たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

山本文緒『恋愛中毒』アイスクリーム食べない?

山本文緒さんの物語がもう読めなくなって悲しい。
日記エッセイを読むと、「少しおタバコを減らされたほうが精神的な負荷も軽くなるのでは...」と余計なことをつぶやいたものでしたが。
真摯な作品をたくさんありがとうございました。

もう彼女は生姜焼き定食をすっかり食べ終えてしまってお茶をすすっていた。

「唐揚げがトンカツ弁当ならすぐできますけど」
「揚げ物っていうのは、どうも胃がなあ」
「カルビ弁当はどうですか? うちは結構いいお肉使ってますよ」
「焼肉は昨日食ったから」
「マーボー丼は? 評判いいんですよ」
「栄養のバランスがなあ」
「じゃあ幕の内は?」
「そういうチマチマしたのはねえ」
相手が創路功二郎でなかったら、もう相手をしなかったと思う。でも辛抱して私は言った。
「じゃあ、炒飯と餃子っていうのはどうですか? 野菜スープもつけるとバランスいいですよ」
うつむいて首のあたりをぽりぽり掻いていた創路功二郎が、そこで顔を上げた。珍しい昆虫でも発見したかのように、彼はじろじろと私を見た。

「どうしようかなあ。炒飯もおいしかったけど、ちょっとハードだなあ」
「冷しうどんはどうですか。先週からはじめたんです」
彼は口を開けてしばし私を見た後、何故だか深く息を吐いた。
「いいね、それ。そうしよう」
「あと中華サラダはどうですか。焼き豚が入ってておいしいですよ」
「ああ、いいねえ。本当に君はいいね。素晴らしい」

私はウニ入りのびっくりするほど美味しいリングイネを口に運びながら、正面に座った女社長の姿を盗み見た。

渡されたのはビールのグラスだった。大きめのピルスナーに、それはそれはおいしそうに泡をたてたビールが注がれている。
渡した本人はまた奥へと消えて行った。どこからか階段を上がる足音がする。私は日差しに向かってピルスナーを掲げた。水滴のついたグラスにしゅわしゅわと発泡音をたてる冷たいビール。先程ウーロン茶で潤したはずの喉はとっくに渇いている。この陽気でこの状況で、大好きなビールである。

「アイスクリーム買ってきたよ。食べましょうよ」
彼女がコンビニの袋から出したのはハーゲンダッツのチョコレートバーだった。はい、と差し出されて私は首を振った。
「私はいいです」
「えー、食べて下さいよ。新しい人が来るっていうからわざわざ買いに行ったんだから」
陽子の方を見ると、彼女は既に包装を破って無言でそれを食べはじめていた。そうまで言われて断るのも大人気ない気がして、私は仕方なくアイスを受け取る。
しばらく女3人で黙々とアイスクリームを食べていた。

陽子と千花は簡単に答えると、食べかけのカツ丼をまた口に入れはじめる。

お盆にカップとグラスを載せて千花が戻って来た。私はカツ丼についていた沢庵をぽりぽりと齧る。

「悪かったですね。これでも子供の頃は読書家だったんだから。あーなんか甘いもの食べたいな。陽子さん、コンビニ行ってきていい?」
「レシートもらってくんのよ」
「はーい。何がいい?」
「アロエヨーグルト」
「水無月さんは?」
「抹茶ババロア。なかったらコーヒーゼリー」
年齢や立場はばらばらでも、私達3人はこうして事務所で会うと時折ご飯や甘いものを食べ、くだらないお喋りをするようになっていた。

「お腹空いてます? 冷蔵庫の中に何もなくて。何か取りましょうか」
「そうだな。今から外に行くのはだるいし、ピザでも取るか」
私はデリバリーピザのチラシを先生に見せどれがいいか尋ねた。彼はちらりと一瞥しただけでどれでもいいと言った。私はピザの他に適当にサラダを見繕って電話で注文した。

すごく高価なものをありがたがったりもしないし、駅のスタンドカレーやそばも平気で食べる。

そこでピザが届いて、2人でテレビを見ながらそれを食べた。結構量があったが彼と私であっという間に平らげてしまった。こうしているとまるで肉親のようだと食後にウーロン茶なんかを飲み、馬鹿なテレビを見て笑いながら思った。

とりあえず私達は駅前まで歩き、ファーストフードの店に入ってハンバーガーを食べた。

挽き肉と茄子が今日は安かったのでマーボー茄子にしようかと思っているところで、私は「藤谷さん」と声をかけられた。
(中略)
彼女の家には中学生の男の子が2人いて、異常なばかりの食欲を示すそうだ。何でも食べてくれればまだしも、生意気にも毎日違うメニューを出せと言う。間違っても焼き魚なんかでは満足してくれないらしく、彼女はいつも肉料理のバリエーションに頭を悩ませているのだ。
「豚バラが安かったですよ」
「あら、じゃあ生姜焼きにしようかしら。藤谷さんとこは?」
「うーん。マーボー茄子かなあ。あとは冷や奴でごまかそうと思って」
「豆腐はいいわよね。あれ意外とお腹にたまるし」

米びつを開けると、米ももう残り少なかった。夫は惣菜にはあまり文句を言わなかったが、米にはうるさかった。標準米ではなく、ブランドのいいお米を食べたがった。またお金がかかるなと思いながら私は米を研いだ。

「なんか飲み物買ってきてくれる?」
うとうと眠っているのかと思ったら、唐突に先生はそう言った。
「はい。何がいいですか?」
「さっきお前が飲んでた派手なトロピカルドリンク」
「甘いですよ」
「うん」
(中略)
何日もいるので顔見知りになったバーテンに、私はマイタイを2つ頼んだ。褐色の肌に真っ白なシャツが眩しいそのバーテンはにっこり笑って飲み物を作りはじめる。
(中略)
彼は口元に皮肉な笑いを浮かべ、花々の間から出たストローをくわえてそれを飲んだ。そして「甘い」と顔をしかめた。
「でも、おいしいでしょう」
「そうだな。ちゃんと果物の味がする」

給料日にだけ奮発して食べる寿司か焼肉。もちろん上等なものではなかったけれど嬉しかった。

私達はマクドナルドでハンバーガーやチキンナゲットやらを買い込み、そこの駐車場の目立たない場所に車を停め、ルーフを閉めてそれらを食べた。考えてみれば私もずいぶん前に機内食を食べたきりだったのでお腹が空いていた。
(中略)
「バリ島どうだった?」
ビッグマックとチキンナゲットを食べてしまうと、千花が急に社交辞令を口にした。お腹がいっぱいになったら機嫌も直ってきたようだ。やっぱりまだ子供なのだと私は少し微笑ましくなった。

チョリソーをフォークで刺して陽子はしらけた声を出した。

テーブルを片付けに来た店員に私はチーズの盛り合わせと、灰皿を替えてくれるように頼んだ。

しかも台所に立ち、ご機嫌な様子で何か作っていた。オリーブオイルのいい匂いが部屋中に漂っていた。
「お帰りーん」
私の花柄のエプロンを掛けた先生が、フライパンを手に私を振り返った。
「せ、先生?」
「今日はいいお魚売ってたから、トマト煮にしたのよ。まったくあなたったらいっつも携帯切りっぱなしで全然連絡が取れないんだからーん」
真面目な顔で野菜を炒めつつ、先生はそう言った。
(中略)
私がぽかんとしている間に、先生はご機嫌でテーブルの上に置きっぱなしになっていた本や新聞を片づけ、わざわざ買ってきたらしい山茶花色のテーブルクロスを掛けた。鰯のトマト煮とサラダを置いて、冷やしてあったシャンペンを開けるとそこはまるで自分の家とは思えない幸せそうな食卓になった。
先生はワイングラスや小さな蝋燭まで用意してきていて、そこまでやると完全にままごとだったが、鰯もサラダもデパートの包みから出してきた値の張るらしいパンもおいしくて、ついさっきまで死にそうになっていた自分はどこにいってしまったのだろうと私はやや困惑した。

ドアを開けたそこには、まだ夕飯に食べたすき焼きの匂いが残っていた。

カップの中の熱いコーヒーがちゃぷんと揺れて手にかかった。それでも私は動けなかった。
「おにぎり作って置いておくから。おなかが空いたら食べてね」
母の優しい声には悪気のかけらもなかった。

延々と泣きつづける私にコーヒーを出し、自分は机に向かってレポートを書き出した。どのくらい時間がたっただろう。泣き疲れて眠ってしまっていた私は、何かいい匂いに目を覚ました。机に向かっていた彼の姿はなく、小さな台所から物音がしていた。そっと覗き込むと藤谷が音をたてて何か炒めていた。
彼はにこりともせず作った焼きそばを2つの皿に分け、ひとつを私の前に置いた。萩原のことでおかしくなってから食欲がまったくなくなり、ろくなものを口にしていなかった私は遠慮することも忘れ箸をとった。彼が作った焼きそばは麺がやわらかすぎたし具はキャベツだけだったが、今まで食べたものの中で一番おいしく感じた。しゃくりあげながら私はそれを食べた。藤谷はそんな私を気にもしない様子でテレビを見ながら焼きそばを食べていた。

「遊びに来てくださいな。ケーキ焼いたから」
「今からですか?」
「パジャマとか歯ブラシはあるから心配しないで。退屈でケーキなんか焼いちゃって、夫も帰って来ないし誰かとお喋りしたかったの」
(中略)
おなかを空かせていくのは何かと思ったので、買ってあったサンドイッチを食べてから来た。
(中略)
「何度も言ってるじゃない。ケーキも焼いたしお喋りする相手がほしかったのよ。あ、シチュー作ってあるんだけど食べる?」
「いえ、食べてきましたので」
「どうして?」
今私が口にした台詞を今度は奥方が口にした。大きな目をさらに丸くして不思議そうにこちらを覗き込む。
「お夕飯に呼んだのに、どうして食べてきちゃうの?」
「いえ、あの、ケーキとおっしゃってたから」
「ああそうね。言葉が足りなかったわね。ごめんなさい」
(中略)
「ま、ゆっくり考えて。シチュー、少しでも食べない?」
そう言い置いて彼女はキッチンへと消えて行った。私はすっかり疲労して溜め息をついた。手強いだろうと思っていたが想像以上だった。苛められるのが分かっていて来たのだから、陽子が前に言っていたとおり私はかなりMの気があるのだろうと半分諦めたような気分でいると、バラ娘は戻って来てテーブルの上にクリームシチューの皿とパンとワイングラスを並べた。私は当然のようにワインボトルと栓抜きを渡され、苦労して栓を抜いた。そして当然のようにそれを注がされて、何だか分からないが乾杯をした。シチューは市販のルーの味がして、特においしいというわけではなかったが「おいしいです」とお世辞を言っておいた。
「そうお? あんまりおいしくないじゃない」
作った本人がそう答えた。そうですねと言いそうになって慌てて呑み込んだ。
「今のお手伝いさん、掃除は好きらしいんだけど、料理はあんまり上手じゃないのよ」
言葉を失っていると彼女はにっこり笑い「ケーキは私が焼いたのよ」と付け足した。
(中略)
彼女の焼いたケーキは驚くほどおいしくできていて、それがさらに私を落ち込ませた。

「あ、水無月さん、アイスクリーム食べない?」
免税店を出たところで、アイスクリーム売りの車が目に入ってのばらが言った。彼女は白い日傘をくるくる回してアイスクリームの屋台に向かって行く。私は後ろから、当然のように持たされた買い物の袋を持って彼女の後を追いかけた。
「見て見て。タロ芋のアイスクリームだって。すごい色」
屋台には何種類ものアイスクリームがあった。私は無難にストロベリーを選んだが、彼女は私が止めるのも聞かず面白がってそのタロ芋アイスを頼んだ。私達はショッピングセンターの前に置かれたベンチに腰掛け、アイスクリームを食べはじめた。すると案の定のばらが「これやっぱりおいしくない」と言ってこちらに差し出してきた。何も言わず、私は自分のストロベリーとそれを交換した。
思ったとおり全然おいしくないタロ芋アイスを嘗めながら、私は横目でのばらを眺めた。正月でもグアムは夏だった。

プールを見下ろすバルコニーのバーで、私はサンドイッチとビールを頼み、きっと豪勢な食事をしてきたのであろう先生はスコッチウィスキーをダブルで頼んだ。

「日本は缶の飲み物がおいしい」
はあっと息を吐いて奈々が言った。
「そう?」
「外国のって甘いのばっかりで。そうだ、お茶や調味料なんかも買わないと」
「お料理、自分でできるの?」
「パン焼いて卵焼いてハム焼くだけ」
そう言って奈々は肩をすくめて笑った。
(中略)
「たまにママと新潟に帰ると、野菜の煮たのとかお魚とかがおいしくて感激した。お料理も習いに行きたいなあ」
「煮物ぐらいなら私が教えてあげるわよ」
心にもないことが自分の口からついて出る。

「あ、ひじきだ。私これ大好きなんですよねえ」
「お豆も煮てあるから。少し持って帰ってね」
(中略)
奈々は私が買ってきたエプロンをつけて台所に立った。彼女のリクエスト通りに、今日は2人で筑前煮と炊き込みご飯を作る。鯵の干物も焼くことにした。奈々はこわごわ包丁で里芋の皮をむき、私は「気をつけてね」と言いながら米を研いだ。
(中略)
日本酒はもう飲んでしまったので、私はワインの栓を抜く。作っておいた白菜とキュウリの浅漬けを肴に私達はワインを飲んだ。若いだけあって彼女は酒が強かった。

シーフードのサラダを美代子はまるで母親のように小皿に取り分けてくれた。ウェイターが私の前にグラスを置き、うやうやしく小瓶のビールを注いでから去っていった。
(中略)
「水無月さんもアイスクリーム食べる?」
ふと気がつくと、美代子が私の顔を覗き込んでメニューを差し出していた。
「バニラかチョコレートか抹茶だって。どれがいい?」
「......じゃあ抹茶を」
先生がウェイターに向かって「抹茶ふたつとバニラひとつ」と声をかけた。
山本文緒著『恋愛中毒』から

人から差し出されるアイスクリーム頻出だな。