たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『そして、バトンは渡された』(3) 学食

日本の大学の学食、好き。と言っても在学時はそんなに安いとも感じられずほとんど行かなかったが、卒業してから、幸い?仕事で方々の大学に行く機会があって、中でも同志社大、阪大、京都芸大のは思い出深い。女子大はオサレメニューやデザートもいっぱいあったなぁ...。

そういえば、オックスフォード留学記『テムズとともに』で今上天皇がカレッジの食堂の芽キャベツサイコーと書いていたが、現地で寮の管理の仕事をしていた人に聞くと、あそこはカレッジによって食事の当たり外れがかなり大きく陛下の滞在されたマートン校は一番当たりだという。さすが陛下、持っておられる。というか、受け入れ側の配慮か。

私はのんきに進路指導室でとってきた大学のパンフレットを見ながら、卵丼を食べはじめた。パンを持ってきていたけれど、だしの香りにつられて出来立てのものを食べたくなって卵丼を注文した。ちょっと濃い目のだしにふんわりした卵。学食のメニューではどんぶり物が一番おいしい。
園田短大の学食はどんなのだろう。大学にはもっとおいしいものがあるかなと、短大のパンフレットをめくってみる。

「170円か。たいへんなのかな」
「そうたいへんだよ。米はまだあるからご飯は食べられるとして、おかずは......、大家さんに野菜もらえるか聞いてみよう。あとは卵と鶏肉くらい買ってしのぐしかないかな」
「私、朝はパンがいいな」
梨花さんはこんな状況でも、わがままなことを言う。
「じゃあ、パンの耳をもらってこようよ。商店街のパン屋さんに袋にいっぱい入ったの置いてるし。あれ、たたでもらえるよ」
「えー。何も買わずにパンの耳だけもらうの?」
梨花さんは眉をひそめた。
「お金がないんだからしかたないよ。私、大家さんに野菜もらえないか聞くし、梨花さんはパンの耳をもらってきてね」

大家さんは私を居間に通してくれると、温かいお茶を淹れてくれた。
「大丈夫だよ。ホットカーペットもあるしね」
私は大家さんにもらったせんべいをかじった。大きな醤油のせんべいはいい音が鳴って、大家さんは「優子ちゃんはええ歯だね」と笑った。
(中略)
「白菜と厚揚げの煮物も、大根の漬物も作ってあるから帰りに持って帰ってな」
「うん、ありがとう。すごく助かる」
大家さんは何も言わなくても野菜をくれたし、梨花さんはお金がないことを話す必要はないと言う。だけど、この白菜や大根がどれだけありがたいものなのか、私は言っておきたかった。
「お金、850円しかなくて、ごはんどうしようかって、昨日お母さんと言ってたんだ」

私は大家さんが淹れてくれた温かいココアを飲みながらうなずいた。

大家さんはりんごをむきながら言った。
血がつながった人は、お父さんと離れて以来、私の前には現れていない。けれど、それが親ばかなら、梨花さんだってそうとうの親ばかだ。
「あ、おいしい」
私は大家さんのむいてくれたりんごをほおばった。硬めのりんごはしゃりっとして中に甘い蜜が入っている。
「冬に炬燵で果物食べるって贅沢だよね」
大家さんは「あちこち体にがたが来てるけど、歯だけは丈夫で良かったよ」と言いながらりんごをかじると、
「そうそう、私さ、来年になったら施設に入ることになったんだ」
と思い出したように言った。

「夕飯、何?」
宿題を終えてダイニングに入った私は、すぐさまそう聞いた。にんにくのにおいが部屋中に充満している。
「何って、餃子。にんにくもにらもたっぷり入れたからね」
森宮さんはほくほくした顔で台所から答えた。
「焼きあがったから、優子ちゃんテーブルに運んで」
「週の真ん中に餃子って......。明日も学校なのに」
私は大皿に盛られた餃子を渡され、食卓へと運んだ。カリッと焼けた餃子はおいしそうだけど、においはきつい。
「夏バテが治るまで、餃子を食べまくるよ。ざっと50個は作ったんだ」
「うそでしょう。っていうか、私ばててないし」
大皿3皿に盛られた餃子を食卓に並べると、
「さあ、あつあつ食べよう」
と森宮さんは手を合わせた。
皿いっぱいに載せられた餃子は、見るだけでお腹がいっぱいになりそうだ。
「にんにくもにらも、通常の倍は入れたからね。これで、夏バテもふっとぶだろう」
森宮さんは餃子を1つ口に入れながら言った。
「そんなににんにく食べたら、臭くなるんじゃないかな......」
「まあ、いいんじゃない? 野菜も多めにしたから、見た目より軽くて食べやすいよ」
森宮さんが2つ目を口に入れるのに、私も1つ餃子をほおばった。においの割にくどくなく、あっさりと食べやすい味だ。
「おいしいのはおいしいね」
私が言うと、森宮さんは「そうだろう」と大きくうなずいた。
「おいしいし、スタミナ付くし。餃子は最高の食べものだよな。これさえ食べれば、墨田も矢橋も撃退できるだろ」
(中略)
「こらこら。そうやってたそがれている暇があったら、さっさと食べて」
森宮さんは考え込んでいる私の皿に餃子を入れた。小ぶりの餃子はいくつでも食べられそうだ。私はぱくりと口にほうり込んだ。
「餃子食べて元気になったところで、解決する問題でもないんだよね」
「でも、だるい体よりは力が満ちあふれてるほうが、賞賛はありそうだろ?」
「そりゃ、元気にこしたことないだろうけど。いや、にんにく臭くてよけいに嫌われるかも。クラス中から避けられたらどうしよう」
私はつまんだ餃子のにおいを嗅いでみた。食欲はそそるけど、にんにくとにらの癖のあるにおいは鼻につんと来る。
(中略)
森宮さんは適当なことを言うと、「ああ、こりゃ、飲みたくなるわ。飲んでいい?」と、冷蔵庫へビールを取りに向かった。
(中略)
「やっぱり、餃子にはビールだよな。あ、優子ちゃんも飲む?」
「そんなわけないでしょう」
「そうだよな。なんだか俺だけ悪いなあ」
森宮さんはそう言いながらも、ごくごくビールを飲んでは、餃子を口に運んだ。
その勢いに押されて、私も餃子をほおばった。1つ食べたら、何個食べようと一緒だ。後で牛乳を飲めば、においはなんとかなるだろう。
「餃子でも春巻きでも包む料理って、結局は空気感が大事なんだよな」
餃子は3皿目に突入した。もう30個は食べてるだろうか。森宮さんはそれでもまだおいしそうに餃子を口にしながら話し出した。
「餃子の空気感って、何それ。酔ってるの?」
「まさか。娘がにんにく臭くてみんなから避けられる事態が起きようとしてるのに、酔えるわけないだろう。餃子でも春巻きでも、ぎっしり中身を入れて作るより、ちょっと隙間があるほうが空気が含まれて食べやすいってこと」
「そうなんだ」
酔っていてもいなくても、森宮さんは食べ物についてなんだかんだと語りだす。餃子を食べるのに、空気感を考えなきゃいけないなんて面倒くさい。私はまたかと思いながらもうなずいた。
「隙間がこのカリッとした軽さになるんだよなあ」
「へえ、すごいねえ」
餃子の具はキャベツもにらも細かく切られていて、口の中に何も残らず、すんなり喉へ滑り込んでいく。野菜の水切りもしっかりされているから、少し冷めてもべちゃっとならずにおいしい。空気感はさておき、手間暇かけて作った味だ。そう言おうかと思ったけれど、森宮さんの話がさらに長くなるのも困るからやめにした。
「小さいからけっこう食べちゃった」
私は最後の1つをつまんだ。においのことなどいつの間にか忘れていたようだ。
「50個を2人でたいらげるなんて相当だよな」
森宮さんも満足そうにビールを飲み干した。
「餃子だけなのに、お腹いっぱいに」
「だろ? これで明日は楽勝だな」
「だといいけど」
「ま、焦らなくても、明日も学校でごたごたしたら、また餃子作るしさ。明日の分の材料も買ってあるからね」
森宮さんはにこりと笑った。
餃子はおいしかったけど、2日続けてはきつい。明日は他の物が食べられるように、少しはクラスの雰囲気も好転しててほしいな。私はそう願いながら、牛乳をたっぷりグラスに注いだ。

瀬尾まいこ著『そして、バトンは渡された』より