たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

田口ランディ『パピヨン 死と看取りへの旅』

キューブラー=ロス博士の自伝と並行して読む。
チベットでの予期せぬ瞑想体験から、肉親の看取りを経て量子の世界まで、蝶を追う旅が続く。
バタフライ効果は知っていたが、ローレンツの方程式のシンボルについては初めて知った。早速画像検索してその美しさに息を飲んだ。
キリスト者としてもまたさまざまなシンクロするアイデアがみつかって興味深かった。

朝、日の出よりも早く目が覚めて白み始めた空を見上げた。お寺の朝行に同行してお祈りをした。それから朝日に礼拝し太陽の暖かさを感じ、おいしいパンとバターの朝食をとってお茶も飲んだ。

その日のランチメニューである「たらこスパゲティー」を、父は「うまい」と言ってきれいにたいらげた。
「前の病院の食事とどっちがおいしい?」
「そりゃあ、こっちだ、比べものにならないよ。あそこの飯はひどかった」
そうなのか。ご飯がおいしいのなら、それだけで転院した意味もあろう。

お父さんのお話から。著者が父親に対する怒りを綴った著書を送った後にかかってきた電話から。

「俺がまだ、おやじと二人で下田で金目漁の船に乗ってた頃、ときどき、大島のあたりまで行っちまうことがああったんだ。大島のな、波浮の港だよ。あそこはなあ、タコ壺みたいに入り口がつぼまっててな、夜に船で入るのは、難しいんだ。おまえ、行ったことがあるか?」
なぜか急に、父は伊豆の大島の波浮港の話を始めた。
「いや、行ったことない。大島にはあるけど、港に入ったことはないなあ」
「夜、波浮に入るときにな、光合わせっていうのをやるんだ」
「光合わせ?」
「そうだ。港の明かりと、船の明り、二つの明りを照らし合わせて、ぴたっと一つに重なる。そこが船の通り道だ。その光に導かれて船は港に入るんだ。あの、光がぴたっと合わさったところが、そりゃあきれいなんだ。いつか、おまえにもあれを見せてやりいなあ」
なぜ父がそんな話をするのか、ちっともわからなかった。でも父が私の積年の恨みつらみ、悲しみを受け取ったことをはっきりと感じた。やはりこの人と自分は似ていると思った。

田口ランディ著『パピヨン 死と看取りへの旅』から