たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

宮さま、サラダに挑む『浩宮さま 強く、たくましくとお育てした十年の記録』

こうして抜き出してみると、宮さまのサラダ嫌いに3度も言及してあって笑える。
でもこのしつけのおかげで後にオックスフォードの寮の食事も楽しめたのではないかと思う。

私は2つの小学校に通ったが、1校は構内で給食をつくっており、この皇室のように全部食べ終わるまでは立つことができなかった。昼休み中に教室に残ってトレイや牛乳を前にべそをかいている子をよく見かけた。私は居残りになったことはなかったが、食事中に口に入れたゴボウか何かがなかなか飲み込めず、「食べ終われない!」と恐ろしくなって、先生に文字どおり泣きついたことがあった。先生はビックリされて、大丈夫だから落ち着いて食べなさいと言われた(当然だ)。
転校してみると、残し放題で驚いた。そこは前の学校と違い、地域の給食センターから運ばれてくるシステムで、そのせいかメニューもバラエティに富んで美味しかったのだが、私は牛乳を開けもしなかったこともしょっちゅうだった。

少なくとも今は全部食べるように強要することはないだろう。アレルギーの子も増えているようだし。
さらに、コロナ対策として出されている個包装の給食を見ると...みじめだ。子どもにだけはたんと食べさせてやりましょうよ。まともな社会として。

ある夜私が呼ばれてお居間にうかがうと、浩宮さまのお姿が見えなかった。
「宮さまはどうなさいましたか」
とおたずねすると、
「まだお食事のサラダをいただいていないので、食堂にひとりで残してあります」
という皇后さまのお答えであった。

私が見たところ、浩宮さまは、野菜サラダがいくらか苦手のようであった。これは浩宮さまにかぎらず、どこの家庭の子どもでもよくあることだ。食事が終わっても野菜サラダだけが浩宮さまの食前に残されていることがあった。皇后さまが「めし上がれ」とおっしゃられると、浩宮さまは片手を振って、「ぼく、サラダもう結構」と言われる。こうした場合、皇后さまは、マヨネーズとかドレッシングとか、変化をつけて召しあがりやすいようにという努力を払っておられた。オートミイルとトマトはお好きだった。
お好きといえば、浩宮さまは、カレーライス、チキンライス、釜めしなどのような“まぜご飯”に類するものがお好きであったが、これはお父さまゆずりであった。

宮さまは、野菜サラダが苦手であった。私は、食べていただきたい一心で、ついフォークでお口に運んであげたりした。すると、しばらくの間、宮さまは、私がフォークでお口に入れてあげない限り、嫌いなサラダは残してしまわれるようになった。ここは心を鬼にしなければならぬとすぐ気がついて、両陛下も私も、宮さまがサラダを、ご自分できれいに召し上がるまでは黙って待つことにしたので、問題は後をひかなかったのであるが……。

小俣先生の話では、この給食で一番困るのは、食べ物について好き嫌いのはげしい子がいるということだった。そこで、学校では、出されたものを全部食べないうちは校庭へ出て遊んではならないというきまりにしてあった。中には、泣く泣く嫌いなニンジンを口に押しこんでいる子もあったそうである。
浩宮さまは、しかし、給食で出されたものは、みんな気持ちよく召しあがった。
ついでながら初等科の給食は、主食のパン食(月に一度ぐらいはカレーライスなどのご飯もの)にオカズがつき、それぞれアルミの食器に盛ってあった。
「浜尾さん、ボク大学イモ食べたよ」
とオカズに出された大学イモをめし上がって自慢顔でおっしゃられた記憶がある。

浜尾実著『浩宮さま 強く、たくましくとお育てした十年の記録』