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たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

コンビニのサンドイッチが懐かしい 五十嵐貴久「年下の男の子」

例の黒服の男が食前酒を運んできた。すぐ後ろから、作務衣のような服を着た若い男が前菜をテーブルに並べてくれた。
「左から、タケノコと湯葉のポワレ、壬生菜と鮎の煮浸し、空豆とゴルゴンゾーラチーズとフォアグラのパテ、一番右が浅蜊のソテー、ガーリックソース蒸しでございます」
ではごゆっくり、と二人が下がっていった。グラスを手元に引き寄せた児島くんが、飲む前に、と両手を膝に当てた。

まさか、と笑ったところで、黒服の男がスープの皿を下げ、代わりに白い紙に包まれた上品そうな料理を出してきた。器用な手つきで紙を破ると、テーブルの上に湯気がたった。
「サーモンの奉書包み焼き、エンドウ豆のムース添えでございます。香りをお楽しみくださいませ」
優雅な笑みを浮かべて去っていくその後ろ姿を見ていると、なぜかおかしくなってきた。

児島くんは気配りもよく、わたしのグラスが空くと何か飲みますか、とすぐに聞いてきた。わたしも決してアルコールに強いわけではないのだが、気がつけばメインの鴨肉のローストが出るまでの間に、食前酒に加えワインを3杯も飲んでいた。あんまり気を遣わないでくださいと言ったが、そんなつもりはないんですよ、とちょっと悲しそうな顔になった。

メインを食べ終えると、チーズとデザートが出てきた。その辺りは完全にフレンチのスタイルだった。
デザートは胡麻のアイスクリームと小さなイチゴのミルフィーユで、両方ともとてもおいしかった。児島くんはコーヒー、わたしはストレートの紅茶を飲みながら、しばらく話した。

店はちょうど昼時で混んでいたけれど、運よくカウンターに二つだけ席が空いていた。わたしたちは二人並んでランチを取ることにした。彼が頼んだのは生姜焼き定食のご飯大盛りで、わたしは刺し身御膳という比較的あっさりしたものにした。
生姜焼き定食を食べている間、彼は無言だった。前に一緒に食事をした時もそうだったが、とにかく彼は食べるのが異常に速い。

鶴亀食堂は、もしかしたら戦前から、いや、まさかとは思うが明治時代からあったのではないかと思えるような内装の店だった。店番はそれこそ大正生まれと思われるお婆さんで、どうやら厨房で食事を作っているのはその旦那様のようだ。
とはいえ、8卓ほど4人掛けのテーブル席があったが、そのうち6卓が埋まっていた。はやっていないというわけではないらしい。
そこでわたしたちは焼き魚定食を食べた。何だか食べてばかりでホームドラマのようだが、とにかくお腹が空いていたことは確かだったのだ。
ビールでも飲めばと勧めたが、しばらく迷っていたけれど、やっぱり車で来てるんで、と児島くんは普通にお茶を飲んでいた。

それぞれの家にご挨拶に行った帰りに寄ったコンビニで買ってきたサンドイッチをオレンジジュースで流し込みながら考えた。

博多ラーメン“天海”というその店は、もともと界隈では有名だったらしいけれど、最近になって休日の昼にやってる大型情報番組で特集されたことから、その人気に火がついたそうだ。
「あんまり、しかつめらしいお店だと嫌だな… ほら、お喋り厳禁とか、スープは全部飲み干せとか、店の方が指示するみたいな」
「そんなことないと思いますけど。少なくとも、店に行ったうちの連中はそんなこと言ってませんでしたね」
そんなことを話している間にも、わたしたちの後ろに4人連れのサラリーマンが並んだ。前の方からはメニューが回ってきた。店に入る前に注文を決めておけ、ということらしい。
「どうする?」
迷うほどラーメンの種類はなかった。いわゆるトンコツラーメンに、トッピングの類がいろいろあって、それで値段が違うだけの簡単なメニューだった。
「よくわかんないっすけど、とりあえずオススメって書いてありますからね」と児島くんがメニューの一番上を指した。「このオリジナル白湯トンコツラーメンってのにしますよ」
「じゃ、あたしもそうしようかな」
「オレは大盛りで」
そこだけは譲れない、というように児島くんが言った。

部長が連れていってくれたのは、最近女性向けの情報誌などでも話題になっているエクリュというオーガニック食材を扱ったフレンチレストランだった。よくこんなところを知ってますねと感心すると、趣味なんだよという答えが返ってきた。
「新しい店を見つけたり、行ってみるのが好きなんだな。だから、逆にあんまり馴染みの店とかはないんだよ。すぐ新しい方へ新しい方へと行っちゃうから」
そういうものなのか。わたしたちが席に着くと、当店特製の無農薬栽培の小麦粉で造られたパンでございますと言って、清潔そうな白いシャツを着た男の子が皿に2種類のパンを載せてくれた。
メニューを決めるのはそれからだそうだ。雑誌で読んだんだけど、と部長が“季節野菜の鮮やかメニュー”というのをご推奨してくれたので、わたしもそれにならうことにした。

そしてわたしの引っ越しについて部長が言い出したのは、メインディッシュの“鳩のカリカリオーブン焼き・ソテーした京野菜を添えて”が出てきた時だった。

「ところで、飯、食ってないっすよね。何にしますか」
わたしたちは同時にメニューを開いた。さて、何を食べようか。しばらく相談した結果、トマトのサラダと魚介類のフリッター、それからキノコのパスタと生ハムのピザを頼むことにした。
それで足りるのと聞くと、そんなに腹減ってないんで、という答えが返ってきた。児島くんにしては珍しいことだ。
テーブルに備え付けになっている細長いパンをぽりぽり齧りながら、わたしたちはしばらく会社の話をした。

何も食べていなかったのを思い出して、マンションへ戻る途中コンビニへ寄ってサンドイッチを買った。哀しいディナーだけれど、食欲がそれほどあるわけではない。今夜はこれで済ませることにしよう。

立っていたウエイターが近づいてきて、ビールでよろしいですか、と尋ねた。エンカレンという地ビールを頼むと、入れ替わるようにして簡単なつまみのようなものが出てきた。日本料理でいうところの突き出しだ。
「カロシで取れたエンドウ豆のソテーでございます」
男が説明する前に、児島くんがフォークで突き刺して、口の中に入れた。あれ、と不思議そうな顔になった。
「マジ、うまいすね」

朝食といってもたいしたものではない。トーストと目玉焼き、冷蔵庫に入っていた野菜で作った簡単なサラダ、そしてコーヒー、それだけだ。

黙ったまま、わたしたちはフォークで目玉焼きをつつき、トーストにバターを塗って、それを食べた。何を話せばいいのだろう。

ジョアンナは飲み物がメインの普通の喫茶店だ。食べ物の類がそれほど多いわけではない。わたしはメニューを開き、クラブハウスサンドイッチとアイスティーを頼んだ。

そんなわけで、児島くんの誕生日祝いは池袋のファミリーレストランで行われることになった。唯一、救いといえば、8月10日の午後11時に店に入ることができたということぐらいだろう。下手をすれば日付が変わった11日にずれ込んでしまう可能性だってあったのだ。
それでも児島くんは喜んでくれて、和風ハンバーグ御膳と共に、誕生日だからという理由でザッハトルテとイタリアンジェラートの2つのデザートを食べて、御満悦ではあったのだが。

食事はどれも素晴らしかった。前菜としてエンドウ豆をムース状にしたサラダ、その後にフォアグラと雑穀を併せた和テイストのソテー、薄く切ったアワビをトリュフソースで食べるカルパッチョとコースが続き、口直しとしてフランボワーズのシャーベットが出てきた。メインは肉と魚の両方、あるいはどちらかを選べるということだったが、わたしも児島くんもそこまでのコースにボリュームがあったため、ひと品だけにすることにした。
わたしは高知から直送されたという舌ビラメのムニエル、彼はクリスマス限定という飛騨牛のステーキを選んだ。少しずつシェアして食べたが、舌ビラめのシンプルではあるけれど濃厚でクリーミーな味わい、更に素材の味を活かしきるため塩と粒胡椒だけで味付けをしたステーキは、どちらも完璧としか表現の仕様がなかった。
最後にグラッパを勧められて少しだけ飲むと、香草の香りがとても心地よかった。まるで高原で食事をしているような気がした。
最後にシェフ帽をかぶったフランス人の女性が出てきて、私たちの目の前でクレープを作ってくれた。ブランデーを合わせてフランベすると、フライパンの中で美しい青い炎が踊った。
わたしはストレートの紅茶、彼はコーヒーをオーダーし、そのクレープを食べた。コースを締めくくるにふさわしい甘みと酸味の調和が取れたデザートだった。

部長に連れていかれたのは、会社からそれほど離れていない場所にあるバーだった。バーといっても、軽食の類はもちろんある。
部長は黒ビールを、わたしはファジーネーブルをオーダーしてから、食べる物をいくつか注文した。真鯛のカルパッチョとか、シーザーサラダとか、木の実の盛り合わせとか、そんなふうにあまり重くないものだ。

少し遅いランチになってしまったけれど、仕方がない。わたしはビルの外に出て、近くのコンビニで買ったサンドイッチと野菜ジュースで昼食を済ませることにした。

五十嵐貴久「年下の男の子」より

Kindleの日替わりセールで買ったのですが、やっぱり現代小説を読むのは時間のムダだなァ...と思わされたことでした。Kindleでなければ出会えなかった良作はほとんどマンガです。なぜならKindle以前はほとんどマンガを読まなかったからです。