たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『コンビニ人間』を逆輸入した

ロサンゼルス郊外の書店の「店員おすすめコーナー」にこの本の英訳版が並んでいたのを見て、「そういえば、佐藤優氏も現代人の反逆が現れてるとか言及してたなー」と思い出し、原書のKindle版を読む(しつこいけど、ほんとにKindle最高よ。ほんの10年前なら、これで海外の原書を手に入れる努力はしないまま忘れ去ってたと思う)。

「ところで、僕は朝から何も食べていないんですが」
「ああ、はい、冷凍庫にご飯と、冷蔵庫に茹でた食材があるので、適当に食べてください」
私は皿を出してテーブルに並べた。茹でた野菜に醤油をかけたものと、炊いた米だ。
白羽さんは顔をしかめた。
「これは何ですか?」
「大根と、もやしと、じゃがいもと、お米です」
「いつもこんなものを食べているんですか?」
「こんなもの?」
「料理じゃないじゃないですか」
「私は食材に火を通して食べます。特に味は必要ないのですが、塩分が欲しくなると醤油をかけます」

顔を合わせた流れで、なんとなく、一緒に食事をする運びとなった。白羽さんが解凍したおかずは、シュウマイとチキンナゲットだった。皿に盛ったそれを無言で口に運ぶ。
自分が何のために栄養をとっているのかもわからなかった。咀嚼してドロドロになったご飯とシュウマイを私はいつまでも飲み込むことができなかった。

村田 沙耶香著『コンビニ人間』より

 

主人公にとって食事がコンビニ人間としての熱源でしかないのが、よく分かる記述である。

彼女は、冒頭によその子をシャベルで殴る、大人になってからは泣いてる甥をあやす妹とナイフを横目で見ながら「泣き止ませるのは簡単なのに大変なこった」と思うなど、サイコパスみがあるのが怖かった。

本書では、彼女を恐れるのを、「こちら側の人間には理解できない」と言うが、やっぱりこの人があちら側をさらに超えてるだけでは...と思った。

でもね、この文章で、彼女も十分「こちら側」の人間だわ、共感できる、と思った。それがいいのか悪いのかは別として。
人間は祈る生き物だから。

8人目の店長は、私が「コンビニ」へ向かっていつでも祈り続けていることを、その場にいないときもちゃんと見てくれている。

 

書店に店員さんのノート付きで並べられていた表紙はこちら。あんまりよくない。ストックフォトを使った自費出版のようで。
日本人作家の名前に気づかなければ手に取らなかったと思う。

アメリカ人に伝わるのか?とは思うけど、こちらの装丁のほうがまだいいですね。

一番いいのは原書ですが。

ニューヨークの魔法の食事

私ノ、話ヲ、大切ニ、シテクレテ、アリガトウ、ゴザイマス。

ウィルダは目覚めると、すぐに朝食用のオートミールの準備をし、大きな鍋でお湯がわくのを待ちながら、両足を伸ばしてベッドにすわり、手を組んでぶつぶつとインドネシア語で祈りをささげる。それが毎朝の日課だという。

テーブルの上に置かれた冷水を、一気に飲み干す。
きりりと冷えた白ワインと一緒に、ナスとベーコン、4種類のチーズを、それぞれトッピングしたピザを食べていると、隣のテーブルに外国人カップルが座った。

2ドルちょうどの差はあきらめたものの、それにより近づけようと、カロリー過多には目をつぶり、レタスとトマト付きのベーコンチーズバーガー・デラックスに、フライドポテトを添え、11ドル45セント分を注文する。

薄切りのハムとチーズを中にはさんでロール状に巻いて焼かれた、ジェネファーお望みのチキンがテーブルに運ばれてくる。
満足げな彼女を上目で見ながら、巨大なバーガーをため息と一緒に流し込む。

インドネシア出身のウィルダは、熱血クリスチャンだ。礼拝が終わると、手作りのパウンドケーキとコーヒーを手におしゃべりに余念のない教会員に、にこやかに歩み寄っては、寄付金を集めて回っている。

ようこそ、ニューヨークへ。さあ、歓迎のディナーを食べようか。
そう言って私は、夫をインド・レストランに案内する。香辛料の香りが店内に充満し、食欲をそそる。メニューには、カレー各種やタンドリーチキンが並んでいる。
インド料理はいつ食べても美味しいねえ。私はご機嫌だ。

そんなある日、私は母と新宿のデパートの地下食品街にいた。
夫がカレー粉をサラダにかけてくれたら、とても美味しかった、と母に話した。

岡田光世著『ニューヨークの魔法のかかり方』

このシリーズが売れたのは、つくづく上杉忠弘氏の装画の功績がめちゃくちゃ大きいと思う。
例えば、著者が撮影した写真とかだったら、同じ内容でもこれほど手には取られなかったはず。
ハレルヤブックです。

周防監督、『Shall we ダンス?』リメイク撮影地でロケめしを食す

スマホやSNSが出てくるはるか以前から、毎食を写真撮影している記録魔の周防監督。
2003年、『Shall we ダンス?』リメイクの撮影見学の旅から。カナダのウィニペグだ。

午後9時45分。ホテルへの帰り道にあった「earls」というレストランに入った。オープンテラスのある店で、その佇まいはケネディには怒られるかもしれないが、ロスにあってもおかしくない。僕たちはオープンテラスに座った。アメリカに来るたびに思うのだが、不自然な感じがしてあまり好きではない妙に陽気なウエイトレスが笑顔を振りまき話しかけてくる。サンペレグリノ、メキシコ風トマトスープ、ガーデンサラダ、7オンスのビーフステーキにベイクドポテトといんげんの炒め物、そしてコーヒー。味もまあまあ。値段もまあまあ。店内を徘徊するウエイターやウエイトレスは、みなニコニコとしてテンションも高いが、ふと目をやった店の裏では、さっきまで陽気だった彼らが、仲間同士で結構陰鬱な顔をして、つまらなそうに話している姿が印象に残った。

夕食は、スタジオのケイタリング・サービスだ。
僕らもご相伴にあずかることにした。アジアン・グリルド・ポーク・テンダーロイン、温野菜(人参、ポテト、ズッキーニ、ブロッコリー)、ライス、プチシュークリーム、アメリカンコーヒー。

最近、映画を撮っていないので、今の日本での食事事情はよく知らないが、すくなくとも10年前の日本の撮影中の食事と比べれば、アメリカのほうが断然いいのではないだろうか。大体、少しお腹が空いたり、手に空きができれば、簡単な食事はいつでも自由にできるし、休憩スペースもちゃんと確保されている。日本だとバレ飯といって、スタッフ・キャストともどこかに食べに行くか、食べるところが近くになかったり時間を節約したいときは、映画の規模によって違うが、たいがい安い弁当になる。ただ、日本では撮影所での撮影が深夜にまで及ぶとき、製作部のスタッフが豚汁やらカレーやら、ときにはトムヤムクンなどといった凝った料理を作ってくれたりして、それはそれでとても美味しくて、大変な撮影のなかにあって心和むものだ。日本の深夜食は、アメリカにはない捨てがたい魅力だと思う。

これはもう20年以上前の話になるわけだけど、日本の映画クルーの労働時間が守られるようになったって話は聞かない。
深夜のまつりを「心和む」とか言ってる人がいる限り、日本の映画業界のブラック環境は変わらないよね。
この夜中に煮炊きをしてるスタッフさんにもろくな手当出てないでしょ、多分。

歩き疲れて、ホテルの地下から繋がるショッピングセンターにある数十種類のポップコーンを売る「KERNELS」という店で、バーベキュー味やらキャラメル味やらチーズ味やらスモーキー味などには目もくれず、もっともオーソドックスなソルト&バターを買って、コーラ片手に休憩した。

夕食は、ケイタリングの食事を食堂で食べる。スタッフのほとんどが集った食堂は大盛況だが、役者の姿はない。どこで、何を食べているのだろうか。ちなみに僕は、ステーキサンドにグリーンピースと温野菜の付合せ。食後に紅茶とケーキだ。

さて映画は完成、ニューヨークの夜。

取り残された僕と草刈と馬場さんはホテルに戻ると、ギャガのスタッフと小形に例の「ハリー・ウィンストン」の3000万円相当の宝石の返却をお任せして、夜の街に出た。とにかく、何でもいいから食べたかったのだ。ところがホテルの近くに気の利いた店もなく、かといって今更遠出をするエネルギーもない。仕方ないので、まだ明りのついていた「BENASH DELICATESSEN」といういかにも安手の定食屋さんに入った。

僕はオニオンスープとスパニッシュオムレツ、フレンチフライを頼んだが、スープはあまりにしょっぱくて飲めず、スパニッシュオムレツは、なにがスパニッシュだか理解もできず一口食べてリタイアした。何とか食べられたのはフレンチフライだけだ。しかし、ワールド・プレミアの夜に、オリジナル映画の監督と主演女優が、こんなところで空腹を満たそうとしてまったく満たせなかったなんて、ちょっと寂しくないか?

周防正行著『アメリカ人が作った「Shall we ダンス?」』から

本文中2箇所、脱字を見つけてしまった。

同じ日米文化比較としては、先行ルポのほうが圧倒的に面白いです。



『めくらやなぎと、眠る女』の病院食堂食

久しぶりに紙の本を読んだ。地元の図書館のアジア語セクションで見つけた村上春樹の短編集である。

彼女は青いパジャマを着て、薄い膝までのガウンのようなものを羽織っていた。僕らは三人で食堂のテーブルに座り、ショートホープを吸い、コーラを飲み、アイスクリームを食べた。彼女はとてもお腹をすかせており、砂糖をまぶしたドーナツを二つ食べ、クリームがたっぷりと入ったココアを飲んだ。それでもまだ不満そうだった。
「退院するころには豚になるね」と友だちはあきれたように言った。
「いいのよ、回復期なんだから」、彼女はドーナツの油のついた指先を紙ナプキンで拭きながら言った。

「腹は減った?」と僕は尋ねた。
「ここで食べようか。それともバスで町に出て何か食べようか。どちらがいい?」
いとこは疑ぐり深そうに部屋の中をぐるりと見回し、ここでいいと言った。僕は食券を買って、ランチを二人ぶん注文した。料理が運ばれて来るまで、いとこは窓の外の風景を - 海やら、けやきの並木やら、スプリンクラーやら、さっきまで僕が見ていたのと同じ風景を、黙って眺めていた。
(中略)
ランチはハンバーグ・ステーキと白身魚のフライだった。それにサラダとロールパンがついてくる。僕らは向かい合って黙々とそれを食べた。そのあいだ隣の夫婦は、癌というものの成り立ちについて熱心に話しつづけていた。何故癌が最近になって増えてきたか、何故特効薬が出来ないか、というようなことについて。

村上春樹『めくらやなぎと、眠る女』

『レキシントンの幽霊』所収。
装丁の趣味が80年代後半っぽい。(実際は1996年刊、現在はもっとイマ風デザインの文庫版、Kindle版もあり)

甘くて熱い紅茶とともに山への扉を開いてくれる『淳子のてっぺん』

地方新聞連載小説らしく(駆け足で切った貼った感がある)、最初は読みにくいと思ったけれど、「山に登り続ける人々」「日本の登山事情」にに引き込まれた作品。

「そうそう」と、話を変えるように、淳子はザックを開いてタッパーを取り出した。
「いいものがあるの。食べてごらん、元気が出るよ」
中には干し柿が入っている。女の子は面食らったようだった。
「ほら、遠慮しないで」
勧めると、おずおずとした仕草でひとつを口にした。
「あ、おいしい」
「でしょう。私の故郷、三春町の干し柿なのよ。太陽の光をいっぱい浴びてるから、その分、エネルギーもいっぱい詰まってて、疲労回復に最高なの」
「うちも毎年冬に軒先で干し柿を作ってました。その時はあんまり食べる気になれなかったけど、こんなにおいしかったんだ。ちょっとびっくり」

その夜は父と向き合って夕食を摂った。更には地元の川魚や山菜が彩りよく盛り付けられている。父が淳子の膳に目を向けた。皿にほうろく焼きが手つかずのまま残っている。
「どうしだ、食べねえのが」
「おなかいっぱい」
「そうが。まあ、無理はせんでええ」
三角形の油揚げの中に長葱を入れて焼き、味噌を付けて食べるこの協働料理は、子供の頃から淳子の鉱物だった。家の食卓に並べられるといつも真っ先に箸を伸ばした。それさえ食べられないという淳子の姿に、父は困惑の表情を浮かべた。

淳子はザックを下ろさなかった。一度下ろしてしまったら、もう二度と背負えなくなりそうな気がしたからだ。ウェアのポケットに手を入れ、ビニール袋に入れた干し柿を取り出す。登山での行動食はいつも田舎の母が送ってくれる干し柿と決めていた。ほの甘さが口中に広がって、ようやく人心地ついた。そこで、ふと、母の顔が浮かんだ。

「おっと、忘れてた、ゆで卵を持って来たんだ」
勇太はザックの中から、それを取り出した。
「登るのに夢中で食い損ねちまったよ。ちびじゅんもどうだ」
差し出されたゆで卵を見て、淳子は思わず噴き出した。殻にマジックで顔が描いてあった。
「あんた、相変わらずだね」
「ただの殻じゃ面白くねえだろ。まあ、食えって」

「ああ、おなかすいた」
「チョコと干し柿があるよ。サラミも」
「いいねえ、サラミ焼こうよ」
サラミを取り出し、ナイフに刺して、膝に載せたコンロにかざした。ツエルトの中に脂が焼ける香ばしい匂いが広がって、思わずおなかがきゅうっと鳴った。
「これで、ビールがあったら最高なんだけどなぁ」
「ここじゃ、熱燗の方がいいかも」
「あはは、ほんとだね」
何気ない会話が心を和ませてくれる。
「あ、そうだ、差し入れがあるんだ」と、マリエがザックから包みを取り出した。
「淳子も食べて」
ゆで卵だ。殻に顔が描いてある。それが誰からの差し入れか、もちろんわかっていた。

ちなみに上記サラミパーリーは、「足下は200メートルほども切れ落ちた断崖」の「半畳ほどの岩」にビバーク、ハーケンで体を固定させての開催です。宇宙で食事するようなもんかしら。想像を絶します。。。

「おう、お疲れさん。腹減ったろう?」
思いがけず、正之がすき焼きの用意をして待っていてくれた。
「ありがとう。もう、ぺこぺこ」
ガスホースを部屋まで伸ばし、卓上コンロの上に載せた鉄鍋に、葱や豆腐を入れてゆく。牛肉は贅沢なので豚肉だが、醤油と砂糖の香ばしい匂いが食欲をそそる。

心配した正之はよく夕食を作ってくれた。最初はすき焼きやおでんといった鍋ものだったが、ごはんに味噌汁、焼き魚にほうれん草のおひたしという家庭料理も並ぶようになった。だんだん腕を上げて、野菜の炊き合わせや、豚肉の生姜焼きなどの献立も加わった。

ここのところ夕食は正之に頼りっぱなしだった。今夜は久しぶりに淳子が用意した。正之の好きなクリームシチューだ。

麗香からは「機内で食べて」と、おだんごとプリンが食料係の大里恭子に差し入れされた。

 

そしてアンナプルナ。

キャラバンは楽しかった。テント地に行くと、すでにシェルパがテントを設営してくれている。ザックを下ろしたと同時に熱くて甘いティが運ばれて来て、これが疲れた身体に染み渡る。コックの作ってくれる食事は美味しくて、カレーは言うまでもなく、蒸し餃子のモモ、焼きそばのチャウミン、混ぜごはんのジフィーズなどが食卓に並んだ。それに日本から持って来た缶詰などが添えられ、隊員たちは毎日ぺろりと平らげた。

「では、まずざっくばらんな話から聞かせてもらいましょうか。山行の間って食事がいちばんの楽しみだって聞いたんですが、この遠征でいちばんおいしかった食べ物は何だったのかぜひ教えてください」
意外な質問に、隊員たちは気が抜けたように麗香を見直した。
「じゃあ、まずは隊長の広田さんから」
「私?」と、明子が戸惑いながら口を開いた。
「そうねえ、正直言ってロクなものはなかったけど、コックが作ってくれたネパール料理だと、やっぱりモモかしら。お醤油をかけると日本の餃子そっくりで、食べると安心しました。それと果物の缶詰がおいしかった。疲れていると甘いものがやっぱり欲しくなるんですね。重かったけれど、たくさん用意しておいてよかった。田名部さんもよく食べてたよね」
明子に問い掛けられて、淳子は頷く。
「果物の缶詰にはお世話になりました。特に桃缶。あのぷるんとした食感がたまらなかった。それで携帯食としてザックに入れて登ったんですけど、開けたら凍ってかちんかちんになっていて、あれは失敗でした。あとはコーンコロッケ。インスタントのマッシュポテトの粉と缶詰のコーンを混ぜて、揚げたてを食べたのはおいしかったです」
淳子の言葉に小森佐智が頷いている。
「そうそう、とにかく寒いから、熱々を食べられるのは嬉しかったな。あと、ホットケーキの素をスープに落としてすいとん風にしたのがあったでしょう。あれもおいしかった。だから日本に帰って作ってみたんですけど、実はとんでもない味でびっくりしました」
あちこちから笑い声が上がった。次は大里恭子だ。
「混ぜごはんのジフィーズは欠かせませんでした。やっぱりお米はエネルギーになりますよね。あとは氷河で冷やして作ったプリン。私、スリップして肋骨を痛めたでしょう。あの時、痛くて何も食べられなかったけれど、プリンだけは喉を通ったから、ほんと忘れられない味です」
それを引き継ぐように、今度は紺谷真理子が言う。
「私なんか腸チフスに罹っちゃって、あの時はみなさんにご迷惑をおかけしました。ずっとC1の別テントでおかゆみたいなものばっかり食べていたから、登頂祝いでシェルパが出してくれたお赤飯が死ぬほどおいしかった。つい、三杯もおかわりしてしまって」
「そうですねん、ほんで私にはお茶碗に半分しか回ってきませんでした」
広瀬小百合が大阪弁で返して、どっと笑いが起こった。
「私は朝起きた時にシェルパが持って来てくれる甘いミルクティがいちばん心に残っています。あのティを飲むと今日一日も頑張ろうって気になりますさかい。チョコレートやウエハースは大好きやったけど、山では羊羹やぬれ煎餅の方が有り難かったなぁ。やっぱりパサパサするもんは食べにくかった」
それから、小百合は岡江公子に顔を向けた。
「岡江さんは地酒のロキシーがお気に入りやったよね?」
それまでうつむき加減だった公子が、ようやく顔を上げた。
「何で私だけお酒なのよ」
「だって、ドクター榊原とよく一緒に飲んではったもん」
「まあ、確かにおいしかったけど、それは別にして、私はコンビーフの缶詰かな。肉って体力を付けるにはもってこいの食べ物だってよくわかりました。翌日の目覚めが違うの。それに玉ねぎのスライスもおいしかった。唯一の生野菜だったせいもあるでしょうけど」
「ねえねえ、みなさん知ってます? 岡江さんとドクター榊原、お酒のつまみによくサキイカをつまんでいたんですよ。それもカビたのをせっせと洗って」
公子が言い返す。
「だって、ロキシーにはサキイカがいちばん合うんだもの。でも今になると、よくお腹を壊さなかったなって」

「俺は平気だよ、俺の娘なんだ、おんぶして当然だ。それより、野菜売り場の前で近所の奥さんに教えてもらったんだ。カレーは男爵イモよりメークインの方が煮崩れしなくておいしいんだってな。ぜんぜん知らなかった。別の奥さんには隠し味にインスタントコーヒーを入れると旨くなるって言われたよ。確かに入れたらいつもより旨い気がする。俺、結構、奥さんたちに人気あるみたいだ」

七五三のお参りを済ませてから駅前の洋食屋に入った。外食なんて久しぶりだ。梢はお子様ランチを、正之はハヤシライスを、淳子はオムライスを食べた。

ついにエベレスト。

出発する隊員のためにすでに朝食は用意されていて、今朝はバターで焼き、海苔を巻いたお餅だ。これは淳子がコックに教えた一品だった。香ばしい匂いに食欲がそそられた。

今日はC4から更に上部へとルートを延ばす予定だ。9時になってようやく陽が射し始め、シュラフを出た。朝食のメニューはお餅とインスタント味噌汁、そしてチーズ。
そのチーズを切るために淳子は首に下げた登山ナイフを手にした。

賑やかな夕食が始まった。その頃にはC2にも食料が十分に運び込まれるようになっていて、缶詰の肉や野菜スープ、オムレツやデザートといった豪華なメニューが並べられた。まともな夕食を食べるのが久しぶりの隊員たちは、上部でのエネルギー不足を取り戻すかのようによく食べた。淳子もアルファ米を3杯もおかわりした。

最終テントC6に入って、すぐに飲み物を作った。とにかくたっぷり水分を補給して、高度障害に備えなければならない。コンロに火を点け、雪を溶かして湯を沸かし、紅茶やコーヒー、緑茶、ホットジュースと立て続けに6杯も飲んだ。
食べ物は十分とはいえない。その日の夕食は、インスタントライスと乾燥野菜を入れた味噌汁だけだ。

ここでふたりは酸素ボンベを新しいものと交換した。淳子は40気圧、アン・ツェリンは110気圧が残っていた。それを岩場の影にデポ(残置)してから、魔法瓶に入った紅茶を飲んだ。まだ少し温かみが残っていて嬉しい。ビスケットとチョコレートも食べたが、甘さがあまり感じられないのは、寒さのせいなのか、疲れのせいなのか。

唯川恵著『淳子のてっぺん』から

アウトドアでの甘い紅茶の美味しさ、キャラバンでの楽しい食事の様子は、彼女たちのような極限状態を経験したことのない私にもよーく伝わってきた。

もうひとつ、「(登れる、というパートナーの励ましの)言葉こそがザイル」、「ザイルを通してパートナーの思いや意図が伝わってくる」といった記述は私とジーザスとの関係そのものでもあって、ものすごく理解できる感があった。

山への扉を開いてくれた唯川先生に感謝したい。

先生も取材を通して山女になったご様子。

読み終わって田部井さんの著書を(古本しかなかろーなーと期待せずに)調べたら、わりとKindle版が揃っていて感激。 山と溪谷社さんナイス。 彼女の震災復興のアクションについては全く知らなかった。早速順番に読む。

学会員だったのかな。

日本語を話すチャーミングなジーザス、岡田光世氏「ニューヨークの魔法」シリーズ

初めて読んだ岡田氏の著書は岩波新書の「アメリカの家族」
現場に即した家族の形のルポを実に刺激的だと思った。
その後、多くのファン同様、書店で素敵な装幀にひかれて手にとった「ニューヨークの魔法シリーズ」。
シリーズ3冊目からはKindleで購入。

彼女のニューヨークエッセイを読んでいると、優れたクリスチャンだなあ、お会いしてみたいなあ、と思う。
見知らぬ人から一目で気に入られたり、有機的な言葉のかけあいをしたり、長く豊かな友達付き合いをしたり、といったあたたかいエピソードが多いのだが、それらを読むと、彼女の中にJesusが生きているのが分かるから。
特に子どもはそれが直感的に分かるし、まだ神さまとの間にはだかるけがれも少ないから「あなたが好き」とポンと彼女に抱きついていく。
次作が楽しみだ。 

おじさんは苦笑いしながら、うなずく。
おい、腹減ってないか。
そういえば、ランチも食べずに、ずっと写真を撮り続けていた。
聞かれて、お腹が空いていたことに気がついた。
ホットドッグ、食うか。
ここにはプレッツェルだけでなく、ホットドッグもあったのか。
じゃあ、ひとつ買うわ。
マスタードとケチャップは?
両方、お願いします。
ホットドッグを受け取り、お金を払おうとすると、強い口調でおじさんが言った。
金なんか要らないよ。あんたが食べたい、と言ったわけじゃない。
I offered.
俺が言い出したんだ。
おじさんの思いがけないやさしさに、久しぶりに口にした屋台のホットドッグは、こんなに美味しかったか、と思うほどの味だった。

先生はいつも、私がお金を払うことを頑なに拒む。店に入ると、先生はアボカド・サンドをさっと選ぶ。私があれこれ迷っていると、大きなサンドイッチを指差して、これにしなさい、と先生っぽい口調で言う。はっきりしたやや強い言い方なのに、私にはとてもかわいく聞こえる。
サーモン・サンドイッチが美味しそうだったのでそれを手にすると、もっと大きなサンドイッチを指差して、怒ったように言う。そんなのを買わないで、これにしなさい。
でも、これが食べたい、と5回ほど主張すると、先生は苦笑し、しぶしぶあきらめる。大きくて、もっと高いサンドイッチを食べさせたい、と思ってくれているのだろう。

人気メニューは何?
パネリ(Panelli)とヴァステッダ(vastedda)。どっちもシチリア名物よ。
パネリはひよこ豆、バステッダは牛のここ、と自分の脇腹に当てた手を上下させる。
味見してみる? すぐに答えずにいると、持って来てあげるわ、と去っていった。
しばらくすると、イタリアンブレッドが山盛りのバスケットをテーブルに置いた。
せわしなく、料理を運びながら、あちこちでなじみの客としゃべっている。忘れているのだろうと思い始めた頃、試食用のふた皿を持ってやってきた。
パネリは薄い四角いコロッケのようで、豆の味がする。別の皿に載っているのは、黒っぽい内臓の切れ端だ。蜂の巣のように小さな穴がいくつも空いている。レモンも添えてくれた。
下手物好きの夫はもちろん、内臓に目を輝かせているが、私は試食で十分だ。
店頭に総菜が並んでいたのを思い出したので、あそこから、これを二つ、これを三つ、って注文してもいかしら、と聞くと、もちろんと答えてから、私をからかった。
Do you think this is a buffet or something?

私が店頭に行くと、この人は"ビュッフェ"だから、と担当の店員に彼女が笑って伝える。私はそこから、トマトとモツァレラチーズとナスの重ね焼き、エビとマッシュルームの詰め物を選んで、頼む。
夫のヴァステッダは、脾臓を具にした丸いパンバンズのサンドイッチだ。白いリコッタチーズと黄色いカチョカヴァロチーズがたっぷり挟まれ、厚さが十センチはありそうだ。

チャイナタウンの小籠包の人気店、ジョーズ・シャンハイ(Joe's Shanghai)は、その日も満席だった。外でしばらく順番を待ったあと、店の一番奥にある丸テーブルに通された。十人の相席だ。
熱々でジューシーな蟹肉入りの小籠包を、ジンジャーの千切りとともに、たれをつけてレンゲの上に載せ、中の汁を一滴たりともこぼさないように、慎重にほおばる。
今日は、灰の水曜日(Ash Wednesday)なんだよね。おでこに黒い十字を付けた人が結構、いたよ。夫にそう言われて、初めて気づいた。
その日から、キリストの復活を祝う復活祭(Easter)を迎える準備のときが始まる。復活祭の前の日曜日、シュロの日(Palm Sunday)に、礼拝でシュロが使われる。
シュロは燃やされ、翌年の灰の水曜日に、司祭がその灰を信者の額につけるのだ。キリストの受難をしのび、回心の印としてつけられたこの灰は、洗い落とさず、自然に消えるのを待つ。

アメリカでは、風邪といえばチキンスープを飲む。肉や野菜など噛まなければならないものが入っていれば、英語では飲む(drink)ではなく、食べる(eat)と言うけれど。
ゲイルのことだから、缶詰のキャンベルスープに違いない。彼女のキッチンには包丁もまな板もない。唯一の料理といえば、チキンかターキーを丸ごと一羽買い、それにガーリックやパプリカ、あらゆるパウダーをふりかけ、オーブンで丸焼きするだけだった。
ところが、会員制大型スーパーで、美味しい大きなロティサリーチキンが5ドルで買えるものだから、今ではそれをほぼ毎日、食べているらしい。並んでいるチキンを、かがんで真横から見比べ、一番高さのあるものを選ぶ。

コスコのチキンは私も好きだが、現在は6ドル弱に若干の値上がり。1回で1羽食べ切れるわけではないので、ほぐしたりカットしたり、処理が面倒なのが難点。

で、これがチキンスープ、と透明な円柱型のプラスチック容器を、ビニール袋から取り出す。野菜やチキンがたっぷり入ったちチャイニーズスタイルで、美味しそうだ。
最近、気に入って、よく買ってるのよ。ヌードルがいっぱい入ってるんだけど、やけに長いのよ。食べる前に短く切りなさい。
そうそう、アメリカ人はよく、ヌードルをナイフとフォークを使って、細かく切って食べている。
お箸があるから、長くても大丈夫よ、と言っても、ゲイルは首を傾げているけれど、風邪でだるくて説明するのも面倒なので、放っておく。
それと、ミツヨの好きな海藻(seaweed)が入ってるわよ、ほら。
容器の中でゆらゆら揺れているのは、どう見ても青梗菜だ。
Oh, is that it? Whatever.
え、それ、そうなの? ま、何でもいいわよ。
しかし、あのゲイルが野菜を食べている。よりによって、食べ物などとは思っていない海藻と勘違いして。
私が日本食を料理するのを気味悪そうに横目で見ながら、海藻? 野菜? ノー、サンキュー、お金をもらってもいらないわ、が口癖だったのに。

その夜、彼らの友人も招き、有機野菜たっぷりの夕食を用意してくれた。バターを取るなどちょっとしたことをアンに頼むときでも、ドンは必ず、Thank you, dear. (ありがとう)と愛情のこもった言葉をかける。

最後の日、一緒に映画「硫黄島からの手紙」を観た。ドンがビデオを持っていた。日本兵の視点で描かれた作品なのに、あれはよかった。また観てもいい、と言ったのだ。
アンが、レモネードとチーズ、クラッカーを持ってきてくれた。

翌朝、ドンがいつも食べていた朝食を作ってあげるわね、とアンが私に用意してくれた。チーズ入りスクランブルドエッグと、ストロベリーとグレープのジャムを添えたトースト。インスタントのネスカフェ、コーヒーには、クリーミングパウダーを入れて。
ミツヨ、ドンがいつもすわっていた場所にすわって。

岡田光世著「ニューヨークの魔法の約束」

刊行から20年近くたつが、今でも日本の家族事情から見れば、まだまだ十分に新鮮なはず。

日野原先生の「精神的知的青春期」

アメリカへ留学した時、私は39歳でした。日米講和条約が締結された年で、米国メソジスト教会関係で奨学金を出して留学生を募集し、神学以外の領域でも若干とるというので、志願して受験しました。難しかったけれど、とにかくパスしたのです。年齢制限が40歳だったからぎりぎりでした。
憧れのアメリカ大陸を目の前に、サンフランシスコのゴールデン・ゲートを船がくぐった時には、デッキの上で私は興奮の余り身震いをしました。
奨学金は月に60ドルだったから、生活は大変でした。食べるものから切り詰めなくてはならない。朝と夜はパンと牛乳とバナナくらい。牛乳は嫌いだったけれどタンパクはとらなくちゃいけないと思い、無理に飲みました。昼は一番安い所で毎日毎日ハンバーガーを買って食べるという生活で、食費は1日1ドル50セントぐらいであげました。

そのアメリカ留学はわずか1年、エモリー大学にいたのは正味10か月で、あとの1か月半は父が学んだと同じ北カロライナ州のデューク大学の内科で、ステット教授の回診やカンファレンスに出て、非常に啓蒙されました。そしてその後の1か月はアメリカ各地を旅行しました。39歳にもなっての留学で、この時私が得たものは、非常に大きかったのです。本当に、毎日毎日、自分の身長が伸びるような思いでした。

日野原重明著『今日なすべきことを精一杯!』