私が小学生のころ、地元には野良犬、野良猫がたくさん歩いていた。そのうちの1匹を友達と囲ってエサや寝床を与えていたことがある。で、やっぱり味見はしたよ、ネコ缶を。カレー風味がいいにおいすぎて。味はほとんどなかった。
帰宅すると、朝陽が差し込む、ぴかぴかのキッチンに満足な気持ちで立った。ヨーグルトとクリームチーズで作るパンケーキは、犬のアンチエイジング専門書で知ったレシピだ。熱したフライパンにタネを流し、黄金色の薄いケーキを次々に焼いていく。
(中略)
皿に重なったパンケーキと同じものを、メラニーがキッチンの床で食んでいるのに、彼は目ざとく気付いたようだ。
「犬と同じメニュー......」
(中略)
「人間が食べても十分美味しいですよ」
おどけた調子で、メラニー用に焼いた直径5センチほどのパンケーキをひとくちかじってみせた。
夕方になり、食事の支度にかかる。目新しいものを作っても、ああいうタイプは及び腰になるだろう。考え抜いた私は朝買った食材を駆使して、コロッケとけんちん汁を作ることに決めた。
7時過ぎに横田は帰宅した。コタツの上に並んだ食事を一瞥して、彼は言い放った。
「僕、こんにゃく嫌いなんだ。あと、人参もだめ」
うそつき。私は叫びそうになる。梶井真奈子の時は、彼女が手作りしたおでんやボルシチを食べたじゃないの。おいしい、おいしいっておかわりして。汁をご飯にかけて、あの女の眉をひそめさせたじゃないの。
揚げたてのコロッケを無造作につつきながら、彼は急につぶやいた。
「思い出しちゃう。アイツのこと」
(中略)
用心深く尋ねながら、おたまでけんちん汁のこんにゃくと人参を取り除いてやる。横田は私とのメールのやりとりで、この家で女と同棲した経験がある、と誇らしげに告げていた。
「うん。何品もおかずがならんで、母が元気だった時のこと思い出した。彼女とご飯を食べると、すごく楽しかったな」
(中略)
味についてなんの感想もないので、私はまたもや苛々してくる。申し分ないはずだ。俵形にまとめたさくさくのコロッケは見事なきつね色だ。隠し味のカレー粉とつなぎにしのばせたとろけるチーズ。
「美味しいですか?」
その日の朝食は焼きたてのパンとベーコンエッグ、手作りのジャムにした。
「このベーグル、手作りなんです。フライパンで焼けるんですよ」
昨日買った、じゃがいもと玉ねぎとブロッコリーを使って肉と人参抜きのクリームシチューを作る予定だった。ただ機械的にいつもの習慣で、相手の体調と残りの食材をよくよく考慮し、献立を組み立ていた。いつもなら豆乳を使うところだが、秋山さんの牛舎での話が今も残っていて、少しでも多くの牛乳を消費したい気分でもある。
ベシャメルソースをだまなく作るコツはバターをけちらず、たっぷり使うこと、そして、冷たい牛乳を一気に咥えることだ。せめて、あの男に美味しい、と言わせたかった。
朝食を兼ねて昼過ぎにデスクで生卵をかけた牛丼をかきこんでいたら、上司に突然声をかけられた。
柚木麻子著『BUTTER』より