たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ご飯屋さん『BUTTER』(8)

新潟のご飯屋さんの記述に、京都の八坂さんの前の通りを跨ぐほどの長蛇の列を思い出した。並んだわけではない。

あちらでは冠婚葬祭で食べるらしい「プラリネ」というケーキ、レーズンとバタークリームの渦巻きパン、ル・レクチェの羊羹、佐渡バター、父親が好きだったという「謙信」の純米吟醸酒、ヨーグルト工場直営のチェーン店で食べられるらしいバターたっぷりのワッフル、古町にある大きなカツの載った丼、竈炊きのご飯専門店のお膳。ガイドブックを手にあれこれ話すうちに、雪国が近づいてくる。

里佳は日本酒とご飯、伶子はいくらのおむすびを一つ、そして新潟ならではのお惣菜や土地のものを数種類頼む。まずは〆張鶴のぬる燗のおちょこと伶子のほうじ茶の湯のみを軽くぶつけ合った。ひらひらと舞うような口当たりを楽しめば、冷え切った喉の奥がおだやかに燃え始める。のどぐろの刺身の盛り合わせが運ばれてきた。皮の表面がかるく炙ってある。一切れ口にして、その肉厚な身と濃い甘みに目を見張る。
運ばれてきたご飯茶碗は白い光がこんもりと盛り上がっていた。里佳は箸を取り、その輝きをそろそろと口に運ぶ。伶子も黒々とした海苔で巻かれたおむすびにかじりつく。二人は同時に目を細めた。一粒一粒がきゅっと甘い。舌の上で米粒が立ち上がり、香りばかりではなく、くっきりとその小さな形まで伝わって来るようだ。噛めば頬の内側がゆるやかに弛緩し、貪欲に吸収し味わいつくそうと、体内が歯車のようにぐるぐるかみあって動いているのがわかる。みぞおちのあたりから柔らかな熱が湧いてくる。かぼちゃの御新香、淡いピンクのたらこ、梅干しをちまちまと舐めながら、ご飯を少しずつ大切に噛みしめた。伶子がしみじみとつぶやいた。
「やっぱり人間、ご飯だよねー。基本」
「あー、お酒飲めれば炭水化物いらないっていう人、うらやましいけど、あの感覚、私、わからないなあ。すみません、おかわりいただけますか?」
(中略)
ご飯のおかわりと一緒に店員が運んできたのは、のっぺ、という郷土料理だ。薄いだしで根菜やかまぼこを煮たものに、いくらが数粒飾られている。寒さで強張っていた部分が溶け出していくような、堂々とした滋味に、ほうと息を吐く。
(中略)
かじりかけのおむすびを伶子は見下ろした。真っ赤な水晶のようないくらが中から顔を覗かせている。彼女の目から見たその粒には無数の小さな伶子が宿っているのだろう。
(中略)
いかの塩辛がいっそう米の甘みと香りを引き立てるせいで、2杯目もするすると胃に収まってしまった。里佳は一度箸を置いた。
(中略)
伶子が卵焼きを引き寄せて、小さく笑ってみせた。
(中略)
香り高い汁が溢れ、口に入れるなりしゃぶしゃぶと崩れ落ちるようなル・レクチェを食べ終えると、二人は会計を済ませ、店を後にした。

1200円で楽しめるバイキング形式の朝食は、一見ごくごく普通のものだったが、ご飯のお供の豊富さだけは目を見張るほどだった。炊飯器の中の米が朝日を浴びて光っている。伶子の向かいでご飯を一口食べるなり、その甘さと香ばしさに背中が震える。ここの卵焼きは砂糖たっぷりで褐色の焦げ目がついている。

柚木麻子著『BUTTER』より