたのでしょう。

『たなに ならんだ つぼのなかを のぞくと、つぼの なかみは、アノダッテの すきな ものばかり。いちごジャム、くろすぐりの ジャム、プラム、ほしぶどう、コーヒー・クリーム、りんごジャム、チョコレート、シナモン、アーモンド、こなざとう。どれも いい におい、そして、いい あじ』
パン屋で働く少年アノダッテが夜中にこっそり大好物の材料を目一杯に詰め込んだパンを作る物語は、もう何十回も読んでもらって話はすっかり覚えてしまっているというのに、何度聞いてもワクワクした。姉がいつも、ねえ、なん入れる? こがん大きいパンどうなるっちゃろ? とセリフを挟んでくれていたからだ。温かみのあるイラストで描かれるパンは本当においしそうで、今にもいい匂いが漂ってきそうで、読んでもらうたびに私は姉の肩に頭をもたれさせながら、よかねえ、うちもたべてみたか、とつぶやいていた。
いつもは、そうさねえ、うちも食べてみたか、と言ってから「おしまい」と本を閉じる姉が、その日は本を開いたままニヤリと笑った。
『じゃあ、作ろっか』
『え? どがんして?』
目をしばたたかせた私に、姉が差し出してきたのは、パンの写真が載った本だった。
『学校の図書室で借りてきたとさ。パンの作り方が書いてあると』
姉は声を弾ませると、2冊の本を持ってキッチンへと向かった。いつから計画していたことなのか、どこかから既にこね合わせた生地とお小遣いで買ったというトッピング用のお菓子を持ってくる。
『はい、こいば分けてくれんね』
姉はお手伝いを頼むときの母のような口調で言ったけれど、私はいつものお手伝いのときよりも何倍も興奮した。だっておねえちゃんとふたりでほんとにつくっちゃうのだ! アノダッテのパンがたべられる!
『ねえ、なん入れる?』
姉は絵本を読むときと同じセリフを口にした。
『チョコ!』
『おかね、入れよ入れよ』
『おねえちゃんは? なんいれると?』
『マシュマロ!』
『わーおいしそう!』
ドバーッ、と口に出して言いながら、2人で生地の中に好きなお菓子をどんどん放り込んでいく。あっという間に膨れ上がった生地をさらに寝かしてオーブンへ入れると、オーブンは一杯になってしまった。
『だいじょうぶやろか』
『だいじょうぶやろ』
私たちはクスクス笑い合い、入りきらなかったお菓子をつまみ食いしながら待った。どがんパンになるとやろ。絵本みたいにふくらむやろか。家がパンでいっぱいになっちゃったらどがんすっと? 何度もオーブンを覗きに行き、食べるところを想像しては床を転げ回って笑った。
結果は、当然のことながら絵本のようにはならなかった。オーブンが壊れるわけでもなく、パンが家中に広がるわけでもなく、ただ表面は焦げているのに中身は生焼けのいびつな形をしたパンができただけだ。
『なんね、これー!』
『パンたいー!』
姉は笑い、私は本当にパンができたことに感動して声を上げた。
『すごかね、おねえちゃん、ほんとにパンができたばい!』
『たべてみよっか』
あちち、あちち、とまたはしゃぎながら指先でつまんでオーブンの前で味見をしていると、母が仕事から帰ってきた。たちまちキッチンの惨状に気づき、悲鳴を上げる。

家に帰ったのが17時半、唯花に食べさせた焼きそばパンの袋をゴミ箱の下に押し込んで隠し、ディズニーの英語教育DVDを流しながら大急ぎで豚の生姜焼きを作った。

そのまま花唯が泣き止むのを待ち、豆腐ハンバーグとサラダとケチャップライスのプレートを手にリビングへ戻った。「ユイちゃん、ごはんやけん」と声をかけると、唯花はふて腐れながら無言で子ども用椅子によじ登り始める。
(中略)
「ユイちゃん、これいらんけん」
私はため息を飲み込み、小首を傾げてみせる。
「だったら何なら食べると? パンがよかと?」
「やだ!」
「何も食べんやったらお腹すくけん。ほら、このハンバーグ、ユイちゃんが好きなやつたい」
「たべんっていいよるたい!」
唯花は私が前に置き直したプレートを勢いよく払い落とした。プレートがひっくり返り、中身が床に散らばる。昨晩、唯花を寝かしつけてから下ごしらえをして作ったハンバーグ、前に唯花が『おいしか』と言って完食してくれたはずのケチャップライス。

ハンバーグに唐揚げ、カレーライス、ケーキ、アイスクリーム———どれも60代の祖母と90代の曽祖父だけが暮らす家では食べないものばかりだったはずだ。祖母はくしゃりと目尻に皺を寄せ、『諒一は食いっぷりがいい』と何度も言ってくれた。

たこ焼き、綿飴、ベビーカステラ、フランクフルト、焼きとうもろこし———どれをどの順で食べようかと頭を悩ませる私に、けれど祖母はいつものように「諒一は本当に嬉しそうに食べ物の話ばするねぇ」とは笑ってくれなかった。浮かない顔でぼんやりと相槌を打つ祖母を見て、私は暢気なことに「もしかしてせっかくご馳走を用意したのにと思ってがっかりしているんだろうか」と考えた。それで慌てて『おばあちゃんの唐揚げも食べたい!』と続けたのだが、祖母は虚をつかれたように目を見開いた後、さらに悲しそうに目を伏せた。
『いいんだよ、何でも好きなものば食べておいで』
(中略)
だが、結局私が薄荷パイプを買って帰ることはなかった。私がその日買うことができたのは、綿飴と焼きとうもろこしだけだった。
そもそも、私が想像していたような屋台らしい屋台はほとんど出ていなかった。目を引く原色ののれんがかかった屋台は綿飴と焼きとうもろこしのものだけで、それ以外は白い味気ないテントが点在しているだけだったのだ。
私は落胆を隠せず、まず綿飴を買って頬張りながらテントを見て回った。すると、不思議なことに気づいた。村の人々はお金を払うわけでもなく、瓶に入ったジュースや餅やスイカをもらっていたのだ。
(中略)
餅のテントでも断られる頃には、いくら鈍い私でも自分だけがわざともらえないのだということに気づかざるをえなかった。けれど、なぜそんなことをされなければならないのかがわからない。泣きべそをかいて境内の脇で待っていた母のところに戻ると、母は『ちょっと待ってなさい』と言って焼きとうもろこしを買ってきてくれた。

奇妙な構図に戸惑う私をよそに、彼女はテキパキとタッパーを開け、紙皿に私と祖母の分のおにぎりとおかずを取り分けた。両手を合わせて「いただきます」とはっきり発言し、軽く頭を下げる。私も一拍遅れておにぎりにかぶりつくと、塩気が効いた白米の中心には私の好物の唐揚げが入っていた。私は味わって咀嚼しながら、木の扉と石垣を振り返る。

芦沢央著『許されようとは思いません』より