たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

酒井順子著『地震と独身』#東京五輪の中止を求めます

AERAの記事同様、「陽子さん(仮名)」というのは実在の人物じゃないんだろうな...と思われるエッセイが多い酒井氏の著作。本作はさすがに真の声が聞こえてくる。
震災が起きた日、私はサンフランシスコで聖パトリックデーの緑一色のパレードに浮かれていたが、レストランで「日本人か、家族は無事か」と声をかけられたり、立ち寄った教会で日本のために祈るコングリゲーションに混ざったりした。
ホテルでつけっぱなしにしていたCNNは1日目は同情的な報道が多かったが、2日目にはこっちにフクイチの放射能流れてこねえだろうな、という切り口一色に変わった。
もう10年前の出来事だが、いまだに復興半ば。#東京五輪の中止を求めます

午前中の打ち合わせを終えて、携帯の不具合を直してもらうためにドコモショップに寄り、パン屋さんでパンを買ってうちに戻って昼食。

その後、知人から「とりあえず風呂に水を溜め、これから何があるかわからないからご飯を炊いておいた方がいい」との指示を受け、「なるほど」とおもむろに米を5合、研ぎはじめました。いつ停電になるかわからないし、ということで、1人炊き出し状態です。
普段は米を5合も炊くことがないため、大量の米を研ぐというその感覚に、非常事態感はますます強まってきます。
(中略)
5合のご飯が炊きあがり、おむすびを作ったりしながらも、私はひたすらテレビを眺めていました。

会社にいる人で手分けして食べ物を買ってきたのですが、おにぎりなどは既に売り切れていたので、なぜか鶏の丸焼きのようなものが供され、図らずもパーティーのような様相に。ビールなども飲みながら、皆でテレビを見ていました。会社の総務の人がなぜかハイテンションで、後から考えるとお祭り感覚だったのかも。

「1人ですごく怖がっていた友達がいたので、土曜日はケーキをたくさん買って彼女の家に泊まりに行って、ひたすら食べました。こんな時、結婚している人なら家族で一緒にいるのだろうなぁと思って羨ましかったけれど、友情は深まりました」

「でも、地震の翌週の一番食べ物がなかった時も、会社には行かなくてはならないわけですよ。スーパーに並ぶ時間は、我々には無い。だからあの1週間は、とりあえず乾麺のうどんとパスタばかり食べていましたね。以来、お米を少しは備蓄するようになりました」
(中略)
遠くのスーパーまで自転車で行ってみると、全てのレジには長蛇の列。もちろん、お米やパンの棚はすっからかんです。肉と野菜は豊富に売られていたため、普段は滅多に買うことの無い牛肉をなぜか夢中で買ってしまい、夜はステーキを食べたりしていたのでした。

久慈に泊った翌日は、早朝から三鉄に乗りました。三鉄の久慈駅にある立ち食いソバ屋さんで売っているうに弁当は美味しくて有名なのであり、朝からそれを食べて乗り込んだのは、昨日見た「てをつな号」。久慈から田野畑まで、通学の高校生とともに揺られました。地元の人にとって、三鉄がいかに大切であるか実感できる光景です。

被災後、避難所暮らしをしたある方にお話をうかがうと、避難所暮らしが始まって1週間以上してから、ボランティアの人達がいれた温かいコーヒーを飲んだ時に、ものすごく嬉しい気持ちになったのだそうです。
「コーヒーを飲まなくても生きてはいけるけれど、おにぎりやパンが続く生活の中で、それはとてもほっとできる瞬間だった。1杯のコーヒーを、大切に飲んだ」
とおっしゃっていました。
また、被災地からそう遠くない場所にあったとある和菓子屋さんは、震災時、翌日に開かれる予定だった行事のために、大量の大福を作っていたのだそうです。しかし、震災によって翌日の行事は中止に。既にできていた大福を「さほど腹の足しにはならないけれど」と避難所で配ったところ、皆さんにものすごく喜ばれたのだそう。「こういうものが欲しかった」、と。

2011年の仕事納めの日、美雪さんの新聞社では「卵めん」を、皆で食べたのだそうです。岩手奥州市の名産である卵めんは、震災の翌々日にお父さんである社長と美雪さんが買い出しに行き、その後は日々、炊き出しとして出されていたのだそう。
「あの時の気持ちを忘れないようにと、皆で食べたんですよ」
と美雪さん。きっとこれからも、仕事納めの日には卵めんを皆で食べて、「あの時の気持ち」を胸に、地元の人達のための新聞がつくられていくに違いありません。

でも一番の夢は、いつか両親に南相馬で、また商売を始めさせてあげたいということ。もう一度、父が作ったケーキやパンを食べたいんですよ。こちらにももちろん、ケーキもパンもありますけど、食べる度に『父の味と違う』って思うんです。

インタビューを終えて、私はほど近くにあった「おらが大槌復興食堂」(現在は閉店中)にてランチ。地元の野菜と大槌地味噌を使ってじっくり煮込んだ「ぜぇーごかれー」はとても美味しくて、ペロリと完食。皆さんもぜひ、三陸へ!

「最近は離乳食も始まってますし。地元の野菜は全部線量を測ってますから、安全なものを食べさせてますけど、『本当にこれ大丈夫?』って、1個1個測りたくなるような不安が日々積み重なっている感じはします。お魚は、県外から離乳食用のものを取り寄せて……。外部被曝については、これくらいなら大丈夫と思ってますけど、食べ物にはやっぱり気をつけています」
と。そして、
「地元の新鮮なものの美味しさを知ってますから、山菜の季節とか、すごくつらいんですよ。春のほろ苦い味を食べられないのが、思いの外ストレスで。食べ物では、私はそれが一番つらい」
とも言うのでした。

 南相馬といえば、柳美里氏が書店を開いているところですね。
現地に行ってみたいのはもちろん、質問に答えると、柳氏が本を選んで送ってくれるというサービスがあって、今後日本に長期滞在することがあったらぜひ申し込みたい。

印税はすべて東日本大震災の被害に遭われた方々への義捐金として全額寄付される由。

酒井順子著『地震と独身』より