たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ワインは水 中野京子『ヴァレンヌ逃亡』

氏の著書を初めて手にした。折々に人物や習俗のこぼれ話を交えた躍動感あるストーリーテリングで面白かった。
ベルばらも、私はオスカル亡き後のパートのほうが好きだったんだよな。
池田理代子氏が、オスカルの死後は数週間で最終回にするように出版社から言われたとどこかに書いていたっけ。

有名人の顔を知っているというだけで強みになったこの時代。
身分を偽っての逃亡は今より遥かに簡単だっただろうに、かれらの正常性バイアスがそれを許さなかった。
逃亡中の食生活にもこだわるかれらに「緊急時だっつーの」の声は届かない。

几帳面なルイのメモは、当時は「ヒマか」としか突っ込めなかっただろうが、後世の民草にとっては実にありがたいな。記録を残しただけでも良い統治者じゃないかと思ってしまう。

ベルばら、さすがに私が持ってた2分冊の愛蔵版はもうないな。

食料や水、携帯用調理器具、銀食器、洗面器、折り畳みテーブル、豚の膀胱で作った尿瓶など、用意した必需品も極力少なくした。ワインが8本も含まれていたが、これも当時と今とでは捉え方が違い、贅沢なアルコールというよりは、硬水の不味さを緩和するために混ぜる意味合いもあった。葡萄ジュースとして子どもも飲んだし、フランス人の食卓には欠かせない飲料だった。

7時8分、宿駅モー到着。全員、空腹だったので、予定より早いが朝食をとることにした。馬車の中で、持参の籠を開く。フェルゼンが用意したワイン、牛肉の蒸し煮、冷製肉、パン、どれも美味で、しみじみ幸福感がこみあげてくる。

サント・ムヌーには名物料理があった。よく煮込んだ豚足料理。この豚足料理にのんびり舌鼓を打っていたからルイは捕まった......革命派の新聞は、逃亡が失敗した後、そう面白く書きたてることになるのだが(革命派のジャーナリスト、カミーユ・デ・ムーラン曰く、「それが王冠をかぶったサンチョ・パンサの命取り」)、実際にはこんな小さな町の平民向け料理など王一行が知る由もなかった。

ドルーエは(多くの民衆と同じく)「首飾り事件」にアントワネットが関与していたと信じていたし、「パンがなければ」の言葉が、よし彼女のものではなかったとしても、パンの代わりにジャガイモを主食にさせようとしたのは事実だから、菓子よりなお悪いと憤激していた。
ジャガイモは貧しい人々から忌み嫌われていたのだ。南米産のこの植物はスペインからヨーロッパへもたらされたが、フランスへ入ったのは遅く、まだ150年ほどしかたたず、調理法もあまり知られていなかった。もともとジャガイモ自体に味も甘みもなく、単独では食べにくい。金尾m地なら塩をまぶしたりフライにしたり、肉といっしょに煮込んで美味しい料理になるが、貧民は肉を入手する機会などめったにないし、ろくな薬味もない。パンの代わりにはなりえなかった。さらに悪いことには(いや、むしろこちらの理由のほうが大きかったかもしれない)、ジャガイモの瘤状の形がハンセン病を想起させ、無知で迷信深い人々にある種の恐怖を与えた。
やがてソース夫人が、小さなトレイに乏しい食事を持って上がってきた。安ワインと固いパン、豆スープとソーセージしかないことに、彼女は恐縮しきって誤り続けだったが、それを批難できる者は誰もいない。これがこの家の精一杯のもてなしと見てとれるからだ。1時間たっぷりかけて食事すれば、と考えていたトゥルゼルは(おそらく王も)落胆を隠せなかった。どんなにゆっくり食べても、これでは15分で終わってしまう。
(中略)
ルイはひとり黙々と食べた。その間、外では群衆が王への怒りを募らせていた。
(中略)
王は平然と食べ続けたが、もう皿に何ひとつの残っていない。ソース夫人が空の容器をすぐ下げてしまう、引き延ばしのための食事は終了する。

中野京子著『ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット 運命の24時間』