たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

なつかしのドラジェ!冬森灯『縁結びカツサンド』

一時期、ウェディングプランニングの会社でバイトをしていた。
ドラジェ! しゃらくさし!

「人類のもっとも偉大な思考は意志をパンに変えること」
ドストエフスキーとかいうロシアのおひとの言葉だそうだ。商売は知らねえが、これだけのことを自信たっぷりに言えるたあ、きっとてえしたパン屋だったんだろうと思う。
(中略)
パン生地の機嫌がわかってはじめて一人前というが、粉みたいにちっちゃくてぱらぱらしたもんが、手をかけてやると、ふくふくに大きく膨らんで、あんなにうまいもんになるのはいまだに不思議なもんだ。同じ材料で同じように作ってるのに、俺のパンと、お前さんの親父が作るパンがちょっとずつ違うってのも、面白い。

ウェルカムカードに添えられた、いちごミルク色のアーモンド・ドラジェもかわいらしかった。

お色直しのカラードレスや和装の衣裳紹介の間もずっと私はフォークとナイフを握りしめたまま、オマール海老に手をつけるのも忘れて、空想に浸った。

あんぱん、クリームパン、チョココロネ。どこかなつかしい顔つきのパンばかり。窓に白く浮かんだ「コテン」の文字は手書き風で、ぽってりと丸いパンの形にそっくりだ。

この間は、履物屋のおじさんが代金はツケといてと言って棚のあんぱんにいきなりかぶりつくのを、おろおろするばかりで咎めることもなかった。

あんぱんとくるみぱん、スライスされたぶどうぱん。なにか問題があるようには見えない。
真ん中が小高く盛り上がったあんぱんは、見るからにあんこがぎっしり詰まっていそうだし、くるみぱんの表面には砕かれたくるみが顔をのぞかせ、ぶどうぱんの断面には、緑と紫の干しぶどうが踊るように並んでいる。

今年新卒で入った浅野ですと紹介された彼は、スーツのポケットをあさり、深々と頭を下げながら、私に、なぜだか小袋入りのドーナツを差し出した。
(中略)
ドーナツを返そうとすると、コーヒーとドーナツはよく合いますから、ときっぱり断って、右手右足を一緒に出しながら去っていった。

ドーナツの、と話しかけるとすぐに思い出したらしく、頬を赤らめて折り目正しく頭を下げた。あれは彼の個人的なおやつだったそうだ。
(中略)
新卒とはいえ大学院卒の彼は、実際には私よりも年上で、私がメニューから鮭の親子丼を注文すると、僕もそれです、と頷いたきり、黙った。
(中略)
秀明は実においしそうにごはんを食べた。
鮭の炊き込みごはんの上にイクラを散らした親子丼はたしかにおいしかったけれど、あまりにもうれしそうに箸を運ぶ秀明の姿に、つい自分の箸を動かすのを忘れた。
冬森灯著『縁結びカツサンド』

 ごはんを美味しそうに食べる人は好かれる。
逆に食細い人はいろいろめんどくさいよね...差別はしてはいけない、というのは大前提だが、一緒に食事したいと思えない。
アメリカ人だったら絶対キレるほどちんまりした「ワンプレートランチセット」を青い顔をしながら残していた同僚を思い出す。