たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

今上天皇の意外な好物『テムズとともに 英国の二年間』

今上天皇はカレーとおでんがお好きだ、と聞いたことがあるが、飯マズ国として名高いイギリスでは飯ウマ寮に当たり、意外なものを気に入って召し上がっていたという。

女王陛下からは、今後の英国での生活についてのお尋ねや日本訪問時のお話などがあり、アンドルー王子からは軍隊生活の話、エドワード王子からは学生生活の話があった。もちろん幾分緊張もしていたが、会話はとても楽しかった。また、英国の「ティー」とはどういうものかと思っていた私には、女王陛下自らがなさって下さる紅茶の淹れ方と、紅茶とともに並ぶサンドイッチやケーキの組み合せに興味をひかれた。

朝は8時半には起き、朝食をホール氏のご家族ととる。トーストに加え様々なシリアルが出るのが印象的であった。シリアルとは、コーン・フレークスに代表される、穀類から作る食べ物であり、種類は実に豊富である。ホール夫妻は新聞を食卓で読むことが多く、記事の内容をしばしば分かりやすいように要約して下さった。

昼食のメニューも日々変化に富んでおり、羊の丸焼きが出る時などはホール氏自身が肉を切り、めいめいの皿に盛る。家庭で肉を切り分けるのは、主人の役目とのこと。それにミント・ソースや赤いジェリー状のソースをつけて食べる。

ホール邸以外での夕食は、富士邸を除いてはその日が初めてである。ホール夫妻、バークレイ夫妻とその子息、令嬢とその友達が参加し、たいへん楽しいひとときであった。焼き立ての肉の味が何位ともいえずおいしく、実にくつろいだ雰囲気だった。

J君に促されて私は食堂(以下ホールと呼ぶ)へ向かった。私にとって最初のマートン・コレッジでの食事である。ホールの入口でスープと肉料理を受け取り席に着く。
(中略)
再びJ君に「友達の部屋でコーヒーでも飲もう」と誘われ、食堂を後に、私の寮とは別棟の石の階段を上がって、とある部屋を訪れた。
(中略)
車座になり会話が始まった。マグに入ったコーヒーが1人1人に配られる。

朝食をとる学生は昼食や夕食に比べて極端に少なく、20名前後だったので、時刻に少し遅れても座席は容易に確保できるし、食事がなくなる心配もなかった。メニューはトーストに卵料理、それに日によってハム、ベーコン、ソーセージなどがつき、すべてセルフ・サービスである。もちろんコーヒー、紅茶の用意もある。面白いことに、宗教との関係であろうか、金曜日の朝食にのみキッパー(Kipper)というニシンの燻製が出てくる。私も試してみたが、骨をぬきとる作業にたいへん苦労させられ、味もいま一つ好きになれなかた。ちなみに私は、毎朝トースト1枚に、コーン・フレークスなどのシリアル類と紅茶をとり、ゆで卵の出る日にはそれを加えていた。紅茶とコーヒーは食堂の入口で備え付けの容器から入れることができるが、紅茶はきわめて濃く、コーヒーと同じような色をしていた。食堂は約30分しか開いておらず、寝坊した人のために学部学生用のバーで遅い朝食が出される。

食堂に一歩でも入ると、冬でも中は外とは打って変わって暖かい。昼食もセルフ・サービスで、メニューは3、4種類。代表的なものとしてビーフ・シチューをはじめとしたシチュー類、スパゲッティとミートソース、パイである。まず、メイン・ディッシュ用の皿がわたされ、係の人の前にその皿を出すと、ポテト、芽キャベツ、グリーンピースなどのゆでた野菜が好みに応じて盛りつけられる。「少し」と言わない限り山のようにサービスされる。私も入学した当初は要領をえなかったため、しばしば「少し」と言うタイミングを逸し、野菜がメイン・ディッシュを隠さんばかりに盛られた皿を前に、うんざりしたこともあった。しかし、概してマートンの食事はおいしく、食べられずに困ったことはなかった。

夕食
マートンの夕食は、ホールの大きさもあり、インフォーマルな夕食とフォーマルなそれとが別に用意され、前者は6時30分から、後者は7時30分から始まり、学生はどちらかを選択する。インフォーマルな夕食では学生の服装は自由でセルフ・サービス、フォーマルな夕食ではガウンとネクタイの着用が義務づけられ、違反したり遅刻した学生にはビールに一気飲みの罰が下る。フォーマルな夕食ではハイ・テーブル(High Table)という食堂の奥の一段と高くなったテーブルに先生方が座り、木槌の音を合図に全員が起立し、学生の代表が前に進み出てラテン語でお祈りをして始まる。
(中略)
どちらの食事もメニューはスープ、肉、料理、デザートでコーヒーは出ない。インフォーマルな夕食ではスープの皿と肉料理の皿を入口で受け取りカウンターでよそってもらう。席にはソースとゆでた野菜類が別に置いてあり、めいめいがそれを取って回すことになる。私はここで出されるゆで過ぎとも思われる芽キャベツが大好きで、いつも多く取っていたが、ある時そばにいたイギリス人の友人から何でこんな物がそんなにおいしいのかと聞かれたことがあった。フォーマルの場合は、食堂の人がサーブしてくれる。学生は飲物の持ち込みが許されるが、ほとんどの学生は水か食堂の入口から持って来たビールを飲んでいた。

ハイ・テーブルの様子をマートン・コレッジを例にお話ししよう。まず、先生方の集会場であるシニア・コモン・ルーム(SCR)でシェリー酒をはじめとする食前酒が出される。しばし歓談ののち階下に移り、ホールのハイ・テーブルで食事となる。
(中略)
私が初めてマートンのハイ・テーブルに着いて驚いたことは、並んでいる銀器であった。いちいち年代を見たわけではないが、某コレッジのハイ・テーブルには1624年の刻印のある銀器が置かれていた。
(中略)
次に驚いたことは、ハイ・テーブルの食事が学生の食事に比べてはるかに手の込んだものであることである。残念ながら手元に当日のメニューはないが、スモーク・サーモンに始まり、デザートにいたるまでのフル・コースだったことを記憶している。

彼らとはパブに限らずレストランにも足を運んだ。(中略)
ピザやスパゲッティの店も私たちがよく行ったスポットである。タラ、ニシン、カレイなどの白身の魚を揚げ、揚げジャガイモを添え、酢をかけて新聞紙にくるんでもらうフィッシュ・アンド・チップスも食べに行った。ちなみに、このフィッシュ・アンド・チップスは、産業革命期に労働者の蛋白源として重要な働きをしたというから、私が研究対象としている時代の味の一つといえよう。

ある時、MCRで会計を担当していたベジタリアンのC君のフラットで、彼の友達とC君お手製のベジタリアン・ディッシュをご馳走になった。(中略)
ちなみに、彼のようにコレッジ外のフラットに住んでいる学生は、キッチンもついているため自炊が可能である。2年目に、おいしいワインとチーズを食べに来ないかと誘われて、MCRの会長をしていたアメリカ人のM君を訪ねたこともある。彼のフィアンセがフランス人ということもあり、その日のチーズの種類の多さには驚いた。

徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』より

ううむ、アマゾンではすごい値段になっておる。

売れるかどうかはまた別の話だろうけど...。

おお、こっちの本たちにはKindle版もあるな。ある意味すごい。

オーガニック食、おうちの味『彼女は頭が悪いから』

もちろん、上野千鶴子先生の東大入学式式辞で知って読んだ。ありがたい。
でなければ著者名に対する偏見で手にとる機会はなかったと思うので...

その祝辞を読むたび、「東京大学へようこそ」で涙が出てきた。

自分がこれから学究生活に入るわけでもないのに。

やっぱり、エールだと思うよ、いろいろな意味で。

 

私立中学からもどった1年の神立美咲は、だれもいない家の台所で、鍋に残った鶏肉と野菜の煮物をコンロであたためなおした。炊飯器に残ったごはんは1人分をレンジであたためなおした。

DKのテーブルに向かうと、母親はロールサンドを出してきた。無農薬野菜専門店のニンジンとパセリがいやというほど入ったやつだ。
「期末最終日でしょう。たくさん作っといたから。ひーちゃんのぶんはちゃんととってあるから、ぜんぶつーちゃんの」
得意そうに言う。小学生のころは、つばさも兄ひかるも、くるくる巻かれた形状によろこんだものだが、兄弟がもう小学生の気持ちではなくなっていることに、母親は気づかないので困る。
なんとかが無添加のパンを使ったのだそうで、きっとものすごい量のロールサンドイッチを作ったのだろう。けれど高校から塾へ直行の兄が、家に帰ってきてこれを食べるころにはパサパサになっているだろう。
「食後にはヨーグルトも食べて。大豆のヨーグルトよ。大豆は集中力を高めるから。ブレインフードって言われてるのよ。ひーちゃんも中学時代は毎食後、これ食べたのよ」
冷蔵庫から母親は大豆ヨーグルトも出してくる。スプーンをつけて。
「ヘイヘイ」
テーブルに肘をついて、ヨーグルトのほうはふたくちで食べ終えた。
「どうだった?」
母親はノンカフェインの柚子茶をグラスに注いだ。

地下鉄浅草駅のそばにあるラーメン屋で、みんなでキムチラーメンを注文したところ、舌がヒリヒリするほど辛いにもかかわらず、甘さひかえめの梅ジュースと合わせると、「なんかこれ、クセになるようなおいしさがない?」とマユが言うとおりの味で、「ひー、ひー」と騒ぎながら食べたのがおいしかった。

遠藤歯科を通りすぎ、家に帰ってくると、母親が冷蔵庫に貼ったメモのとおり、夕飯の下ごしらえをした。
米を4合炊き、とぎ汁を大きなボウルにすこし残し、ほうれん草をさっと茹で、父方の祖母がくれた竹の子の皮を剥いてタテに半分に切り、さっき米のとぎ汁を入れたボウルに水を加えて、竹の子を浸した。

《冷蔵庫に明日葉のロールサンドがあります》
母親は南青山のジムにホットヨガをしにいったらしい。
(ごめんだ。明日葉のサンドイッチなんか。健康によいのかもしれないが、まずい)
頭が痛い。冷蔵庫から、母親がいつも作っておくルイボスティーのポットを出す。大きめのグラスに注いで一気に飲んだ。

大学1年生の美咲は、学食でヘルシーサラダランチを注文した。ほうれん草とゆで卵のサラダとライ麦パンと無脂肪ミルクののったトレーをテーブルに置いた。

6人が囲んだクリスマス・イブのテーブルに並んだものは、無農薬野菜のサラダ、サラダ、サラダ。大豆ハンバーグ。玄米。
オーナーは、セブンスデー・アドベンチストの教会に通う信者であった。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。

さっきの店にもホットワインがあった。「ホットワインってワインのお燗じゃないのよ。フランスやドイツでは薬草やシナモンやハチミツで味付けして寒いときに夜中に飲むのが主だけど、日本で最近、出してるのは、だいたいオレンジジュースやクランベリージュースで割ってアルコール度数を弱めた、女の子向きのやつよ」と部長は言って、だが、その女の子向きのやつも、彼女はたのまなかった。

いずみとつばさがはさんだテーブルには、サラダばかりが運ばれてくる。やっとサラダではないものが来たと思うと大豆ハンバーグと玄米だ。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。
「このケーキとコーヒーはいけるじゃん。うまいよ」
「お世辞はいいよ」
「お世辞じゃないって。べつにおれ、ここの店の人に義理ないし。大豆ハンバーグと玄米もなかなかいけたよ」
つばさの母親がいつも作るような料理と味つけなのだ。いわばおふくろの味だ。

肉を買って帰った。
5人家族なのでステーキではなく、すき焼きふうに煮て生卵を添えた。
「ほう、いいにおいだな」
朝の早い父親は、早めに食べ始めて早めに食べ終わるが、途中から茶の間に来た弟と妹も、
「わあ、今日はごちそうだ」
「おいしそう」
大喜びしている。食卓は久々に笑い声に満ち、美咲もうれしかった。

(お父さん、DVD見終わったら焼酎飲むのかな。そしたらいっしょに飲もうっと)
まだ鍋にすき焼きふう煮がちょっと残っている。
(『ひろた』で茗荷も安く買えたから、茗荷とまぜてアテにしてあげよう)

「ならよかった。お父さん、忘年会で遅いそうだから、夕飯は2人なんで、はるさめとエビと島豆腐の入ったサラダと、とりそぼろごはんと、百合根と真鱈と銀杏いれた茶碗蒸しでいい?」
「それ、これから作るの?」
「サラダはできてる」

「お祖母ちゃんの知り合いの人の家でミートパイを出してもらった」
だから、サッと専業主婦の話題を出す。
「アメリカ人の女の人で、結婚して日本に来て、お姑さんにパッチワークならってて、手作りだっていうミートパイを出してくれたよ。さすがにアメリカ人仕様っつうの? ボリュームがあってさ。なんで、腹がそんなに減ってないんだよ。サラダだけ食べて、残りはもどったら食べるから。そんなカンジで」
「そう、じゃ、残りは冷蔵庫に入れとくから、あんた、もどったらチンして食べなさい。茶碗蒸しはラップしとくから。食べたら食器だけシンクにおいといて。水つけといてくれたらいいから」

その点、渋谷のイタリアンは、トイレも男女別で清掃もいきとどいていたし、ホールはもちろんおしゃれなインテリアでゆったりできたし、食器もおしゃれだったし、食べ物もおいしかった。それにお茶大の2人は理系だったから、男子たちに関心のあることをしゃべってくれたのでラクだった。
(このジャガイモおいしいなあ、白いチーズがからまっているなあ、こっちのパスタもおいしいなあ、このソースがおいしい)
などと料理をじっくり堪能できて、なおかつ、そばにカレがいて、そのカレはたのしそうにしていたから、そんなカレをながめていられたのがよかった。

「今日の朝ごはんのパンね、『グリム』で買った胡桃の入ったパン」
今朝は家族5人でパンとインスタントコーヒーと、美咲の作ったレタスと胡瓜のサラダを食べた。パンは、カエちゃんの『グリム』で、昨日の夕方に母親が買ってきておいたものだった。

「うちでもチュロスを新発売したんだ。シナモンきかせぎみにしてみた。試食してみて」
自宅から店に出てきたカエちゃんが、小さく切ったチュロスの入った皿を、美咲の前に突き出した。

カウンターの後ろの、今焼きたてのパンを置く棚には、ハート型のチュロスがならんでいる。
「おまけするよ。カレとふたりぶん。バイト終わったら持って帰って」
トングでチュロスを2つとり、袋に入れてくれたカエちゃんは、背中に子供をおんぶしている。

「独・ベルギーのビールをそろえています。おつまみ豊富」と、作り物のソーセージを持った(ママ)皿を重石にして厚紙に書かれている。
「ソフトドリンクもありますよ。プリンやベルギーチョコソフトクリームもあります」
長いエプロンをつけた女店員が、ドアを開けてにこにこした。
「ベルギーチョコのソフト、食べたい」

母親と気があっている伯母ちゃんは、ときにそうするように店の甘いパンを持っておしゃべりに訪ねたのだった。昨夜のことは何も知らない。
「クリーニングのほう? なら帰ってくるころか、明日にでもするわ。そんでこのパンはね ---」
カエちゃんの伯母ちゃんは『グリム』の袋を美咲に渡す。
「お昼に美咲ちゃんが食べたらいいよ。ぜんぶ食べてもいいよ。また持ってくるから」

姫野カオルコ著『彼女は頭が悪いから』より

『コンビニ人間』を逆輸入した

ロサンゼルス郊外の書店の「店員おすすめコーナー」にこの本の英訳版が並んでいたのを見て、「そういえば、佐藤優氏も現代人の反逆が現れてるとか言及してたなー」と思い出し、原書のKindle版を読む(しつこいけど、ほんとにKindle最高よ。ほんの10年前なら、これで海外の原書を手に入れる努力はしないまま忘れ去ってたと思う)。

「ところで、僕は朝から何も食べていないんですが」
「ああ、はい、冷凍庫にご飯と、冷蔵庫に茹でた食材があるので、適当に食べてください」
私は皿を出してテーブルに並べた。茹でた野菜に醤油をかけたものと、炊いた米だ。
白羽さんは顔をしかめた。
「これは何ですか?」
「大根と、もやしと、じゃがいもと、お米です」
「いつもこんなものを食べているんですか?」
「こんなもの?」
「料理じゃないじゃないですか」
「私は食材に火を通して食べます。特に味は必要ないのですが、塩分が欲しくなると醤油をかけます」

顔を合わせた流れで、なんとなく、一緒に食事をする運びとなった。白羽さんが解凍したおかずは、シュウマイとチキンナゲットだった。皿に盛ったそれを無言で口に運ぶ。
自分が何のために栄養をとっているのかもわからなかった。咀嚼してドロドロになったご飯とシュウマイを私はいつまでも飲み込むことができなかった。

村田 沙耶香著『コンビニ人間』より

 

主人公にとって食事がコンビニ人間としての熱源でしかないのが、よく分かる記述である。

彼女は、冒頭によその子をシャベルで殴る、大人になってからは泣いてる甥をあやす妹とナイフを横目で見ながら「泣き止ませるのは簡単なのに大変なこった」と思うなど、サイコパスみがあるのが怖かった。

本書では、彼女を恐れるのを、「こちら側の人間には理解できない」と言うが、やっぱりこの人があちら側をさらに超えてるだけでは...と思った。

でもね、この文章で、彼女も十分「こちら側」の人間だわ、共感できる、と思った。それがいいのか悪いのかは別として。
人間は祈る生き物だから。

8人目の店長は、私が「コンビニ」へ向かっていつでも祈り続けていることを、その場にいないときもちゃんと見てくれている。

 

書店に店員さんのノート付きで並べられていた表紙はこちら。あんまりよくない。ストックフォトを使った自費出版のようで。
日本人作家の名前に気づかなければ手に取らなかったと思う。

アメリカ人に伝わるのか?とは思うけど、こちらの装丁のほうがまだいいですね。

一番いいのは原書ですが。

ニューヨークの魔法の食事

私ノ、話ヲ、大切ニ、シテクレテ、アリガトウ、ゴザイマス。

ウィルダは目覚めると、すぐに朝食用のオートミールの準備をし、大きな鍋でお湯がわくのを待ちながら、両足を伸ばしてベッドにすわり、手を組んでぶつぶつとインドネシア語で祈りをささげる。それが毎朝の日課だという。

テーブルの上に置かれた冷水を、一気に飲み干す。
きりりと冷えた白ワインと一緒に、ナスとベーコン、4種類のチーズを、それぞれトッピングしたピザを食べていると、隣のテーブルに外国人カップルが座った。

2ドルちょうどの差はあきらめたものの、それにより近づけようと、カロリー過多には目をつぶり、レタスとトマト付きのベーコンチーズバーガー・デラックスに、フライドポテトを添え、11ドル45セント分を注文する。

薄切りのハムとチーズを中にはさんでロール状に巻いて焼かれた、ジェネファーお望みのチキンがテーブルに運ばれてくる。
満足げな彼女を上目で見ながら、巨大なバーガーをため息と一緒に流し込む。

インドネシア出身のウィルダは、熱血クリスチャンだ。礼拝が終わると、手作りのパウンドケーキとコーヒーを手におしゃべりに余念のない教会員に、にこやかに歩み寄っては、寄付金を集めて回っている。

ようこそ、ニューヨークへ。さあ、歓迎のディナーを食べようか。
そう言って私は、夫をインド・レストランに案内する。香辛料の香りが店内に充満し、食欲をそそる。メニューには、カレー各種やタンドリーチキンが並んでいる。
インド料理はいつ食べても美味しいねえ。私はご機嫌だ。

そんなある日、私は母と新宿のデパートの地下食品街にいた。
夫がカレー粉をサラダにかけてくれたら、とても美味しかった、と母に話した。

岡田光世著『ニューヨークの魔法のかかり方』

このシリーズが売れたのは、つくづく上杉忠弘氏の装画の功績がめちゃくちゃ大きいと思う。
例えば、著者が撮影した写真とかだったら、同じ内容でもこれほど手には取られなかったはず。
ハレルヤブックです。

周防監督、『Shall we ダンス?』リメイク撮影地でロケめしを食す

スマホやSNSが出てくるはるか以前から、毎食を写真撮影している記録魔の周防監督。
2003年、『Shall we ダンス?』リメイクの撮影見学の旅から。カナダのウィニペグだ。

午後9時45分。ホテルへの帰り道にあった「earls」というレストランに入った。オープンテラスのある店で、その佇まいはケネディには怒られるかもしれないが、ロスにあってもおかしくない。僕たちはオープンテラスに座った。アメリカに来るたびに思うのだが、不自然な感じがしてあまり好きではない妙に陽気なウエイトレスが笑顔を振りまき話しかけてくる。サンペレグリノ、メキシコ風トマトスープ、ガーデンサラダ、7オンスのビーフステーキにベイクドポテトといんげんの炒め物、そしてコーヒー。味もまあまあ。値段もまあまあ。店内を徘徊するウエイターやウエイトレスは、みなニコニコとしてテンションも高いが、ふと目をやった店の裏では、さっきまで陽気だった彼らが、仲間同士で結構陰鬱な顔をして、つまらなそうに話している姿が印象に残った。

夕食は、スタジオのケイタリング・サービスだ。
僕らもご相伴にあずかることにした。アジアン・グリルド・ポーク・テンダーロイン、温野菜(人参、ポテト、ズッキーニ、ブロッコリー)、ライス、プチシュークリーム、アメリカンコーヒー。

最近、映画を撮っていないので、今の日本での食事事情はよく知らないが、すくなくとも10年前の日本の撮影中の食事と比べれば、アメリカのほうが断然いいのではないだろうか。大体、少しお腹が空いたり、手に空きができれば、簡単な食事はいつでも自由にできるし、休憩スペースもちゃんと確保されている。日本だとバレ飯といって、スタッフ・キャストともどこかに食べに行くか、食べるところが近くになかったり時間を節約したいときは、映画の規模によって違うが、たいがい安い弁当になる。ただ、日本では撮影所での撮影が深夜にまで及ぶとき、製作部のスタッフが豚汁やらカレーやら、ときにはトムヤムクンなどといった凝った料理を作ってくれたりして、それはそれでとても美味しくて、大変な撮影のなかにあって心和むものだ。日本の深夜食は、アメリカにはない捨てがたい魅力だと思う。

これはもう20年以上前の話になるわけだけど、日本の映画クルーの労働時間が守られるようになったって話は聞かない。
深夜のまつりを「心和む」とか言ってる人がいる限り、日本の映画業界のブラック環境は変わらないよね。
この夜中に煮炊きをしてるスタッフさんにもろくな手当出てないでしょ、多分。

歩き疲れて、ホテルの地下から繋がるショッピングセンターにある数十種類のポップコーンを売る「KERNELS」という店で、バーベキュー味やらキャラメル味やらチーズ味やらスモーキー味などには目もくれず、もっともオーソドックスなソルト&バターを買って、コーラ片手に休憩した。

夕食は、ケイタリングの食事を食堂で食べる。スタッフのほとんどが集った食堂は大盛況だが、役者の姿はない。どこで、何を食べているのだろうか。ちなみに僕は、ステーキサンドにグリーンピースと温野菜の付合せ。食後に紅茶とケーキだ。

さて映画は完成、ニューヨークの夜。

取り残された僕と草刈と馬場さんはホテルに戻ると、ギャガのスタッフと小形に例の「ハリー・ウィンストン」の3000万円相当の宝石の返却をお任せして、夜の街に出た。とにかく、何でもいいから食べたかったのだ。ところがホテルの近くに気の利いた店もなく、かといって今更遠出をするエネルギーもない。仕方ないので、まだ明りのついていた「BENASH DELICATESSEN」といういかにも安手の定食屋さんに入った。

僕はオニオンスープとスパニッシュオムレツ、フレンチフライを頼んだが、スープはあまりにしょっぱくて飲めず、スパニッシュオムレツは、なにがスパニッシュだか理解もできず一口食べてリタイアした。何とか食べられたのはフレンチフライだけだ。しかし、ワールド・プレミアの夜に、オリジナル映画の監督と主演女優が、こんなところで空腹を満たそうとしてまったく満たせなかったなんて、ちょっと寂しくないか?

周防正行著『アメリカ人が作った「Shall we ダンス?」』から

本文中2箇所、脱字を見つけてしまった。

同じ日米文化比較としては、先行ルポのほうが圧倒的に面白いです。



『めくらやなぎと、眠る女』の病院食堂食

久しぶりに紙の本を読んだ。地元の図書館のアジア語セクションで見つけた村上春樹の短編集である。

彼女は青いパジャマを着て、薄い膝までのガウンのようなものを羽織っていた。僕らは三人で食堂のテーブルに座り、ショートホープを吸い、コーラを飲み、アイスクリームを食べた。彼女はとてもお腹をすかせており、砂糖をまぶしたドーナツを二つ食べ、クリームがたっぷりと入ったココアを飲んだ。それでもまだ不満そうだった。
「退院するころには豚になるね」と友だちはあきれたように言った。
「いいのよ、回復期なんだから」、彼女はドーナツの油のついた指先を紙ナプキンで拭きながら言った。

「腹は減った?」と僕は尋ねた。
「ここで食べようか。それともバスで町に出て何か食べようか。どちらがいい?」
いとこは疑ぐり深そうに部屋の中をぐるりと見回し、ここでいいと言った。僕は食券を買って、ランチを二人ぶん注文した。料理が運ばれて来るまで、いとこは窓の外の風景を - 海やら、けやきの並木やら、スプリンクラーやら、さっきまで僕が見ていたのと同じ風景を、黙って眺めていた。
(中略)
ランチはハンバーグ・ステーキと白身魚のフライだった。それにサラダとロールパンがついてくる。僕らは向かい合って黙々とそれを食べた。そのあいだ隣の夫婦は、癌というものの成り立ちについて熱心に話しつづけていた。何故癌が最近になって増えてきたか、何故特効薬が出来ないか、というようなことについて。

村上春樹『めくらやなぎと、眠る女』

『レキシントンの幽霊』所収。
装丁の趣味が80年代後半っぽい。(実際は1996年刊、現在はもっとイマ風デザインの文庫版、Kindle版もあり)

甘くて熱い紅茶とともに山への扉を開いてくれる『淳子のてっぺん』

地方新聞連載小説らしく(駆け足で切った貼った感がある)、最初は読みにくいと思ったけれど、「山に登り続ける人々」「日本の登山事情」にに引き込まれた作品。

「そうそう」と、話を変えるように、淳子はザックを開いてタッパーを取り出した。
「いいものがあるの。食べてごらん、元気が出るよ」
中には干し柿が入っている。女の子は面食らったようだった。
「ほら、遠慮しないで」
勧めると、おずおずとした仕草でひとつを口にした。
「あ、おいしい」
「でしょう。私の故郷、三春町の干し柿なのよ。太陽の光をいっぱい浴びてるから、その分、エネルギーもいっぱい詰まってて、疲労回復に最高なの」
「うちも毎年冬に軒先で干し柿を作ってました。その時はあんまり食べる気になれなかったけど、こんなにおいしかったんだ。ちょっとびっくり」

その夜は父と向き合って夕食を摂った。更には地元の川魚や山菜が彩りよく盛り付けられている。父が淳子の膳に目を向けた。皿にほうろく焼きが手つかずのまま残っている。
「どうしだ、食べねえのが」
「おなかいっぱい」
「そうが。まあ、無理はせんでええ」
三角形の油揚げの中に長葱を入れて焼き、味噌を付けて食べるこの協働料理は、子供の頃から淳子の鉱物だった。家の食卓に並べられるといつも真っ先に箸を伸ばした。それさえ食べられないという淳子の姿に、父は困惑の表情を浮かべた。

淳子はザックを下ろさなかった。一度下ろしてしまったら、もう二度と背負えなくなりそうな気がしたからだ。ウェアのポケットに手を入れ、ビニール袋に入れた干し柿を取り出す。登山での行動食はいつも田舎の母が送ってくれる干し柿と決めていた。ほの甘さが口中に広がって、ようやく人心地ついた。そこで、ふと、母の顔が浮かんだ。

「おっと、忘れてた、ゆで卵を持って来たんだ」
勇太はザックの中から、それを取り出した。
「登るのに夢中で食い損ねちまったよ。ちびじゅんもどうだ」
差し出されたゆで卵を見て、淳子は思わず噴き出した。殻にマジックで顔が描いてあった。
「あんた、相変わらずだね」
「ただの殻じゃ面白くねえだろ。まあ、食えって」

「ああ、おなかすいた」
「チョコと干し柿があるよ。サラミも」
「いいねえ、サラミ焼こうよ」
サラミを取り出し、ナイフに刺して、膝に載せたコンロにかざした。ツエルトの中に脂が焼ける香ばしい匂いが広がって、思わずおなかがきゅうっと鳴った。
「これで、ビールがあったら最高なんだけどなぁ」
「ここじゃ、熱燗の方がいいかも」
「あはは、ほんとだね」
何気ない会話が心を和ませてくれる。
「あ、そうだ、差し入れがあるんだ」と、マリエがザックから包みを取り出した。
「淳子も食べて」
ゆで卵だ。殻に顔が描いてある。それが誰からの差し入れか、もちろんわかっていた。

ちなみに上記サラミパーリーは、「足下は200メートルほども切れ落ちた断崖」の「半畳ほどの岩」にビバーク、ハーケンで体を固定させての開催です。宇宙で食事するようなもんかしら。想像を絶します。。。

「おう、お疲れさん。腹減ったろう?」
思いがけず、正之がすき焼きの用意をして待っていてくれた。
「ありがとう。もう、ぺこぺこ」
ガスホースを部屋まで伸ばし、卓上コンロの上に載せた鉄鍋に、葱や豆腐を入れてゆく。牛肉は贅沢なので豚肉だが、醤油と砂糖の香ばしい匂いが食欲をそそる。

心配した正之はよく夕食を作ってくれた。最初はすき焼きやおでんといった鍋ものだったが、ごはんに味噌汁、焼き魚にほうれん草のおひたしという家庭料理も並ぶようになった。だんだん腕を上げて、野菜の炊き合わせや、豚肉の生姜焼きなどの献立も加わった。

ここのところ夕食は正之に頼りっぱなしだった。今夜は久しぶりに淳子が用意した。正之の好きなクリームシチューだ。

麗香からは「機内で食べて」と、おだんごとプリンが食料係の大里恭子に差し入れされた。

 

そしてアンナプルナ。

キャラバンは楽しかった。テント地に行くと、すでにシェルパがテントを設営してくれている。ザックを下ろしたと同時に熱くて甘いティが運ばれて来て、これが疲れた身体に染み渡る。コックの作ってくれる食事は美味しくて、カレーは言うまでもなく、蒸し餃子のモモ、焼きそばのチャウミン、混ぜごはんのジフィーズなどが食卓に並んだ。それに日本から持って来た缶詰などが添えられ、隊員たちは毎日ぺろりと平らげた。

「では、まずざっくばらんな話から聞かせてもらいましょうか。山行の間って食事がいちばんの楽しみだって聞いたんですが、この遠征でいちばんおいしかった食べ物は何だったのかぜひ教えてください」
意外な質問に、隊員たちは気が抜けたように麗香を見直した。
「じゃあ、まずは隊長の広田さんから」
「私?」と、明子が戸惑いながら口を開いた。
「そうねえ、正直言ってロクなものはなかったけど、コックが作ってくれたネパール料理だと、やっぱりモモかしら。お醤油をかけると日本の餃子そっくりで、食べると安心しました。それと果物の缶詰がおいしかった。疲れていると甘いものがやっぱり欲しくなるんですね。重かったけれど、たくさん用意しておいてよかった。田名部さんもよく食べてたよね」
明子に問い掛けられて、淳子は頷く。
「果物の缶詰にはお世話になりました。特に桃缶。あのぷるんとした食感がたまらなかった。それで携帯食としてザックに入れて登ったんですけど、開けたら凍ってかちんかちんになっていて、あれは失敗でした。あとはコーンコロッケ。インスタントのマッシュポテトの粉と缶詰のコーンを混ぜて、揚げたてを食べたのはおいしかったです」
淳子の言葉に小森佐智が頷いている。
「そうそう、とにかく寒いから、熱々を食べられるのは嬉しかったな。あと、ホットケーキの素をスープに落としてすいとん風にしたのがあったでしょう。あれもおいしかった。だから日本に帰って作ってみたんですけど、実はとんでもない味でびっくりしました」
あちこちから笑い声が上がった。次は大里恭子だ。
「混ぜごはんのジフィーズは欠かせませんでした。やっぱりお米はエネルギーになりますよね。あとは氷河で冷やして作ったプリン。私、スリップして肋骨を痛めたでしょう。あの時、痛くて何も食べられなかったけれど、プリンだけは喉を通ったから、ほんと忘れられない味です」
それを引き継ぐように、今度は紺谷真理子が言う。
「私なんか腸チフスに罹っちゃって、あの時はみなさんにご迷惑をおかけしました。ずっとC1の別テントでおかゆみたいなものばっかり食べていたから、登頂祝いでシェルパが出してくれたお赤飯が死ぬほどおいしかった。つい、三杯もおかわりしてしまって」
「そうですねん、ほんで私にはお茶碗に半分しか回ってきませんでした」
広瀬小百合が大阪弁で返して、どっと笑いが起こった。
「私は朝起きた時にシェルパが持って来てくれる甘いミルクティがいちばん心に残っています。あのティを飲むと今日一日も頑張ろうって気になりますさかい。チョコレートやウエハースは大好きやったけど、山では羊羹やぬれ煎餅の方が有り難かったなぁ。やっぱりパサパサするもんは食べにくかった」
それから、小百合は岡江公子に顔を向けた。
「岡江さんは地酒のロキシーがお気に入りやったよね?」
それまでうつむき加減だった公子が、ようやく顔を上げた。
「何で私だけお酒なのよ」
「だって、ドクター榊原とよく一緒に飲んではったもん」
「まあ、確かにおいしかったけど、それは別にして、私はコンビーフの缶詰かな。肉って体力を付けるにはもってこいの食べ物だってよくわかりました。翌日の目覚めが違うの。それに玉ねぎのスライスもおいしかった。唯一の生野菜だったせいもあるでしょうけど」
「ねえねえ、みなさん知ってます? 岡江さんとドクター榊原、お酒のつまみによくサキイカをつまんでいたんですよ。それもカビたのをせっせと洗って」
公子が言い返す。
「だって、ロキシーにはサキイカがいちばん合うんだもの。でも今になると、よくお腹を壊さなかったなって」

「俺は平気だよ、俺の娘なんだ、おんぶして当然だ。それより、野菜売り場の前で近所の奥さんに教えてもらったんだ。カレーは男爵イモよりメークインの方が煮崩れしなくておいしいんだってな。ぜんぜん知らなかった。別の奥さんには隠し味にインスタントコーヒーを入れると旨くなるって言われたよ。確かに入れたらいつもより旨い気がする。俺、結構、奥さんたちに人気あるみたいだ」

七五三のお参りを済ませてから駅前の洋食屋に入った。外食なんて久しぶりだ。梢はお子様ランチを、正之はハヤシライスを、淳子はオムライスを食べた。

ついにエベレスト。

出発する隊員のためにすでに朝食は用意されていて、今朝はバターで焼き、海苔を巻いたお餅だ。これは淳子がコックに教えた一品だった。香ばしい匂いに食欲がそそられた。

今日はC4から更に上部へとルートを延ばす予定だ。9時になってようやく陽が射し始め、シュラフを出た。朝食のメニューはお餅とインスタント味噌汁、そしてチーズ。
そのチーズを切るために淳子は首に下げた登山ナイフを手にした。

賑やかな夕食が始まった。その頃にはC2にも食料が十分に運び込まれるようになっていて、缶詰の肉や野菜スープ、オムレツやデザートといった豪華なメニューが並べられた。まともな夕食を食べるのが久しぶりの隊員たちは、上部でのエネルギー不足を取り戻すかのようによく食べた。淳子もアルファ米を3杯もおかわりした。

最終テントC6に入って、すぐに飲み物を作った。とにかくたっぷり水分を補給して、高度障害に備えなければならない。コンロに火を点け、雪を溶かして湯を沸かし、紅茶やコーヒー、緑茶、ホットジュースと立て続けに6杯も飲んだ。
食べ物は十分とはいえない。その日の夕食は、インスタントライスと乾燥野菜を入れた味噌汁だけだ。

ここでふたりは酸素ボンベを新しいものと交換した。淳子は40気圧、アン・ツェリンは110気圧が残っていた。それを岩場の影にデポ(残置)してから、魔法瓶に入った紅茶を飲んだ。まだ少し温かみが残っていて嬉しい。ビスケットとチョコレートも食べたが、甘さがあまり感じられないのは、寒さのせいなのか、疲れのせいなのか。

唯川恵著『淳子のてっぺん』から

アウトドアでの甘い紅茶の美味しさ、キャラバンでの楽しい食事の様子は、彼女たちのような極限状態を経験したことのない私にもよーく伝わってきた。

もうひとつ、「(登れる、というパートナーの励ましの)言葉こそがザイル」、「ザイルを通してパートナーの思いや意図が伝わってくる」といった記述は私とジーザスとの関係そのものでもあって、ものすごく理解できる感があった。

山への扉を開いてくれた唯川先生に感謝したい。

先生も取材を通して山女になったご様子。

読み終わって田部井さんの著書を(古本しかなかろーなーと期待せずに)調べたら、わりとKindle版が揃っていて感激。 山と溪谷社さんナイス。 彼女の震災復興のアクションについては全く知らなかった。早速順番に読む。

学会員だったのかな。