たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

赤飯文化『BUTTER』(9)

初潮のあとの赤飯ムーブはほんとにきもいと思ってた。玉姫殿なき今、赤飯=めでたい、ごちそうというイメージは残っているのかな。そもそも炊ける、自宅で炊くなどということを思いつくご家庭も減ってそう。

お茶請けとして出されたのはセロファンで包まれたおせんべいである。東京のスーパーマーケットでも買えるものだ。

 

「環境は清潔にすることと、餌や水には徹底的にこだわります。ミルクの味を左右しますから。ミルクってもとは血液なんですよ」

「それは知らなかったです。へえ、赤い血がなんであんなふうに......

生乳も生クリームもバターも、あの律儀なまでの白さは、もともとはこの巨大な身体をかけめぐる赤なのか。

(中略)

「冬はこの寒さですから、餌をたくさん食べる分、甘いこってりした牛乳になるんです。反対に夏はさっぱりとしたさわやかな味わいになりますね。是非、この時期ならではの搾りたてのホットミルクを味わってください。冬の間は休業していますので、うちの台所にどうぞ」

(中略)

土間の一角にある台所のコンロ上で雪平鍋が音を立てて、ふくよかな湯気を放っていた。秋山さんの妻とおぼしき同年代の女性が湯気の立つ紙コップを二人に渡した。杏菜がぽつりと言った。

「姉はここで作っているソフトクリームが大好きだったんです。濃厚なチーズのような味がするといっていました。ちょっと今の季節では冷たすぎますが」

(中略)

なんだか見える気がする。ソフトクリームをなめまわしながら柵に寄りかかって牛をながめている。(中略)

「うわあ、美味しい。花の蜜が入っているみたい」

紙コップに口をつけるなり、伶子が感嘆の声を上げた。それは確かに、舌の上に陽差しが広がるような味わいだった。

 

「(中略)お赤飯がもうすぐ炊けるわ。ささげをね、昨日から、水につけておいたのよ」

(中略)

「是非召し上がってください。ね、お腹も空いているでしょう」

やがて、テーブルのビニールシートに湯気を立てる赤飯とクリームシチューの皿が並んだ。室内はほこりっぽく食欲を減退させたが、里佳も伶子も大げさな褒め言葉を口にしながら席に着く。

(中略)

ほのかに朱がかったつややかなもち米の間から、大粒のささげがふっくりとふくよかな姿を覗かせている。口に運ぶなり、やや固めに炊かれたもち米が心地よくねっちりと反発し、塩気と強い甘み、そして、とがったところがないかすかな苦味が広がった。ささげのほくほくとした中身が皮から溢れれば、繊細な風になって流れていく。

一方で、シチューは固形ルーそのままの風味がして、これといって感想の思い浮かばない凡庸な味だった。それどころか、にんじんもじゃがいももちゃんと火が通っていないように思われた。

「このお赤飯、ちょっとだけお醤油が入ってるんですか? こくがあって、すごく美味しいですね。ささげもいい炊き加減! おかわり欲しくなっちゃう」

隣の伶子はきらりと目を光らせている。伶子が言うのだから、と急に味覚に自信が出て、どんどん口に運ぶ。

「まあ、よく気付いたわね。そうなの。新潟に来たばかりの頃、夫の実家で初めて食べた時、すごく美味しいと思って、姑にこれだけはちゃんと習ったの」

(中略)

「もともと、あんまり料理は得意じゃないのよ。こっちに来てからというもの、外食の機会も減って、グルメな夫にあれこれ味付けに注文をつけられるし、すっかり嫌になってしまったの。レトルトやお惣菜に頼るようになったわね。こっちはスーパーのお惣菜がとっても美味しいの。お肉屋さんの揚げ物なんかもたっぷり大きくてね......こんな」

くすくす笑いながら、手で大きな四角を作ってみせる。

「それで、夫が週末に作る料理っていうのが、庭にレンガの竈を作っていぶすベーコンとか、玉ねぎをあめ色になるまで炒めて、寸胴鍋で煮込むカレーとか......。いわゆる趣味人な男の料理でね。(中略)」

(中略)

杏菜はまるで他人事のような顔でシチューを口に運んでいる。赤飯は本当に苦手なようで、なかなか箸をつけようとはしない。

(中略)

「(中略)だいたい、こんなに乳製品の美味しい場所で、ルーのクリームシチューだなんて、私、許せないんだけど」

 

ご飯と味噌汁、塩鮭、漬物と塩辛、卵焼きが運ばれてきた。米の澄んだ甘さにまたも感動しながら、この故郷の味を梶井真奈子に食べさせてやりたいと思った。

 

里佳は取材中なのに申し訳ありません、と小声で前置きし、ホイップバター付きのヨーグルトワッフルとカフェオレを注文した。梶井真奈子のリストに入っていたものなので、どうしても味わっておきたかったのだ。

(中略)

彼は紙コップ入りコーヒーに砂糖とたっぷりのミルクを加えながら、そう言った。

(中略)

飲み物とワッフルが運ばれてきた。きつね色の格子模様の焼き菓子にホイップバターが溶けて、黄金色ののろのろした滝を作り、くぼみを見つけてはとっぷりと溜まっている。バターが十分に染み込んで、ほどよい塩気がある、じゅわじゅわと潤びた生地を、里佳は思う存分に頬張った。よほどうっとりした顔をしていたのだろう、秋山さんがくすりと笑い、恥ずかしくなる。

「なんか、思い出すなあ。真奈子ちゃんはここのワッフルが大好きで......、よく食べていたんですよ、一人でいくつも。それでよくお母さんに窘められて」

(中略)

「文化祭のこと、思い出すなあ。みんなでベビーカステラの店をやったんですよ。父がPTAの役員をやっていた関係で、うちの牛乳を使って。あれからですよね、自分の家業に誇りを持つようになったの。楽しかったなあ。大盛況で、地元の新聞に小さく取り上げられたり。ああ、うちの牛舎でホットミルクを飲んだでしょ? あのアイデアはそのときに思いついたんです」

(中略)

隣の家族連れの小さな女の子は、クリーム付きのワッフルで顔中をべたべたにしている。

(中略)

隣のテーブルの女の子がとうとう母親に叱られ始めた。ふふっと、彼は薄い笑いを浮かべ、コーヒーを一口飲んだ。店中に漂う甘いワッフルとバターの匂いに、里佳は急に酔いそうになる。

柚木麻子著『BUTTER』より