たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

誰も1人で過ごさせてはいけない日、感謝祭。『ニューヨークの魔法は続く』

『ニューヨークの魔法』シリーズ、最初の3冊くらいは紙で買い、途中からKindleで買ったままになっているのが3冊もあった。とりあえず、二重買いの失敗がないのはKindleの良いところである。今更遡って読んでいる。

持病のため働けないが、毎月、受け取る生活扶助はわずかだ。そのうえ、訴訟をふたつ、起こしているという。その日のランチは、ツナと半月前に賞味期限が切れたパン、それに飲みかけのジュースをほんの少し。残りは夕食に取っておく。

私も一緒にごちそうを食べることになった。ホールにはレストランのようにテーブルが置かれていた。赤いテーブルクロスが掛けられ、花が添えられている。
ネクタイ姿の中年のウエイターが水を注いで回る。七面鳥にクランベリーソース、ピラフ、と山盛りのごちそうが運ばれてくる。厨房で働く人もウエイターも、教会員だ。
男も女も子どもも、てきぱきとホームレスの人たちなどに給仕する。この日はだれにとっても、“特別な日”であってほしいのだ。教会員の手で70羽以上の七面鳥が焼かれた。
私の前では、中年の男の人がひとり静かにごちそうを食べている。
「おいしいですか」
と私が声をかけた。
「うん、すごくおいしいよ」
彼は顔を挙げて笑った。
プエルトリコに家族を残して、ひとりでニューヨークにやってきた。でも、思うように仕事が見つからなくて、まだ家族を呼べない。この日もひとりでここに来た。
「今年はいいサンクスギビングだ。一緒に話せて楽しかったよ」
そう言って、彼は席を立っていった。
そのあと、コーヒーに手作りのケーキを楽しみながら、教会員の自作自演による音楽を聴いた。彼はプロのミュージシャンとして十分やっていけるが、ここに留まり、傷ついた人々のために歌いたいという。

ウエイターがワインボトルとグラスとパンを持ってきて、ワインを注いだ。
「今、アンティパスト(前菜)を持ってくる」
彼はそう言って、消えていった。
やがて、アーティチョークやマッシュルームなどを盛った大きな皿を運んできた。
「食べられるだけ、食べろ」
と言って、彼は去っていった。
しばらくすると、また、そのウエイターがやってきて、
「食べ終わったのか」
と無表情な顔で聞く。
(中略)
彼が再び戻ってきて、今度はパスタを持ってくる、という。
私たちが不思議そうな顔をしていると、パスタだよ、パスタ、といらいらした様子で答える。
(中略)
持ってきてもらったメニューを眺めていると、
「私に任せておけ」
と、取り上げようとする。
お前ら素人に何がわかる、とでも言いたげだ。
「自分で決めます!」
私はむきになって、持っていかれないように、両手でしっかりメニューの端を握りしめる。
(中略)
決めました、と私が言うと、つまらなそうに注文を待った。
カルボナーラとボンゴレ、と私が言った。
つまらない注文だ、と我ながら思った。

私はめったにスーパーまで行けないおばあさんのために、好物のエビと野菜のマヨネーズ和えを買って届けたことがあった。でも、何よりも、彼女を一度、スーパーに連れていってあげればよかった、と後悔している。

「デートじゃないのかい、金曜の夜だよ。なんなら、うちにディナーに来ないかい。おいしい、おいしいミートボールのスパゲッティを食べさせてあげるよ」
また、一斉に笑いが起こる。

 岡田光世著『ニューヨークの魔法は続く』より

 

「ニューヨークの魔法」シリーズ最終章

初めて最寄り駅のBook 1stで第1巻を手に取ってはや10年以上。

前にも書いたけれど、このシリーズが成功したのは装丁に負うところが大きいと思います。

シリーズ最終巻、さみしいですね。

これからも岡田氏の取材記事に期待します。

その前年に、従弟が家族でニューヨークに遊びに来た。セントラルパークの屋台で、ホットドッグ3つとスプライト1つで20ドル近く払わされ、驚いた覚えがある。あのときも、値段は書かれていなかった。

串刺しのシシカバブ3本とソフトドリンク3つを頼んだ。いくらもらったか知らないが、おじさんはお釣りを14ドル、渡していた。前に来たときはニューヨーカー価格だったのに、次に来たときは観光客価格を請求して、トラブルにならないのだろうか。

市内観光でチャイナタウンに立ち寄ったときに見かけたロールケーキが、昔懐かしくて食べたい、と言った。スーパーのお菓子のコーナーでは、チョコレートやらクッキーやら、あれこれ手に取っていた。やがて、このあめ買って、とねだった。遠足に行く前日の子どものようだった。

滞在も終わりの頃、母とロブスターを食べに行った。母はそれまで、ロブスターを食べたことがなかった。ゆで上がった真っ赤なロブスターが、どんと目の前に置かれると、驚きの声を上げた。
美味しい、美味しい、と言って食べながら、突然、目頭を押さえた。
下を向いて、泣いていた。
こんなご馳走をひとりで食べて、パパに申し訳ない。ぽつりと言った。

あのシャンデリアとシャガールの絵。さらにリンカーンセンターの広場を眺めながら、食事するなんて。最高の席だね。いつもなら、あの上からうらやましそうに見てるだけだもんな。何よりの誕生日プレゼントだよ。ありがとう。
前菜はふたりともパテ・ド・カンパーニュ、主菜は鴨の胸肉とステーキを頼んだ。
いよいよオペラが始まった。一幕が終わり、最初の幕間で再びレストランに足を運ぶと、テーブルの上にすでにデザートが用意されていた。デザートにキャンドルがのっていなかった、と気づいたのは、オペラの二幕目が始まってからだった。(中略)
次の幕間でまたレストランに戻ると、予定どおりチーズの盛り合わせとワインが置かれている。夫に聞こえないように、キャンドルのことを話しにいくと、今からデザートに立ててお持ちしますよと言い、持ってきた。
食事を終えて三幕目を観始めたとたん、私は激しい腹痛に襲われた。この日は、夫が日本にいったん帰り、数日でまた戻ってきた翌日だった。夫がいない間は小食だったのに、突然のフルコース、しかもデザートに加え、チーズの盛り合わせまで頼んだものだから、胃がびっくりしたのだろう。ワインもふたりで1本、空けた。

ふたりは健康志向で有機野菜や自然食品を買い、肉も食べなくなった。前に私が屋台のチキンとラムのオーバーライスを満足げに食べていたら、マイロンが顔をしかめた。
ネイサンズのホットドッグは特別なんだ、とジェリーは真っ先に店に入っていく。ジェリーもマイロンもユダヤ人。ユダヤ教の戒律によれば豚は食べられないが、ふたりは戒律にそった生活をしていない。

ホットドッグはパンにもソーセージにも焼き目がつき、パリっとしている。ジューシーなソーセージに、私たちは大満足。かぶりついているところを、隣のテーブルの青年たちに写真に収めてもらう。

ベーカリーに入ると、焼きたてのパイやパンの香りが充満している。それぞれ違うパイを買い、歩きながら食べ始める。どれもまだ、温かい。お互いのパイも味見してみるが、マイロンのとろけるチーズパイが飛びぬけて美味しいと、意見が一致する。
その少し先に、ウズベキスタン料理のこぢんまりとしたレストランがあった。3人そろってガラス戸から中をのぞいてみる。所狭しと並んだテーブルで、口ひげをはやした男ばかりが食事している。
入ろうとジェリーが提案したが、これ以上食べられないよ、とマイロンに却下された。
また3人で一緒に来て、次は絶対、あそこに入ろう。きっと美味しいに違いないよ。
ジェリーは帰りの地下鉄で、ずっとそう言い続けていた。

初めてのアメリカのクリスマスディナー。私はうれしくて、2日続けて、たらふく食べた。マムは大きなハムの塊を焼いてくれた。隣に住むクラスメートのマリー・ジョーのダイニングテーブルには、巨大なターキーの丸焼きがどんと置かれていた。

日本人はイカを食べると、前に知ったのが、かなりの衝撃だったようだ。モンドヴィでは、食卓や学校のスクールランチで、魚さえ見た記憶がない。
シェリーは、ローストポークにマッシュポテト、手作りのパイとクッキーも用意してくれた。家族に農場で働いていた男の人も加わり、にぎやかにおしゃべりしながら食べた。何もかもが美味しかった。

ヴァイオラだけが明るくふるまい、夕食に野菜のたくさん入ったシチューとパンとミルクを用意してくれた。

 

岡田光代著『ニューヨークの魔法は終わらない』より

今上天皇の意外な好物『テムズとともに 英国の二年間』

今上天皇はカレーとおでんがお好きだ、と聞いたことがあるが、飯マズ国として名高いイギリスでは飯ウマ寮に当たり、意外なものを気に入って召し上がっていたという。

女王陛下からは、今後の英国での生活についてのお尋ねや日本訪問時のお話などがあり、アンドルー王子からは軍隊生活の話、エドワード王子からは学生生活の話があった。もちろん幾分緊張もしていたが、会話はとても楽しかった。また、英国の「ティー」とはどういうものかと思っていた私には、女王陛下自らがなさって下さる紅茶の淹れ方と、紅茶とともに並ぶサンドイッチやケーキの組み合せに興味をひかれた。

朝は8時半には起き、朝食をホール氏のご家族ととる。トーストに加え様々なシリアルが出るのが印象的であった。シリアルとは、コーン・フレークスに代表される、穀類から作る食べ物であり、種類は実に豊富である。ホール夫妻は新聞を食卓で読むことが多く、記事の内容をしばしば分かりやすいように要約して下さった。

昼食のメニューも日々変化に富んでおり、羊の丸焼きが出る時などはホール氏自身が肉を切り、めいめいの皿に盛る。家庭で肉を切り分けるのは、主人の役目とのこと。それにミント・ソースや赤いジェリー状のソースをつけて食べる。

ホール邸以外での夕食は、富士邸を除いてはその日が初めてである。ホール夫妻、バークレイ夫妻とその子息、令嬢とその友達が参加し、たいへん楽しいひとときであった。焼き立ての肉の味が何位ともいえずおいしく、実にくつろいだ雰囲気だった。

J君に促されて私は食堂(以下ホールと呼ぶ)へ向かった。私にとって最初のマートン・コレッジでの食事である。ホールの入口でスープと肉料理を受け取り席に着く。
(中略)
再びJ君に「友達の部屋でコーヒーでも飲もう」と誘われ、食堂を後に、私の寮とは別棟の石の階段を上がって、とある部屋を訪れた。
(中略)
車座になり会話が始まった。マグに入ったコーヒーが1人1人に配られる。

朝食をとる学生は昼食や夕食に比べて極端に少なく、20名前後だったので、時刻に少し遅れても座席は容易に確保できるし、食事がなくなる心配もなかった。メニューはトーストに卵料理、それに日によってハム、ベーコン、ソーセージなどがつき、すべてセルフ・サービスである。もちろんコーヒー、紅茶の用意もある。面白いことに、宗教との関係であろうか、金曜日の朝食にのみキッパー(Kipper)というニシンの燻製が出てくる。私も試してみたが、骨をぬきとる作業にたいへん苦労させられ、味もいま一つ好きになれなかた。ちなみに私は、毎朝トースト1枚に、コーン・フレークスなどのシリアル類と紅茶をとり、ゆで卵の出る日にはそれを加えていた。紅茶とコーヒーは食堂の入口で備え付けの容器から入れることができるが、紅茶はきわめて濃く、コーヒーと同じような色をしていた。食堂は約30分しか開いておらず、寝坊した人のために学部学生用のバーで遅い朝食が出される。

食堂に一歩でも入ると、冬でも中は外とは打って変わって暖かい。昼食もセルフ・サービスで、メニューは3、4種類。代表的なものとしてビーフ・シチューをはじめとしたシチュー類、スパゲッティとミートソース、パイである。まず、メイン・ディッシュ用の皿がわたされ、係の人の前にその皿を出すと、ポテト、芽キャベツ、グリーンピースなどのゆでた野菜が好みに応じて盛りつけられる。「少し」と言わない限り山のようにサービスされる。私も入学した当初は要領をえなかったため、しばしば「少し」と言うタイミングを逸し、野菜がメイン・ディッシュを隠さんばかりに盛られた皿を前に、うんざりしたこともあった。しかし、概してマートンの食事はおいしく、食べられずに困ったことはなかった。

夕食
マートンの夕食は、ホールの大きさもあり、インフォーマルな夕食とフォーマルなそれとが別に用意され、前者は6時30分から、後者は7時30分から始まり、学生はどちらかを選択する。インフォーマルな夕食では学生の服装は自由でセルフ・サービス、フォーマルな夕食ではガウンとネクタイの着用が義務づけられ、違反したり遅刻した学生にはビールに一気飲みの罰が下る。フォーマルな夕食ではハイ・テーブル(High Table)という食堂の奥の一段と高くなったテーブルに先生方が座り、木槌の音を合図に全員が起立し、学生の代表が前に進み出てラテン語でお祈りをして始まる。
(中略)
どちらの食事もメニューはスープ、肉、料理、デザートでコーヒーは出ない。インフォーマルな夕食ではスープの皿と肉料理の皿を入口で受け取りカウンターでよそってもらう。席にはソースとゆでた野菜類が別に置いてあり、めいめいがそれを取って回すことになる。私はここで出されるゆで過ぎとも思われる芽キャベツが大好きで、いつも多く取っていたが、ある時そばにいたイギリス人の友人から何でこんな物がそんなにおいしいのかと聞かれたことがあった。フォーマルの場合は、食堂の人がサーブしてくれる。学生は飲物の持ち込みが許されるが、ほとんどの学生は水か食堂の入口から持って来たビールを飲んでいた。

ハイ・テーブルの様子をマートン・コレッジを例にお話ししよう。まず、先生方の集会場であるシニア・コモン・ルーム(SCR)でシェリー酒をはじめとする食前酒が出される。しばし歓談ののち階下に移り、ホールのハイ・テーブルで食事となる。
(中略)
私が初めてマートンのハイ・テーブルに着いて驚いたことは、並んでいる銀器であった。いちいち年代を見たわけではないが、某コレッジのハイ・テーブルには1624年の刻印のある銀器が置かれていた。
(中略)
次に驚いたことは、ハイ・テーブルの食事が学生の食事に比べてはるかに手の込んだものであることである。残念ながら手元に当日のメニューはないが、スモーク・サーモンに始まり、デザートにいたるまでのフル・コースだったことを記憶している。

彼らとはパブに限らずレストランにも足を運んだ。(中略)
ピザやスパゲッティの店も私たちがよく行ったスポットである。タラ、ニシン、カレイなどの白身の魚を揚げ、揚げジャガイモを添え、酢をかけて新聞紙にくるんでもらうフィッシュ・アンド・チップスも食べに行った。ちなみに、このフィッシュ・アンド・チップスは、産業革命期に労働者の蛋白源として重要な働きをしたというから、私が研究対象としている時代の味の一つといえよう。

ある時、MCRで会計を担当していたベジタリアンのC君のフラットで、彼の友達とC君お手製のベジタリアン・ディッシュをご馳走になった。(中略)
ちなみに、彼のようにコレッジ外のフラットに住んでいる学生は、キッチンもついているため自炊が可能である。2年目に、おいしいワインとチーズを食べに来ないかと誘われて、MCRの会長をしていたアメリカ人のM君を訪ねたこともある。彼のフィアンセがフランス人ということもあり、その日のチーズの種類の多さには驚いた。

徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』より

ううむ、アマゾンではすごい値段になっておる。

売れるかどうかはまた別の話だろうけど...。

おお、こっちの本たちにはKindle版もあるな。ある意味すごい。

オーガニック食、おうちの味『彼女は頭が悪いから』

もちろん、上野千鶴子先生の東大入学式式辞で知って読んだ。ありがたい。
でなければ著者名に対する偏見で手にとる機会はなかったと思うので...

その祝辞を読むたび、「東京大学へようこそ」で涙が出てきた。

自分がこれから学究生活に入るわけでもないのに。

やっぱり、エールだと思うよ、いろいろな意味で。

 

私立中学からもどった1年の神立美咲は、だれもいない家の台所で、鍋に残った鶏肉と野菜の煮物をコンロであたためなおした。炊飯器に残ったごはんは1人分をレンジであたためなおした。

DKのテーブルに向かうと、母親はロールサンドを出してきた。無農薬野菜専門店のニンジンとパセリがいやというほど入ったやつだ。
「期末最終日でしょう。たくさん作っといたから。ひーちゃんのぶんはちゃんととってあるから、ぜんぶつーちゃんの」
得意そうに言う。小学生のころは、つばさも兄ひかるも、くるくる巻かれた形状によろこんだものだが、兄弟がもう小学生の気持ちではなくなっていることに、母親は気づかないので困る。
なんとかが無添加のパンを使ったのだそうで、きっとものすごい量のロールサンドイッチを作ったのだろう。けれど高校から塾へ直行の兄が、家に帰ってきてこれを食べるころにはパサパサになっているだろう。
「食後にはヨーグルトも食べて。大豆のヨーグルトよ。大豆は集中力を高めるから。ブレインフードって言われてるのよ。ひーちゃんも中学時代は毎食後、これ食べたのよ」
冷蔵庫から母親は大豆ヨーグルトも出してくる。スプーンをつけて。
「ヘイヘイ」
テーブルに肘をついて、ヨーグルトのほうはふたくちで食べ終えた。
「どうだった?」
母親はノンカフェインの柚子茶をグラスに注いだ。

地下鉄浅草駅のそばにあるラーメン屋で、みんなでキムチラーメンを注文したところ、舌がヒリヒリするほど辛いにもかかわらず、甘さひかえめの梅ジュースと合わせると、「なんかこれ、クセになるようなおいしさがない?」とマユが言うとおりの味で、「ひー、ひー」と騒ぎながら食べたのがおいしかった。

遠藤歯科を通りすぎ、家に帰ってくると、母親が冷蔵庫に貼ったメモのとおり、夕飯の下ごしらえをした。
米を4合炊き、とぎ汁を大きなボウルにすこし残し、ほうれん草をさっと茹で、父方の祖母がくれた竹の子の皮を剥いてタテに半分に切り、さっき米のとぎ汁を入れたボウルに水を加えて、竹の子を浸した。

《冷蔵庫に明日葉のロールサンドがあります》
母親は南青山のジムにホットヨガをしにいったらしい。
(ごめんだ。明日葉のサンドイッチなんか。健康によいのかもしれないが、まずい)
頭が痛い。冷蔵庫から、母親がいつも作っておくルイボスティーのポットを出す。大きめのグラスに注いで一気に飲んだ。

大学1年生の美咲は、学食でヘルシーサラダランチを注文した。ほうれん草とゆで卵のサラダとライ麦パンと無脂肪ミルクののったトレーをテーブルに置いた。

6人が囲んだクリスマス・イブのテーブルに並んだものは、無農薬野菜のサラダ、サラダ、サラダ。大豆ハンバーグ。玄米。
オーナーは、セブンスデー・アドベンチストの教会に通う信者であった。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。

さっきの店にもホットワインがあった。「ホットワインってワインのお燗じゃないのよ。フランスやドイツでは薬草やシナモンやハチミツで味付けして寒いときに夜中に飲むのが主だけど、日本で最近、出してるのは、だいたいオレンジジュースやクランベリージュースで割ってアルコール度数を弱めた、女の子向きのやつよ」と部長は言って、だが、その女の子向きのやつも、彼女はたのまなかった。

いずみとつばさがはさんだテーブルには、サラダばかりが運ばれてくる。やっとサラダではないものが来たと思うと大豆ハンバーグと玄米だ。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。
「このケーキとコーヒーはいけるじゃん。うまいよ」
「お世辞はいいよ」
「お世辞じゃないって。べつにおれ、ここの店の人に義理ないし。大豆ハンバーグと玄米もなかなかいけたよ」
つばさの母親がいつも作るような料理と味つけなのだ。いわばおふくろの味だ。

肉を買って帰った。
5人家族なのでステーキではなく、すき焼きふうに煮て生卵を添えた。
「ほう、いいにおいだな」
朝の早い父親は、早めに食べ始めて早めに食べ終わるが、途中から茶の間に来た弟と妹も、
「わあ、今日はごちそうだ」
「おいしそう」
大喜びしている。食卓は久々に笑い声に満ち、美咲もうれしかった。

(お父さん、DVD見終わったら焼酎飲むのかな。そしたらいっしょに飲もうっと)
まだ鍋にすき焼きふう煮がちょっと残っている。
(『ひろた』で茗荷も安く買えたから、茗荷とまぜてアテにしてあげよう)

「ならよかった。お父さん、忘年会で遅いそうだから、夕飯は2人なんで、はるさめとエビと島豆腐の入ったサラダと、とりそぼろごはんと、百合根と真鱈と銀杏いれた茶碗蒸しでいい?」
「それ、これから作るの?」
「サラダはできてる」

「お祖母ちゃんの知り合いの人の家でミートパイを出してもらった」
だから、サッと専業主婦の話題を出す。
「アメリカ人の女の人で、結婚して日本に来て、お姑さんにパッチワークならってて、手作りだっていうミートパイを出してくれたよ。さすがにアメリカ人仕様っつうの? ボリュームがあってさ。なんで、腹がそんなに減ってないんだよ。サラダだけ食べて、残りはもどったら食べるから。そんなカンジで」
「そう、じゃ、残りは冷蔵庫に入れとくから、あんた、もどったらチンして食べなさい。茶碗蒸しはラップしとくから。食べたら食器だけシンクにおいといて。水つけといてくれたらいいから」

その点、渋谷のイタリアンは、トイレも男女別で清掃もいきとどいていたし、ホールはもちろんおしゃれなインテリアでゆったりできたし、食器もおしゃれだったし、食べ物もおいしかった。それにお茶大の2人は理系だったから、男子たちに関心のあることをしゃべってくれたのでラクだった。
(このジャガイモおいしいなあ、白いチーズがからまっているなあ、こっちのパスタもおいしいなあ、このソースがおいしい)
などと料理をじっくり堪能できて、なおかつ、そばにカレがいて、そのカレはたのしそうにしていたから、そんなカレをながめていられたのがよかった。

「今日の朝ごはんのパンね、『グリム』で買った胡桃の入ったパン」
今朝は家族5人でパンとインスタントコーヒーと、美咲の作ったレタスと胡瓜のサラダを食べた。パンは、カエちゃんの『グリム』で、昨日の夕方に母親が買ってきておいたものだった。

「うちでもチュロスを新発売したんだ。シナモンきかせぎみにしてみた。試食してみて」
自宅から店に出てきたカエちゃんが、小さく切ったチュロスの入った皿を、美咲の前に突き出した。

カウンターの後ろの、今焼きたてのパンを置く棚には、ハート型のチュロスがならんでいる。
「おまけするよ。カレとふたりぶん。バイト終わったら持って帰って」
トングでチュロスを2つとり、袋に入れてくれたカエちゃんは、背中に子供をおんぶしている。

「独・ベルギーのビールをそろえています。おつまみ豊富」と、作り物のソーセージを持った(ママ)皿を重石にして厚紙に書かれている。
「ソフトドリンクもありますよ。プリンやベルギーチョコソフトクリームもあります」
長いエプロンをつけた女店員が、ドアを開けてにこにこした。
「ベルギーチョコのソフト、食べたい」

母親と気があっている伯母ちゃんは、ときにそうするように店の甘いパンを持っておしゃべりに訪ねたのだった。昨夜のことは何も知らない。
「クリーニングのほう? なら帰ってくるころか、明日にでもするわ。そんでこのパンはね ---」
カエちゃんの伯母ちゃんは『グリム』の袋を美咲に渡す。
「お昼に美咲ちゃんが食べたらいいよ。ぜんぶ食べてもいいよ。また持ってくるから」

姫野カオルコ著『彼女は頭が悪いから』より

『コンビニ人間』を逆輸入した

ロサンゼルス郊外の書店の「店員おすすめコーナー」にこの本の英訳版が並んでいたのを見て、「そういえば、佐藤優氏も現代人の反逆が現れてるとか言及してたなー」と思い出し、原書のKindle版を読む(しつこいけど、ほんとにKindle最高よ。ほんの10年前なら、これで海外の原書を手に入れる努力はしないまま忘れ去ってたと思う)。

「ところで、僕は朝から何も食べていないんですが」
「ああ、はい、冷凍庫にご飯と、冷蔵庫に茹でた食材があるので、適当に食べてください」
私は皿を出してテーブルに並べた。茹でた野菜に醤油をかけたものと、炊いた米だ。
白羽さんは顔をしかめた。
「これは何ですか?」
「大根と、もやしと、じゃがいもと、お米です」
「いつもこんなものを食べているんですか?」
「こんなもの?」
「料理じゃないじゃないですか」
「私は食材に火を通して食べます。特に味は必要ないのですが、塩分が欲しくなると醤油をかけます」

顔を合わせた流れで、なんとなく、一緒に食事をする運びとなった。白羽さんが解凍したおかずは、シュウマイとチキンナゲットだった。皿に盛ったそれを無言で口に運ぶ。
自分が何のために栄養をとっているのかもわからなかった。咀嚼してドロドロになったご飯とシュウマイを私はいつまでも飲み込むことができなかった。

村田 沙耶香著『コンビニ人間』より

 

主人公にとって食事がコンビニ人間としての熱源でしかないのが、よく分かる記述である。

彼女は、冒頭によその子をシャベルで殴る、大人になってからは泣いてる甥をあやす妹とナイフを横目で見ながら「泣き止ませるのは簡単なのに大変なこった」と思うなど、サイコパスみがあるのが怖かった。

本書では、彼女を恐れるのを、「こちら側の人間には理解できない」と言うが、やっぱりこの人があちら側をさらに超えてるだけでは...と思った。

でもね、この文章で、彼女も十分「こちら側」の人間だわ、共感できる、と思った。それがいいのか悪いのかは別として。
人間は祈る生き物だから。

8人目の店長は、私が「コンビニ」へ向かっていつでも祈り続けていることを、その場にいないときもちゃんと見てくれている。

 

書店に店員さんのノート付きで並べられていた表紙はこちら。あんまりよくない。ストックフォトを使った自費出版のようで。
日本人作家の名前に気づかなければ手に取らなかったと思う。

アメリカ人に伝わるのか?とは思うけど、こちらの装丁のほうがまだいいですね。

一番いいのは原書ですが。

ニューヨークの魔法の食事

私ノ、話ヲ、大切ニ、シテクレテ、アリガトウ、ゴザイマス。

ウィルダは目覚めると、すぐに朝食用のオートミールの準備をし、大きな鍋でお湯がわくのを待ちながら、両足を伸ばしてベッドにすわり、手を組んでぶつぶつとインドネシア語で祈りをささげる。それが毎朝の日課だという。

テーブルの上に置かれた冷水を、一気に飲み干す。
きりりと冷えた白ワインと一緒に、ナスとベーコン、4種類のチーズを、それぞれトッピングしたピザを食べていると、隣のテーブルに外国人カップルが座った。

2ドルちょうどの差はあきらめたものの、それにより近づけようと、カロリー過多には目をつぶり、レタスとトマト付きのベーコンチーズバーガー・デラックスに、フライドポテトを添え、11ドル45セント分を注文する。

薄切りのハムとチーズを中にはさんでロール状に巻いて焼かれた、ジェネファーお望みのチキンがテーブルに運ばれてくる。
満足げな彼女を上目で見ながら、巨大なバーガーをため息と一緒に流し込む。

インドネシア出身のウィルダは、熱血クリスチャンだ。礼拝が終わると、手作りのパウンドケーキとコーヒーを手におしゃべりに余念のない教会員に、にこやかに歩み寄っては、寄付金を集めて回っている。

ようこそ、ニューヨークへ。さあ、歓迎のディナーを食べようか。
そう言って私は、夫をインド・レストランに案内する。香辛料の香りが店内に充満し、食欲をそそる。メニューには、カレー各種やタンドリーチキンが並んでいる。
インド料理はいつ食べても美味しいねえ。私はご機嫌だ。

そんなある日、私は母と新宿のデパートの地下食品街にいた。
夫がカレー粉をサラダにかけてくれたら、とても美味しかった、と母に話した。

岡田光世著『ニューヨークの魔法のかかり方』

このシリーズが売れたのは、つくづく上杉忠弘氏の装画の功績がめちゃくちゃ大きいと思う。
例えば、著者が撮影した写真とかだったら、同じ内容でもこれほど手には取られなかったはず。
ハレルヤブックです。

周防監督、『Shall we ダンス?』リメイク撮影地でロケめしを食す

スマホやSNSが出てくるはるか以前から、毎食を写真撮影している記録魔の周防監督。
2003年、『Shall we ダンス?』リメイクの撮影見学の旅から。カナダのウィニペグだ。

午後9時45分。ホテルへの帰り道にあった「earls」というレストランに入った。オープンテラスのある店で、その佇まいはケネディには怒られるかもしれないが、ロスにあってもおかしくない。僕たちはオープンテラスに座った。アメリカに来るたびに思うのだが、不自然な感じがしてあまり好きではない妙に陽気なウエイトレスが笑顔を振りまき話しかけてくる。サンペレグリノ、メキシコ風トマトスープ、ガーデンサラダ、7オンスのビーフステーキにベイクドポテトといんげんの炒め物、そしてコーヒー。味もまあまあ。値段もまあまあ。店内を徘徊するウエイターやウエイトレスは、みなニコニコとしてテンションも高いが、ふと目をやった店の裏では、さっきまで陽気だった彼らが、仲間同士で結構陰鬱な顔をして、つまらなそうに話している姿が印象に残った。

夕食は、スタジオのケイタリング・サービスだ。
僕らもご相伴にあずかることにした。アジアン・グリルド・ポーク・テンダーロイン、温野菜(人参、ポテト、ズッキーニ、ブロッコリー)、ライス、プチシュークリーム、アメリカンコーヒー。

最近、映画を撮っていないので、今の日本での食事事情はよく知らないが、すくなくとも10年前の日本の撮影中の食事と比べれば、アメリカのほうが断然いいのではないだろうか。大体、少しお腹が空いたり、手に空きができれば、簡単な食事はいつでも自由にできるし、休憩スペースもちゃんと確保されている。日本だとバレ飯といって、スタッフ・キャストともどこかに食べに行くか、食べるところが近くになかったり時間を節約したいときは、映画の規模によって違うが、たいがい安い弁当になる。ただ、日本では撮影所での撮影が深夜にまで及ぶとき、製作部のスタッフが豚汁やらカレーやら、ときにはトムヤムクンなどといった凝った料理を作ってくれたりして、それはそれでとても美味しくて、大変な撮影のなかにあって心和むものだ。日本の深夜食は、アメリカにはない捨てがたい魅力だと思う。

これはもう20年以上前の話になるわけだけど、日本の映画クルーの労働時間が守られるようになったって話は聞かない。
深夜のまつりを「心和む」とか言ってる人がいる限り、日本の映画業界のブラック環境は変わらないよね。
この夜中に煮炊きをしてるスタッフさんにもろくな手当出てないでしょ、多分。

歩き疲れて、ホテルの地下から繋がるショッピングセンターにある数十種類のポップコーンを売る「KERNELS」という店で、バーベキュー味やらキャラメル味やらチーズ味やらスモーキー味などには目もくれず、もっともオーソドックスなソルト&バターを買って、コーラ片手に休憩した。

夕食は、ケイタリングの食事を食堂で食べる。スタッフのほとんどが集った食堂は大盛況だが、役者の姿はない。どこで、何を食べているのだろうか。ちなみに僕は、ステーキサンドにグリーンピースと温野菜の付合せ。食後に紅茶とケーキだ。

さて映画は完成、ニューヨークの夜。

取り残された僕と草刈と馬場さんはホテルに戻ると、ギャガのスタッフと小形に例の「ハリー・ウィンストン」の3000万円相当の宝石の返却をお任せして、夜の街に出た。とにかく、何でもいいから食べたかったのだ。ところがホテルの近くに気の利いた店もなく、かといって今更遠出をするエネルギーもない。仕方ないので、まだ明りのついていた「BENASH DELICATESSEN」といういかにも安手の定食屋さんに入った。

僕はオニオンスープとスパニッシュオムレツ、フレンチフライを頼んだが、スープはあまりにしょっぱくて飲めず、スパニッシュオムレツは、なにがスパニッシュだか理解もできず一口食べてリタイアした。何とか食べられたのはフレンチフライだけだ。しかし、ワールド・プレミアの夜に、オリジナル映画の監督と主演女優が、こんなところで空腹を満たそうとしてまったく満たせなかったなんて、ちょっと寂しくないか?

周防正行著『アメリカ人が作った「Shall we ダンス?」』から

本文中2箇所、脱字を見つけてしまった。

同じ日米文化比較としては、先行ルポのほうが圧倒的に面白いです。