たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

私を支える言葉 吉田修一『悪人』

カレッジの日本映画講義で取り上げられたので、仕方なく電書で買って読む。
この手の映画化前提みたいなクラスタの作品を読むのは時間のムダである。

一点、物語とはそれつつ挿入されいているオッサンのモノローグが、昔、飲み会でクライアントから聞かされた話とすごく似ていてビックリした。このリアルさは作者にも同様の経験があるのだろうか。気持ちは私にもよく分かる。

… 男にとっては、そういう見え透いたお世辞でも、心のどっかにずっと残っとることがあるとですよ。もっと言えば、その一言のおかげで自信持っておられるとですよ。こんな昔話すると、気持ち悪く思われるかもしれんけど、大学生のころ、テニスサークルの先輩やった女性に、「林くんって、真っすぐに人のこと見るよね。だからかな、一緒にいるとなんか自分が見透かされてるような感じがする」って言われたことがあるんですよ。なんてことない言葉なんやけど、不思議なもんで、それがその後、自分の拠り所みたいになってるんですよね。

ちなみにクライアント版は「サークルの女の子に『○○君って、他の人と違う』って言われたんや」という地味〜な自慢だった。ほんとにその一言を大事に大事にしてるんだって分かった。

立ち上がって、「ねぇ、どこ行く?」と佳乃が尋ねると、「鉄鍋餃子は?」と、こういうとき滅多に意見を言わない眞子が言った。
「あ、餃子食べたいかも」
すぐに沙里が賛成して、同意を求めるような目を佳乃に向けてくる。

中州の鉄鍋餃子に入ってからも、増尾談義は続いた。テーブルには手羽煮やポテトサラダ、そしてメインの餃子が並び、3人とも生ビールを飲みながら、眞子は彼氏のできた佳乃を素直に羨ましがり、沙里は嫉妬半分、浮気されないようにと忠告していた。

最後に1人前だけ注文した餃子を、佳乃たちはあっという間に平らげた。すでに4人前を完食していたので、1人平均13個を食べたことになる。

伝票に書かれた金額をきちんと3等分すると、佳乃は2人にその金額を告げた。餃子が1人前470円、ポテトサラダが520円で、手羽先、いわし明太などに生ビールを加えて、合計7100円だった。1人、2366円。その数字を読み上げると、沙里と眞子が財布から1円も過不足なく自分の分をテーブルに出す。

沸騰しそうな鍋の火を消し、魚の血で汚れたまな板を水につけた。
風呂から出た祐一がすぐに食べられるように、ブリの刺身を盛りつけ、夕方のうちに揚げておいたすり身と一緒に食卓に並べた。炊飯器を開けると、米もふっくら炊きあがっており、肌寒い台所に濃い湯気が立つ。
勝治が病に臥す前は、朝3合、夕方5合の米を毎日炊いた。男2人の胃袋を満たすのに、この15年、ずっと米を研いでいたような気さえする。
子供のころから、祐一はよくごはんを食べた。沢庵一切れ与えれば、それで軽々と茶碗一杯のごはんを食べるほど、炊きたての米が好きだった。

「祐一はもうメシ食うたとか?」
時間をかけて寝返りを打った勝治が、這うように布団を出て、房枝が運んできた夕食の盆へ近づいていく。
「ブリの刺身、食べるなら持ってくるよ」
野菜の煮物とおかゆだけの食事に、勝治がため息をついたので、房枝は慌ててそう言った。

風呂上がりの祐一が椅子にあぐらをかいて、ごはんを搔き込んでいた。よほど腹が減っていたのか、みそ汁もつがずに、ブリの刺身一切れに対して、ごはんをささっと二、三口、搔き込む。
「大根のみそ汁があるとよ」
房江は声をかけながら、ひっくり返して置かれたままだったお椀に、みそ汁をついでやった。
渡せばすぐに手にとって、熱いながらも音を立てて旨そうに啜る。
「ばあちゃんも一緒に行ったほうがいいやろか?」
房枝は椅子に座ると、顎に米粒を一つつけた祐一に尋ねた。
「来んでいいよ。五階のナースステーションに連れてけばいいとやろ?」
九州特有の甘い刺身醤油に、祐一がねりわさびをといていく。

祐一はぶたまんの次にケーキを買ってきた。来るたびに何か食べ物を買ってきて、狭い個室で一緒に食べた。徐々に慣れてきた美保も、祐一が来ればまずシャワーでなく、冷たい紅茶か、珈琲を出してやるようになっていた。
祐一が手作りの弁当を持ってきたのは、たしか五回目か、六回目、休日の午後だったと思う。
またいつものように何か持ってきたのだろうと、差し出された紙袋を受け取ると、中にスヌーピーの絵柄がついた二段重ねの弁当箱が入っている。
「弁当?」
思わず声を上げた美保の前で、祐一が照れくさそうに蓋を開ける。
一段目には卵焼き、ソーセージ、鶏の唐揚げとポテトサラダが入っていた。下の段を開けると、びっしりと詰まったごはんに、丁寧に色分けされたふりかけがかけてあった。
弁当箱を渡されたとき、一瞬、祐一には彼女がいて、その彼女が祐一のために作った弁当を、自分に持ってきたのではないかと思った。しかし、「これ、どうしたと?」と美保が尋ねると、照れくさそうに俯いた祐一が、「あんまり、旨うないかもしれんとよ」と呟く。
「……まさか清水くんが作ったわけじゃないよね?」
思わず尋ねた美保の手に、祐一が割り箸を割って持たせてくれる。
「唐揚げとかは、昨日の晩、ばあちゃんが揚げた残りやけど……」
美保は呆然と祐一を見つめた。テストの結果を待つ子供のように、祐一は美保が食べるのを待っている。
祐一が祖父母と三人暮らしだということは、すでに聞いていた。客の素性などなるべく知りたくないと思っていたので、もちろんそれ以上は訊かなかった。
「ほんとに、これ、自分で作ったの?」
美保はふんわりと焼かれた卵焼きを箸でつまんだ。口に入れると、ほのかな甘さが広がる。
「俺、砂糖が入っとる卵焼きが好きやけん」
言い訳するような祐一に、「私も甘い卵焼きが好き」と美保は答えた。「そのポテトサラダも旨かよ」
春の公演にいるわけではなかった。そこは窓もなく、ティッシュ箱の積まれた、ファッションヘルスの個室だった。
その日から、祐一は店に来るたびに手作りの弁当を持ってきた。
美保のほうでもシフトを訊かれれば素直に教え、「九時ぐらいが一番おなかが減るかな」などと、知らず知らずのうちに、祐一の弁当を当てにするようになっていた。
「誰かに習ったわけじゃなかけど、いつの間にか作れるようになっとった。ばあちゃんが魚を下ろすのを眺めとるのも好きやったし、ただ、後片付けは面倒やけど……」
祐一は派手なネグリジェ姿で弁当を食べる美保を眺めながら、そんな話をした。
実際、祐一の弁当は美味しくて、「この前のヒジキ、また作ってきてよ」などと、美保がリクエストすることも多かった。

茄子が安かったので漬物にでもしようと十本も買ってきたが、考えてみれば茄子の漬物を祐一があまり好きでないことを、今になって思い出し、後悔していた。
千円くらいで済むだろうと思っていたところ、総額で1630円になった。30円はまけてくれたが、それでも来週まで郵便局に下ろしにいかなくていいと思っていた財布の中身が心細くなっている。

房枝は椅子に座ったまま、ガスレンジに手を伸ばし、あらかぶの煮付けを温め直した。
「おじゃましまーす」
明るい一二三の声が聞こえてきたのはそのときで、房枝は立ち上がると、「あら、一二三くんと一緒やったとね?」と声を返しながら廊下へ出た。
さっさと靴を脱いだ一二三が、祐一を押しのけるように上がってきて、「おばさん、なんか旨そうな匂いやねえぇ」と台所を覗き込んでくる。
「何も食べとらんと? すぐ用意してやるけん、祐一おt一緒に食べんね」
房枝の言葉に、一二三が嬉しそうに、「食べる、食べる」と何度も頷く。

キャベツが半玉、バラ豚肉が少しある。これらを炒めて、あとはうどんでも作ろうと決めて扉を閉めた。

「しかし、来年三十になる双子の姉妹が、こうやって美味しそうにうどんなんか啜っとって、いいわけ?」
とろろ昆布を麺に絡めながらそう呟いた珠代に、光代は七味をふりかけながら、「ちょっと茹で過ぎたかもしれんよ」と注意した。

佳男は座卓から目を逸らすと、来々軒に電話をかけて野菜ラーメンを二杯注文した。相手はいつもの親父だったが、「あ!石橋さん? はいはい、すぐに持っていくけん」と、対応はひどくぎこちなかった。

土曜日、朝食を済ませると、祐一はどこへ行くとも告げずに出かけた。どうせまたドライブにでも出かけ、夕食には戻ってくるのだろうと思っていた清水房枝は、祐一が好きな肉団子を作って待っていたのだが、祐一は戻って来ず、仕方なく一人で少し甘すぎた肉団子を食べた。

三万円を財布に入れて、光代はレジで温かいお茶を二本とおにぎりを三つ買った。

「そこって、イカ料理だけ?」
何かを吹っ切ったように祐一が明るい声で尋ねてくる。光代は、「ううん」と驚きながらも頷き、「最初が刺身で、脚はから揚げとか、天ぷらにしてくれて……」と説明した。

そのとき、とつぜん襖が開いて、割烹着姿のおばさんが、大きな皿を抱えて入ってくる。
「すいませんねぇ、お待たせして」
おばさんが重そうな皿をテーブルに置く。皿にはイカの活き造りが盛られている。
「そこの醤油、使うて下さいね」
白い皿には色鮮やかな海藻が盛られ、見事なイカが丸一匹のっている。イカの身は透明で、下に敷かれた海藻まで透かして見える。まるで金属のような銀色の目が、焦点を失って虚空を見つめている。まるで自分だけでも、この皿から逃れようと、何本もの脚だけが生々しくのた打っている。
「脚やら残ったところは、あとで天ぷらかから揚げにしますけんね」
おばさんはそれだけ言うと、テーブルをポンと叩いて立ち上がった。
そのまま姿を消すかと思えば、ふと振り返り、「あら、まだ飲み物ば訊いとらんやったねぇ」と愛嬌のある笑みを浮かべる。
「ビールか何か持ってきましょか?」

年越しそばもおせち料理も初詣でもなく、三が日が過ぎようとしている。博多の大学生が犯人ではないと知らされて以来、台所にも立たなくなってしまった妻、里子のために、石橋佳男は駅前のほか弁で幕の内弁当を二つ買ってきた。
湯を沸かして茶を入れて、里子の前に出してやると、力のない指先で箸を割りながら、「弁当屋は正月でも開いとるっちゃねぇ」と呟く。
「結構、客おったぞ」
里子は一瞬何か言葉を返そうとしたが、それも面倒なようで、人参の煮物に箸を突き刺した。

もちろん最初は、ぎこちなかったですよ。でもやっぱり親子やけん、会って話せばどこかで繋がるとですよ。あのとき、二人で食べたうどんの味は今でもはっきり覚えてますよ。祐一があんまりいっぱい七味をかけるもんやけん、驚いて理由ば訊いたら、「ばあちゃんの味付けがいつも薄かけん、七味も、カラシも、マヨネーズもケチャップも山ほど使う」って。その話を聞いたとき、なぜか、ああ、祐一はあの家で大切にされてるんだなぁって安心して。

吉田修一「悪人」

みそ汁と魚 吉本ばなな『TUGUMI』

えーと、この本、私が懐かしのセンター試験を受けたとき、現代文で出題されてえらい話題になりました。 「既読の人が多く不公平では」というヘンな意見が噴出したのです。私は受験当日に初めて読んだひとりです。ばななさんが流行っていることは新聞の書籍広告でよーく知っていましたが。 まあ、「マークシートで答える現代文」というそもそもヘンな出題で、既読未読はあまり関係ないと思いました。 ストーリーを知ってたらサマライズの設問でちょっと時間的にトクというくらい? (ちなみに私は漢文セクションを全部誤答しました。幸い足切りされず大学合格できましたが) 今更異国の地で読み返す気になったのは他でもない、密林でセールしてたからです。

「帰ったら、みんなでケーキ食べましょうね」
と丸いメガネをかけたやさしい横顔で陽子ちゃんは笑った。
「あ、私ね、つぐみに取られるより前にどうしても、どうしてもアップルパイを自分のものにしたい。あいつ、アップルパイが好きだから」
情ないが、その時はかなり必死に私は言ったと思う。
「じゃあ、こっちの箱にはアップルパイしか入ってないから、こっちはつぐみに見せないようにしましょう」
と陽子ちゃんはもう一度笑った。

「みそ汁と魚しかないけど、ごはん食べる?」
「そりゃいいね」
と言って父はいすをガタガタ出してすわり、上着をぬいだ。私はなべを火にかけ、皿をレンジに入れた。夜中の台所に活気が灯る。TVが静かに響く。ふいに父が、
「まりあ、せんべい食うか」
と言った。
「なに?」
と私が振り向くと、彼はカバンからごそごそと大切そうに紙に包んだ2枚のせんべいを出してテーブルの上に置いた。
「1枚はお母さんの分だからな」
「どうしたの、それ、それっぽっち」
びっくりして私はたずねた。
「いや、今日の昼、お客が持って来たんだよ。食ったらあんまりうまいんでさあ、君たちの分、もらってきたんだよ。本当に、それ、うまいんだ」
父は照れもせず説明した。
「家でこっそり犬を飼ってる男の子みたいって言われなかった?」
と私は笑った。
大の男がたった2枚のせんべいをカバンにこっそり忍ばせて家に帰ってきたのだ。
「東京というところは野菜はだめ、魚もまずいでしょうがないが、実はせんべいだけはよそに誇れるおいしさなんだぞ」
父は私のよそったごはんとみそ汁をもくもくと食べながら言った。
レンジから魚を取り出して父の前に置くと、「どれ」と言って私はテーブルにつき、せんべいを手に取った。初めてせんべいを手にする外人のような気分だった。食べてみると、しょう油のこげた濃い味がしてとてもおいしかった。そう告げると父は満足そうにうなずいた。

奥でやはりおにぎりを食べかけていた陽子ちゃんが、ちゃぶ台の上に私が前使っていた湯のみを出してお茶を注ぎ、
「お茶だよ」と差し出し明るいまなざしでにっこり笑った。
「まりあちゃんもおにぎり食べる?」
「バカめ、すぐに立派な晩めしなんだぜ。めしが入んなくなるだろ」
と部屋のすみっこの壁にもたれ、足を投げ出して雑誌をめくっていたつぐみが顔も上げずに言った。
「それもそうね、まりあちゃん、夜、ケーキ持ってくるから待っててね」
陽子ちゃんが言った。
「ずっとあそこでバイトしてるんだね」
「そうなの。あ、ケーキの種類も少し増えたよ。新しいの持ってきてあげるね」
「うれしい」

政子おばさんが作る朝ごはんのかもし出す全体の雰囲気、朝、市場で買った新しい海のものが必ず入っているテーブルの丸ごとを心に焼きつけるような切なさで、にぎやかに食べた。

吉本ばなな『TUGUMI』

砂漠で朝食を アガサ・クリスティー 中村妙子訳『春にして君を離れ』

松本清張ばりに面白いユニークなサスペンス。発表当時はメリー・ウェストマコットという別のペンネームで出されたほど、誰も殺されず、誰も探偵のマネゴトをしない。で けれども日常にひそむ秘密、真実が、時には一番コワーイのである。人生に満足しきっている奥様ジョーン、娘のところに旅行し夫の元に戻る帰り、汽車が動かずひとり何もない砂漠でいく日も過ごすことになる。そこで彼女は自分の来し方をそれまで気づかなかった、あるいは気づかないふりをしていたプリズムを通して眺めるという緊迫のときを過ごすのであった…。

彼はマドモアゼル(婦人客を彼は一様にこう呼ぶらしかった)が無事に快適な旅行をなさるようにと挨拶し、出発の用意がととのうと大仰に一礼して、昼食用のサンドイッチが入っている小さな紙箱を手渡した。

ジョーンはレーンコートを羽織って車の外に出ると、紙箱を開いて、あたりを少し歩きまわりながら、サンドイッチを食べ食べ、二人の男がスコップで泥を掘ったり、ジャッキを投げ合ったり、用意してきた板を車輪の下にあてがったりする様子を見物していた。

朝食はコーヒーにミルク(缶入り)、卵の目玉焼、固い、小さなトースト幾枚か、ジャム、それにあやしげなスモモを煮たものだった。
食欲はかなりあった。食べているとインド人がまたやってきて、昼食は何時にしようかと訊ねた。ジョーンはともかくずっと後でいいといって、一時半ということに話を決めた。

昼食はオムレツ(火にかけ過ぎたのか、ふうわりといい具合にできているとは義理にもいえなかった)、卵のカレー炒り、缶詰の鮭、ベークドビーンズ、それに缶詰の桃。
いささか胸にもたれる食事を終えると、ジョーンは自室にもどってベッドに横になった。そして、四、五十分ほど眠って目を覚ますと、お茶の時間まで『ダイサート夫人回想録』を読んで過ごした。
紅茶(缶入りのミルクを添えて)を飲み、ビスケットを少しつまんでからしばらくその辺を歩き、帰って回想録を読みあげた。夕食はオムレツに鮭のカレー煮と米、卵焼き、ベークドビーンズ、缶詰のあんず。食後、推理小説を読みはじめ、床につく前にそれも読んでしまった。

ある午後レスリーは、パンにバタの塊、手作りのジャム、普段使いの茶碗や土瓶をみんないっしょくたにゴタゴタとお盆に載せて、お茶を振舞ってくれた。

昼食は、オムレツのまわりに豆をこってり盛った一皿と米をあしらった鮭の煮こみ、それに缶詰のあんずだった。食欲はあまりなかった。炎天下をほっつき歩いたせいで、暑気当りの気味なのだとすれば、一眠りしたら気分が’すっきりするかもしれない。 

「夕食、じき。とてもうまい夕食、奥さま」

インド人の言葉に、そう、それはありがたいわと返事をしたのだが、どうやらその予告は単に儀礼的なものだったらしく、献立は缶詰のスモモが桃に変わっただけでいっこう変わりばえがしなかった。うまいまずいはとにかくとして、三度三度ほとんど同じ献立というのはどうかと思われた。

家の中に入ると、レスリーは息子たちに手伝わせてお茶の用意をした。やがてお盆の上にパンとバタ、手作りのジャム、普段用の厚手の茶碗をごたごたとのせて、笑いさざめきながら運んできた。

… ご注文のスペイン風ラグーにはずいぶん骨を折りました。手のかかる料理でございますし。本にあるような献立はあたくしの好みじゃないんですが」
「あれは上出来でしたよ」

さあ、起きて、朝食をとろう。けさはポーチド・エッグにしてもらったら、少しは気分が変わるかも知れない。コツコツと固いオムレツにも飽き飽きした……。
こう思って食堂に行ったのだが、インド人はポーチド・エッグなどてんで試みる気がないらしかった。
「卵を湯にいれて煮る?それ、茹卵」
いいえ、茹卵とは違うのよ、とジョーンは説明した。宿泊所の茹卵はいつも茹ですぎだということを経験によって知っていたこともあって、ポーチド・エッグなるものを何とか科学的に説明しようとしたのだが、インド人はろくに耳にいれずに、頭を振った。
「卵を湯にいれる ― すぐくずれる。わたし、奥さまに上等目玉焼、あげる」
というわけで、食卓にのぼったのは白味が焦げ、黄味は白っぽく固まった、目玉焼で、オムレツの方がまだましなくらいだった。

それなのに彼女は砂漠のど真ん中のこんな白漆喰の牢獄で、薄のろのインド人、頭の弱いアラブ少年、明けても暮れても缶詰の鮭にベークドビーンズ、固茹での卵という食事を平然と食卓に並べるコックと、そんな連中を相手にむなしく日を送っているのだ。

思えば幸せな6週間であった。ワトキンズやミルズに会い、ハーグレーブ・テイラーとも一夕を楽しくすごした。ほんの2、3人の友人とのゆきき、日曜には多くの丘を渉猟して楽しい半日を送った。メイドたちがうまい食事を作ってくれ、それを好きなだけゆっくり食べた。ソーダ・サイフォンに本を立てかけて読みながら、食後、仕事をすることもあった。それからしばらくパイプをくゆらした。その上、話相手がほしくなれば、幻のレスリーを椅子に坐らせた。

アガサ・クリスティー 中村妙子訳『春にして君を離れ』

邦訳版はやっぱりタイトルがステキよね。(ただ、同じシーンの繰り返しで表記がゆれまくってるのが分かる。そのへん校正かけてないんだろうか)

英語の確かさに定評のあるクリスティー。ぜひ原書でも。

メシ作りの耐えられない軽さ 神谷美恵子『神谷美恵子日記』

この本が電子化されていたのはちょっと意外で嬉しかった。偉人の日記を読むと、「人生ってあれこれ詰め込めるものだな」と思う...。とにかく凡人よりも生きてる時間が濃い。彼女は意志の医師である。

で、千葉敦子氏が『ななめ読み日記』で「(彼女に)弁当づくりをさせた夫を許せない」と怒っていたとおり、自分がやりたい書き物や医療の仕事と果てしないおさんどんの板挟みに苦しんだ日々が綴られている。めっちゃ今日的で、日本の家族のあり方は何も変わっていない。だいたいなんで医師で文学者がつまらぬ家事に時間を費やさなけりゃならんのだ。ものすごい損失。

朝阪神ビルの下でコーヒーを、昼ナンバの中華料理やでワンタンとブタマンと、すべてこの世の名残と言った気持で味わった。

昼食にまぐろのさしみ、きゅうりとかにの三杯酢。酒粕汁、父上午後入浴、ひるね。私は又食料の買物。

Rのたんじょう日。月足らずの律が十四才になるとは何という有難いことであろう。しかし何一つ祝らしいことをしてやれぬほど今日は忙しかった。お赤飯をたき、カツレツ、ケーキ、アイスクリームなどを夜の食事にまに合わせた。

子供の日とてプディングをつくりトンカツをつくる。

神谷美恵子『神谷美恵子日記』より

千葉氏は『ななめ読み日記』を書くのに犬養道子『マーチン街日記』のスタイルから着想を得たという。『マーチン街日記』は私が今のところ最も好きな日記文学。ボストンの歴史学徒としての生活記は何度読み返しても飽きない。 

コンビニのサンドイッチが懐かしい 五十嵐貴久『年下の男の子』

例の黒服の男が食前酒を運んできた。すぐ後ろから、作務衣のような服を着た若い男が前菜をテーブルに並べてくれた。
「左から、タケノコと湯葉のポワレ、壬生菜と鮎の煮浸し、空豆とゴルゴンゾーラチーズとフォアグラのパテ、一番右が浅蜊のソテー、ガーリックソース蒸しでございます」
ではごゆっくり、と二人が下がっていった。グラスを手元に引き寄せた児島くんが、飲む前に、と両手を膝に当てた。

まさか、と笑ったところで、黒服の男がスープの皿を下げ、代わりに白い紙に包まれた上品そうな料理を出してきた。器用な手つきで紙を破ると、テーブルの上に湯気がたった。
「サーモンの奉書包み焼き、エンドウ豆のムース添えでございます。香りをお楽しみくださいませ」
優雅な笑みを浮かべて去っていくその後ろ姿を見ていると、なぜかおかしくなってきた。

児島くんは気配りもよく、わたしのグラスが空くと何か飲みますか、とすぐに聞いてきた。わたしも決してアルコールに強いわけではないのだが、気がつけばメインの鴨肉のローストが出るまでの間に、食前酒に加えワインを3杯も飲んでいた。あんまり気を遣わないでくださいと言ったが、そんなつもりはないんですよ、とちょっと悲しそうな顔になった。

メインを食べ終えると、チーズとデザートが出てきた。その辺りは完全にフレンチのスタイルだった。
デザートは胡麻のアイスクリームと小さなイチゴのミルフィーユで、両方ともとてもおいしかった。児島くんはコーヒー、わたしはストレートの紅茶を飲みながら、しばらく話した。

店はちょうど昼時で混んでいたけれど、運よくカウンターに二つだけ席が空いていた。わたしたちは二人並んでランチを取ることにした。彼が頼んだのは生姜焼き定食のご飯大盛りで、わたしは刺し身御膳という比較的あっさりしたものにした。
生姜焼き定食を食べている間、彼は無言だった。前に一緒に食事をした時もそうだったが、とにかく彼は食べるのが異常に速い。

鶴亀食堂は、もしかしたら戦前から、いや、まさかとは思うが明治時代からあったのではないかと思えるような内装の店だった。店番はそれこそ大正生まれと思われるお婆さんで、どうやら厨房で食事を作っているのはその旦那様のようだ。
とはいえ、8卓ほど4人掛けのテーブル席があったが、そのうち6卓が埋まっていた。はやっていないというわけではないらしい。
そこでわたしたちは焼き魚定食を食べた。何だか食べてばかりでホームドラマのようだが、とにかくお腹が空いていたことは確かだったのだ。
ビールでも飲めばと勧めたが、しばらく迷っていたけれど、やっぱり車で来てるんで、と児島くんは普通にお茶を飲んでいた。

それぞれの家にご挨拶に行った帰りに寄ったコンビニで買ってきたサンドイッチをオレンジジュースで流し込みながら考えた。

博多ラーメン“天海”というその店は、もともと界隈では有名だったらしいけれど、最近になって休日の昼にやってる大型情報番組で特集されたことから、その人気に火がついたそうだ。
「あんまり、しかつめらしいお店だと嫌だな… ほら、お喋り厳禁とか、スープは全部飲み干せとか、店の方が指示するみたいな」
「そんなことないと思いますけど。少なくとも、店に行ったうちの連中はそんなこと言ってませんでしたね」
そんなことを話している間にも、わたしたちの後ろに4人連れのサラリーマンが並んだ。前の方からはメニューが回ってきた。店に入る前に注文を決めておけ、ということらしい。
「どうする?」
迷うほどラーメンの種類はなかった。いわゆるトンコツラーメンに、トッピングの類がいろいろあって、それで値段が違うだけの簡単なメニューだった。
「よくわかんないっすけど、とりあえずオススメって書いてありますからね」と児島くんがメニューの一番上を指した。「このオリジナル白湯トンコツラーメンってのにしますよ」
「じゃ、あたしもそうしようかな」
「オレは大盛りで」
そこだけは譲れない、というように児島くんが言った。

部長が連れていってくれたのは、最近女性向けの情報誌などでも話題になっているエクリュというオーガニック食材を扱ったフレンチレストランだった。よくこんなところを知ってますねと感心すると、趣味なんだよという答えが返ってきた。
「新しい店を見つけたり、行ってみるのが好きなんだな。だから、逆にあんまり馴染みの店とかはないんだよ。すぐ新しい方へ新しい方へと行っちゃうから」
そういうものなのか。わたしたちが席に着くと、当店特製の無農薬栽培の小麦粉で造られたパンでございますと言って、清潔そうな白いシャツを着た男の子が皿に2種類のパンを載せてくれた。
メニューを決めるのはそれからだそうだ。雑誌で読んだんだけど、と部長が“季節野菜の鮮やかメニュー”というのをご推奨してくれたので、わたしもそれにならうことにした。

そしてわたしの引っ越しについて部長が言い出したのは、メインディッシュの“鳩のカリカリオーブン焼き・ソテーした京野菜を添えて”が出てきた時だった。

「ところで、飯、食ってないっすよね。何にしますか」
わたしたちは同時にメニューを開いた。さて、何を食べようか。しばらく相談した結果、トマトのサラダと魚介類のフリッター、それからキノコのパスタと生ハムのピザを頼むことにした。
それで足りるのと聞くと、そんなに腹減ってないんで、という答えが返ってきた。児島くんにしては珍しいことだ。
テーブルに備え付けになっている細長いパンをぽりぽり齧りながら、わたしたちはしばらく会社の話をした。

何も食べていなかったのを思い出して、マンションへ戻る途中コンビニへ寄ってサンドイッチを買った。哀しいディナーだけれど、食欲がそれほどあるわけではない。今夜はこれで済ませることにしよう。

立っていたウエイターが近づいてきて、ビールでよろしいですか、と尋ねた。エンカレンという地ビールを頼むと、入れ替わるようにして簡単なつまみのようなものが出てきた。日本料理でいうところの突き出しだ。
「カロシで取れたエンドウ豆のソテーでございます」
男が説明する前に、児島くんがフォークで突き刺して、口の中に入れた。あれ、と不思議そうな顔になった。
「マジ、うまいすね」

朝食といってもたいしたものではない。トーストと目玉焼き、冷蔵庫に入っていた野菜で作った簡単なサラダ、そしてコーヒー、それだけだ。

黙ったまま、わたしたちはフォークで目玉焼きをつつき、トーストにバターを塗って、それを食べた。何を話せばいいのだろう。

ジョアンナは飲み物がメインの普通の喫茶店だ。食べ物の類がそれほど多いわけではない。わたしはメニューを開き、クラブハウスサンドイッチとアイスティーを頼んだ。

そんなわけで、児島くんの誕生日祝いは池袋のファミリーレストランで行われることになった。唯一、救いといえば、8月10日の午後11時に店に入ることができたということぐらいだろう。下手をすれば日付が変わった11日にずれ込んでしまう可能性だってあったのだ。
それでも児島くんは喜んでくれて、和風ハンバーグ御膳と共に、誕生日だからという理由でザッハトルテとイタリアンジェラートの2つのデザートを食べて、御満悦ではあったのだが。

食事はどれも素晴らしかった。前菜としてエンドウ豆をムース状にしたサラダ、その後にフォアグラと雑穀を併せた和テイストのソテー、薄く切ったアワビをトリュフソースで食べるカルパッチョとコースが続き、口直しとしてフランボワーズのシャーベットが出てきた。メインは肉と魚の両方、あるいはどちらかを選べるということだったが、わたしも児島くんもそこまでのコースにボリュームがあったため、ひと品だけにすることにした。
わたしは高知から直送されたという舌ビラメのムニエル、彼はクリスマス限定という飛騨牛のステーキを選んだ。少しずつシェアして食べたが、舌ビラめのシンプルではあるけれど濃厚でクリーミーな味わい、更に素材の味を活かしきるため塩と粒胡椒だけで味付けをしたステーキは、どちらも完璧としか表現の仕様がなかった。
最後にグラッパを勧められて少しだけ飲むと、香草の香りがとても心地よかった。まるで高原で食事をしているような気がした。
最後にシェフ帽をかぶったフランス人の女性が出てきて、私たちの目の前でクレープを作ってくれた。ブランデーを合わせてフランベすると、フライパンの中で美しい青い炎が踊った。
わたしはストレートの紅茶、彼はコーヒーをオーダーし、そのクレープを食べた。コースを締めくくるにふさわしい甘みと酸味の調和が取れたデザートだった。

部長に連れていかれたのは、会社からそれほど離れていない場所にあるバーだった。バーといっても、軽食の類はもちろんある。
部長は黒ビールを、わたしはファジーネーブルをオーダーしてから、食べる物をいくつか注文した。真鯛のカルパッチョとか、シーザーサラダとか、木の実の盛り合わせとか、そんなふうにあまり重くないものだ。

少し遅いランチになってしまったけれど、仕方がない。わたしはビルの外に出て、近くのコンビニで買ったサンドイッチと野菜ジュースで昼食を済ませることにした。

五十嵐貴久「年下の男の子」より

Kindleの日替わりセールで買ったのですが、やっぱり現代小説を読むのは時間のムダだなァ...と思わされたことでした。Kindleでなければ出会えなかった良作はほとんどマンガです。なぜならKindle以前はほとんどマンガを読まなかったからです。

キャシー・フリードマン優勝 村上春樹『シドニー!』

『村上さんのところ』をきっかけに、村上さんの紀行本を読み返しまくっている。この本については何の記憶もなかったのだが、キャシー・フリーマン優勝のシーンに感動。彼女自身の言葉もいい。

朝食を抜かしたので、売店で小型ピザとミネラル・ウォーターを買ってくる。アンザック・ブリッジにかかるまで、おそらく新しい展開はないだろうと踏む。だから席を立って売店に食料を買いに行ったわけだ。席に戻り、ヴェジタブル・ピザを齧り(ジャンク・フードの愉しみ!)、冷たい水でのどを潤しながら、先頭集団が橋にかかるのを待つ。

記者会見のあとで、お昼にプレス・センターでヤくんと2人で食事をする。白いご飯にビーフシチューのようなものをかけた料理と、蒸し野菜。<オジー・グリル>というコーナーにあった。味は悪くないんだけど(そして量もたっぷりとあるんだけど)、いかんせん牛肉が硬い。でもまあ顎の訓練と思って全部しっかりと食べる。時間がなくて朝ご飯もほとんど食べなかったし。

プレス・センターのデスクで仕事をしていたら、韓国の新聞の若い記者に「村上さんですか?」と声をかけられる。インタビューをさせてくれないかということ。3時半までちょうど時間があいていたので、30分くらいならいいよと言う。 

オリンピックの商業主義に関する笑えないエピソードは、実に数多くある。プレス・センターの食堂には<オジー・グリル>というオーストラリア料理を専門とするコーナーがある。ここがベーコン・エッグ・バーガーを出していた。カイザーロールにベーコンとエッグをはさんだもので、オーストラリアではとくに珍しい食べ物ではない。しかし隣にあるマクドナルドが文句をつけた。「おかげでうちのエッグ・マフィンが売れなくなっている。かっこだってそっくりじゃないか」と。マクドナルドはオリンピック委員会の大スポンサーだから粗略には扱えない。主催者はパンのかっこうを変更するようにとオジー・グリルに要望を出した。オジー・グリルはパンの形を変え、細長いロールパンに同じものをはさむことにした。それなら違うものになるだろう。ところがマックは納得しない。形は違っても、中身がまだ同じじゃないかと。それでとうとうオジー・グリルはそのメニューを完全にひっこめることになった。
パーティーはしゃれたビーチクラブの2階で開かれていた。メディア・パスを持っている人間なら誰でも入れる。そんな集まりに参加するつもりはなかったんだけど、たまたま部屋に入ったら、美人のウェイトレスがにこやかにやってきて、僕に白ワインのグラスと、スティックつきの海老の天ぷらを差し出した。断るのも面倒だし、ちょうどおなかもすいていたので、ありがたくいただいた。ソファに座り、試合が始まるまで寿司や天ぷらをつまみ、悪くないワインを優雅に飲んでいた。メディア・パスを持っていると、たまにこういう美しい経験をすることになる。
こんなことをしていたら風邪をひいてしまいそうだ。だから一緒に来ていた編集のヤくんに「寒いからもうやめて、温かいうどんでも食べにいこうよ」と言う。彼はダフ屋から100ドル(6000円)増しの切符をわざわざ買ったので、こんなにすぐに出ていくのはもったいないのだが、風邪をひいては元も子もない。冗談半分で言いだしたのだけど、競技場を出て通りを歩いていたらほんとにうどん屋があった。ボンダイ・ビーチのうどん屋。 ずるずると「シーフードうどん」をすすって、身体を温める。1週間前までは暑くて暑くて、温かいうどんが食べたくなるだろうなんて予想すらしなかった。ところが春先の気候は不安定で、一度冷え始めると、どんどん寒くなっていく。

気味の悪い内容のCD-ROMを時間をかけてじっくりと見てから、博物館を出て食事をしました。<ハイドパーク・バラックス>という昔の刑務所(今は博物館になっています)のガーデン・カフェで、その煉瓦造りの建物を見ながら白ワインを一杯飲み、焼き野菜のリゾットと野菜サラダを食べました。なかなかおいしかった。勘定は25オーストラリア・ドルです。日本円にすると約1500円。ワインは「コックファイターズ・ゴースト」というものでした。セミヨン、98年。悪くないワインです。

オーストラリアのワインの質はなかなかのものですよ。よほど安物でもない限り、がっかりすることがない。

8時になってホテルを出て、近所のコンビニで新聞を買い、愛想のいいトルコ人のおじさんがやっているカフェに入って朝食を食べる。今日は土曜日なので、いつも行くカフェはどれも開いていない。野菜のオムレツとトーストとコーヒー。パンはトルコ風である。オムレツは「とてもきれいにできている」とは言い難いけれど、味はさっぱりして悪くないし、なにより野菜がたっぷりと入っている。夫婦で経営している店らしく奥さんが奥で料理を作っている。とんとんとんと野菜を刻む音がこちらまで聞こえる。全部で12ドル。

シドニーの街にはトルコ人のカフェとか、ギリシャ人のカフェとかもいっぱいある。エスニック料理の店が本当に多いのだ。 

休憩時間にホットドッグとコーヒーで簡単に食事をすませる。ホテルから持ってきたリンゴも齧る(コンピュータを盗まれたおわびにホテルがフルーツ・バスケットを贈ってくれた)。水もたくさん飲む。

朝食がわりに部屋にあるコーンフレークと果物を食べる。

どうせ今日の夕飯は競技場にいて、ろくなものは食べられないだろうからと思って、お昼ご飯に近所の日本料理店でしっかりとボックスランチを食べておく。17ドル。天ぷらと刺身と揚げ出し豆腐と魚の照り焼き。それからセントラル駅のカフェで持ち帰りのサンドイッチを買う。コーンビーフとチーズのサンドイッチ、2ドル90セント。

駅の売店で面白そうな本があったので買い求める。『オーストラリアの短い歴史』と『探検家たち』。後の方はオーストラリアの奥地を探検した人々が書き残した文章を集めたアンソロジーである。僕の読んだパトリック・ホワイトの『ヴォス』のモデルになったドイツ人の探検家、ラドウィグ・ライカートの書いた文章も載っている。電車の中でぱらぱらと読んでみる。

カフェでコーヒーとブレッド・バスケットの朝食をとる。12ドル。初めて入るカフェだが、ほかのところに比べるとちょっと高い。

市内に戻り、その足でダーリング・ハーバーから中心地へと出る。失われた携帯電話を探して空しく警察をまわって、おかげで昼ご飯を食べ損ねていたので、ダーリング・ハーバーのシーフード・レストランに入り、ソードフィッシュのグリルと、野菜サラダを食べる。とにかく野菜サラダが無性に食べたかった。勘定は48ドル(3000円弱)。味はよかったけれど、ウェイトレスはほとんど口をきかない。今日はどの店に入ってもウェイトレスの機嫌がよくない。

(中略)

しかしオーストラリアのレストランの料理は、都会でも田舎でも、どこで食べても悪くない。ぜんぜん悪くない。少なくともアメリカやイギリスの同等のレストランで出される料理に比べたら、比較にならないくらい質は高い。肉にしても野菜にしてもシーフードにしても、材料は新鮮で、味つけもさっぱりしていて、しつこくない。過度に凝った料理は出てこないけれど、普通に調理されたものが美味しい。オーストラリアは食べ物が美味しいと聞いていて、「ほんとかよ」と半信半疑だったんだけど、疑って悪かった。本当です。

いったいどのような過程を経て、このように料理の質が全体的に高く維持されることになったのか、とても知りたい。だってこう言っちゃなんだけど、服装だってどっちかと言うと(言わなくても)あまりファッショナブルとは言えないし、洗練された刺激的な文化によってその名を広く知られているお国柄というのでもないのに(むしろその逆なのに)、レストランの料理はいける。ワインもおいしい。ビールもおいしい。

村上春樹著『シドニー!』より

チンパーティ 内館牧子『女盛りは意地悪盛り』

車社会に引っ越してさみしいのは、出かけた先で気軽に飲めなくなったことだ。「自分チ」か、「人んチに泊まるとき」が唯一の飲酒の機会である。

(実際のところ、私の住むカウンティでは「1杯くらいのアルコール量まではOK」的なルールがあるので、たいていの人は外食で飲んでいる。ただし、DUIは日本よりもずっと重犯罪、即牢獄行き。)

内館作品との出会いは「ひらり」「私の青空」を毎日見ていたことから始まる。

著書は『養老院より大学院』がいちばん好きで、何度か買い直してしまった... 今は電子版があるので、海外にいても手にとれる。

「俺の田舎の山うどのうまさ、懐かしいよなァ。東京のうどは味がしないよ」

と言い、何人かの男子メンバーが「そうだ、そうだ」と同調した。

実は「うど」は東京が大産地なのだが、やはり故郷の味とは違うのだろう。女子メンバーは全員が東京か近県の出身だったが、男子メンバーは大学入学時に東京に出て来た人が圧倒的に多かった。そしてその席で、Aさんは、

「うまいうどの天ぷらとキンピラ食いたいなァ」

とため息をついたわけである。

ところが、シルクロードを取材するため、写真家の管洋志さんとスタッフと、中国の西安に向かったのが6月のことだった。西瓜シーズンの始まりで、市場でも露店でもすでに最盛期のような西瓜の山。リヤカーに積んで売り歩く行商も賑やかだった。

到着したばかりの私たちは、暑さと人いきれの市場を歩きながら、決して美しいとはいえない店に入り、西瓜ジュースを飲んだのだ。そのおいしかったこと!たぶん、「メロンのとこ」も使っているのだろう。青くさくて甘くて、おいしいの何のって、私たちは全員がハマってしまった。

ある時など、「喜び組」の1人と青葉山界隈をドライブした。そして、お茶を飲もうということになり、店に入った。彼は運転するので、当然、

「僕、ジュースにする」

と言った。将軍様は何も考えずに、当然、

「私はビール。そうね、肴はホタルイカ」

と言った。

そして、その「チンパーティ」の前夜、メンバーのA子から、何を持って行こうかと電話があった際、私はつい言った。

「掟破りだけど、私、サラダだけ作っとくわ」

するとA子、叫んだ。

「えーッ、サラダ作ってくれるの? 本当? 泣けてきた…」

たかだか野菜をちぎるだけで、この感動だ。女の可愛さも極まれりではないか。A子は次に言った。

「乾き物はあるの?」

何よりも先に「乾き物」と言う発想が貧しくて、泣けてくるではないか。私はすぐに答えた。

「あるある! 仙台の牛タンジャーキーもあるし、ピーナツもあるし、柿の種もあるわ」

「そんなにあるの?」

「うん。サキイカとホタテの薫製もある」

「すごい…… 。 あなたの食生活って充実してるのね」

(中略)

そして当日、A子はプラスチックの器に作りたての「明太子パスタ」を詰めて、胸を張ってやって来たのである。私はといえば、ここは掟破りでも致し方ないからと、フライパンとオイルを用意して待っていた。私の自宅に着くまでに、パスタはくっついているはずで、もう一度火を通すしかないと思っていた。

しかし、到着したA子は、

「ヘーキ、ヘーキ。チンすりゃオッケーよ」

と言う。そして、チンしたら、何とくっついたパスタはアッという間に離れてしまった。あぶった海苔をかけると、ほとんど作りたてのおいしさである。私とB子は、A子によって改めて「チン」の偉大さを確認させられたのであった。

彼女が私の家に来た時は、私が作るしかないので作るが、常に秋田のキリタンポ鍋である。大きな土鍋に、市販のキリタンポと市販の出し汁を入れ、野菜と比内鶏をぶちこみ、

「アタシの故郷、秋田のキリタンポ鍋にしたわ」

と言えば、猛暑だろうが、残暑だろうが鍋料理を出す立派な理由になるわけで、つくづく故郷が「鍋どころ」で助かっている。

 

その料理上手のトミちゃんが、深夜の電話で何気なく言った。

「今日はひじきをたくさん煮たの。大豆と油揚げをたっぷり入れて」

それを聞き、私は猛然とひじきの煮たのが食べたくなった。

内館牧子著『女盛りは意地悪盛り』より