たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『そして、バトンは渡された』(6) 試験前の夜食

中学生になって初めて夜食を許されたことは忘れられない。
ま、最初は小学校のテストとの違いが何もわかってなくてひどい成績でしたけどね。夜食まで食べて遅くまで何をやっていたのかと。

「はい。うどん」
夜、部屋で勉強をしていると、ノックをして森宮さんが入ってきた。
「うわ。お腹すいてないんだけどな」
「受験まであと10日。しっかり栄養とって、がんばってもらわないと」
森宮さんは勉強机の上を勝手に片付けると、うどんとお茶の載ったお盆を置いた。どんぶりからは湯気があがっている。
「さっき夕飯食べたところなのに」
(中略)
「森宮さんも受験前、食べてたの?」
「いや、俺は食べてもカロリーメイトとかバナナくらいかな。親が勉強は自分の力でやるものだって厳しかったからさ」
「私もそんなのでいいんだけど」
森宮さんは、昨日はおにぎりを、その前は風邪を引いたわけでもないのに雑炊を用意してくれた。1月に入ってからというもの、毎晩何かしら、勉強をしている私に食事を運んでくれている。
(中略)
「こうやってしゃべって勉強時間減らしてる場合じゃないな。じゃあ、俺、明日の夜食何にするか考えてから寝るから。優子ちゃんうどん冷めないうちに食べてね」
森宮さんはそう言って、部屋から出て行った。
「はあ......、いただきます......」
お腹はすいていないけれど、作ってくれたものを食べないのは悪い。私は箸を手に取った。だしを一口飲んでから、うどんを口にする。少し柔らかくなった麺はつるっと喉を滑っていく。具はきざんだ油揚げとかまぼことねぎで、あっさりと食べやすい。
「こんなの売ってるんだ」
3枚も浮かべられているかまぼこには、必勝の文字が入っていた。受験を意識した商品がいろいろあるものだ。このかまぼこをスーパーで見つけた時、森宮さんほくほくしただろうな。かまぼこを買う森宮さんの顔を想像すると、思わず笑ってしまった。
「ごちそうさま」
ちゃんと食べきって、私は手を合わせた。不必要な夜食であっても、ごはんを作ってくれる人がいること。それは、とてもありがたいことだ。

「紅茶?」
「そう。で、優子ちゃんが買ってきたチーズケーキ食べよう」
「もう胃痛くないんだ。っていうか、お土産買ったの知ってたの?」
「うん。優子ちゃを叱りつけながらも、ケーキ屋の袋がちらちらと気になってた」
「あっそう」
ちゃっかりしてるんだと言いたいのをこらえ、私は皿にケーキを載せ、紅茶を運んだ。
「あれ?」
チーズケーキをテーブルに置いた私は、首をかしげた。
「どうしたの?」
胃痛も吐き気も腹痛も収まったようで、森宮さんはおいしそうに紅茶を飲んでいる。
「どうして、お土産、チーズケーキだってわかったの? 他のケーキかもしれないのに」
「そんなの簡単。どうせ、甘ったるい生クリームがべたべたのケーキは脇田とかいうやつと食っただろう? でも、出かけといて手ぶらで帰るのは気が引ける。で、家にはあっさりしたケーキを選ぶだろうと推測したんだ」
「なるほど」
「ほら図星だろう。俺、探偵になろうかな」
森宮さんはそう言って、うれしそうにチーズケーキをほおばった。
「おいしいな。これなら俺、8個は食べられそう」
「確かに食べやすいね。森宮さんの予想どおり、私さっきチョコレート食べたけど、すんなりお腹に入る」
ほのかにチーズの香りがするスフレは、すっと口の中で溶けていく。軽い甘さは夜にぴったりだ。

「俺もたらふくチーズ食べたのにおいしい」
「チーズ?」
「そう。まさか試験直前にのんきに優子ちゃん出かけるなんて思ってないから、夕飯の材料2人分用意してさ。大量にドリア作って一人で食べたんだよね。チーズを山ほど載せたやつ」
「そうだったんだ」
「エビもホタテも鮭もきのこもたくさん入れた濃厚なホワイトソースの豪華なドリアだったんだぜ」
森宮さんは自慢げに言っているけど、チーズの食べすぎで胃が痛くなったんじゃないだろうか。
「優子ちゃんも脇田とかいうやつとふらふら出かけず、殊勝に家で勉強に励んでいたら、ドリア食べられたのにな。あ、そうだ、明日作ってあげよっか」
「いや、また今度ね。うん、受験が終わってからがいいや」
チーズは好きだけど、このケーキのようにそっと風味がするくらいがいい。チーズたっぷりの濃厚なドリアは受験前には重すぎる。
「よし、試験の打ち上げはドリアだな」
森宮さんはそうはりきると、チーズケーキをたいらげた。

瀬尾まいこ著『そして、バトンは渡された』より