たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

御巣鷹山の夏

確認作業が後半に入り、いくぶん心にも余裕が出てきてからのことであるが、
「何か欲しい物があったらいって……」といわれると、
「サラダが食べたい」とか、
「煮物が食べたい」とか、
つい本音が口をついて出る。
毎日のように、大鍋にいっぱいのサラダをつくってきてくれた人、ケンチン汁をつくってきてくれた人。
生のままみそをつけて食べた新鮮なキュウリや葉しょうが、冷えた麦茶等々、「地獄に仏」の心境であった。


巡査の家は鮎川を見下ろす山裾にあった。家のすぐ裏手まで山がせまってきていた。周囲には山の斜面を利用した小さな段々畑が数枚つくられている。
M巡査の母親はT・Rさんに対して、慰めのことばも見つからず、ただ何度も何度も頭を下げるばかりであった。
M巡査の母親は早速、手打ちうどんを打ち、野菜と椎茸の天ぷらをあげてもてなした。
「山育ちのおふくろは話すことは苦手で、T・Rさんとは2時間もの間ほとんどことばを交わさなかったように思う。ただ、どうしたら慰められるのか、心の疲れを癒してやれるのか、一生懸命になっているのがわかった。
でも、ほぼ同年配の母親同士、何も話さなくても十分過ぎるほど心が通じ合っているようである。
『……』
おふくろはうどんなどを出すたびに、何かことばにならないことばをつぶやいている。T・Rさんも『……』と礼をいっている。
二人の母親は向かいあって座り、何も語らず、泣きながらうどんをすすっていた」

飯塚訓著『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

ほんものの会食『夏物語』

この小説の登場人物たちはみな、食卓でもその他の場所でも、会えば「あれやこれやと話」「いろいろな話」をする。しかも、その内容が列挙されている。
「夜の姉妹のながいおしゃべり」と題された章があるほどだ。
祝福だよね、他人と話ができるって。

水分でお腹がだぶだぶになったら、つぎは食べもの。ウインナ焼きとか卵焼きとかオイルサーディンとか唐揚げとか、酒のつまみというよりは弁当のおかずみたいなものを、お腹すいたわあ、といって客に頼んで注文する。

壁にずらりと貼られたメニューをひとしきり読み、それからテーブルに置かれたメニューを念入りに見つめ、わたしと巻子は生ビール、烏賊料理をいくつかと、白湯麺、そのほかには分厚い皮の焼き餃子、そして緑子が指さした中華まんじゅうと、豆腐が縮れ麺になったようなものなどを注文してみんなで分けようということになった。

緑子が注文した中華まんじゅうが運ばれてきた。やってきた中華まんじゅうの何の意味もない白さ、鈍い温かさ、そしてその漠然とした膨らみをみていると、目のまわりが熱くなった。わたしは鼻から大きく息を吸いこみ、背すじを伸ばして座り直した。
「よっしゃ中華まんきたで、食べようで」
わたしはあつあつのまんじゅうをひとつ皿にとってやると、さあさあというように緑子の顔を見た。緑子は小さく肯いてから水をひとくち飲んで、皿に置かれたまんじゅうに目をやった。巻子もせいろに手を伸ばしてひとつを取った。そして緑子がまんじゅうの白い頭に小さく齧りつくと、それがまるで合図でもあったかのように ― 空気がふっと緩んだような気がして、そしてそれが気のせいでないことを証明するような気持ちでもって、わたしはジョッキのなかのビールをいっきに飲みほした。2杯目を注文した。ほどなくやってきた豆腐ちぢれ麺や白湯麺や烏賊の炒め物などでテーブルはいっぱいになり、テレビの雑音に、3人の咀嚼の音、水を飲む音、食器を打つ音などが混じって賑やかな感じになった。

緑子は反射的に怪訝な表情になり、巻子の顔をちらっと見た。それから新しい中華まんじゅうをひとつ手にとって、白い膨らみの真んなかあたりに両方の親指をあててめくるように割り、しばらく中身を見つめていた。具の出かかったところに醤油をつけ、それからそれを半分に割り、少し間を置いてそれをさらに半分にし、またそれにも醤油をつけて、黒くなったところをじっと見た。そんなふうに緑子が中華まんじゅうにくりかえし醤油をつけるので、醤油がぐんぐん滲みこんだまんじゅうは真っ黒になり、わたしもまんじゅうがいったいどこまで醤油を吸って真っ黒になるものなのかをじっと見ていた。

「夏子と飲むんなんか久しぶりやな」と巻子は言いながら、帰り道にコンビニに寄って買いこんだビールを冷蔵庫から数本とりだし、ちゃぶ台のうえにならべていった。飲も飲も、とわたしも言いながら柿ピーやらジャッキーカルパスなどのあてをざらっと皿にあけ、昼間は麦茶を入れていたガラスコップをさっと洗ってビールを注ごうとしたときに、きんこん、という耳慣れないベルの音が鳴った。

巻子に訊くと巻子もまだまだ飲めるというので、わたしはコンビニへ行って追加の缶ビールを7本とカラムーチョ、するめ、それからずいぶん迷ったけれど奮発して、6ピース入りのカマンベール・チーズを買ってきた。

「言われてみればそうやったな。いっつも電気ついてたな。おかんが帰ってくるまで明るくしてた。そっからごはん食べたりして、布団のうえで。ウインナ焼く匂いで起きたことあった」
「そうそう、ときどきおかん酔っ払ってて、起こされてチキンラーメン一緒に食べたわ」巻子は笑って言った。
「そうそう。夜中にウインナとかインスタントラーメンとか食べてた。せやからわたしあの時期、太ってたで」

「店な」トイレから戻ってきた巻子は言った。わたしはチーズおかきのあわさった2枚をはがし、チーズのついていないほうを齧りながらあいづちを打った。

わたしたちはそれぞれメニューに顔を近づけて吟味し、わたしはかき揚げ丼を、緑子はカレーライスを頼んだ。

みんなの話を聞きながら、しかしわたしはさっき食べたランチのことがどうにも気になっていた。というのも、誰が選んだのか、今日のランチというのがこれ、食べるのはもちろんその存在を初めて知ったガレットというもので、メインの食事という感じがまったくしないものだったのだ。おやつなのかデザートなのかぺらっとしたシート状のもので、貴重な外食1回分がこんなもので終わってしまったことに納得できないような気持ちだった。ガレット専門店というだけあって、ガレット以外のものは何もなかった。こんなもん何枚食べたとこでお腹いっぱいにはならないし、だいたいそれが何であれ、生クリームがのっかってる時点でそんなものは昼ごはんとは言えんやろう。

わたしはパソコンをスリープにして、台所へ行って納豆ごはんを作り、時間をかけてそれをゆっくり食べた。

それから今日のことを思いだしてみた。ガレット。そういえば、ガレットを食べた。茶色で、クリームがのっていて、味はもう思いだせない。それとも、味なんか最初からしなかったのかもしれない。優子の声がする。子どもがいるとこういうの食べられないから嬉しいわ。子どもがいるとさ、麺とかご飯ものばっかになるじゃん。ああそう、とわたしは思う。わたしは子どもはおらんけど、でも、そんなことは関係なしに、こんなものは食べたくない。

それから台所へ行って簡単なスパゲティを作った。ちゃぶ台に運んで、テレビをつけるとちょうど7時のニュース番組が始まり、今日あったいろいろなことをアナウンサーが伝えていた。

朝8時半に起きて食パンを食べてパソコンにむかい、昼食をレトルトのソースをかけたスパゲティで済ますと仕事に戻り、そして夕方に軽いストレッチをして、夜には漬物と納豆ごはんを食べた。

仙川さんは最近になって作れるようになったというボルシチをスープ皿によそい、なんとかいう有名なところで買ってきたパンを切り、外国のラベルのついたバターを切ってそれぞれの取り皿にのせてくれた。何が入ってるのか最後までわからなかったテリーヌ、珍しいちょっと酸味のあるクリーム、いろんな色とかたちをした豆のサラダなど、わたしがふだん食べないどころか食べたことのないものばかりがテーブルにならべられ、それらを食べながらわたしたちはあれやこれやと話をした。今日は母親に泊まりで来てもらってるから飲めるわと言って、遊佐はおいしそうにワインを飲んだ。わたしはちびちびとビールを飲みながら、しかし頭のなかではべつのいろんなことが気になっていた。

紺野さんは中ジョッキを空にするとお代わりを頼んだ。わたしたちはお通しで出された揚げだし豆腐をつつき、メニューを見ながらベーコンとほうれん草のサラダと刺身の盛りあわせを注文した。

刺し盛りが運ばれてきて、わたしたちは小皿に醤油をさした。思っていたよりも豪華なのがやってきて、わたしたちは小さく歓声をあげた。ぶりや赤身のひとつひとつの切り身を見ながらおいしそうだと言いあい、紺野さんはとっくりを1本空けてしまうとおなじものを注文した。新しいのが運ばれてくるとおちょこになみなみと注いで、ずずっと吸いあげた。

店員がやってきて漬物の入った鉢をテーブルに置いた。きゅうりとかぶと柴漬けがこんもりと盛りつけられていた。

甘いものを食べる印象のない仙川さんが、珍しくコーヒーと一緒にティラミスを注文して、それをおいしそうに食べながらいろいろな話をした。

そこで逢沢さんはコーヒーカップを持ち、中身がないことに気がついた。わたしのカップも空になっていた。逢沢さんは少し不安そうな表情で、まだこんな話をつづけてもいいのかなと訊いた。もちろん、とわたしは答えて、何か甘いものを食べようと言って店員にケーキのメニューをもってきてもらった。逢沢さんは椅子に座りなおして何か珍しいものでも見るように背中を丸めてメニューを覗きこみ、わたしはショートケーキを、逢沢さんはずいぶん迷ったあとに、カスタードプリンを注文した。

しばらくすると店員がやってきて、新しいコーヒーとカスタードプリンとショートケーキを置いていった。わたしたちは黙ったまま、それぞれ注文したものを食べた。クリームが舌にのった瞬間、唾液と混ざりあった甘さが脳内に広がって、わたしは思わずため息をついた。
「糖分が」逢沢さんも同じように感じたようで、何度か肯いて言った。
「こう……脳みその皺というかみぞというみぞに、じかに塗りこんでるんかっていうくらい効きますね」

それからわたしたちはコーヒーを飲み、それぞれのおやつを食べた。まえに食べたのがいつか思いだせないくらい久しぶりに食べたショートケーキは、とてもおいしかった。生地はふんわりとしてやわらかく、クリームは甘すぎず、このままいつまでも食べつづけられそうなくらいにおいしかった。

当日 ― 5月のよく晴れた日曜はまるで夏のように暑い日で、わたしは汗をかきながら家でだし巻き卵と春雨のサラダを作って、百均で買っておいたタッパーにつめた。遊佐の家がある緑が丘に着くと駅前のコンビニで500ミリの缶ビールの6本セットとジャッキーカルパスをみっつ買った。

「出た、関西人のだし巻き」
わたしがタッパーをとりだして見せると遊佐はうれしそうに笑った。「やっぱだしよな。これからはだしだよ。年いったらさらにそう思うわ。甘い味は、なんていうか体がもう無理」
「たしかに。考えかたにも影響しそうやな」わたしは笑った。
「わかるわ。ねたねたして、しつこくなって」
わたしたちは台所へ行って一緒にビールを冷蔵庫にしまった。丸いテーブルにはグリーンカレーがたっぷり入った鍋に、チキンサラダ、ハムとチーズ、それからまぐろの刺身が載ってあった。春雨のサラダもお皿に盛ってそこにならべた。遊佐がよく冷えたべつのビールをとりだして、わたしたちはテーブルについて乾杯した。
「すごいやん、遊佐これぜんぶ作ったん?」
「まさか。ぜんぶ東急ストア。あ、カレーとナンはインドカレー屋で買ってきた。ほかにもまだ準備してる。時間差で出すわ」

遊佐はわたしにグリーンカレーをよそい、ビール飲んでるからご飯はやめて、おつまみ的にこれでちょこちょこすくって舐めたらおいしいよと言って、わたしに子ども用の小さなスプーンを渡した。それから遊佐は、自分の近況についていろいろな話をした。ママ友たちの会話について、雑誌の対談企画で会った男の役者がいかに不愉快だったかについて、そしてくらと出かけた動物園で見たかわうそがどれくらい可愛かったかについて。

わたしたちはビールを飲んで、テーブルのうえに載ったいろんなものを少しずつ食べていった。どれもおいしかったけれど、遊佐はわたしの作っただし巻きをえらく褒めてくれた。遊佐がそのへんからつまみあげた大判のポストイットを差しだしてレシピを教えてくれと言うので、卵よっつ、白だし大さじ半分、塩ぱっぱ、醤油3滴、ネギあるとなおよし、と書いて渡した。遊佐はそれを冷蔵庫のドアに貼って、しばらくのあいだ満足そうに眺めていた。

くらは人見知りをしない子らしく、「食べる?」と訊きながらわたしがだし巻き卵をスプーンにのせて口に近づけると、当たりまえのようにぱくりと食べた。それからごく自然にわたしの膝のうえにのるとチーズが欲しいと言い、包み紙をはがしてやるとまた小さな口をああんとひらいた。

それからわたしたちはカレーを食べ、遊佐はくらに小さなおにぎりをみっつ作って食べさせた。わたしはまた畳の部屋に移動してくらとおもちゃのピアノで遊んだり、仙川さんと遊佐は仕事の話をしたりした。

巻子のアパートは笑橋からバスで20分くらいのところにあり、笑橋に着いたら巻子の好きな蓬莱の豚まんを買って、思いきって、明るく巻子に電話をしようと思っていたのだ。

少し進むとコンビニがあった。わたしはおにぎりをふたつと冷たい水を買って、汗をぬぐいながら通り沿いをまっすぐに歩いていった。

母が一生懸命に働いているところを見て、胸がいっぱいになって、ごちそうやのに、なんか泣きそうになって、うまくハンバーグが食べられなくなって、ごまかしながら一生懸命に食べて、でもすっごくおいしくて、わたしここで、母が働くのを祖母と見てたんです。お店の人に、そう言ってみるところを想像してみた。でも、もちろんそんなことはできなかった。わたしはペットボトルの水を飲んで、ひとりきりコスモスのドアを見つめたあと、街路樹の陰にあったベンチまで歩いていって、ゆっくり時間をかけておにぎりを食べた。

うちには電話もなかったから、公衆電話に。それで、あのうどん屋さんに素うどんをふたつ頼むんです。出前を。それでうどん屋さんがうどんもって来てくれたらわたしが出て、『お母さんいまおりません』って言うんです」
逢沢さんは興味深そうに肯いた。
「『お母さんおらんくて、お金も預かってないんです、帰ってきたら言うときます』って言うんです」
「そしたら?」
「うどん屋さん『あれえ、でもさっき電話あったんですけどねえ』って首かしげながら、困ったなあ言いながら、でもうどん置いていってくれるんです」わたしは言った。「母が言うには、食べもの屋さんはいっかい出前もってきはったら、もっては帰らへんからって。うどんの玉のびて、ほかのお客さんに出されへんでわやになるだけやろ、だから温かいものはぜったいに置いていってくれるねんでと。ちょっとずるいけど、ごめんな言うていただこう、お給料日なったらちゃんと返しにいくからなって。母は屋上からうどん屋さんが帰るのを見届けてから降りてきて、わたしらにお腹いっぱい食べやって言って食べさせてくれるんです。でもそのうどん屋、わたしの同級生やったから、それ思うとちょっと恥ずかしいですよね。

けっきょく、わたしたちが待ちあわせしたのは笑橋のお好み焼き屋で、巻子はすでにジョッキーの生ビールを半分まで飲み、緑子は麦茶を飲んでいた。こんにゃくを焼いたのやもやしを炒めたのやらが鉄板のうえでちりちりと音を立てて、店じゅうに甘辛いソースの懐かしいようなにおいを漂わせていた。わたしが頼んだビールがくると、誕生日おめでとう、と巻子が嬉しそうに声をあげて、わたしたちはあらためて乾杯をした。かしゃんというこそばゆい音がした。

お好み焼きと焼きそばがやってくるとわたしたちはそれぞれの皿にとりわけて、熱い、おいしいをくりかえしながら夢中になって食べた。

川上未映子著『夏物語』から

誰も1人で過ごさせてはいけない日、感謝祭。『ニューヨークの魔法は続く』

『ニューヨークの魔法』シリーズ、最初の3冊くらいは紙で買い、途中からKindleで買ったままになっているのが3冊もあった。とりあえず、二重買いの失敗がないのはKindleの良いところである。今更遡って読んでいる。

持病のため働けないが、毎月、受け取る生活扶助はわずかだ。そのうえ、訴訟をふたつ、起こしているという。その日のランチは、ツナと半月前に賞味期限が切れたパン、それに飲みかけのジュースをほんの少し。残りは夕食に取っておく。

私も一緒にごちそうを食べることになった。ホールにはレストランのようにテーブルが置かれていた。赤いテーブルクロスが掛けられ、花が添えられている。
ネクタイ姿の中年のウエイターが水を注いで回る。七面鳥にクランベリーソース、ピラフ、と山盛りのごちそうが運ばれてくる。厨房で働く人もウエイターも、教会員だ。
男も女も子どもも、てきぱきとホームレスの人たちなどに給仕する。この日はだれにとっても、“特別な日”であってほしいのだ。教会員の手で70羽以上の七面鳥が焼かれた。
私の前では、中年の男の人がひとり静かにごちそうを食べている。
「おいしいですか」
と私が声をかけた。
「うん、すごくおいしいよ」
彼は顔を挙げて笑った。
プエルトリコに家族を残して、ひとりでニューヨークにやってきた。でも、思うように仕事が見つからなくて、まだ家族を呼べない。この日もひとりでここに来た。
「今年はいいサンクスギビングだ。一緒に話せて楽しかったよ」
そう言って、彼は席を立っていった。
そのあと、コーヒーに手作りのケーキを楽しみながら、教会員の自作自演による音楽を聴いた。彼はプロのミュージシャンとして十分やっていけるが、ここに留まり、傷ついた人々のために歌いたいという。

ウエイターがワインボトルとグラスとパンを持ってきて、ワインを注いだ。
「今、アンティパスト(前菜)を持ってくる」
彼はそう言って、消えていった。
やがて、アーティチョークやマッシュルームなどを盛った大きな皿を運んできた。
「食べられるだけ、食べろ」
と言って、彼は去っていった。
しばらくすると、また、そのウエイターがやってきて、
「食べ終わったのか」
と無表情な顔で聞く。
(中略)
彼が再び戻ってきて、今度はパスタを持ってくる、という。
私たちが不思議そうな顔をしていると、パスタだよ、パスタ、といらいらした様子で答える。
(中略)
持ってきてもらったメニューを眺めていると、
「私に任せておけ」
と、取り上げようとする。
お前ら素人に何がわかる、とでも言いたげだ。
「自分で決めます!」
私はむきになって、持っていかれないように、両手でしっかりメニューの端を握りしめる。
(中略)
決めました、と私が言うと、つまらなそうに注文を待った。
カルボナーラとボンゴレ、と私が言った。
つまらない注文だ、と我ながら思った。

私はめったにスーパーまで行けないおばあさんのために、好物のエビと野菜のマヨネーズ和えを買って届けたことがあった。でも、何よりも、彼女を一度、スーパーに連れていってあげればよかった、と後悔している。

「デートじゃないのかい、金曜の夜だよ。なんなら、うちにディナーに来ないかい。おいしい、おいしいミートボールのスパゲッティを食べさせてあげるよ」
また、一斉に笑いが起こる。

 岡田光世著『ニューヨークの魔法は続く』より

「ニューヨークの魔法」シリーズ最終章

初めて最寄り駅のBook 1stで第1巻を手に取ってはや10年以上。

前にも書いたけれど、このシリーズが成功したのは装丁に負うところが大きいと思います。

シリーズ最終巻、さみしいですね。

これからも岡田氏の取材記事に期待します。

その前年に、従弟が家族でニューヨークに遊びに来た。セントラルパークの屋台で、ホットドッグ3つとスプライト1つで20ドル近く払わされ、驚いた覚えがある。あのときも、値段は書かれていなかった。

串刺しのシシカバブ3本とソフトドリンク3つを頼んだ。いくらもらったか知らないが、おじさんはお釣りを14ドル、渡していた。前に来たときはニューヨーカー価格だったのに、次に来たときは観光客価格を請求して、トラブルにならないのだろうか。

市内観光でチャイナタウンに立ち寄ったときに見かけたロールケーキが、昔懐かしくて食べたい、と言った。スーパーのお菓子のコーナーでは、チョコレートやらクッキーやら、あれこれ手に取っていた。やがて、このあめ買って、とねだった。遠足に行く前日の子どものようだった。

滞在も終わりの頃、母とロブスターを食べに行った。母はそれまで、ロブスターを食べたことがなかった。ゆで上がった真っ赤なロブスターが、どんと目の前に置かれると、驚きの声を上げた。
美味しい、美味しい、と言って食べながら、突然、目頭を押さえた。
下を向いて、泣いていた。
こんなご馳走をひとりで食べて、パパに申し訳ない。ぽつりと言った。

あのシャンデリアとシャガールの絵。さらにリンカーンセンターの広場を眺めながら、食事するなんて。最高の席だね。いつもなら、あの上からうらやましそうに見てるだけだもんな。何よりの誕生日プレゼントだよ。ありがとう。
前菜はふたりともパテ・ド・カンパーニュ、主菜は鴨の胸肉とステーキを頼んだ。
いよいよオペラが始まった。一幕が終わり、最初の幕間で再びレストランに足を運ぶと、テーブルの上にすでにデザートが用意されていた。デザートにキャンドルがのっていなかった、と気づいたのは、オペラの二幕目が始まってからだった。(中略)
次の幕間でまたレストランに戻ると、予定どおりチーズの盛り合わせとワインが置かれている。夫に聞こえないように、キャンドルのことを話しにいくと、今からデザートに立ててお持ちしますよと言い、持ってきた。
食事を終えて三幕目を観始めたとたん、私は激しい腹痛に襲われた。この日は、夫が日本にいったん帰り、数日でまた戻ってきた翌日だった。夫がいない間は小食だったのに、突然のフルコース、しかもデザートに加え、チーズの盛り合わせまで頼んだものだから、胃がびっくりしたのだろう。ワインもふたりで1本、空けた。

ふたりは健康志向で有機野菜や自然食品を買い、肉も食べなくなった。前に私が屋台のチキンとラムのオーバーライスを満足げに食べていたら、マイロンが顔をしかめた。
ネイサンズのホットドッグは特別なんだ、とジェリーは真っ先に店に入っていく。ジェリーもマイロンもユダヤ人。ユダヤ教の戒律によれば豚は食べられないが、ふたりは戒律にそった生活をしていない。

ホットドッグはパンにもソーセージにも焼き目がつき、パリっとしている。ジューシーなソーセージに、私たちは大満足。かぶりついているところを、隣のテーブルの青年たちに写真に収めてもらう。

ベーカリーに入ると、焼きたてのパイやパンの香りが充満している。それぞれ違うパイを買い、歩きながら食べ始める。どれもまだ、温かい。お互いのパイも味見してみるが、マイロンのとろけるチーズパイが飛びぬけて美味しいと、意見が一致する。
その少し先に、ウズベキスタン料理のこぢんまりとしたレストランがあった。3人そろってガラス戸から中をのぞいてみる。所狭しと並んだテーブルで、口ひげをはやした男ばかりが食事している。
入ろうとジェリーが提案したが、これ以上食べられないよ、とマイロンに却下された。
また3人で一緒に来て、次は絶対、あそこに入ろう。きっと美味しいに違いないよ。
ジェリーは帰りの地下鉄で、ずっとそう言い続けていた。

初めてのアメリカのクリスマスディナー。私はうれしくて、2日続けて、たらふく食べた。マムは大きなハムの塊を焼いてくれた。隣に住むクラスメートのマリー・ジョーのダイニングテーブルには、巨大なターキーの丸焼きがどんと置かれていた。

日本人はイカを食べると、前に知ったのが、かなりの衝撃だったようだ。モンドヴィでは、食卓や学校のスクールランチで、魚さえ見た記憶がない。
シェリーは、ローストポークにマッシュポテト、手作りのパイとクッキーも用意してくれた。家族に農場で働いていた男の人も加わり、にぎやかにおしゃべりしながら食べた。何もかもが美味しかった。

ヴァイオラだけが明るくふるまい、夕食に野菜のたくさん入ったシチューとパンとミルクを用意してくれた。

岡田光代著『ニューヨークの魔法は終わらない』より

今上天皇の意外な好物『テムズとともに 英国の二年間』

今上天皇はカレーとおでんがお好きだ、と聞いたことがあるが、飯マズ国として名高いイギリスでは飯ウマ寮に当たり、意外なものを気に入って召し上がっていたという。

女王陛下からは、今後の英国での生活についてのお尋ねや日本訪問時のお話などがあり、アンドルー王子からは軍隊生活の話、エドワード王子からは学生生活の話があった。もちろん幾分緊張もしていたが、会話はとても楽しかった。また、英国の「ティー」とはどういうものかと思っていた私には、女王陛下自らがなさって下さる紅茶の淹れ方と、紅茶とともに並ぶサンドイッチやケーキの組み合せに興味をひかれた。

朝は8時半には起き、朝食をホール氏のご家族ととる。トーストに加え様々なシリアルが出るのが印象的であった。シリアルとは、コーン・フレークスに代表される、穀類から作る食べ物であり、種類は実に豊富である。ホール夫妻は新聞を食卓で読むことが多く、記事の内容をしばしば分かりやすいように要約して下さった。

昼食のメニューも日々変化に富んでおり、羊の丸焼きが出る時などはホール氏自身が肉を切り、めいめいの皿に盛る。家庭で肉を切り分けるのは、主人の役目とのこと。それにミント・ソースや赤いジェリー状のソースをつけて食べる。

ホール邸以外での夕食は、富士邸を除いてはその日が初めてである。ホール夫妻、バークレイ夫妻とその子息、令嬢とその友達が参加し、たいへん楽しいひとときであった。焼き立ての肉の味が何位ともいえずおいしく、実にくつろいだ雰囲気だった。

J君に促されて私は食堂(以下ホールと呼ぶ)へ向かった。私にとって最初のマートン・コレッジでの食事である。ホールの入口でスープと肉料理を受け取り席に着く。
(中略)
再びJ君に「友達の部屋でコーヒーでも飲もう」と誘われ、食堂を後に、私の寮とは別棟の石の階段を上がって、とある部屋を訪れた。
(中略)
車座になり会話が始まった。マグに入ったコーヒーが1人1人に配られる。

朝食をとる学生は昼食や夕食に比べて極端に少なく、20名前後だったので、時刻に少し遅れても座席は容易に確保できるし、食事がなくなる心配もなかった。メニューはトーストに卵料理、それに日によってハム、ベーコン、ソーセージなどがつき、すべてセルフ・サービスである。もちろんコーヒー、紅茶の用意もある。面白いことに、宗教との関係であろうか、金曜日の朝食にのみキッパー(Kipper)というニシンの燻製が出てくる。私も試してみたが、骨をぬきとる作業にたいへん苦労させられ、味もいま一つ好きになれなかた。ちなみに私は、毎朝トースト1枚に、コーン・フレークスなどのシリアル類と紅茶をとり、ゆで卵の出る日にはそれを加えていた。紅茶とコーヒーは食堂の入口で備え付けの容器から入れることができるが、紅茶はきわめて濃く、コーヒーと同じような色をしていた。食堂は約30分しか開いておらず、寝坊した人のために学部学生用のバーで遅い朝食が出される。

食堂に一歩でも入ると、冬でも中は外とは打って変わって暖かい。昼食もセルフ・サービスで、メニューは3、4種類。代表的なものとしてビーフ・シチューをはじめとしたシチュー類、スパゲッティとミートソース、パイである。まず、メイン・ディッシュ用の皿がわたされ、係の人の前にその皿を出すと、ポテト、芽キャベツ、グリーンピースなどのゆでた野菜が好みに応じて盛りつけられる。「少し」と言わない限り山のようにサービスされる。私も入学した当初は要領をえなかったため、しばしば「少し」と言うタイミングを逸し、野菜がメイン・ディッシュを隠さんばかりに盛られた皿を前に、うんざりしたこともあった。しかし、概してマートンの食事はおいしく、食べられずに困ったことはなかった。

夕食
マートンの夕食は、ホールの大きさもあり、インフォーマルな夕食とフォーマルなそれとが別に用意され、前者は6時30分から、後者は7時30分から始まり、学生はどちらかを選択する。インフォーマルな夕食では学生の服装は自由でセルフ・サービス、フォーマルな夕食ではガウンとネクタイの着用が義務づけられ、違反したり遅刻した学生にはビールに一気飲みの罰が下る。フォーマルな夕食ではハイ・テーブル(High Table)という食堂の奥の一段と高くなったテーブルに先生方が座り、木槌の音を合図に全員が起立し、学生の代表が前に進み出てラテン語でお祈りをして始まる。
(中略)
どちらの食事もメニューはスープ、肉、料理、デザートでコーヒーは出ない。インフォーマルな夕食ではスープの皿と肉料理の皿を入口で受け取りカウンターでよそってもらう。席にはソースとゆでた野菜類が別に置いてあり、めいめいがそれを取って回すことになる。私はここで出されるゆで過ぎとも思われる芽キャベツが大好きで、いつも多く取っていたが、ある時そばにいたイギリス人の友人から何でこんな物がそんなにおいしいのかと聞かれたことがあった。フォーマルの場合は、食堂の人がサーブしてくれる。学生は飲物の持ち込みが許されるが、ほとんどの学生は水か食堂の入口から持って来たビールを飲んでいた。

ハイ・テーブルの様子をマートン・コレッジを例にお話ししよう。まず、先生方の集会場であるシニア・コモン・ルーム(SCR)でシェリー酒をはじめとする食前酒が出される。しばし歓談ののち階下に移り、ホールのハイ・テーブルで食事となる。
(中略)
私が初めてマートンのハイ・テーブルに着いて驚いたことは、並んでいる銀器であった。いちいち年代を見たわけではないが、某コレッジのハイ・テーブルには1624年の刻印のある銀器が置かれていた。
(中略)
次に驚いたことは、ハイ・テーブルの食事が学生の食事に比べてはるかに手の込んだものであることである。残念ながら手元に当日のメニューはないが、スモーク・サーモンに始まり、デザートにいたるまでのフル・コースだったことを記憶している。

彼らとはパブに限らずレストランにも足を運んだ。(中略)
ピザやスパゲッティの店も私たちがよく行ったスポットである。タラ、ニシン、カレイなどの白身の魚を揚げ、揚げジャガイモを添え、酢をかけて新聞紙にくるんでもらうフィッシュ・アンド・チップスも食べに行った。ちなみに、このフィッシュ・アンド・チップスは、産業革命期に労働者の蛋白源として重要な働きをしたというから、私が研究対象としている時代の味の一つといえよう。

ある時、MCRで会計を担当していたベジタリアンのC君のフラットで、彼の友達とC君お手製のベジタリアン・ディッシュをご馳走になった。(中略)
ちなみに、彼のようにコレッジ外のフラットに住んでいる学生は、キッチンもついているため自炊が可能である。2年目に、おいしいワインとチーズを食べに来ないかと誘われて、MCRの会長をしていたアメリカ人のM君を訪ねたこともある。彼のフィアンセがフランス人ということもあり、その日のチーズの種類の多さには驚いた。

徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』より

私は古書店で手に入れた学習院教養新書を持っています。オックスフォード行動圏のマップつき。

オーガニック食、おうちの味『彼女は頭が悪いから』

もちろん、上野千鶴子先生の東大入学式式辞で知って読んだ。ありがたい。
でなければ著者名に対する偏見で手にとる機会はなかったと思うので...

その祝辞を読むたび、「東京大学へようこそ」で涙が出てきた。

自分がこれから学究生活に入るわけでもないのに。

やっぱり、エールだと思うよ、いろいろな意味で。

私立中学からもどった1年の神立美咲は、だれもいない家の台所で、鍋に残った鶏肉と野菜の煮物をコンロであたためなおした。炊飯器に残ったごはんは1人分をレンジであたためなおした。

DKのテーブルに向かうと、母親はロールサンドを出してきた。無農薬野菜専門店のニンジンとパセリがいやというほど入ったやつだ。
「期末最終日でしょう。たくさん作っといたから。ひーちゃんのぶんはちゃんととってあるから、ぜんぶつーちゃんの」
得意そうに言う。小学生のころは、つばさも兄ひかるも、くるくる巻かれた形状によろこんだものだが、兄弟がもう小学生の気持ちではなくなっていることに、母親は気づかないので困る。
なんとかが無添加のパンを使ったのだそうで、きっとものすごい量のロールサンドイッチを作ったのだろう。けれど高校から塾へ直行の兄が、家に帰ってきてこれを食べるころにはパサパサになっているだろう。
「食後にはヨーグルトも食べて。大豆のヨーグルトよ。大豆は集中力を高めるから。ブレインフードって言われてるのよ。ひーちゃんも中学時代は毎食後、これ食べたのよ」
冷蔵庫から母親は大豆ヨーグルトも出してくる。スプーンをつけて。
「ヘイヘイ」
テーブルに肘をついて、ヨーグルトのほうはふたくちで食べ終えた。
「どうだった?」
母親はノンカフェインの柚子茶をグラスに注いだ。

地下鉄浅草駅のそばにあるラーメン屋で、みんなでキムチラーメンを注文したところ、舌がヒリヒリするほど辛いにもかかわらず、甘さひかえめの梅ジュースと合わせると、「なんかこれ、クセになるようなおいしさがない?」とマユが言うとおりの味で、「ひー、ひー」と騒ぎながら食べたのがおいしかった。

遠藤歯科を通りすぎ、家に帰ってくると、母親が冷蔵庫に貼ったメモのとおり、夕飯の下ごしらえをした。
米を4合炊き、とぎ汁を大きなボウルにすこし残し、ほうれん草をさっと茹で、父方の祖母がくれた竹の子の皮を剥いてタテに半分に切り、さっき米のとぎ汁を入れたボウルに水を加えて、竹の子を浸した。

《冷蔵庫に明日葉のロールサンドがあります》
母親は南青山のジムにホットヨガをしにいったらしい。
(ごめんだ。明日葉のサンドイッチなんか。健康によいのかもしれないが、まずい)
頭が痛い。冷蔵庫から、母親がいつも作っておくルイボスティーのポットを出す。大きめのグラスに注いで一気に飲んだ。

大学1年生の美咲は、学食でヘルシーサラダランチを注文した。ほうれん草とゆで卵のサラダとライ麦パンと無脂肪ミルクののったトレーをテーブルに置いた。

6人が囲んだクリスマス・イブのテーブルに並んだものは、無農薬野菜のサラダ、サラダ、サラダ。大豆ハンバーグ。玄米。
オーナーは、セブンスデー・アドベンチストの教会に通う信者であった。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。

さっきの店にもホットワインがあった。「ホットワインってワインのお燗じゃないのよ。フランスやドイツでは薬草やシナモンやハチミツで味付けして寒いときに夜中に飲むのが主だけど、日本で最近、出してるのは、だいたいオレンジジュースやクランベリージュースで割ってアルコール度数を弱めた、女の子向きのやつよ」と部長は言って、だが、その女の子向きのやつも、彼女はたのまなかった。

いずみとつばさがはさんだテーブルには、サラダばかりが運ばれてくる。やっとサラダではないものが来たと思うと大豆ハンバーグと玄米だ。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。
「このケーキとコーヒーはいけるじゃん。うまいよ」
「お世辞はいいよ」
「お世辞じゃないって。べつにおれ、ここの店の人に義理ないし。大豆ハンバーグと玄米もなかなかいけたよ」
つばさの母親がいつも作るような料理と味つけなのだ。いわばおふくろの味だ。

肉を買って帰った。
5人家族なのでステーキではなく、すき焼きふうに煮て生卵を添えた。
「ほう、いいにおいだな」
朝の早い父親は、早めに食べ始めて早めに食べ終わるが、途中から茶の間に来た弟と妹も、
「わあ、今日はごちそうだ」
「おいしそう」
大喜びしている。食卓は久々に笑い声に満ち、美咲もうれしかった。

(お父さん、DVD見終わったら焼酎飲むのかな。そしたらいっしょに飲もうっと)
まだ鍋にすき焼きふう煮がちょっと残っている。
(『ひろた』で茗荷も安く買えたから、茗荷とまぜてアテにしてあげよう)

「ならよかった。お父さん、忘年会で遅いそうだから、夕飯は2人なんで、はるさめとエビと島豆腐の入ったサラダと、とりそぼろごはんと、百合根と真鱈と銀杏いれた茶碗蒸しでいい?」
「それ、これから作るの?」
「サラダはできてる」

「お祖母ちゃんの知り合いの人の家でミートパイを出してもらった」
だから、サッと専業主婦の話題を出す。
「アメリカ人の女の人で、結婚して日本に来て、お姑さんにパッチワークならってて、手作りだっていうミートパイを出してくれたよ。さすがにアメリカ人仕様っつうの? ボリュームがあってさ。なんで、腹がそんなに減ってないんだよ。サラダだけ食べて、残りはもどったら食べるから。そんなカンジで」
「そう、じゃ、残りは冷蔵庫に入れとくから、あんた、もどったらチンして食べなさい。茶碗蒸しはラップしとくから。食べたら食器だけシンクにおいといて。水つけといてくれたらいいから」

その点、渋谷のイタリアンは、トイレも男女別で清掃もいきとどいていたし、ホールはもちろんおしゃれなインテリアでゆったりできたし、食器もおしゃれだったし、食べ物もおいしかった。それにお茶大の2人は理系だったから、男子たちに関心のあることをしゃべってくれたのでラクだった。
(このジャガイモおいしいなあ、白いチーズがからまっているなあ、こっちのパスタもおいしいなあ、このソースがおいしい)
などと料理をじっくり堪能できて、なおかつ、そばにカレがいて、そのカレはたのしそうにしていたから、そんなカレをながめていられたのがよかった。

「今日の朝ごはんのパンね、『グリム』で買った胡桃の入ったパン」
今朝は家族5人でパンとインスタントコーヒーと、美咲の作ったレタスと胡瓜のサラダを食べた。パンは、カエちゃんの『グリム』で、昨日の夕方に母親が買ってきておいたものだった。

「うちでもチュロスを新発売したんだ。シナモンきかせぎみにしてみた。試食してみて」
自宅から店に出てきたカエちゃんが、小さく切ったチュロスの入った皿を、美咲の前に突き出した。

カウンターの後ろの、今焼きたてのパンを置く棚には、ハート型のチュロスがならんでいる。
「おまけするよ。カレとふたりぶん。バイト終わったら持って帰って」
トングでチュロスを2つとり、袋に入れてくれたカエちゃんは、背中に子供をおんぶしている。

「独・ベルギーのビールをそろえています。おつまみ豊富」と、作り物のソーセージを持った(ママ)皿を重石にして厚紙に書かれている。
「ソフトドリンクもありますよ。プリンやベルギーチョコソフトクリームもあります」
長いエプロンをつけた女店員が、ドアを開けてにこにこした。
「ベルギーチョコのソフト、食べたい」

母親と気があっている伯母ちゃんは、ときにそうするように店の甘いパンを持っておしゃべりに訪ねたのだった。昨夜のことは何も知らない。
「クリーニングのほう? なら帰ってくるころか、明日にでもするわ。そんでこのパンはね ---」
カエちゃんの伯母ちゃんは『グリム』の袋を美咲に渡す。
「お昼に美咲ちゃんが食べたらいいよ。ぜんぶ食べてもいいよ。また持ってくるから」

姫野カオルコ著『彼女は頭が悪いから』より

『コンビニ人間』を逆輸入した

ロサンゼルス郊外の書店の「店員おすすめコーナー」にこの本の英訳版が並んでいたのを見て、「そういえば、佐藤優氏も現代人の反逆が現れてるとか言及してたなー」と思い出し、原書のKindle版を読む(しつこいけど、ほんとに電子書籍最高よ。ほんの10年前なら、これで海外の原書を手に入れる努力はしないまま忘れ去ってたと思う)。

「ところで、僕は朝から何も食べていないんですが」
「ああ、はい、冷凍庫にご飯と、冷蔵庫に茹でた食材があるので、適当に食べてください」
私は皿を出してテーブルに並べた。茹でた野菜に醤油をかけたものと、炊いた米だ。
白羽さんは顔をしかめた。
「これは何ですか?」
「大根と、もやしと、じゃがいもと、お米です」
「いつもこんなものを食べているんですか?」
「こんなもの?」
「料理じゃないじゃないですか」
「私は食材に火を通して食べます。特に味は必要ないのですが、塩分が欲しくなると醤油をかけます」

顔を合わせた流れで、なんとなく、一緒に食事をする運びとなった。白羽さんが解凍したおかずは、シュウマイとチキンナゲットだった。皿に盛ったそれを無言で口に運ぶ。
自分が何のために栄養をとっているのかもわからなかった。咀嚼してドロドロになったご飯とシュウマイを私はいつまでも飲み込むことができなかった。

村田 沙耶香著『コンビニ人間』より

主人公にとって食事がコンビニ人間としての熱源でしかないのが、よく分かる記述である。

彼女は、冒頭によその子をシャベルで殴る、大人になってからは泣いてる甥をあやす妹とナイフを横目で見ながら「泣き止ませるのは簡単なのに大変なこった」と思うなど、サイコパスみがあるのが怖かった。

本書では、彼女を恐れるのを、「こちら側の人間には理解できない」と言うが、やっぱりこの人があちら側をさらに超えてるだけでは...と思った。

でもね、この文章で、彼女も十分「こちら側」の人間だわ、共感できる、と思った。それがいいのか悪いのかは別として。
人間は祈る生き物だから。

8人目の店長は、私が「コンビニ」へ向かっていつでも祈り続けていることを、その場にいないときもちゃんと見てくれている。

書店に店員さんのノート付きで並べられていた表紙はこちら。あんまりよくない。ストックフォトを使った自費出版のようで。
日本人作家の名前に気づかなければ手に取らなかったと思う。

Convenience Store Woman: A Novel

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アメリカ人に伝わるのか?とは思うけど、こちらの装丁のほうがまだいいですね。

一番いいのは原書ですが。